お止めくださいエスデス様!   作:絶対特権

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狩人編
城塞を突く


外には雪が降っていた。

深々と積もってゆくそれは、北の大地の厳しさの象徴ともとれる、寒さの化身。

 

その脅威を一番知っているこの土地に土着した狩猟民族、パルタス族は皆が一様にテントの中に引き篭もる。外に出ていては危険種にやられる前に寒さにやられることになるのが請負いのこの悪天候で、外に出ている者は皆無だった。

 

この、一人を除いて。

 

「…………」

 

肩から湯気が立つほどの熱を発し、降り積もる雪を溶かすほど体温を高めた彼は、槍を一心に振るっていた。

 

突いては引き、突いては引きの単純作業。気が狂いそうになるほどの時間、彼は毎日毎日この作業を繰り返す。

 

突く。

引く。

突く。

引く。

 

手に持つ槍が汗と血で滑り、それらがない混ぜになった液体が穂先から滴り落ちる。

苦しげに顔を歪めながら、その少年は一心に槍を振るい続けた。

 

「ハク」

 

風と一体になり、空間を切り裂く。

持ち手が赤く染まった黒槍の刺突を続け、五千を超えた辺りで少年は止まった。

 

黒槍の穂先を凍りついた大地に突き立て、名が呼ばれた方向へと振り向く。

 

「ハク、ご飯。お父さんが一緒に食べるかって」

 

「いつもいつも、ありがたいことです」

 

少年は眼前の少女と、彼女を遣わしたであろう長に向けて静かに一拝した。突き立てた槍を引き抜き、傘を持ってきた少女に続く。

井戸に差し掛かったところで一回ことわりを入れて一杯汲んで頭から被り、予め用意しておいた拭き布で身体を拭った。

予備の服も、持ってきている。

律儀に待っていてくれた少女を待たせるわけにはいかない。

 

「終わった?」

 

「はい」

 

恥ずかしげに顔を背けていた少女が持つ傘を渡してもらい、さしてやりながら目的地へと向かう。

長のテントは一際立派という訳でもなければ特別な印が掲げられているわけでもない。しかし、誰もが迷わずにそこに辿り着くことができた。

 

身が震えるほどの、武の匂い。生半可ではない修練と、数十年に渡る豊富な実践経験。それが醸し出す武の匂いは、下手な目印よりもわかりやすいといえる。

 

「よぉ、ハク」

 

「昨日ぶりです、長」

 

蒼いと言うには澄み過ぎている、薄い色をした髪が衆目を惹く長の身体は、固い。

瞬発力も持続力もある、練り上げられた理想的な付き方をした筋肉と太くなった骨。がっしりとした体格は老いを感じさせず、まだまだパルタス族一の戦士であることを明確に表していた。

 

「まぁ、食え」

 

「ご相伴に預かります」

 

胡座を掻きながら無言で山盛りに盛られた飯と肉とをかっ込む長と、負けじと小さな口で米を噛み、肉を裂いていく少女と、三人の中では割りかしマシに肉と米を身体に容れる、黒い髪を後で括った少年。

 

二年前、槍を振るっていた彼の父が長の妻であり少女の母である女性を庇って死んでから、この光景は普通のものとなっていた。

庇われた女性も一年後に病で呆気なく他界し、結局母を喪った長の娘である少女が代わりに拠り所としたのがこの寡黙な少年である。

 

少女からすれば僅かに年の離れた兄、と言ったところだろうか。

 

「また槍か」

 

「……はい」

 

椀を上げ下げし、箸を使う手の動きの微細な鈍さで勘付いた長は、僅かに溜息をつく。

ハクと呼ばれた少年の父もまた、槍使いであった。その腕は長である自分と互する程のものであり、長と少年の父は一人の女性を奪い合う過程で決闘をしたりもしたくらいには仲が良かった。

 

死に際して遺して逝く子の未来を託された身としては、ハクと呼ばれた少年の激情を奥に秘めたような冷静な性格は安心が置けると言える。

が、その押し込めたような冷静さと苛烈過ぎる身体の苛め方には一抹の不安を覚えるのだ。

 

(娘も娘だし、こいつもこいつだ)

 

年少にして弱った者にも一寸の慈悲をかけない天性の狩猟者と、年少にして身体と性格を在るべき型にするべく造り変え始めている天性の求道者。

 

導きようを知らないと言うのが、何人もの一流の戦士を作り上げてきた長の下した結論である。

そもそも論として、天性そう定められた人としての在り方を否定していいものか、ということもあった。

 

「ご馳走になりました」

 

「ご馳走さま」

 

長が食べ終わったことを確認すると一拝し、槍を持って去っていく求道者の卵を追うように、長の娘は慌てるようによそわれた米をかき込み、手を合わせて去っていく。

 

「……何だかなぁ」

 

また外に出て、快復しはじめた身体を矯正し始めるのだろう。元に少年が槍を振るう度にその技量は根底から砥ぎ澄まされてきていると言えるし、何よりも一族随一の戦士の自分から見ても少年の槍技は若年にして既に熟練を感じさせられていた。

 

娘にはやり過ぎだと思ったならば止めるように言っているが、あれは止めると言う義務や責務を感じると言うよりは隙を見て遊んでもらいたいと思っていることを顔が如実に語っている。

 

「何だかなぁ……」

 

削った楊枝で歯を掻きながら、長はもう一度繰り返した。

 

無論、長がそうこうしている間に、ハクは再び槍を振るい始める。

最初はゆっくりと、空に描いた的を刺突で射抜いていくような感覚を取り戻すまでの五回と、定着させる為の十回。

それが終わればただ一点をひたすらに突く。突いては引き、突いては引き。実体を持たないからこそ不滅の的をひたすらに突いていくのだ。

 

「ねぇ」

 

「はい」

 

感覚を取り戻すまでの十回を終え、声を掛けられたハクは槍を左手で一回空に廻して氷土に刺す。

氷土は硬く、ハクにまだまだ修練が必要なことを実感させた。

 

本当の達人ならば、どんなものでも穿き徹す。それが例え大地であっても、変わらない。

 

「遊ぼ」

 

「雪ですよ、お嬢」

 

「でも、槍は振れる」

 

それとこれとは違う。普通の思考回路ならばそう言った回答が出てくるであろうが、ハクの頭にその選択肢は無かった。

この蒼き初雪の化身のような印象を他人に持たせる少女の言う遊びとは、狩りである。狩りとはつまるところ、槍を振るって危険種を殺すことであり、雪の中で槍が振れるならば狩りも出来るということになる。

 

「……確かに」

 

「実戦に勝る訓練は無いって、お父さんも言ってたよ?」

 

「……むむ」

 

悪そうな笑みを浮かべながら、少女は澄んだ蒼髪を風に膨らませて揺らしながら、一路いつもの狩場へと歩き出した。

頭の回る彼女は、自分の行動を彼が阻害しないことを知っている。

何だかんだ言っても、付いてきてくれることを知っている。

 

「お嬢、防寒着を着ていたのは―――」

 

「うん。最初からそうするつもりだったの」

 

耳を覆うふわふわとした毛皮に、厚手の革コート。少しダブついているのは、それが彼女の母のものであったのを繕ったからだった。

 

腰には肉厚の短剣と、布袋。

 

「仕方ない方だ」

 

「うん。諦めて」

 

膝まである長い髪を楽しげに揺らしながら、少女は僅かに雪の積もった黒髪を後で一本に括った少年の腕を引く。

 

「遊ぼ、ハク」

 

「……今度はどこに行きたいのですか?」

 

「北の邑!」

 

邑は、城郭都市。即ち、北の邑と言えば―――

 

「北方城塞ですか」

 

「うん」

 

北方城塞は、北の異民族たちの活動拠点である。パルタス族はこの北方城塞と交易をしたり時に争ったり、色々と因縁をつけたりつけられたりしながら生活をしていた。

 

今は豪雪による一時的な断行状態にあり、パルタス族は自分で狩った獲物と今まで交易で溜めた米で冬を乗り切り、春になったら売りに行く。これが通例なのであるが―――

 

「危険ですよ」

 

「何で?」

 

「北方城塞に属する連合体に我らも従属するようにと、秋に勧告がありました。長は断ったようですし、何より豪雪によって極めて攻め難い冬にはなるまで何も無かったことを考えれば危害を加えるとは言い切れませんが―――」

 

少し呆気にとられたようにこちらを見つめる少女の視線に気づき、ハクは言葉を途中で切った。

普段あまり動かさない舌が疲れたというのも大きいが、彼は非常に自主性に乏しい性格をしている。即ち、話している相手になにかあったならばその異変の理由を掴むまでは黙ってしまうようなところがあった。

 

「……ハクって頭良かったんだね」

 

「………………」

 

今の今までどのような目で見られていたかが今の心胆から発されたであろう一言で知り、ハクは無言で少し目線を横にずらす。

 

齢十を過ぎるか過ぎないかで求道者の卵と言われる辺りで、彼も自覚するべきではあったのだが。

 

「……あ、あ!違うよ!?馬鹿だとか思ってたわけじゃないよ!?」

 

「………はい」

 

一瞬。半ば反射的に浮かべたのであろう嗜虐的な笑みを慌てて収め、少女は懸命に手を振って弁明した。

 

「とにかく、行こーよ。私とハクなら何とかなるから!」

 

「……戦士を一人、引率で連れて行きませんか?」

 

「や」

 

膠も無い、或いはけんもほろろもない一言で却下され、少女はバンバン少年の腕を叩いて催促する。もはやきかん坊と同じであった。

 

「……仕方ない方だ」

 

「うん。諦めて」

 

いつものやり取りをし、いつも折れる方が折れ、我を通した少女はいつもの笑顔を浮かべる。

 

それを見た少年は僅かに溜息をつき、一つ指笛を吹いた。

降り立ったのは、エビルバード。調教済みの特級危険種である。

 

「では、北方城塞に行きます。しかし、情報収集をした後に入ります。わかりましたか?」

 

「うん」

 

呼び出したエビルバードを待機させ、楊枝で歯を掻いていた長に一言告げてから、二人を乗せたエビルバードは空へと舞い上がった。

 

 


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