お止めくださいエスデス様!   作:絶対特権

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執念を突く

自分は幸せ者だと、思うのだ。

 

母の生命を喪ってしまったばかりに荒れた父親に戦闘の基礎を叩き込んでもらい、酒を呑みながら繰り返し繰り返し『お前はアルマスの娘を守るのだ』と言われて育ち、父を喪ってからはそのアルマスの夫である族長によってのびのびと生きさせてもらったことによって武技・精神面を高みに昇らせてもらった。

 

アルマスの娘が出て行き、青年期になってからは払暁から日が沈みきるまで皆の為に働かせてもらい、日が沈みきってからは政治や何やらを自得する為に勉学に励ませても、もらった。

 

副官たるに相応しい男になりたいと思ったのは、自分のエゴだ。それを叶えさせてもらった。アルマスの娘にも気に入られ、今の自分はここにある。

 

「エスデス」

 

「……ん?」

 

長い蒼髪、氷のような鋼鉄の剣と謳われたパルタス族一の戦士アルマスの娘。

その髪の美しさと煌めくような蒼眼はきっちり親から受け継がれており、その強さまでもがアルマス譲りの凄まじさだった。

 

一を聞いて十を知り、一を行い十を身につける。こういった人種を天才、というのだろう。

 

「……いつまでこうやっていればいいのだ?」

 

「役得だと思えばいいだろう」

 

彼は今、彼女の後ろから豊かな胸を支えるようにその下に腕を廻していながら更に、ほっそりとした華奢な腰にも手を廻している。

 

更には長い蒼銀の髪が彼の首を境に右、左に分かれて流れる川の如く垂れていた。

 

布一枚隔てた柔らかな尻に腿を敷かれながら、彼の意識はそこにはない。

 

「……なあ」

 

「はい」

 

頭一つ分低い背丈であるが故に、後頭部で背後の人間背もたれを叩けば自然と胸に当たる。

 

そして、柔らかな髪がふわりと首元をくすぐった。

 

「お前、女の髪が好きだろう」

 

「そうらしいな。どうも」

 

蒼銀の髪をやけに美しく保とうとするまでは、わかる。

しかし背もたれにされている時や対面で抱きしめ合っている時とかに廻した手を駆使して髪を優しく触りまくってしまっては、最早弁明はできなかった。

 

「癖のない、長い髪がもっと好きだろう」

 

「ああ」

 

「お前の父もそうだった、らしい」

 

蒼銀の髪をゴツゴツとした、されど武張った雰囲気を感じさせない指で優しくほどき、梳く。

 

指に触れる柔らかな感覚と、きめ細やかな滑らかさがハクの好みに合っていた。

 

「父は貴女の母が好きだったようだ。何回かその容色や内面の素晴らしさについて聞かされたことがある」

 

「美人だったらしいしな。私に似て」

 

確かに彼女の容色の美しさは隔絶としている。内面に残る稚気の残滓とは違い、その色は既に女盛りの味がある。

 

こんな時にも自己アピールを欠かさない彼女の内面に一種の微笑ましさを伺い見て、ハクは柔らかく相貌を崩した。

 

誇るに値する美しさを持たぬ者が自らの容色を誇れば、憐れさを孕んだ虚しさが出る。

誇るに値する美しさを持つ者が自らの容色を誇れば、即物的な浅ましさが出る。

 

だが、何というのか。彼女は自らの容色を別段誇りに思っていないくせに、自分の好きな男が他の女に目を向けた瞬間に誇り始めるのだ。

 

この焦りとも独占欲ともつかない可愛らしさの元は、稚気だと言っていいだろう。

 

「わ、笑うな。傷つく」

 

「いや、綺麗だぞ。貴女は」

 

「やめろ……」

 

外面の愛らしさならば、幼い頃の方が勝っていた。

外面の綺麗では、今が勝っているだろう。

可愛さならば、幼い頃。

 

内面的には変わっていないような気もするが、人格に円熟味が増して棘と粗が丸まった。

 

「綺麗だと思うぞ。本当に」

 

「……やめろ」

 

ぽつり、と。

耳までを真っ赤にして、エスデスほ俯きがちにそう呟いた。

 

何というか、いつもいつも彼女は自爆でハクに追い詰められている。

 

「眼には海の如く深みを見せながら、いやらしい濃さを感じさせない蒼。髪は宝石もかくやと思う程のきらびやかな蒼銀。肢体も太みがなく、細い。柔らかくもあるしな」

 

「や、やめてくれ……」

 

「貴女は自らの容色を褒めた。だから私も褒めようとしているだけだ。やめる要因がどこにある?」

 

折れるほどに強く抱きしめたことのない腰部を、ハクは少し自分の方向に僅かに力を込めて引き寄せた。

 

やはり、細いというのが持ったり手を回したりして身に沁みた実感である。

 

「ハク……」

 

「はい」

 

「な、やめてくれ。私もお前の容姿に関しては何も言わないじゃないか」

 

ハクは、あまり褒められるような容姿をしていない。よくよく目を凝らせば顔の作りはいいのだが、無表情からくる怜悧さと冷酷にもとられる歯に衣着せぬ言葉、そして何より幽鬼の如き蒼白の肌がそれを潰した。

 

しかも、細い。この戦乱の時代では筋肉達磨のような男の方が頼りになるというのに、あまり筋肉がつきやすい体質ではないのであろう。

寧ろ、目に見えるような形ではつきにくいとすら言える。

 

身体が細い。そして肉体と一体化している鎧を常に纏っているが為にそれを身体に沈ませている時は更に細くなり、肌色と相俟って病人にすら見えるのだ。

 

エスデスから見れば、このような欠陥は知らぬとばかりに良い所ばかりに目が向く要素でしかないのだが、傍から見れば正に美女と幽鬼であろう。

 

「……そういえば、陛下に武人に見えず、平凡にしか見えないと言われたのだが、どうだ」

 

「……不気味な平凡、だな。言うならば」

 

ハクを見れば、静の面に偏重し、磨かれた武における達人とはどのようなものかがわかると言って良い。

 

心身の力の偏りをけっして他人に悟らせない為にそうなるのだ。その平凡が非凡に変わったとき、相手は斃れているのである。

これを『不気味な平凡』と評し、内面を見据えたエスデスの心眼も確かなものだった。

 

ともあれハクの非凡さは誰にもわからないものであるに違いなく、人には隠顕があるのに彼には永遠に顕がない。

隠のままに人の世を生きていくのが達人というものなのだろう。

 

「……不気味な平凡、とは?」

 

「老練の鷹に爪が無いのを見たような感じだな。有り得なくはないし、寧ろ有り触れたことなのに、私はこう……怖さを感じる。無知のまま殺す気のお前と相対せば死にそうだなとも、思うな」

 

彼の武技は、一見するところ本来の物から一段や二段どころではなく何段も低く見えた。

強者というものが鞘をも斬り裂く鋭さを持つのに対し、彼はピタリと鞘に収まっているのだろう。

更には、その収めた鞘にはその錬鉄で鍛えられた剣を木剣に見せる術があるのだ。

 

だからこそ、彼は非常に圧しが弱い。初対面のチンピラにすら舐められ、力を量らねば生きて世を渡っていけないヤクザ者にすら格下に見られる。

 

殴りかかってきても茫洋としたままで避けようともしないから尚更『反射神経が鈍い奴』と侮られるのだ。

彼は『政の拙気が故に民から振るわれる力は粛々と受け止めるべき』という方針で避けないだけなのだが、そんなことはヤクザ者やチンピラの知ったことではない。第一、為政者という為政者すべてがそんな覚悟をしていたらこの国はここまで腐りはしなかっただろう。

 

まあ言うまでもないが、そのような輩にはエスデスの昇天道場が待っていた。因果応報である。

 

「…………話は変わるのですが」

 

「うん」

 

髪を緩慢に梳いたり撫でたりしていた手が止まり、綺麗なつむじを描く頭頂部に手が乗った。

 

「貴女は、蛇のような女だな。感嘆に値する。私にはとてもその執念深さは真似できん」

 

史書に記すならば確実に注釈を付けねばならないであろう。もう、こんな言い方しないから初対面のチンピラにブチ切れられるのである。

 

「ああ……うん。そうだな」

 

そして、髪の撫で方によってだいたいの話題の変遷がわかるあたり、彼女も流石であった。

 

一応これでも褒めているつもりなのである。

 

「私は喰らいついたら離さない女だからな。お前を一生逃さん」

 

「浮気、か。したらどうする?」

 

「相手を殺す。で、お前は監禁だな」

 

腕は抱きしめてもらう為に斬らないし、脚はデートの為に斬らない。やって拘束かな、と。

エスデスは、零コンマ一秒の躊躇いもなく、彼の人権剥奪の決定を下した。

 

注釈を付けるが、彼女は正気であるし、本気でもある。つまり、嫉妬に狂っている訳でも冗談でもなかった。

 

「だろうな。だから蛇がお似合いだ」

 

女は―――と言うか、エスデスは蛇である。

愛が深く、一途。つまるところは個人に対して執念深いし、略奪愛の心得もあると言える。

 

狡猾とは言い切れないが賢く、俊敏でなおかつ強い。狙いを定められたら運のツキだった。

 

「私が浮気したら?」

 

「それもありだ。咎めはせん」

 

訳すならば、私は貴女のような独占欲は持っていない。勝手にやればいいと思うだけだ、ということだろう。

 

天性我欲が薄いのだ。好きだし、愛してはいると思うが何よりも彼女の意志を優先し、尊重する。ある意味エスデスの強引さや執念深さとは対になっていた。

 

「……嫉妬は?」

 

「どうにも、人を恨む気にはなれんのだ」

 

そんな困ったような顔をしなくても、それは知っている。が、少しくらいはしてほしい。

例えば力づくで自分を奪ったり、とか。

 

彼らしからぬ荒々しい手つきにも、彼女は憧れを抱いていた。

 

「しかも、何だ。他人の女を奪う気にはなれん。奪われるのは構わんのだが―――」

 

余計なことをぺらぺらまくし立てる口を無理矢理唇で塞ぎ、改めて背面から対面へと姿勢を移す。

 

「呪いの装備は外せない。我欲が薄いところがあるようだが、残念だったな。私は一生お前から離れないぞ」

 

「離れない装備には慣れています」

 

いつも通りの鉄面皮に、変化はない。

が、仄かに笑いが見えた、気がした。


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