お止めくださいエスデス様!   作:絶対特権

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女心を突く

「やはり、綺麗な髪ですね」

 

「もっと他に褒めるべきところがあるんじゃないか?」

 

昼風呂からあがって柔らかな服を着て、エスデスは身体を預けた男の胸に背中から凭れる。

 

言っている言葉は不満げであるが、その声音は蕩けるように甘かった。

 

「この髪は美しい」

 

限りない優しさが、髪を梳く手に表れている。

極上の芸術品でも扱うかのような丁寧さに、エスデスはその自尊心を大いに満足させていた。

 

「昔のように、束ねないのですか?」

 

背中は凭れさせながらも、長く量の多い髪を右腕に垂らして丹念に梳き、愛でる。

 

開ききった花は、凋み落ちるしかない。そうさせないのが花をいつくしむ者のつとめであると、彼は考えていた。

男と女が歓を尽くしてしまえば、それ以上のものは求めようがない。急ぐことは虚しさを求めることになる。

 

「ね、ハク」

 

「はい」

 

夜に見せた僅かな執着と欲は静かに凪ぎ、穏やかな温かみのみが瞳にあった。

 

「案外何とかなるだろう?」

 

「そのようです」

 

自信と達成感を眼に湛え、すっかりいつもの英気を取り戻したエスデスは、少なくとも外見的には以前に戻っている。

 

内面的には、わかったものではないが。

 

「どうだ、私は。いいものだろう」

 

擬音を付けるならば確実に『ドヤッ』と言うような類の物が的確であろう笑顔で、自分の肉体の卓犖さを学んだ彼女は甘えるように抱きついた。

 

彼が梳いていた髪は、既に彼の右腕から離れている。

 

「相も変わらず、まだ子供ですね」

 

歳も21にもなり、昨夜女にもなった。たぶん子も産めるし、帝国でも有数の美人であろう。

 

であるのにまだ、自分で自分を誇るような幼さが彼女にはあった。

外見は怜悧さを基調とした彫刻のような完成された美が目立つが、内面は非常に未完成で未成熟な童女のような愛らしさがある。

 

元々人間は先に性別を核とした自分が形成されるものであろうが、彼女の場合は女としての人格の形成を待たずに狩人としての自分が完成された。

 

故に女としての人格は形成途上のまま放置された挙げ句に長い眠りにつくことになり、今に至る。

 

「……不満、か?」

 

「別段」

 

非常に珍しい柔らかな笑みがこぼれ、エスデスは暫しの間だけ思わず言葉を失った。

 

前に笑顔を見たのは、いつだったか。恐らくは実家を出て帝都へ人質生活―――もとい軍人生活をはじめる前の、見送りの時だったような気もする。

 

つまりは、十年以上前であった。

 

「次にその笑顔を見れるのは十年後か……」

 

「昨日も笑いました。貴女の寝顔が余りにもあどけなさ過ぎて、少し」

 

思わずこぼした嘆きに、予想外の答えが返る。

 

きっと、幼子を慈しむような慈愛の笑みだったのだろう。

それが自分に向けられていたことを考えると嬉しくもあるが、同時に恥ずかしくもあった。

 

「……こほん」

 

「肺腑の具合が悪いのですか?」

 

的外れな天然さまでもが、ただただ愛しい。欠けたところが有り、自分がそこを補えることがたまらなく嬉しい。

 

「咳払いは、話題を切り替えるための物だ。他意はない」

 

「わかりました」

 

耳元で静かに鳴る声が心地良い。重ねた身体が熱を持ち、ぴたりと吸い付くように触れ合った。

 

相性の良さ、と言うのか。彼が退けば彼女が圧し、彼女が退けば彼が圧す。互いを思いやり、気を使い合っているからこそのものであった。

 

「……寝よう」

 

「それはどちらの意味ですか?」

 

これは、かなり意地の悪い質問であろう。他意はないとは言え、彼の一言は良くも悪くも虚飾がない。

 

「……こうしているだけで、切なくならないか?」

 

「全く。そも、こうならぬように事を済ませた後も抱き合いながら話したではありませんか」

 

海のような情愛を持つ彼女からすればもっと一緒に居たいし、側にいればそれだけで愛が暴走をはじめる。正直に言えば、彼女はまだまだベットにいたい。情事で再び愛を確かめ合いたいというよりは、抱きしめあいながら喋りたい。

 

が、ハクはその点淡白である。夜は寝る。が、昼は寝ない。そもそも彼からすれば寝過ごしたことがありえないのだ。

 

「更に言わせていただくならば、仕事はどうなされたのですか」

 

「……知らない」

 

甘いような雰囲気を彼女が望んでいることはわかる。が、それは職務を全うせず、仕事を滞らせていい理由にはなり得ないのだ。

 

「義務を果たしてこそ余暇があります。そして、これは余暇です。義務を果たしていない我らに与えられるべきではない」

 

思いっ切り顔を胸板に埋め、聞く気のない態度を顕にしたエスデスを突き放すような冷淡さを感じさせるロン長で、ハクは切り札を引き抜いた。

 

「私の存在が原因で貴女が己の職務に粗相を見せるような羽目になるのでしたら、私は二度と貴女の視界に入りません」

 

「……私は側に居ろと言った。命令には従うのがお前の性分だろう」

 

「貴女の為にならないならば、その限りではありません」

 

エスデスは、甘えたい。何日もの空白と、念願の恋が叶った嬉しさを共有したいのである。

 

ハクは、あくまで道を外さない。何日もの空白があろうが、執着を持った女性と結ばれようが、それは仕事を休む理由にはなり得ない。

 

「……いいじゃないか」

 

エスデスは、悲しかった。

 

恋していた。愛している。死んでしまったら絶望するほどに、大事に思っていた。

 

私は、将軍というだけなのか。お前は、副官というだけなのか。私の想いに応えてくれたのは、副官だからではないのか。

 

胸が痛み、疼く。泣きそうなほどに哀しかった。

 

「何がですか」

 

「私は、ずっと好きだったんだぞ」

 

私は、十五年前からお前が好きだった。私は、ずっと貴方を慕っていた。

 

「想いが叶った今日一日くらい、甘えさせろ」

 

「なりません」

 

一切の逡巡もなしに切って捨てたが、彼は彼なりに思惑がある。昨日一日は何も言わなかったし、基本的には意に添った。

 

これ以上は休み過ぎであり、蛇足であろう。

 

「昨日一日は何も言わなかったでしょう。働きなさい」

 

「…………うん」

 

理屈は通っているし、一応情も掛けられていた。何よりこれ以上粘ると本当に二度と己の視界に入らないようなことが起こりかねない。

 

明らかに泣きそうな感じにしょげているエスデスを見るに見かねたのか、ハクは両目を閉じて背中に左腕を廻した。

右手は蒼銀の髪の上に載せられ、癖っ毛のないさらりした長髪を撫でつけるように動いていた。

 

「…………後一時間で働きに行きなさい。私もそれを目処にして執務室へ行きます」

 

「……うん」

 

厳しさの中に温かみがある。それも、明らかにこちらを気遣って発された温かみが。

 

だらしないほどに相貌を崩して胸板に頬と髪を擦り付けるその姿は、もう完璧に甘々であった。

 

そして。

 

「昨夜はお楽しみでしたね」

 

「ああ。新たな体験であったことは確かだ」

 

からかい気味に言った台詞を直球で返されたチェルシーを僅かに赤面させながら、きっかり一時間後には彼は執務室についたのである。

やることはそれこそ無数にあった。まず、昨夜エスデスが寝てから二時間ほどで纏めたコウノウ郡の内政改革の草案などが、それにあたる。

 

他にも彼の所領でありチェルシーの故郷でもあるカンチュウの内務もこなし、帝都及び周辺十二都市で構成される経済圏を確固としたものにしなければならなかったのだ。

 

それに、エスデスが仕事を休みまくっていたことのツケもある。

本当に、仕事はやろうとすれば尽きない。ノウケン将軍の如く最低限だけを部下に押し付けて酒池肉林、というのもできるにはできるが、彼はそういうことをするタイプではなかった。

 

「というかさ、今日一日くらい一緒に居てあげたよかったんじゃないの?」

 

「お互いに仕事がある。義務や職務を疎かにするものに私事を楽しむ権利はない」

 

彼が黙々とクソ真面目に、エスデスの目が死にながら数日分の書類仕事をものの数時間でこなし終え、コウノウ郡開発の草案に修正を加えて清書。文句がないように体裁を整え、オネスト大臣に提出した時には、もう既に陽は沈んでいる。

 

カンチュウの方でも防衛線として幾つかの要塞とそれに付随する複数の補給線を確保する作業を現在のコウノウ郡の開発と並行して勧めねばならないのだから、時間も足りない。

 

「でも、チェルシーさんなら一緒に居てあげたいし居たいと思うけどなぁ……」

 

「……女心はわからん。どこからが我儘か区別もつかない。ままならんものだ」

 

「女心なんざ我儘でしかないよ。極論すれば、何かやって欲しいっていう心でしかないんだから」

 

仕事を終わらせ、終わっていないであろうエスデスの元へと足を運ぶ。

 

何かが、はっきりと変わりかけていた。


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