お止めくださいエスデス様! 作:絶対特権
北方異民族は、代々帝国に歯向かってきた民族である。
要塞都市を作る程の高い技術力と防寒性の高い装備によって地の利を活かして帝国からの侵攻を阻み続け、西・南の異民族との波状攻撃で国力を疲弊せしめたことからもわかるように外交にも優れており、正に帝国の不倶戴天の大敵と言えた。
そんな三方から囲んで圧迫・疲弊したところを一気に滅ぼすという千年単位の大戦略を提案し、その忠実な実行者であった北の異民族に衝撃的な一方がもたらさせる。
その報とは始皇帝の代にも滅ぼし切れなかった南方異民族を尽く根切りにした、というものであった。
彼らはまず、この信じ難い報に対して疑いを持った。
将星燦めく始皇帝の代にも滅ぼし切れなかった南方異民族を今の腐り切り、能力のあるものが左遷・処刑されるような帝国で将軍となった無能者が潰せるものか、と。
しかしこの時代にも始皇帝の代と比べて量には劣るものの、実力ならば勝るほどの英傑はいる。
大将軍・ブドー。
彼らが認識していた明確な敵とは、内憂に備えて帝都を動けない最強の男ただ一人だった。
だが彼らが長い目で帝国と戦う為に内乱の種を撒き、オネスト大臣の就任の後押しすらしたその優れた大局観は目先の物を見る力を失わせた。
ブドーが現れてから、そちらの方の対策に力を注ぎ過ぎたのである。
つまり、新たな英傑など現れないという過程の元に北方異民族は政戦両略を回してきた。
しかし、苦心して作り上げた均衡状態をただの一戦で破滅させた女神は北から来た。エスデスである。
何をさせてもそつなくこなし、戦をさせれば無敗、政治を執らせれば隆盛を極めさせるこの女は、まさに北方異民族からすれば脅威だった。オネストもそちらの方に欲がないことを知っているからか、中々彼女を疑わない。
だが一年に渡る政治工作の結果、オネストは莫大な貢物とエスデスの首を交換するという約定を交わし、前哨戦たる『北の勇者』ヌマ・セイカによる侵攻を放置。キシュウ・ヘイシュウまで獲られた所でやっと腰を上げ、エスデスを南方から派遣した。
約定通りの展開である。
後年この政治と謀略の駆け引きの終点で最高権力者たる彼が漏らした一言は、オネストの老獪さを如実に示すものとしてよく引用されることになる。
『釣りたいときは釣ろうとしてはダメなんですよ。相手が釣りたがっていることを知ったら、本気で逃げ回らねばなりません。
あたかも『やっと釣り上げた』と思わせることが大事ですな』
役者が違った。この一言で表せる対北方異民族滅亡への戦いの幕は焦った北方異民族自らの手によって切って落とされ、焔と氷によって閉じられる。
「壮観だなぁ、ハク」
「両軍合わせて三十万を越します。当たり前かと」
要塞都市の陥落で終わる一連の征伐戦は、北方異民族遠征軍二十万対、征伐軍十五万の会戦ではじまった。
今回は、迎撃戦。受け身の戦いである。つまりは―――
「じゃあ、ハク。指揮は任せた」
「非才の身ながら、全力を尽くさせていただきます」
三十万以上だから壮観なのは当たり前です、とクソ真面目に報告したこの男の担当であった。
元来エスデスは、気質から火のように苛烈な攻める機動戦を得意とする。
ハクはそれに反して『常に気分が凪いでいる』と言われた平坦な気質から、じっくりと腰を据えて戦う永久氷壁の如き守りの戦いを得手とする。
この場合は、ハクが適任であるとエスデスはすぐさま判断した。
「お嬢であったならばどうしますか?」
予定戦場は、高低差が激しい。泥濘も多く、自在な兵を進退させるにはかなりの幅広い視野が必要とされる。
ここから導き出す答えは、彼女の機動的な考えからすれば一つであった。
「この、一番高い高地を征した方が勝つだろうから行軍速度を速めるな。少々この行軍速度は遅すぎる」
「なるほど」
何やらさらりと聞き流されたような印象を受けたエスデスは、更に念を押すように馬を寄せ、顔を覗き込むようにして忠告を行う。
「わかってると思うが、この高地は軍事的な要衝だ。抑えられたら負けてしまうかもしれんぞ」
「戦術眼を持つ者ならば、誰もがそう思うでしょうね」
「先行して獲ってこようか?」
無言でかぶりを振ったハクの鉄面皮の内にある意図を掴みかね、彼女は馬上で腕を組んだ。逆に言えば、腕を組めてしまうほどに、この時の行軍速度は常からは考えられないほどに遅々としたものだったのである。
「……向こうもあの高地を欲しいと思っている。なら、獲ってやれば痛撃になり得るだろう?」
「彼らが欲しているならば、敵に差し上げたらよいでしょう」
「勝つ気がないのか?」
またもや無言でかぶりを振ったハクに対し、エスデスは少し悲しい物を覚えた。
思考がわからない悲しさ、と言うのか。致命的に迎撃する気がなく、寧ろ正面から強襲しようとする考えしかない彼女は、やはり受け身の戦いには向いていなかった。
「ヒント」
三日後。高地が獲られ、こちらの布陣が終わった時点になってもまだわからなかったエスデスは、補給線構築の指揮を執っているハクにヒントを求めた。
「肌寒くなってきましたね」
全くわからない。それが暫く考えたエスデスの正直な感想である。
何故肌寒くなってきたから戦術的要衝を敵にくれてやるのか。
「お嬢」
「……ん?」
「あなたは攻めている時は相手の七手先まで読んで踏み潰しますが、受け身になると四手先も読めないのですね」
全く悪意のこもっていない正直すぎる感想は、彼女の思案中の思考を突き破り、心にグサリと突き刺さる。正直な直言だからこそ、受けるダメージは甚大だった。
「……同じ景色を、見たい。教えてくれ」
「戦術的要衝を獲った敵は、そこを中軸に布陣します。現にそうなっているでしょう?」
「うん」
戦術的要衝は、中軸に据えてこそ意味がある。ハクの言っていることは常識であった。
「彼らはこちらを侮るでしょう。何せ勝ち続けているのですから」
「うん」
これも、真実である。キシュウ・ヘイシュウの守備軍はヌマ・セイカの用兵に大惨敗を喫した。
だからこそ、『槍を執っては無双、采を振るえば連戦連勝の北の勇者』などと謳われているのだろう。
「攻撃するには、陣から出ねばなりません」
「うん」
それっきり黙ったハクに、エスデスは更に卓犖とした馬術で以って寄っていく。
「で?」
「……訂正します。二手先も読めないのですね」
迂遠に『受け身に立たされると無能ですね』と言われたエスデスは、流石に凹んだ。ドSすら凹ませ得る本音のみの弁説は、今日も鋭い切れ味を誇っている。
「地図は見ましたか?」
「うん」
「こちらの右翼の前方に泥濘があります。向こうは知らないようですが、ここで攻めてきた敵兵の速度を鈍化させられます。
なるべく、引き出すのは鈍重な砲兵が望ましい。故にこの右翼の後方に連絡線と補給線を通し、右翼を突破させるように誘導します」
右翼を突破させれば補給線・連絡線が断たれ、更には後背に回られて挟み撃ちにされる。
敵は、最も火力のある砲兵隊を差し向けるだろう。
「ですがそこは泥濘。咄嗟の進退が出来ません」
「うん」
砲兵は鈍重である。泥に砲の足を取られては進退窮まり、進み続けるほどに軽快な行軍が難しくなることは知ってさえいれば誰にでも分かった。
「つまり、膠着します。高地から降りた軍は、退くに退けず進むに進めない―――と言うよりは、右翼を突き破ったら勝ちという思考を固定し、余念を排除するでしょう」
「つまり、右翼は囮か?」
「いえ。囮は高地です」
その瞬間、エスデスは遂に理解した。
「……お前は、高地を獲られてからほんの一瞬で七手先まで読んだのか?」
「はい」
大したことでもないように言い切った彼を見て、彼女は無意識の内に獣の笑みが浮かぶ。
「始めるのか?」
「待つ意味がありません」
右翼はハク。本陣にエスデス。左翼にリヴァ。それぞれ二軍を指揮し、敵に当たることになる。
初めに動いたのは、高地に布陣した一軍。
薄い右翼を突破せんとする主力軍であり、狙い通りに砲兵が編入されていた。
次いで二軍が左翼のリヴァとエスデスの本軍に襲いかかり、たちまち火砲と剣撃に彩られた戦闘がはじまる。
―――帝具は使用してはなりません。この戦いは帝具持ちに依存しつつあるあなたの軍が真の軍隊に脱皮する為の一戦です。
始まる前に釘を刺されたから、圧倒的な破壊力を解き放つわけにもいかない。
作戦通りにリヴァがじわじわと前線を押し上げてエスデスへかかる重圧を減らし、ハクが退却行動を開始して敵の軍の延び切らせつつあった。
(そろそろか)
自分の役割はこちらの補給線・連絡線を絶つために延び切った敵の横腹を突き、中軸である高地を手中に収めて敵を左右に分断。半身不随にさせることである。
「全軍」
白馬に乗った、見目麗しき蒼銀の美女。全幅の信頼を置く将を見上げ、兵卒たちは健気なほど忠実に命令を待っていた。
「前進」
二言のみの号令で爆発的に士気をあげた後、彼女は細剣を抜いて先頭に立って敵陣に突っ込む。
驚くほど容易く、敵軍の中軸はこちらの手に渡った。
(何だ、つまらん)
骨がない。一言で言うならば、彼女の抱く不満はそう表せるだろう。
無論、脆弱な箇所を狙い討って蹂躙した。蹂躙したが、こんなにも容易く崩れるとは思っていなかったのである。
まず、火砲を右翼の突破に回し過ぎた。更には高地に向けてこちらが攻め手をかけてからの反応が遅すぎるし、泥濘に足を取られているが為に展開力もない。
戦線は延び切り、一旦攻めに使った兵力を高地の防御に転用しようとしても時間がかかり過ぎる。
ものの見事に策に嵌まった敵をゴミを見るような眼で文字通り見下し、用意された椅子に座って一息をついた。
「見物するか」
目の前には、凍った湖。『肌寒くなってきましたね』とは、この湖が凍っているであろうという予想を指していていたのだろう。
退路は背後の湖しかない。そこ狙い撃てば氷は砕け、敵兵は極寒の水に沈む。すなわち、楽に勝てるのだ。
「砲兵」
「ハッ!」
「水平射ではあれは割れん。大仰角を取り、敗走してきた敵が半ばまで来たら砲撃を開始しろ」
後続がつっかえて引き返すことができず、前の陸地に辿り着くこともできない『半ばまで』と言うところが、彼女のドSたる所以だった。
あまり気分が昂揚して来ない彼女は少し欠伸をした後に、理由に気づく。
(戦と言うよりは、どちらかと言えば芸術じみてるからか)
完璧な作戦を立て、勝てる環境を作り、敵を操作しているかのように鮮やかに勝つ。
確かにこれはこれで面白いが、指揮を執っていて楽しくはない。
寧ろ、この戦争芸術と戦ってみたいと思うのが彼女だった。
「……うん、つまらんな」
発射される大砲の轟音を背に、目の前で繰り広げられる追撃戦を見る。
やはり、北方異民族の軍の先頭に立つ槍使いの腕は目覚ましい。が、ハクと比べるとそれほどでもないというのが実際のところだった。
邂逅し、槍を交える。
結果のわかっている勝負から眼を離し、彼女はもう一度欠伸を漏らした。
――――エスデス軍は、地上最強。
その名を革命軍に轟かせる一戦は、一両日中に終わった。