お止めくださいエスデス様! 作:絶対特権
オネスト大臣は、食傷気味だった。
具体的に言えば体重が五十キロほど落ち、福ぶくとしていた腹周りがスッキリとするほどには食傷気味である。
はっきり言って、若かりし頃の大臣もここまでは痩せていなかった。
若かりし頃に政権を一手に握らんとした彼が帝都にやってきたのはリョウシュウ軍閥の長兼リョウシュウ司令官としてであり、その頃から割りと肥えていた。
要は、バリバリの軍人ではなかったのである。
「……どうしたのだ、大臣」
「最近糖分を口にすることが非常に困難になってきまして……」
ブラックコーヒーを一口啜り、オネスト大臣はため息をついた。
自らの傀儡である皇帝に心配され、政敵であるブドー大将軍にすら目を見張られる程の変化。
「……娘が余所からきた男とイチャラブイチャラブしてバカップルっぷりを見せてくるのが、こんなにも辛いものだとは思っても見ませんでした」
「エスデス将軍は大臣の娘なのか?」
似ていないな!と快笑する皇帝に向かい、オネストはすぐさま己の発したそのスキャンダラスな一言を打ち消す。
「いや、一応こんなちっこい頃から目をかけてきましたので、そんな感じに思っているだけです」
使えると目をつけ、時々戦場に放り込んだりして強さを磨き、特注の軍服をデザインしてやり。
美しくなり、薫るような色気を纏い始めた矢先に男が出てきた。
「実の息子はどうでもいいのですが、彼女は惜しい」
「恋していたのか?」
「有り得ません」
外見最上、中身最悪がエスデスである。というか、であった。嬉々として囚人相手に拷問の研究をしたり目を抉ったりする女に、恋はしない。
「やはりどこまでいっても親の気持ちなのでしょうねぇ」
ブラックコーヒーを飲み干し、更に注ぐ。
黒く、なみなみと注がれた液体は、凄まじく苦い。だが、それがいい。
「……恋か」
皇帝の呟きに敢えて答えることなく、大臣は再びコーヒーを啜った。
あのバカップルと同じような桃色空間を皇帝に作られては、ブラックコーヒーの消費量が増えてしまうことだろう。
「まあ、何ですな……胃が痛くなるような問題ですよ」
人前などは関係なしに髪に触れたり身体に触れたり撫でたり抱きついたりするバカップルを想像し、大臣はすぐさまブラックコーヒーを飲み干した。
(……あの二人を見ざるを得ない帝都の住民にコーヒー豆でもあげましょうかねぇ)
今もまた、身近で見せられる自分のような激甘桃色空間に耐えきれなくなっているであろう民を思い、オネストは初めて施しを行うことになる。
肉よりコーヒーとなり、現在は貯えられた栄養と言う名の脂肪を切り崩して生活している大臣は、コボレ兄弟にそのブラックコーヒー政策を実施することを告げ、宮殿の窓から空を見上げた。
バカップルの激甘桃色空間に、民が食傷気味にならぬことを祈って。
「ハク、あーん」
「む」
口元に突きつけられたケーキをハクは怪訝な眼差しで一瞥し、清々しいほどの笑顔で甘味を押し付けてくるエスデスを見て、諦めた。
もうこれは、どうしようもないだろう。
「美味いか?」
「甘い物は苦手です」
歯に絹着せぬ物言いに、周りの男たちの放つ殺気のボルテージが一段階上がった。
甘い笑顔を滅多に見せぬ氷の美将にその笑顔をこれでもかというほどに向けられ、挙句の果てには手ずから食物を与えられながら礼すら言わずに不満を漏らす。最早彼らからすれば不敬罪で打ち首獄門晒し首であった。
「なら、何がいい?」
「……甘くない物を」
彼は、甘いものが苦手である。好き嫌いなく何でも食べる彼が唯一苦手とするのが、甘味であった。
人工的に作られた激烈なまでの甘味が、苦手なのである。
そして、甘くない物などはこの店にはなかった。
「エスデス。貴女の好みに付き合うのは、吝かではない。が、私にも苦手なものがある」
「……おいしいのにな」
少し寂しげに生クリームを塗装したスポンジケーキにフォークを突き立て、エスデスは残念そうに目を瞑りながらそれをパクつく。
その寂しげな表情に対して何の声もかけない彼に対し、周りの怒りのボルテージが一段階上がった。
「……食べないのか?」
「チェルシーならば食べるのでしょうが……私には、どうも」
赤眼ではない方の眼の瞼を下にたわませ、如何にもそれとわかる困り顔で彼は遂に最後まで断り続ける。
そのブレの無さに怒りのボルテージは更に上がった。
「……それにしても、我が帝国は人材に乏しいな」
「大国の驕りでしょう。驕りは眼を曇らせ、目に見える物のみを恃むようになります。その驕りを持ち続ければ臣民一同になって心の眼が蒙くなるのですから、驕慢よりは卑屈の方がマシです」
ブドー。エスデス。オネスト。チョウリ。誰もが知る帝国の実力者・切れ者はこの四人であり、革命軍にはナカキド・ヘミ・ナジェンダらが居る。
国民からすれば帝国の人材は未だ層が厚く、質が高いように見えた。
「そもそも大将軍級が三人しか居ないというのが有り得ん」
「……ブドーの他は?」
「言うまでもないだろう。私とお前だ」
大将軍三枚看板と、内務の双璧。戦士として有能な者は帝具持ちにまだ多く居り、将として有能なのはリヴァとノウケンであろうか。
始皇帝の頃は六人の大将軍と内務の四柱、戦士として有能な三十二人に将として有能な十人。とにかく層が厚かったのである。
「……私は器ではないでしょう」
直前まで爆発して死ねばいいのにと思っていた相手の発言に対し、周りの男たちは静かに反論した。
その器はあるだろう。と言うか我らがエスデス様に認められた男がその程度なわけがないだろう、と。
「……ナイトレイド、革命軍、西部異民族、安寧道、東方の日和見共。まだまだ敵は多いな」
「嬉しそうですね」
「嫁ぐ前の最後の狩りだ。楽しみにもなるさ」
狩りの相手は尽きない。死ぬとしても愛する男と共に死力を尽くして戦い抜き、死ねる。
どちらに転ぼうが、彼女の望みは叶うのだ。
「結局は貴女の一人勝ちになりそうですね」
「そうだな……まぁ、賊共は賊になった時点で私を負かすことはできんということだ」
生き延びようが、死のうが。彼女の勝ちは揺らがない。どう転ぼうが勝利と至福しかない。
「時間です」
「……ああ、名残惜しいがな」
服屋、武器屋、飯屋と来て、ここ。
約五時間に渡る桃色空間は、その最後を無骨な鉄色に染めながらもその幕を閉じる。
エスデスはコウノウ郡へシラナミ山の盗賊を討伐しに行く旨が命ぜられていた。
ノウケンは北の異民族の残党狩りに、リヴァは西の異民族を抑えに行っている為、オネストの手駒は亜強の二駒だけなのである。
亜強の二駒の内、内政面でも使えるが為に汎用性に秀でるハクを帝都に残し、軍務一辺倒のエスデスを外征に使うというのがオネストの最上の采配であった。
「大臣、来たぞ」
「よく来てくれましたねぇ、ハク将軍」
手にブラックコーヒー、相席に皇帝。天井裏には羅刹四鬼。
大臣前皇帝の死後に起こった後継者争いを戦争にまで発展させることなく、あくまでも政争の範疇に収める程の権謀術数に長ける。
外交に過欠を見せるものの、自分の勢力の拡大と手駒の整備には余念も油断もない、頑健そうな老年の男がそこには立っていた。
「変わったな」
「えぇ、誰かさんの所為で」
福ぶく狸親父、或いは好々爺から如何にも悪そうな親爺のような外見に変わったオネストは、こめかみを抑えて歩み寄る。
「最近チョウリを中心にした一党が巻き返しに来ています。私は奴等を切り崩す為、少しばかり羽目を外そうと思うのですが……その間、陛下のお守りと私兵での警護・情報収集をお願いします」
「わかった」
すれ違いざまにさらりと言い残し、オネストはコボレ兄弟に脇を固めせ、天井裏の羅刹四鬼を引き連れてその場を去った。
警護・戦闘・指揮・情報収集・統括・内務を全てこなせるのがこの男、副将兼揚武将軍兼カンチュウ総督である。
後継者争いの時にも、彼は政争に全力を注ぐ為、他者に内務を一任していた。
(……やはり、カブンさんの戦死は痛かったですねぇ)
彼女が生きていたならば、このような台頭は許さなかっただろう。それ程に優秀な補佐官だった。
セイリョウ出身の割と正統派な政治家である彼女は、相当に切れる頭の持ち主であった。時世に聡く、気を見るに敏な軽快さと罠を見抜く重厚さを持ち合わせている頭は、まだ若年であった頃のオネストが権力を掴むまでにも役に立ち、その後の政争にも役に立ったのである。
オネストの挙措や命令をただ鵜呑みにするのではなく、意図を汲んで独自に実行することのできた彼女は、北の異民族との戦争で戦死した。軍務にも使える汎用さが裏目に出たわけである。
これ以後オネストが武に於いて最優秀とも言える手駒を手にするまでには、十五年の時を必要とした。
(不壊不抜の盾、ですか)
帝具を持つ前でも南部異民族との戦いで部下を庇って重傷を負うこと三度、その都度超人的な意志力と人間離れした勇気で先陣を切り続けたエスデスの副官を見て、オネストは少し危ぶむ。
エスデス及びエスデス軍の英雄的颯爽さは、その人間離れした勇気と意志力で私兵から半ば信仰的な信頼を勝ち得ているこの男の存在が大きい。
(死なれたら困るんですよねぇ……ストッパーが燃料に早変わりするわけですし)
最大の強みが、最大の急所。
そんなことを思いつつ、オネストは頭を切り替えた。