お止めくださいエスデス様!   作:絶対特権

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影を突く

寒風吹き荒ぶ冬の空の下、歩道橋の上。明らかに不景気な顔と、病的な肌色。更には影を背負っているような貧相な身体付きが、彼がこの就職氷河期の犠牲者であることを如実に示していた。

 

無言で眼下の年末の活気に溢れた光景を見下ろす彼を、通行人は一種不気味な物でも見るような視線をやって通り過ぎる。

去り際に他人をちらりと振り返らせるオーラを、この男は背負っていた。

 

パッと見、顔立ちに優れているというわけでもない。そもそも顔立ちに優れているか否かという判断は初めて見た時にそう思うか―――即ち第一印象で決まる。

彼が与える第一印象とは、『思いっ切り殴ったら折れそう』とか『肌色が悪い』とか『目つきがヤバい』とかであり、大抵の人間はその顔立ちにまで目が行かなかった。

 

一度見て、固定されたチェックポイントは肌色と貧相さと、目つきの悪さ。二度目見ても『相変わらずだな』と思うだけであり、よっぽど凝視しない限りは彼の他の点には気を配らないであろう。

 

「……チェルシー、何だ」

 

後ろから忍び寄ってきていたチェルシーを、ハクは視線をやるまでもなくいち早くそれを感知した。

感知型ではないが、慣れ親しんだ気配くらいならば読み取れる。

 

特にそれが、いち早く見つけねばならないものならば。

 

「何でわかんの?」

 

無論、変装はしていた。足音も脚の運び方も、呼吸のリズムに至るまでの全てを他人のものへと為し、身振り手振りから口調といった最低限の物までキチンと網羅している。

だが何故か、この男だけは騙せなかった。

 

「護るべき存在すら見極めずして、宮仕えの何ができる」

 

周りの視線がなくなったあたりで接触してくるあたり、やはり非常に用心深い。

彼女のその用心深さと慎重さは先の襲撃の失敗を経て大きく上昇し、成長した点であるといえるだろう。

 

「……あ、そ」

 

ハクより僅かに低い、エスデスほどには背丈のある如何にも大人な女性が煙に包まれ、150センチ後半である本来のチェルシーの姿に戻った。

 

本来の二十代女性としてあるべき色気溢れる変装から、実年齢には到底見えない童顔になったあたり、彼女の中には大人の女性に対する憧れのようなものがあるのかもしれない。というより、彼女が専ら化ける際は専ら大人の女性である。

 

これは彼女自身が稚さを残し過ぎているから対比の関係でそう受け取られるのかもしれないが、よくよく見るとそうではなかったりしていた。

 

無論、合理的な……本来の姿とのギャップを誘う狙いもあるのかも知れないが、つまるところ彼女は美しい女性に憧れている。

その理由は恐らく自身が美人、と言うよりは可愛いタイプだからであろう。

 

他にも理由があるのかもしれなかったが、少なくとも彼はそう薄々と思っていた。

 

「ふむ」

 

「な、何?」

 

赤面した顔を隠す為にそっぽを向きながら、チェルシーは歩道橋下の光景から移された視線をその赤らめた顔で受け止める。

別に何かを期待しているわけでもないが、ふとした一言での動揺状態にある彼女にとっては好いている男の視線を受け止めるだけでも恥ずかしかった。

 

「いや、まだ言うべきことでもあるまい」

 

「何ソレ」

 

勿体ぶった発言に興味を抱いたのが、六割。少し浮かれたような気持ちになったのが、四割。

この好奇心の塩梅に、彼女の個性が良く出ている。

 

好奇心、猫を殺す。隠密にあるまじき好奇心の旺盛さと闊達さが、彼女から暗殺者特有の陰鬱と陰を照らしていた。

 

「……というか、これ」

 

チェルシーが突き出したのは、白い紙袋。雪が降っても大丈夫なように袋に包まれているあたりに、彼女の女性らしい気遣いが伺える。

 

「何故私に渡す?」

 

遺失物を届けに来たとでも思ったのか、ハクはチェルシーが近寄って差し出してきた紙袋の前に掌を突き出した。

この拒絶に、一世一代未満修羅場以上の気力で贈り物を突き出したチェルシーは、本気で心が折れかける。

 

―――そんなの、お前が好きだからに決まっているだろう。

 

某ドSの将軍ならば、堂々と言ってのけるだろう。何せ女は度胸を地で行く、所謂『引っ張っていく』タイプなのだから。

しかし、彼女は『引っ張られていく』タイプであった。この半年と少しの猶予期間中に何の進展も挙げられていないあたりに、彼女の攻めの拙さが見て取れた。

 

が、そんな彼女の迷いやら何やらは、次なる一言にぶっ壊される。

 

「クリスマス・イブは、親しい女性に男性が装飾品やら何やらを贈る行事。つまり、逆だろう」

 

「違います」

 

一音一音に間を開け、はっきりと区切るようにして彼女は突っ込んだ。

時として彼女の心理的余裕を無情にも奪い去る天然さがプラスに働き、これまでの緊張やら何やらがこれで完膚無きまでに壊されたのである。

 

これが計算ずくめだったならば大したものだが、あいにくただの天然であった。

 

そもそも彼の天然めいた言動が計算ずくめであったならば、演技の達人であるところのチェルシーには予備動作や語気からそれとなく察せただであろう。

 

「そう……だったのか」

 

珍しく愕然とした様子のハクを見て、チェルシーは堪らず噴き出した。

ハクに割りと冷たい目で見られ、目に涙を浮かべるまで一通り笑い転げてから、チェルシーはすっかりほぐれた緊張感に別れを告げながら再び手に持った袋を前方に突き出す。

 

「はい、チェルシーサンタからのプレゼント」

 

いつもながら、緊張と硬さを無くしたチェルシーが軽く笑えば、花火のような快活さが剥き出しになった。

正直、彼女もわざと計算ずくで動くよりも本能的・反射的に動いた方が可愛げのある女性である。

 

或いはそれは普段が計算ずくだからこそ、なのかもしれないが。

 

「有り難く受け取ろう」

 

ちょっと拝むようにして、チェルシーの包みはハクの手へと渡った。

白い包みに、黒い梱包。中に入っていたのは、しっとりとした光沢のある黒コート。

コートと言うには大きくなく、タキシードと呼ぶには稼働性に溢れている。

 

強いて近いものを挙げるなればエスデス軍三獣士の制服があるが、やはり似て非なるものであった。

 

「良い物だな、これは」

 

着ることすらなく、ただの一目でわかるほどの着心地の良さと、防御力。

肝心なときに鎧が無い彼にとって、基本的な防具となるのは防御力が紙と言っていい黒い革鎧である。

 

エスデスもチェルシーも防御力よりも機動性を尊重する彼の思考は一定の理解を示しているものの、どうにもこうにも不安であった。

 

チェルシーが元々進めていた帝具もどきの基礎素材に仕上げとして秘密裏にシュラからパチった鎧の一部を解析。

まさしく莫大な金と高価な素材を加工した逸品であり、二輪やらに使われている金属の強度を布素材に置き換えて再構成という偶然とオカルトによって生まれた謎繊維に、三重のコーティグをすることによってそこそこの帝具並みの防御力を実現している。

 

慢心すれば貫通するが、慢心しない限り少なくとも常より切り傷を抑えられることだけは確かだった。

 

「ま、ね。そこらの銃弾とか剣とかを通さないくらいの強度はあるし、脚にかかる衝撃を逃がせるよ。勿論、無制限ってわけじゃないけどね」

 

「素晴らしい物だ、これは」

 

これまた珍しく手放しに絶賛したハクの言葉から逃げるように、チェルシーは手を前に出して慌ただしく振りながら弁明する。

 

これはそれほどのものじゃない、防御と言ってもデザインと帝具とのシナジーを優先したから防御力はそこまで高くはない、と。

 

つまり彼女は、褒めて欲しくてたまらないくせにいざ褒められると恥ずかしくなって逃げてしまうような型をしていた。

 

何とも損な性格をしているし、何をしてやったらいいかわからなくなるような質ではあるが、それがまた彼女の複雑さからくる可愛さを助長している。

そんな剥き出しな可愛さを知る聡さを、彼は多分に持っていた。

 

「チェルシー」

 

「な、何かな?」

 

完全に腰が引け、甲羅に首を引っ込ませた亀の如き精神状態のチェルシーの甲羅をいとも容易く破砕するように、ハクは言葉の槍を突き立てる。

 

「感謝する。これその物も嬉しいが、その気遣いが嬉しいぞ」

 

チェルシーは、常日頃から『褒めてくれ』と言っていた。ハクはそれを憶えているから、確かな功績をたてた時にはすぐさま褒めるようにしている。

 

しかし、彼女の主な仕事や功績はといえば裏方で色々やることであり、表に出て敵を殺すことではなかった。経済制裁とか、産業支配とか、清流派の動向の調査とか、私兵に強力な武装を配布した後にスパイ狩りを行わせたりとか、敵の眼と鼻と耳をいくつものパネルに細分化し、それを丹念に血で塗り潰していくような作業が彼女の天職なのだ。

 

そしてそれは、ハクには伝えていない。彼には似合わないからである。

 

ガタガタの帝国で一際輝く英雄には暗さは要らないし、影などはあってはならない。影があるならば自分が為り、それが民に見えた時には切り離されねばならなかった。

 

いつでも自分で自分をハクから切り離せるように、彼女は常に証拠を摘発できるようにしてある。

 

詩的な言い方をするなれば、革命軍という内から湧き出てくる敵に対抗するにはチェルシーのような存在が必要だった。だが、それはチェルシーであってはならなかったのである。

 

「チェルシー」

 

いつになく赤面し、しどろもどろな言葉すら吐けないチェルシーの手首を優しくつかみ、ハクは少し屈んで目線を合わせた。

 

「これは、私からだ」

 

ふわり、と。

夏服であるミニスカートと白長袖の黒服という制服めいた恰好から、冬らしい暖かそうな生地で織られたコートを着、膝下までの靴下から腿までを覆うニーソックスへ履き替えた季節感を知る彼女の首元に、白い雪のようなマフラーが掛けられる。

 

「確か、お前は白が好きだろう」

 

「うん、大好き」

 

良く似合う格好に満足したのか、或いは少しも直す必要のない完璧な着方に感服したのか、それともただそうしたかっただけか。

 

この極寒だと言うのに暖かな掌が頭に一度触れ、二度触れた。

 

「……ありがと」

 

「ああ」

 

丁度よいタイミングで橋の根元に来た二輪にハクが乗り、サイドカーにチェルシーが荷物を置く。

隣はエスデスの固定席であり、流石にチェルシーもそこを侵す気はなかった。彼女の二輪も、呼べば来る。

 

「チェルシー、疲れていないならば私の後ろに乗るといい」

 

「…………ごめん。もっかい」

 

「後ろに乗るといい。腕が疲れていなければ、だが」

 

やけに優しい、と言うか甘い。

というよりは、暗黙の了解を破ってまで、言いたいことがあるらしかった。

 

「じゃ、そうさせて」

 

細い割にはガッチリとした横腹に手を廻し、チェルシーは凭れるように背中に頬をピタリと付ける。

穿いても止めることのできなかった鼓動が、血を身体中に巡らせていた。

 

「抽象的な頼み方になるだろうが、私の頼みを聴いてくれるか」

 

頬から伝わる振動にまずびっくりし、『頼み』と言う言葉に二度驚く。

彼は常に頼みを聞く側であり、頼む側ではなかった。

 

明らかに普段と違う様子が、彼女には簡単に見て取れる。

 

「いいよ」

 

普段ならば、何かしらの余分な装飾の一言が後に続いた。

 

直に体温を感じて、緊張している。

 

自分のことを他人事のように分析した後に、チェルシーはゆっくり目を瞑った。

 

外気の寒さと、少し冷えた自分の体温。ひだまりのように暖かな彼の体温のみが今の彼女の世界の全てである。

 

余計なものを遮断し、内容も聞かずに了承したことを心中で笑う。

どうにも、彼も自分もいつもと違っていた。

 

「お前は私との関係を光と影だと言うが、今後も変わらずそう在りたい」

 

「…………うん」

 

もうこれ以上の関わりはないという、明確な線引き。

いつかこうなるとは、常々わかっている。片思いでもいいと思っていたが、拒絶はやはり痛かった。

 

涙がぽろりと溢れ、自分が作った外套を濡らす。

暗殺者らしからぬ、感情のままの発露だった。

 

「何故、泣く」

 

「……哀しいから」

 

何故哀しいのかがわからないが、彼はチェルシーの泣いた姿を見たことがない。

つまり、今までとは違った事象に聞こえるように自分が何かしらしでかしたのだろう。

 

自分の言葉を反芻し、彼は勘違いされていることを早々と悟った。

 

「光と影は分かてぬ物だ。お前が居るからこそ、私はここにこうしていられるわけだ。故に私はお前が自分を切り離せるようにしているのが気に入らない。つまり、変わらないで在りたいとは、停滞ではない」

 

死ぬほど不器用な弁明の如き解説がチェルシーの耳朶を打ち、ハクの脳裏を過ぎ去る。

彼は今、嘗て無いほどに動揺していた。

「謀らずとも停滞しているのが、今だ。私はお前との関係を停滞させたくはないし、発展させていきたいのだ。無論、それが嫌ならば職を辞してもらっても構わない。私が勘違いされていると思ったことが正しく伝わっていたならば、それは自意識過剰ということになるが」

 

言えば言うほどややこしくなる状況を、ハクは更に引っ掻き回している。それを本人は気づいていないし、今まで言われたこと全てを憶えて何回も読み直すような記憶力を備えていなければ、彼の解説はただの言い訳や変節でしかなかった。

 

だが彼は今、その記憶力を備えている相手に向かって話している。

そしてハクはもう既に語彙が尽き、ほとほと困り果てていた。

 

「……つまり」

 

「ああ」

 

「切り離せるようにするんじゃなく、本物の光と影みたいに一緒に居ましょう、ってこと?」

 

「お前は既に切り離せるような軽い存在ではなくなっているということだ」

 

出された助け舟を僅かに改造し、ハクは安寧道本拠の前で機体を止める。

 

「自己犠牲もいいが、残念ながら私は最早それを許さないということだ」

 

「……………それさ。すっっごいブーメランだってこと気づいてる?」

 

「む?」

 

気づいていない様子のハクの額にデコピンをかまし、チェルシーはまだ僅かに赤い目を優しげに笑わせた。

 

「私にそれを言うなら、ハクもね」

 

「当たり前だ。私も命は大切だぞ」

 

三番目くらいに。

 

呼び捨てにされたことに気づきもせず、ハクは返事を聴いて笑って安寧道本拠の自室へと帰っていたチェルシーを追いかけようとして、止まる。

 

「……何故哀しかったのだ?」

 

傍から見れば誰もがそれとわかる問いは、寒風に紛れ消えていった。


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