お止めくださいエスデス様!   作:絶対特権

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政務を突く

「起きていただきたい」

 

「ん……ぅ……?」

 

寝相が悪い癖に『キツいから』という理由だけで相当際どい格好で寝ているエスデスを布団で包み、揺り動かしても万が一のことがないようにしてから起こしに掛かる。

 

頑なにしがみついて離さない腕を半ば強引に引き抜き、更にハクはエスデスを揺り動かした。

 

「起きていただきたい」

 

「ん……」

 

色気のある吐息を漏らして、エスデスはゆっくりと白い瞼を開き、澄んだ蒼眼が現れる。

いつもの野生の獣の如き警戒心の高さからくる寝起きの良さはどこへやら、と言ったような感じであった。

大方のところは久しぶりの添い寝で警戒心が根こそぎ消え失せてしまい、熟睡していたというところであろう。

 

「おはよう……」

 

「おはようございます」

 

眠たげに蕩けた眼を向けて挨拶すると、すぐさまの目の前の彼の膝を枕にして寝始めるエスデスに温かい目を向けてこの二度寝を受け入れようとした彼は、すぐさま長に命ぜられた一言を用いて自戒した。

 

『エスデスには欠けてる所があるから補佐してやって欲しいが、甘やかしはするな。お前は何もかもを受け入れ過ぎる』

 

本当に的を射ているこの指摘は、流石は親代わりといったところだろう。恋愛補正と『自分と彼が同化しかねないほどに甘えたい』という欲望フィルターが掛かっている娘とは、観察眼が違った。

 

「起きなさい」

 

「嫌だ……」

 

「…………そうですか。嫌ならば」

 

仕方ない。

 

伝家の宝刀を引き抜きそうになったハクは、慌てて再び自戒する。

 

甘やかしはするな、と。

 

「これ以後、添い寝はしません。あなたの為になりませんから」

 

「起きた、起きた、目は覚めた。さあ、無駄な思考をするな。今日も一日頑張ろう、ハク」

 

長が居るならば、我が娘ながらチョロい物だと嘆き半分に笑ったに違いない。

それほど素晴らしい掌返しを敢行したエスデスは名残惜しげに膝から頬を離し、再びくっつけようとして軽く窘められるような視線を向けられ、止まる。

 

「軍服と、軍帽と、靴下……あとは、手袋……」

 

「ここに」

 

自称兄、実質母な手際の良さを見せる自称兄の差し出した軍服・軍帽・長靴下に長手袋の几帳面に畳まれたいつものセットを手に取り、エスデスはすっぽりと布団に潜った。

 

「出て行きましょうか?」

 

「部屋を出る時も一緒がいい」

 

駄々をこねる子供のような言葉の後に、長靴下を足首まで引っ掛けた脚と手首から二の腕にかけての長手袋を履いた両手と蒼銀の長髪だけが布団から出ていると言う珍妙な状況が左右二度繰り返される。

しばらくもごもごと布団が変形を繰り返し、止まった。

 

「どうだ」

 

「寝癖が酷いですね」

 

褒めろと言わんばかりの顔に向けて忌憚のない意見を吐いたハクは、一先ず櫛で髪を梳く。

帝具の熱やら何やらで直せば速い。が、折角の髪が傷んでしまう。

 

丁寧に。しかし淡々と髪を持ち上げて梳いては止まり、梳いては止まりを繰り返し、ハクはじっくりと時間をかけた。

エスデスからすればたかが寝癖、ハクからすれば直すべき寝癖。髪を梳かれるのも嫌いではない彼女は、ほんのりと頬を赤らめながら目を瞑る。

 

(ハクと一緒になれる時が来たら、こういう風になるのかな)

 

基本的に自分が引き摺り回し、すっごく甘えて、時々いじめて。

子供は欲しいが、甘えられる面積が半分になってしまうことを考えれば当分はいらないな、と。完璧に獲らぬ狸のなんとやらを考え始めた彼女の肩に手が置かれた。

 

無論、彼女の中では妄想世界に在住していた筈のハクの手である。

 

「直りました。巡察に行きましょう」

 

「あ……ああ。いいだろう」

 

妄想世界から現実世界に引っ張り出され、エスデスは少し戸惑いを見せた。

しかし、それも一瞬のこと。すぐさま抵抗がないことをよいことに指と指を絡め、手を繋ぐ。

 

「さぁ、巡察だ」

 

「手を繋ぐ理由はあるのですか?」

 

完全に無視を決め込み、エスデスはハクをぐいぐい引っ張りながら扉を開けた。

 

巡察の時間である。

 

情というのは知識の温度を変え、知というのは情報の明度を変える。それによって見聞したことから雑色や雑音が消え、物事の本質を見ることができる。

 

情が豊かならばその知識は温かみを帯び、現実に則して柔らかく変質すると言ってよい。

彼女には政治に関する充分な知識はないが、庶民の生活に関する知識ならば豊富に持ち得ていた。問題は情の方である。

 

彼女にも当然ながら情はあるし、当たり前ながら人によってかける格差はあれどもその情は薄くはなく、寧ろ細やかさと深さを持ち合わせていると言ってよい。

 

ただ、為政者としての問題点はそのかける情に差がありすぎることであった。

 

『弱肉強食』。弱者は淘汰されて当然であり、強者のみに情をかける。それがエスデスのやり方であった。

 

「困ったことなどはあるか?」

 

「やっぱり暑さ、ですね……」

 

「む……ならば三軒に一つの割合で氷室を用意する。それをうまく使って涼むといい」

 

が。

 

「実は疫病が流行していまして……」

 

「ハクに戦車で薬と医者を連れてこさせた。今各邑の区画を回っているところだから、一日待て」

 

エスデスは人が変わったようにサバサバと決裁を終え、弱者が淘汰されぬ情ある統治を始めたのである。

 

これには無論、理由があった。

言わずもがな、ハクである。

 

『民が豊かになれば生活にゆとりができます。生活にゆとりができれば武を嗜む者も増え、武を嗜む者が増えれば強者が増えるでしょう。

帝国には叛乱が続いています。お嬢の封地替えが為された時に別な統治者が赴任し、悪政が敷かれれば強者に率いられたこの地の民は蜂起することになります。つまり―――』

 

強者の軍と戦えますよ。

 

弱者を蹂躙するのも好きではあるが、彼女の快楽とは強者と血沸き肉踊る戦いを続けることにあった。

その気性を巧く呑み込み、誘導するのがハクの役割である。

 

「不満があったならば直接私に届け出ろ。出来うる限りで改善策を施行してやる」

 

戦いの芽を育てる為に、エスデスは今日も善政を敷く。

明君には到底なり得ず、虐殺好きの異常者とされた彼女の名は急速に是正されつつあった。

 

更にエスデスは―――というより政務における中の人であるハクは駄目押しのごとくある一手を打つ。

自らの私財を惜しみなく難民に分け与え、その財産の保護と生活の保証に当てたのである。

 

エスデスは、浪費をしない。そもそも金を使う趣味も興味もない。ここらへんの交渉は本音を交えて話せばすぐさま財産を放出することを了解した。

無私の善行こそが、いざという時の身を救う。そう信じて疑わないハクと実務に優れたショウイによって、南方はたった二年で帝国内でも屈指の経済地域と治安の高さを得、帝国からの独立すら叫ばれるような思想・文化・経済の一大地域へと進化したのである。

 

「……おかしいと思わないか?」

 

「何がでしょうか」

 

「山賊が来ない。河賊もだ」

 

エスデスの治める南方は、政務を執りはじめた当初は利益や税などを期待できない地域だった分、破格の恩賞としてオネスト大臣から無税・無役で授けられた土地だった。

無収支の土地に住民を植えつけたのは帝国だが、育んだのはハクと派遣の名目で左遷された優秀な内政官であると言ってもよい。

 

いわばエスデスの領地はハクの丹精込めた作品であると言える。

 

「……お嬢が接近の報を聞いた瞬間に私を蹴飛ばして『ハク、政務などやってる場合じゃないぞ、出撃だ!』とか何とか言って戦車で突っ込ませるからでしょう」

 

「……『懲りないめげない諦めない』が賊の精神だろう?」

 

「懲りずめげず諦めないとしても、肉体そのものを擦り潰されたらどうしようもないかと」

 

現に最初は外見は美女なエスデスに欲情しきっていた賊も、今や彼女の名を聞くだけで疾風の如く逃げ出した。

最早エスデスの領内に賊はなく、討ち漏らした僅かなバン族の残党はすぐ東の革命軍に合流している。

 

「革命軍でも潰すか?」

 

「近所に出かけるような感覚で潰されては、革命軍も堪ったものでは有りますまい」

 

 

 


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