お止めくださいエスデス様! 作:絶対特権
「どうしますか、お嬢」
「潰さざるを得ん。私は行けないが、三獣士が属く。それに―――」
開かれた窓から飛んで来た梟を怜悧な目で見遣り、エスデスは苛ついたように机を白魚の如き細く長い指で叩きながら、言った。
「お前の私兵の帝具持ち達。あれを使えば問題は無いだろう」
「戦闘要員ではない者しか動けないのです。一人は病気療養中だと言うのに大将軍派の文官にテンスイへ叛乱討伐に駆り出される始末ですから」
昼真っ盛りにパタパタと飛来し、黄金の鎧の肩にある円形の装飾の一部に停まって首を傾げるような動作を見せた梟を不快気な目で見つめた後に、側にあったペンを梟の首へ目掛け、投げる。
馬鹿にしたように首を傾げ、その後パタパタと翼を動かして浮力を得ながら、梟は投擲を避けるべく肩から落下し、地面すれすれで浮上した。
完璧に手慣れたおちょくりの動作は、何故か悪戯好きの猫のような機敏さと小悪魔めいた笑みを連想させる。
鳥だというのに。
「おい、鳥女。そこから降りろ」
帝国最強の殺気を混ぜたドスの利いた声をどこへやら。風見鶏のようなスルースキルで以って受け流した梟は、相変わらず飄々とした様子で肩の装飾に停まっていた。
「ハク、降ろせ」
ここで『何故ですか』と聞き、幾度となく巻き添えの掌底を喰らってくれば、あのハクとて流石に学ぶ。
彼には珍しく何も言わずに指を一本差し出して梟を肩から移し、飛んで来た窓から解き放った。
梟も冷気を纏い始めたエスデスには敵わない、或いはからかっても被害しか蒙らない、と理性的な判断を下したのか、割とあっさりと外へと逃げる。
ここらへんのツーカーなやり取りが、彼女には益々腹立たしかった。
「……あれはお前にとっての何だ」
「貴女にとっての私です」
私の副官です。つまるところは、彼の言葉はそういう意味を含んでいたものであっただろう。
だが彼女からすればその景色は別なものとして見えるし、違う意味を含んでいるように見えた。
「………………死ね」
だが彼女は失念していた。
こういうことをあっさりと受け入れる奴であるということを。
「了解しました」
死を早々に受け入れ、首元に刃をあてがおうとした右腕を凍らせる。
反射で凍らせた箇所を覆う氷が一秒とかからずに光に灼かれ、文字通り霧散したところを見ると、更にその焦りは深みを増した。
「前言撤回する。死ぬな」
「…………」
反射で帝具に頼ってしまった自分を戒めつつ、エスデスは右腕で以って刃をあてがう腕を掴む。
氷に対して見せた灼ける様な光はチラリとも顔を見せず、代わりに訝しむような疑念が顔を見せた。
自律防御。触れる物全てを灼き、弾き、本体への堅牢な護りとなる一形態。防御に全てのリソースを裂いているにもかかわらず、気が狂ったような攻撃性能も備えた万能の形態が、彼の帝具の通常駆動である。
無論、この鎧はそれに触れる人の身体をも灼く。だからこそ適合者が現れても即死し、身に纏うことすらできずに灰になっていった。
太陽の激情、というのか。苛烈で鮮烈な部分のみを体現した鎧は、今では陽の穏やかな恵みを体現している。
「……私にとってのお前とは、何だ」
「右腕。或いは副官でしょう」
自律防御の反射の速さは、使い手に依存するらしい。即ち今の氷に対しての自律防御の反射の速さは、彼が如何に多く彼女と戦い、氷結させられてきたかを物語っていた。
しかしその一方で、如何に模擬戦が加熱しようと彼女の肉体には指一本触れていない忠実さをも物語る。
正に半身、というのか。一体化したのがわかるほどに鎧と主は似てきていた。
「ハク」
「はい」
「私はお前が好きだ。わかるな?」
なるほど、と。得心の入った顔をし、幽鬼のように血色の悪い顔が少し慚愧の念に沈む。
どうやら自分が誤解を懐かせるにふさわしい言動をしたことに気づいたらしい彼は少しの間だけ口を真一文字に結び、頭を下げた。
「私の中に貴女が私に抱くような感情を私が彼女に抱いた事実は確認されていない。誤解を懐かせて、すまないと思う」
「例えではなく、口で言え」
「了解しました。お嬢」
例えの悪さや曖昧さが誤解を生む。誤解を産まねば勘違いはされず、嫌われることも少なくなるだろう。
そう判断したエスデスの珍しくまともな忠告は、ハクの鎧をすり抜けて心まで突き刺さった。
「勘違いはさせない方がいいですからね」
「その通りだ」
お互いにひと息つき、目の前に出された茶を啜る。
この一動作を境として出発前の職務上の会話は終わり、互いに素が出始めていた。
「それにしても、最近大将軍派の巻き返しが著しい。今回の作戦にしても私達と三獣士とお前直属の二人とセリューでナイトレイドを殲滅させる予定だったのが、これだ」
「……セリュー・ユビキタスに関しては、仕方のないところもあります」
何せ彼女は、ほんの一ヶ月前に所持する帝具『魔獣変化』ヘカトンケイルの奥の手・狂化を使用。ヘカトンケイルをオーバーヒートさせてしまっている。
ヘカトンケイルの奥の手は強力なものの、一度使用すると数ヶ月の間帝具自身が動けなくなる諸刃の剣。使わざるを得ない状況であっただろうが、こちらの大反攻への戦力が慚減されてしまった。
更には交通を結ぶ橋であり、戦場になる竜船を破壊されてはたまらないからという理由でエスデス自身の出馬が不可能になり、一般的には鎧の帝具で通っており破壊力に乏しいハク、直接的な攻撃能力を持たず自己強化しかこなせないニャウ、白兵戦能力に秀でているだけでこれまた破壊力に乏しいダイダラ、地の利があるとはいえ火力不足が否めないリヴァ。生物型帝具一つで詰みかねないパーティーでナイトレイドに挑まねばならない。
戦力が分断されているとはいえ、たった一個の帝具で詰みかねないパーティーは、どうだろう。
「お前の面制圧能力はギリギリまで隠しておき、直前でバラして釣り針にしたが……案の定、大火力持ちを竜船に入れたくはないらしい」
「ナイトレイドとの戦闘で壊されることを危惧するならば最初から竜船を戦場に選ばなければいいことを考えれば、自ずと見えてきます」
こちらが誘き寄せようとして敷設した罠を、逆利用された。で、そこを利用しようとした大将軍派―――所謂清流派が大臣派―――所謂濁流派の力を減らしに来たのだろう。
大国の驕りというのは恐ろしい。大国は人を育てないというのも、正しいらしい。何せ足元まで火が迫ろうとしているのにそれに対しての危機感も持たずに、水を掛けようとする者を討とうとしているのだ。
最終的に火を消す者が居なくなりかねない現状を、全く理解していない。
「こちらの弱体化でしょう。ブドー言えども一人では流石に帝具使い八人を相手取るには荷が重い」
「だろうな。大臣が珍しく外国に対して謀略の網を巡らせることに意識を裂いたらこれだ」
ナイトレイドの密やかな警護の元に帝都入りを果たしたチョウリ元大臣の元、清流派は再集結を始めている。
ショウイ・セイギら南方に派遣されてきた文官にも声が掛かっているらしいことが、他ならぬ本人たちから知らせられた。
「内乱を収める側にも、更に内部分裂が始まっています。厄介なことです」
「だが、だからこそ面白くもある。ブドーもその軍も、蹂躙するに足る相手だ」
この大将軍・ブドーを中心とする一派の暗躍には、オネストやコボレ兄弟ら濁流派に対する嫌悪と正義感もあるだろうが、第一に危険視されたのはエスデス軍の伸長であろう。
何せ、エスデス軍が動けば帝都警備隊も動くのだ。『魔神顕現』デモンズエキス、『玄天霊衣』クンダーラの二つの亜強の帝具と、三獣士の『水龍憑依』ブラックマリンら三つの帝具。帝都警備隊の『魔獣変化』ヘカトンケイル、ハク直属の私兵が持つ『変幻自在』ガイアファンデーションら二つの帝具の、合計八個。始皇帝が遺した四十八の帝具の六分の一。各地から見つかっている物で、帝国の保有する物となれば更に限られてくるから、実質的に最強の戦闘力を持つ軍隊はエスデス軍であることに間違いはない。
二人の将軍、五人の私兵、一人の友軍。稼働帝具は戦闘タイプが六個、補佐型が二個とバランスも良く、動員兵数はエスデス軍が約十万、帝都警備隊が約一万。
一騎当千の強者が六人もいるのだから相対的に兵力は兵数よりも上がるし、軽い税・無役・福祉の充実によって徳を積んでいるから『世を糾す』と立ち上がっても何ら不思議がない。そこに集う者も多いだろう。
「……お前の所為なんじゃないのか?」
「そうかもしれません」
確かに現状、彼の趣味とも言える善行がブーメランの如くエスデス軍に突き刺さっていた。
主に人材と名声的な面に。
「お前に何も言われなかったままに私が生きていたら人材など集めようとは思わん。三獣士で充分だし、封地を治めようとも、弱者共を労って強者にするなど思いもつかんだろうからな」
「……すみません」
「だかまぁ、悪くはない。気にするな」
気落ちしたように座っているハクを抱き締め、顔を豊かな胸部に埋もれさせるエスデスは、中々に様になっている。
元来彼女は一人ケンカした末に割りと容赦のない舌鋒に突かれて凹みこそすれ、男にベタベタに甘えるような女ではない。寧ろ甘えさせる方である。
現に、いなす技術が達人の域に達しているハクでなければ甘えさせていた可能性の方が高いのだ。いなされてベクトルを真逆にされているだけで、本来は逆なのである。
「フフフフ……」
「ご満悦ですね」
顔の右側に柔らかい物を感じながら、常日頃と変わらぬ明哲な声がくぐもり気味に口から出た。
くぐもった理由は、言うまでもない。
「うん、何というか……頼られるのも悪くはない。いや、今までの行いを省みて『頼るのも悪くはなかった』と言うべきか」
「常日頃から頼っていますよ、私は」
するりと頭を抱擁する腕の中から抜け、ハクはゆらりと立ち上がった。
「お嬢」
不満げな顔をしていたエスデスに向けて一礼し、肩の装飾を光に揺らめかせながら滔々と述べる。
「行ってまいります」
「朝帰りは厳禁だぞ。早く帰ってこい」
雨が振りそうな天気の中、彼は戦場になるであろう大運河に停泊した竜船付近を遊弋する。
最初の激突が、不十分な準備の元に始まろうとしていた。