UBW~倫敦魔術綺譚 (未改訂版)   作:冬霞@ハーメルン

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第八十話 『獣の王の蹂躙』

 

 

 side EMIYA

 

 草木も眠る丑三つ時‥‥かどうか、明確な時間はわからない。

 何せ俺の時計はしっかりとさっきまでの時刻、昼過ぎの麗らかな午後の時間を指しているのに、辺りは街灯の微かな灯りしか照らすものがない暗闇だ。

 少なくとも一時間前は確かに昼間だったはずなのに、今は夕方を通り越して深夜としか思えない時間帯へとタイムトリップしてしまっている。

 

 おかしいのは、時間だけじゃなかった。

 ヴィドヘルツルの城にいたはずの俺たちは、いったいどういう理屈でか、何処かの公園の中にいたんだ。

 九人いたはずの仲間は、閃光から庇った目を開いた時には俺を含めて三人まで減っていて、他のみんなが何処に行ってしまったのかはさっぱり分からない。

 

 一緒にここまで飛ばされて来たルヴィアによると、これはヴィドヘルツルによる“空間転移”の魔術による現象だという可能性が高いらしい。

 どうやらあの閃光が術式の一部で、俺たちを分断させるのが目的だったんじゃないだろうかっていうことだ。流石のアイツも、俺たち九人を相手にするのはつらかったんだろうか。

 

 

「———どうした、動きが鈍っているぞ、人間?」

 

「余計なお世話だ‥‥よッ!」

 

 

 一瞬、余計な考えに囚われた隙を狙って喰らいついてきた獣を両手に持った干将莫耶で斬り払う。

 反射に近い動きだったから目でしっかりと確認したわけじゃないけど、今のはたぶん狼だったと思う。さっきから、動物図鑑もかくやという勢いでいろんな獣たちが俺たちに文字通り牙を剥いていた。

 最初は犬、次は狼、ライオン、蛇にワニに鷹に鷲。終いにはこれといって正式な名称を上げられない動物までいろいろ。

 

 いつの間に俺たちは動物園へと紛れ込んだのだろうか。いや、どちらかというとサファリパークか。それにしても全ての動物が牙をくなんて、随分と愛想がない動物園だろう。

 

 ‥‥ああ、もちろんこれが現実逃避だってことぐらい分かってるさ。

 けど分かって欲しい。突然こんな場所に放り出されて、それについて頭を悩ませていたところに同じくらい突然のこれなんだ。

 

 

 目の前で、必死に戦う俺たちを嘲笑う男。

 灰色の短い髪の毛に、隆々とした恵まれた体躯。

 上半身は裸で、そこに灰の混ざった黒いロングコートを羽織っている。ロングコートの中は底の知れない暗闇で、俺たちが今こうやって戦っている獣たちは全てそこから湧き出てきていた。

 

 最初こそ三人で現状について語り合っていたんだけどさ、奴はまるで影の中から浮かび上がるように公園へとやってきたんだ。

 何の問答もなく、けしかけられる獣達を斬り払うことに精一杯な十数分。あいつの正体について考える余裕もなかった。

 

 

「くっそ、コイツ一体何なんだっ?! 次から次へと‥‥この動物は一体どこから湧いてきてやがる?!」

 

「使い魔を召喚する魔術‥‥とは考えられませんわねっ! ここまでの大量かつ連続の召喚、何か小細工が無いと不可能ですわ!」

 

「じゃあ一体?!」

 

「それを戦闘しながら考えるのは、もう少し余裕が出てからですわ‥‥。この量が相手では宝石を使えませんし、ガンドでは抵抗し切れません‥‥!」

 

 

 俺のすぐ背後で、背中を守ってくれていたルヴィアが珍しく気弱な悲鳴を漏らした。

 ルヴィアは両手の魔術刻印のおかげで一工程(シングルアクション)の攻性魔術、北欧の呪いの一種であるフィンの一撃(ガンド)を放つことが出来る。

 けど、いくら物理効果もあるガンドと言っても一工程(シングルアクション)の魔術に威力を求めるのは無理があるだろう。ルヴィアのガンドは遠坂のそれに比べても確かに威力がある方だけど、それでも全ての獣を一撃で葬り去れるわけじゃない。

 一匹につき一撃二撃三撃と打ち込んでいると、さすがに両手の指先から放たれる機関銃のような魔力弾でも弾幕は不足気味だった。

 

 

「ルヴィア、横だっ!」

 

「———ッ?!」

 

 

 影に潜み、真っ黒な大蛇が鎌首を擡げてルヴィアを襲う。

 下手すれば子供ぐらいなら丸呑みに出来てしまうぐらいの太い胴体を持ったそれが狙うは、白鳥のようなルヴィアの首筋。

 咄嗟に双剣を投擲して助けようと試みたけれど、まるで狙ったかのように目の前に現れた黒い豹を反射的に斬り捨てたせいで、一拍遅れる。

 その一拍が命取り。完全に死角からの攻撃に、ルヴィアは反応できない。

 

 

「ルヴィアッ!!」

 

 

 黒い大蛇の牙が今にも首筋に届くかと思った瞬間、赤と白の混じり合った閃光が疾る。

 それは今さっきまで縦横無尽に公園の中を走り回って手当たり次第に獣を斬り捨てまくっていた式だった。

 

 

「ミス・リョウギ?!」

 

「‥‥別に感謝されるようなことはしてない。気を抜くな、まだ次々来るぞ」

 

 

 大して刃渡りも長くないはずのナイフで太い大蛇を真っ二つにしてみせた式は、編み上げブーツで砂を巻き上げ、目の前で急停止した。

 まるで嵐か疾風かと言わんばかりの大活躍により体勢を取り直せた俺とルヴィアの一斉攻撃により、周りの獣たちは一旦ではあるけど距離をとらざるを得なくなる。

 僅かに息をつくことが出来る隙間を得て、少しばかり安堵してしまうのも仕方がないことだろう。幸いにして目の前の何者かも様子見をしているのか、襲っては来なかった。

 

 

「くそ、一体なんだっていうんだ、いきなり襲いかかってきやがって‥‥。ルヴィア、式、二人ともコイツに見覚えは?」

 

「ないな」

 

「ございませんわね。しかしシェロ、その質問はご本人がいらっしゃるのですから、目の前の本人になさった方がよろしいのではなくて? そうでしょう、ねぇ、名前も知らないどちら様?」

 

 

 ふぅ、と短く吐息をついたルヴィアが鋭い視線を目前の敵へと疾らせる。

 長身をピクリと動かすこともなく悠然と佇む敵は、余裕そうな態度に反比例するかのように厳めしい面を崩さない。言葉では憎らしく挑発をしておきながら、背筋に寒気が走るぐらいの無表情だった。

 

 

「せっかくこうして舞踏会に招待して頂いたのですから、今宵の宴の趣向ぐらいは説明して貰えませんことには楽しめませんわ。

 会場の場所もわからないのでは、風情を凝らしてお出迎えにお応えするのも十分にできませんもの。ねぇ?」

 

「‥‥確かに、私が口を閉ざす必然というものも無い、か。しかし言葉を尽くすのも同様に意味がない。戯れ程度でよければ、相手をしてやってもよい。———但し、耐えてみせよ、私から言葉を引き出したいのならばな」

 

「ッ散開しろ!」

 

 

 矢のような速さで多数の獣が敵のコートの中、いや、ヤツ自身から飛び出してきた。

 先鋒を担うのは犬やオオカミ、そして既にヤツの体の中で加速を終えていたらしい鴉や小鳥。地上と空中の二方向から襲撃をしかけてくる多数の獣たちを前に、俺たちは式の号令で一気にその場からそれぞれ別方向に駆け出す。

 一瞬前まで俺たちが立っていた場所に殺到した獣たちによって地面はえぐれ、すぐさま追撃の魔弾(ケモノ)が装填され、飛び出してくる。

 今度は全方位が対象だ。コートの中からだけじゃなく、コートそのものからでも獣は出現できるらしい。

 犬やオオカミなどの攻撃的な獣だけではなく、今度は鹿やら牛やら羊やら、ありとあらゆる種類の動物が一切の秩序や法則なく手あたり次第に大量に、俺たちを狙って突進してきた。

 

 

「それでは先ずはっ! 貴方のお名前をお教え頂けますかしらっ! 宴の主催者のお名前を知らなくてはご挨拶も、できませんからねっ!」

 

 

 足元を狙って素早く這い寄る爬虫類を踏み潰し、飛びかかってきた猿を———恐ろしいことに———まったく勢いを緩めないままにバックドロップで処刑したルヴィアがオレンジ混ざりの金髪をかき上げて言う。

 正直もはや人間業じゃないんだけど、鮮やかで不適な笑顔を見せられるのは本当に‥‥その、すごいと思うんだ。

 

 

「‥‥我が名を知りたいと言うか」

 

 

 ざわり、と空気が揺らぐ。たった一人の、それこそ強大といえば間違いなく強大ではあるが、しかし一人の男によって、その威圧感は放たれていた。

 それは以前にも感じたことのある感覚だ。あの血煙薫る短い間の聖杯戦争の夜に出会ったサーヴァント達。あいつらとコイツは、同じような雰囲気をまとっている。

 

 

「———我は“混沌”。人は私をネロ・カオスと呼ぶ」

 

「ネロ・カオスですって?!」

 

 

 粛々と告げられた名前に、瞬間、ルヴィアの勝気な顔から血の気が引いた。

 どんなに危機的な状況だろうと顔色を変えない、そんな印象のある彼女が、名前を聞いただけでこうも容易く動揺する。

 乃ちそれは、危険度MAXの超危機的状況。世界の危機に迫る勢いの緊急事態。

 

 

「おいルヴィアゼリッタ、こいつが何者なのか分かるのか?」

 

「‥‥死徒二十七祖が第十位、“混沌”ネロ・カオス。簡単に説明いたしますと、世界に二十七人いる吸血鬼の王の一人ということですわ。

 詳しいことは存知ませんが、死徒二十七祖は一人の例外もなく人間が太刀打ちできるような存在ではありません。そのうちの一人が私の大師父である第二の魔法使い、死徒二十七祖第四位“万華鏡”キシュア・ゼルレッチ・シュバインオーグなのですから」

 

 

 死徒二十七祖。

 ロンドンに来て、最初に時計塔から受けた以来で吸血鬼に出会って以来、ロード・エルメロイの下で俺と遠坂、セイバー、ルヴィア、紫遙、そしてロードの直弟子の一人であるフラット・エスカルドスを交えた六人に対しての講義が開かれたことがある。

 吸血鬼とは真祖と死徒の二種類に分けられ、基本的に他の吸血鬼に血を吸われたり、魔術師が研究を通して成ったりしたものを死徒と言って、現在の吸血鬼はごく一人の真祖を除いて全員がこの死徒らしい。

 

 そして世界中に数多散らばる死徒の内、最初に真祖に血を吸われた者たち、乃ち原初の死徒達を『死徒二十七祖』と称する。

 当然ながら死徒が生まれてから千年以上の時が経つ以上は、何度か代替わりもあったらしいが、それでも全員が全員、世界最強クラスの強力な吸血鬼。

 一人で一つの国家を滅ぼすことすら可能な、俺たち人間にとっては埒外の存在だ。コイツらは俺たちが聖杯戦争で遭遇した、平均的なサーヴァントに相当する戦力を保持しているらしい。

 

 

「死徒二十七祖‥‥コイツが‥‥ッ?!」

 

 

 つまり、目の前の男は下手すればセイバーと互角の実力を持つ化け物だということ。

 だとしたら目の前で起こっている、次から次へと出てくる獣達にも、死徒が持っている固有能力ということで納得ができないこともない。

 ‥‥いや、だからといって対処策が思い浮かぶわけでもないし、実態が把握できるわけでもないんだけど。

 

 

「おい、コイツそんなにヤバイのか?」

 

「ヤバイなどという雑な言い方はあまり好みではありませんが、確かに奴は間違いなく危険な相手ですわ。私も噂にしか聞いたことがないのですが‥‥」

 

「‥‥前に二十七祖でもない只の死徒と戦ったことがある。それでも、姑息な策略に陥ったとはいえトンデモなく手強い奴だった」

 

 

 ドイツの片田舎、オストローデという地方都市で出会った死徒について思い出す。

 “不死身のルードヴィヒ”なる二つ名を持った歴戦の死徒。外物や、他の魂に対しての親和性が高く、剣や槍や斧を体に埋め込んで戦い、他者を体の内部に取り込んで命のストックとした、凶悪な吸血鬼。

 奴は確かに古参の死徒らしい、老獪さを身につけた恐るべき敵だった。しかし、それでも二十七人の王の中に数えられていたわけじゃあない。

 

 死徒二十七祖とは、純然たる格の違いの証だ。

 二十七人の吸血鬼の王と、その他の間には同じく純然たる違いが存在していると言われる。それは単に名前や称号というわけではなく、差が存在するからこそ称号の違いが生じたとも言えるらしい。

 最初は原初の死徒という名称だったそれが、現在においては力量の違いと同意となっている。これは、すでに完全に自立した事実となってしまっていると聞く。

 

 確かに俺たちは、何とか奴に勝利することが出来た。けれど、それはあくまで辛勝に過ぎない。偶然とか幸運とか仲間の助けとか、色々なものが重なったおかげで何とか勝てたに過ぎない。

 そもそも奴は強大な死徒だったわけだが、もし仮に目の前の奴が本当に死徒二十七祖の第十位だとすると、どれほどまでに手強い相手だということか。いや、そんな比喩のレベルを完全に超えていることだろう。

 

 

「そんなもんか? ‥‥ああ、そういや、生憎とオレは人外と殺り合ったことがなかったっけ」

 

「‥‥式って、どんな人間なんだ? 今更ながら俺、式のこと全然知らないわけなんだけどさ‥‥?」

 

「別に詮索されて困るようなものでもないけど、まぁ、今ことさらに口にするようなものでもない、か」

 

 

 さらりと『殺り合った』なんて口にする式に、背筋を冷たいものが這い上がる感触がした。

 そういえば式は紫遙の友人ってだけで、黒桐さんと一緒に倫敦に来てからこっち、ただそれだけで一緒に来ていたに過ぎない。

 いや、それ自体に権利がないとかいう問題が含まれているわけじゃないんだけど、ただ、俺としては彼女とは全然面識を深める余裕がなかったということ。

 正直な話、突然の出発といえばその通りだったから移動中も支度やら作戦会議やらで大変だったのだ。

 だから俺が式について知っているのは、退魔士をやっていて、倫敦にもある両儀流という古武術の跡取りだということだけだった。

 

 

「しかしまぁ、なるほどね。道理で“線”の見え方がおかしいと思ったぜ?」

 

「“線”?」

 

「壊れやすいように見えるんだけどな。なんか動物が出てくるときにはおかしな変化もするし、どうすりゃいいのか考えてたんだよ。

 ‥‥吸血鬼ってのは、別に不死身だったりはしないんだよな?」

 

 

 怖気づいたわけじゃないけど、相手の強大さを認識して一歩二歩下がった俺達に対して、式は一歩も退がることなく一番前で吸血鬼と相対していた。

 その式が、上から見下ろすようにこちらを振り向いて問いかけてくる。

 

 

「‥‥血を吸うことで“復元呪詛”という復元能力を使うことが出来るとされておりますわ。しかし基本的に人間に比べて殺しにくい存在なのは確かですけれど、決して不死身というわけではありません」

 

「そうか、それを聞いて安心したよ。まぁ殺せる確信はあったんだけど、な」

 

 

 漢らしい台詞と共に、ぶらりと無造作に垂れ下げていた右腕のナイフを逆手に握り倒し、肉食獣のように体を曲げ、構える。

 一切の気負いなく、自然体。倫敦の両儀流の師範も立ち居振る舞いからして違ったけれど、やっぱり跡取りなだけあって式の構えも綺麗だ。

 

 

「いいぜ、大体は理解した。吸血鬼っていっても生きてることには変わらないってわけだ。

 ならオレがすることも変わらない。目の前に殺す相手がいるなら、殺すだけだ」

 

 

 獰猛な構えの中にも、流麗さがある。

 名乗りすら上げることなく、彼女は縮めた筋肉を一気に解放して閃光のように駆け出した。

 

 

「‥‥なんと、我が六百六十六の群体よりも獣らしい」

 

「なんとでも言いな、吸血鬼。———フッ!」

 

 

 疾風を通り越した、閃光。

 いや、その動きから受ける印象は流水というべきかもしれない。視界から消え失せるわけではなく、ただ滑らかに、反応できない速度で疾る。

 目で追えないわけじゃないのに、それに対応することが出来ない。そこには純粋な速度ではなく、技巧による“速さ”が存在していた。

 

 

「———ッ?!」

 

「ッ確かに速い、しかしそれだけだな」

 

 

 一瞬のうちにシュプールを残して十メートル以上も先に悠然と立ちつくしていたネロ・カオスへと間合いを詰めた式が振るった刃は、しかし吸血鬼には届かない。

 吸血鬼自身に届くはずだった刃は奴自身から湧き出て来た一匹の‥‥象。そう、巨大なアフリカゾウによってその刃は防がれた。

 

 

「って、アフリカゾウ?!」

 

「なんという質量を無視した使い魔‥‥っ! というより、やはりこれは使い魔の域を超えておりますわっ!」

 

 

 如何に両儀流跡取りの式とは言えども、その得物はナイフ。目の前に突然現れた巨大な象が相手では分が悪い。

 それでも一体どういう理屈かは知らないけど、明らかに刃渡りが足りていないナイフで、式は何とか象までは両断してみせた。けれど、ネロ・カオスまで刃は届かなかった。

 

 

「使い魔以外の‥‥吸血鬼としての固有能力?」

 

「好きに勘ぐるが良い、人間。どのみち私に出会ってしまったからには、貴様達が辿る運命はただ一つ。最早この場の何処にも‥‥逃げ場などない、ここが貴様達の終焉だ」

 

 

 大きく薙ぎ払ったナイフのせいで隙を晒した式の横っ腹を、ネロ・カオスの体から恐ろしい勢いで飛び出た豚‥‥と思しき生き物が、俊敏な動きと熟練した武技に見合わぬ細い身体を吹き飛ばした。

 

 

「‥‥ちぃッ!」

 

「ほう、先ほどからも感じていたが、良い動きをする。人間としては最高クラスの肉体を持っているようだな、興味深い」

 

 

 吹き飛ばされた式はくるりと一回転して着地、無傷で再び戦闘態勢をとる。

 ここに来て俺たちも、着地後にできる一瞬の隙を埋めるように式の両脇へと移動し、陣形をとる。コンビやトリオを組みなれた遠坂やセイバーと違ってルヴィアと一緒に戦うのはこれが初めてだけど、流石というべきか、俺と式の意を汲んで適格に動いてくれた。

 

 

「‥‥なるほど、そのナイフは概念武装か?」

 

「概念武装? そんな大したもんじゃあないよ、これは」

 

「解せぬ。我が獣を一刀両断してみせる技、単純に技巧と断ずるには不可解だが‥‥」

 

「ハ、なんだ意外に物知らずなんだなアンタ。いいぜ、じっくり見せてやるよ、好きなだけ考え事してな」

 

 

 続けてネロ・カオスの体から現れた数多の獣を、触れる傍から当たるを幸い斬り飛ばしていく。

 吸血鬼はその長身である体躯と歩幅を生かして大きく後退し続けながらひたすらに獣を生み出し続けていて、式はそれをひたすらに追い続ける。

 

 

「くっ、一人で突っ走るなよ式っ! ルヴィア、援護を頼む!」

 

「了解いたしましたわ! ミス・リョウギとシェロは後ろを気にせずネロ・カオスを!」

 

 

 背後と側面から迫って来ていた獣が炎の爆発に巻き込まれる。ルヴィアの投げたルビーの効果だろう。遠坂と違ってルヴィアの投擲は正確だ。

 遠坂が大粒の宝石ばかり使う———使わざるをえない———のに対して、ルヴィアはどちらかというと小粒の宝石を何の惜しげもなしにばら撒く戦い方をする。

 その分だけしっかりと狙いをつけて、適格に宝石を使っていくのが得意なのかもしれない。まぁ、推測だし、こんなの遠坂に言ったら大変なことになるだろうし。

 

 

「いくぞ、投影二連‥‥喰らい付けッ!」

 

 

 数えるのもバカらしくなるぐらい大量の獣を使役する相手に、寡勢での長期戦は不利。

 両手に持っていた双剣、干将莫耶を投擲、間合いを潰そうと今まさに飛び掛からんとしていた獅子の顔面に突き立つ。

 

 

投影開始(トレース・オン)、憑依経験、共感終了。

 工程完了《ロールアウト》、全投影《バレット》待機《クリア》。

 式、周りを気にせず突っ込め!」

 

 

 一瞬しか送れなかったはずなのに、既に二歩ぐらいは先んじて背中をこちらに見せる式へと叫ぶ。

 久々にかなりの負荷をかけた魔術回路が熱を持ったかのように悲鳴を上げるけど、普段から日常的にやっているように、意志の力で捻じ伏せた。

 

 

「———停止解凍(フリーズアウト)、全投影連続層写《ソードバレル フルオープン》ッ!!」

 

 

 二十七の回路全てが激しく火花を散らして———イメージに過ぎないけれど———魔力を迸らせ、頭の中で紡いだ設計図(イメージ)の通りに、空中に二十七の剣が現れる。

 投影した剣の軍団は、とても宝具などとは呼べないけれど、相手が吸血鬼であることから多少の魔力がこもった品を用意した。

 二十七、という数は少ないように聞こえるかもしれないけれど、実際に目の前にしてみれば決して少ないわけじゃない。むしろ、針の山と言っても良い。

 ましてや弾丸よりも遥かに大きな剣が、戦闘機のように宙に浮いているのだから、圧迫感は尋常じゃないはず。

 その二十七の剣群が、式の目の前で壁を作っていた熊やらサイやら大鷲やらに殺到し、屠殺する。

 

 

「何ッ?!」

 

「いい仕事だ、衛宮!」

 

「今だ、突破しろ式———ッ!!」

 

 

 二十七の剣群が式の前に立ちはだかっていた獣をまとめて掃討、本体であるネロ・カオスまでの道が開けた。

 式が持っている謎の、よくわからない力。どんな獣でも一撃で一刀両断にする力を持っている式が攻撃の要になると、俺は直感的に悟る。

 だからこその、この活路。如何にネロ・カオスといえども途切れなく制限なく、次から次へと獣を生み出せるわけではない。だから一気呵成に敵数を減らして、式のための血路を開くのだ。

 

 

「覚悟しろ吸血鬼‥‥!」

 

「小癪! 下等な人間風情が‥‥我が血肉となるが良いっ!」

 

「式!」

 

 

 大型の強力な猛獣を出すには間に合わなかったようだけど、それでも意地か、ネロ・カオスはコートの内側から何羽もの鴉を召喚する。

 目は真っ赤に光り輝き、嘴は鋭く、槍のように尖っていた。まるで鏃だ、いくら鴉でも、あれが直撃したら痛いじゃ済まされない。式は大きく身体を捩って何匹かを躱し、残りは右手のナイフで斬り払う。

 

 

「よくぞ躱した‥‥が、残念だったな、目論見が外れて」

 

「ふん、そうでもないさ‥‥」

 

「‥‥む?」

 

 

 ゆらり、と式の身体が貧血でも起こしたかのようにフワリと傾ぐ。

 あまりにも自然なその動き、当然のことながら決して貧血なんてものじゃないし、足を縺れさせたわけでもない。

 

 横へとスライドした式の背後から、一瞬の隙を突いて突進。

 両手に構えるのは数年の間にすっかりと愛剣となった干将莫耶。完全に手になじんだ双剣を両手に、姿勢は低く、大地を舐めるように駆ける。

 

 

「くっ、貴様っ?!」

 

「おおおおぉぉぉぉぉぉ!!」

 

 

 身体を大きく捻り、駆けて来たスピードと足から伝わる全ての力を上半身へ、胸へ、肩へ、腕へ、そして手首の先の剣へと伝達させる。

 単純に斬るのではなく、こうして全身の力を伝えることで斬撃の威力は途方もなく上がる。

 いくら相手が吸血鬼とはいえ、式に集中していた状態で、その背後から急襲してきた俺に咄嗟に対応するのは難しいはず。

 自分の一瞬前の判断を信じて、突進する。

 

 

「喰ら、えぇぇ!!」

 

 

 急所を守るように前に出した右腕を左手の干将で斬り払い、ガラ空きになった胴体を右手の莫耶で袈裟がけに斬りつける。

 確かな感触。完全に不意を突いた斬撃は刃渡りいっぱいに猛威を振るい、ネロ・カオスの体を両断‥‥とまではいかずとも、かなりの深手を負わせた。

 

 

「やったか?!」

 

「いやダメだ、跳べ衛宮ッ!」

 

「なっ———うわぁぁあ?!」

 

 

 確かな感触に振り返り、戦果を確認しようとした瞬間、式の叫び声が聞こえるや否や脇腹に鈍痛を感じ、俺の体は痛みを感じたのとは真逆の方向へと恐ろしい勢いで吹き飛んだ。

 

 ぐわんぐわんと痛みに揺れる視界で確認すると、俺が今さっきまで立っていた場所から少し離れた場所に、足を振り切った姿勢から更にステップを踏んで間合いをとったらしい式の姿。

 そして俺がいた場所そのものには、体を大きく破損した状態のネロ・カオスの体から飛び出した、大大きな顎を今まさに閉じた状態の鰐の姿があった。

 

 

「何———ッ?!」

 

「‥‥良い斬撃だった、人間。しかし、やはり貴様らでは私をコロスことなど出来ん」

 

 

 再び戦闘体勢をとった俺たちを小馬鹿にするかのように、ネロ・カオスは両断されたままの体で凶悪な笑みを浮かべる。

 ‥‥バカな、いくら吸血鬼が相手だとしても、ここまで決定的な傷を受けて笑っていられるなんてありえない。人体の構造なんてことを吸血鬼相手にk血合いするわけじゃないけれど、それでもこれは不可解だ。

 何せ俺の持っている双剣は紛れもない宝具で、流石に聖堂教会の代行者が使う黒鍵のような対吸血鬼用の武器じゃないにしても、秘めている神秘は桁外れ。

 宝具としてのランクは低いとはいっても、それでもまともに斬られて平気な顔をしていられるような代物じゃない。

 

 

「その剣、現存する宝具か。何者かは知らぬが、たいした武器を持っているな、小僧」

 

「嘘でしょう?! いくら何でも宝具で斬られてダメージが無いなどということはありえませんわっ!」

  

 

 ルヴィアが悲鳴じみた声を上げ、それを聞いたネロ・カオスはさらに笑みを深くした。

 渾身の一撃を防がれたことに、憤りとかそういう個人的な感情はない。けれど、そこには間違いなく驚愕が存在している。

 無傷‥‥いや、それはあまりにもおかしいだろう。俺自身の技というならともかく、相手は宝具なのだから。

 

 

「いや、貴様の言うところのダメージならば存在している。現存する宝具‥‥私も想定していなかった。

 しかし貴様たちと相対する“ワタシ”をいくら傷つけても、意味はない。‥‥このようにな」

 

「な‥‥ッ?!」

 

 

 口を開いたネロ・カオスの体が、液体と化してドロリと溶ける。

 気が付けば、いつの間にやらネロ・カオスの足元には池のような黒い泥の塊ができていて、そこに式や俺に斬られた獣たちが集合している。‥‥泥となって。

 

 

「‥‥どういうことですの」

 

「我は“混沌”、ネロ・カオス。

 この混沌たる我が身は個にして個にあらず。群にして群にあらず。

 乃ち我が身は一つの混沌であり、貴様らが目前にいるワタシは群の、いや、泥の中の一雫に過ぎん。例え傷を負い、戦うことが不可能になったとしても、また混沌の中へと戻れば良いだけの話」

 

「なん‥‥だと‥‥ッ!」

 

「我は個ではなく、六百六十六の獣の集合体。全てが個であり、個が全て。

 故に私を倒したければ、六百六十六のワタシ全てを一度に滅ぼさなければならない。表層に出てきている数百の獣の壁と、その内側にいる数十の幻想種、そしてネロ・カオスという吸血鬼自身をもな‥‥」

 

 

 一瞬だけ発生した思考の空白。そしてその後に訪れたのは、絶望にも近い色を含んだ驚愕の波濤。

 相手が必ず事実を言っているわけではないだろう。しかし一抹の真実を含ませているだろうことも、口調から予想出来る。仮に虚言を口にしていたとしても、すなわち正攻法が通じない相手だということには変わりない。

 

 

「‥‥奴の体から絶えず湧き出で続ける獣を押しのけるだけの威力を持った広範囲攻撃、それも獣だけではなく、吸血鬼である奴自身の強靱な肉体と魂をも殺し尽くすだけの威力でなければならないと、そういうことですわね」

 

「俺の投影できる宝具でも、そこまでの威力は‥‥」

 

「‥‥ビームみたいなものでも、撃てばいいってのか? バカバカしい」

 

 

 おそらくルヴィアの条件に一致する宝具なんて、『約束された勝利の剣(エクスカリバー)』ぐらいしか考えられない。

 けど、あれは俺には過ぎた宝具だ。星が作った兵器なんて、人間に過ぎない俺には少々手に余る。

 だとすると他の宝具に頼らなきゃいけないけれど‥‥正直、俺の中にある剣の丘には、それだけの威力を持った宝具は他に『偽・螺旋剣(カラドボルグ)』ぐらいしか見あたらなかった。

 

 

「さぁ、喰らえ」

 

「みんな避けろッ!!」

 

 

 とぷん、と泥に潜ったネロ・カオスが次の瞬間には、元通りの姿で浮き上がって来る。

 そして再び奴の体から飛び出してきた獣の群れを前に、ルヴィアも式も、俺の叫び声を聞くまでもなく飛び退って各々戦闘態勢をとった。

 

 

「これはまた、正真正銘の化け物ですわね! 貴方のような大物が、何故このような片田舎に‥‥?!」

 

「確かに、私自身も想像してはいなかった。このような茶番に駆り出されるとはな、耄碌したものだ。いや、状況がこうさせたと考えるならば、それはもはや私自身にはどうしようもない世界の流れなのかもしれぬ」

 

「‥‥何を言ってやがる?」

 

「貴様らは何を聞きたい? 私がこの、極東の島国に来ることになった理由か? それとも私が、いや、“貴様らがこの場所にいる理由”か?」

 

「ッ?!」

 

 

 一瞬途切れた獣の波濤、その間から重要な台詞を口にした。

 しかしすぐにまた現れる獣の弾丸に、問いただす隙は消えて失せる。相手は動物とはいえ、まうで軍勢だ。こんなもの、たった三人で相手にする敵じゃない。

 

 隙を見て弓を投影して矢を放つけど、それでも刺さった矢は何事もなかったかのように抜けてしまう。

 ダメージが無かったわけではないだろう。けれど、刺さった端から傷が治る‥‥いや、泥で埋められていく。

 仮に『偽・螺旋剣(カラドボルグ)』や『赤原猟犬(フルンティング)』を使ったところで、一欠片でも残ってしまえば再生するに違いない。

 それに威力の大きな宝具を使う時には、魔力の充填が必要だ。決して長い時間ではないけれど、それでも獣の軍勢が相手では簡単にいきそうにはないだろう。

 

 

「私とて、今の状況を理解しているわけではない。私の主観時間においては、連続した時間の中にいるように感じていた。

 当初の目的と、貴様らとの遭遇は全く違う。予期していなかった‥‥と言い切っても構わん。そこに何者かの思惑が介入していることは感じるが‥‥どういうことなのだか」

 

「‥‥?」

 

「いわば今の私の存在は、自然災害のようなものなのかもしれん。ただ現象として存在する‥‥それも、ネロ・カオスというキャラクターではなく、パーソナリティを召喚したのだと」

 

「ぱーそ‥‥なりてぃ?」

 

「そこまで貴様ら人間に説明してやることもなかろう。貴様らに出来ることはただ一つ、我が血肉となり果て、自らの足を食み、自らの脳漿を啜ることである」

 

 

 例えば強大な魔力とか、例えば広範囲を襲う回避不可能な範囲攻撃魔術(マップ兵器)とかは、分かり易い戦力の差だと思う。セイバーみたいに、抜群にずば抜けた騎士とかも個人戦力として侮れないと、いつかセイバー自身に戦術指南を受けた時に教わった。

 けれどネロ・カオスはそれとは百八十度違う方向に特化した戦力だ。

 すなわち物量と、不死性。どれだけ一個一個が弱小な存在だったとしても、相手側の物量が自軍の十倍を超えているとなると相応の苦戦を強いられる。

 

 戦闘、という点において俺よりも遙かに勝る経験を持つらしい式がアシストとして突破口を開き、そこを狙って俺が矢を打ち込んだり直接に斬り込んだりするが、全く効いた様子はない。

 

 それも当然、前提条件からして真っ向からのぶつかり合いでは倒せるはずのない相手なのだ。

 ‥‥本来ならば、それがどれだけ腹立だしいことではあったとしても、尻尾巻いて逃げ出すのが最良の判断ってもんだろう。

 猪突猛進は悪い癖だって、さんざん遠坂からも言われたしな。状況判断はこの二年ぐらいの間に、随分とまともなレベルに達しているだろう。‥‥それを許容できるかどうかは別として。

 

 

「———けど、逃げられねぇんだよなぁ!!」

 

「当然だ、先に行ったはずだぞ? ———逃げ場などない、ここが貴様らの終焉だと」

 

 

 純粋に戦力だけを比べるなら、突破するのは不可能じゃないかもしれない。俺と式が先頭に立って両側面の敵を駆逐し、その穴をルヴィアの爆撃で広げていく。これが王道の戦術だろう。

 けれど戦場の離脱を敢行しようとするならば、ネロ・カオスの体から飛び出した足の速い猛獣や猛禽類たちに足止めされ、その隙に鈍重な大型の獣たちで壁を作られてしまう。

 ‥‥なんとも考えられた布陣だった。正直、本当に正攻法では勝ち目がないだろう。

 

 

「くっ、本当にキリがございませんわね‥‥ッ!」

 

「ルヴィア、宝石の残りは大丈夫か?!」

 

「万年貧乏性のミス・トオサカと一緒にしないで下さいませ! ‥‥とはいえ小粒の宝石の残りが少ないですわ。先までのように、穴を広げるために無駄撃ちするような数はございませんわよ!」

 

「ちくしょう、これじゃジリ貧だ! どうにかならないか‥‥!」

 

 

 ばったばったと獣を薙ぎ倒し、もはや単騎でいったいどれだけの獣を屠ったことか。

 それでも敵の数は衰えるところを知らず、否、むしろ今までよりも遙かに勢いを増して俺たちを攻め立てる。

 相手は無限。数というよりも、藤ねぇやロード・エルメロイが時々持ち込んでくるSTGゲーム風に表現するなら、残機が無限とでも言うべきか。

 そんな奴相手に、残弾制限がある俺達が長期戦を挑んでは、勝ち目がないのも自明の理。なにしろ相手は、死ぬ度に残弾がリセットされるようなものである。

 

 正直、自分でも口にしたように完全なジリ貧状態だ。

 思い返せば聖杯戦争の時だって、こんな消耗戦を強要されることは殆ど無かったように思える。例えばギルガメッシュとの戦いだって、結局のところ俺が終始攻めの姿勢を崩さなかったしな。

 

 じりじりと、自分の神経を制御する集中力が削れていくのが分かる。

 果てのないという紛れもない事実が、存外に精神に対しての消耗を強いているんだろう。とにかく普段の稽古よりも、疲れる。世界最強レベルのセイバー相手の修行なのに‥‥って、よく考えたら今目の前に対峙しているネロ・カオスだって、間違いなく世界最強レベルの一角だったか。

 

 そういえば死徒二十七祖の第十位から先は、全ての死徒が何らかの方法で不老不死を実現していると聞いた記憶がある。

 もちろんそれが確かな情報かどうかは分からない。けれど、それなりに素因票聖があるというのも事実だ。何せ連中、数百年なんて年月は軽く超えるぐらいの神秘を単独で積み重ねてやがる。数百年以上の噂は、もはや一抹の真実を含んでいてもおかしくない。

 

 

「‥‥もう我慢できないな」

 

「え?」

 

 

 手札は、ある。けれど、それを切ることの出来るタイミングが無い。

 そんな状況に不安を感じ始めた頃、式が辛抱堪らんといった様子で口を開いた。

 

 

「衛宮、さっきまではオレが援護してたけど、逆にするぞ。オレが前に出るから、お前は小物がオレに近づかないように援護しろ」

 

「ど、どういうことだよ式?!」

 

「このままじゃ埒があかないって、言ったのはお前だろ?

 オレも我慢の限界だ、そろそろ決着を付けようと思ってさ。衛宮には任せておけないから、オレが手本を見せてやるよ」

 

 

 雰囲気が、変わる。

 式がその身に纏っていた雰囲気が一変し、まるでその場を冷徹に支配するかのように染み出して来る。

 まるで今までの戦いは様子見、児戯だったとでも言いたげに、ネコ科の猛獣のようだった式の体が弛緩して、捉えようもないぐらいに脱力。

 一歩、一歩の歩みには一切の重量を感じられず、その体は空気と同化。

 ゆっくりと持ち上がる腕も同様に質量を消失、それはゆらりと空気の揺らめきであるかのように、意識を集中させなければ見て取れないほどに自然な動作。

 

 

「ぐ‥‥おぉ———?!」

 

 

 ここまで、式の動いた軌跡を辿ることしか、俺たちには出来なかった。

 すべては式が動き終わってから、辛うじて『その事実が存在したのだ』と認識できる程度。

 決して早いわけでも、速いわけでもない。爪先の端から頭髪の先まで、全身が自然に稼働してこそ可能な神業。

 

 自らの発言により一瞬だけ膠着、固体化した空気の隙間を進んでいく気体。

 今までは固体と固体、百歩譲っても液体と液体のぶつかり合いだったのだから、それに比べれば気体と化した式が先へと進むことの何と簡単なことか。

 

 

「———なんだ、殺せるじゃないか」

 

 

 完全に虚を突かれたネロ・カオスは式に懐までの侵入を許し、わずかに回避が遅れる。

 その分だけ式の刃は届く。本能に迫られて飛び退さったネロ・カオスの左手の指が、軒並み式の刃によって斬り飛ばされた。

 

 

「不死身だの軍勢だの何だの言うから試しに斬ってみりゃ、言うほど大したもんじゃあない。やっぱりお前は、死人が寄り集まっただけの無様な存在だよ、吸血鬼。

 だって、ほら、“こんなにも脆い”」

 

「人間‥‥貴様、何をした———ッ?!」

 

 

 すぐさま泥に戻って、塞がれるはずのネロ・カオスの傷が、塞がらない。

 未だかつて遭遇したことのない事態なのだろう。自らの傷口を目にしたネロ・カオスが浮かべたのは、驚愕と称するには生温い凶相だった。

 

 

「何をしたって、殺しただけだよ」

 

「殺‥‥す‥‥?」

 

「オレには線が見えるんだ。それはモノの壊れやすい線みたいなものでさ、そこを刃物とか、そういうものでなぞってやれば、殺される(コワレル)のは自然の摂理ってもんだろう?」

 

 

 反撃を警戒して間合いをとった式が、手に持ったナイフで虚空をなぞって見せる。

 きっと彼女には言葉の通り、すべてのものに“線”が見えているのだろう。そしてそれをナイフでなぞると‥‥なるほど、さっきまでアフリカゾウなんて明らかにナイフの刃渡りよりも大きな相手を両断してみせたようになると。

 ‥‥なんだそりゃ、俺が言うのも何だけど、人間が持てる能力の範疇を超えてるぞ?!

 

 

「まさか貴様、それは『直死の魔眼』‥‥ッ?!」

 

「なんだ、知ってるんじゃないか。前言は撤回してやるよ、吸血鬼。アンタ意外に博識だ」

 

 

 ヒュン、と手に持ったナイフを一回転、順手から逆手に持ち替える。

 即ちそれは戦闘態勢の証。ゆらりと、また式の体が空気に同化していく。

 

 

「‥‥さぁ殺し合おうぜ吸血鬼。オレの刃は、アンタに届くぞ」

 

「戯くな人間‥‥! この身は混沌、ネロ・カオス。原初の秩序たる混沌の沼、斬れるものなら斬ってみろッ!!

 知るがいい、我が系統樹には貴様らの想像を遥かに凌駕する幻想種が存在していることを‥‥!」

 

 

 もはや油断は誰にだって存在していない。

 ネロ・カオスの体から、蜘蛛と蠍と蟷螂と、とにかく凶悪な風貌をした昆虫が幾種類も組み合わさったような巨大な化け物が姿を現す。

 

 あれはネロ・カオスの中に渦巻く獣の因子が組み合わさって生み出された化け物。確かに、俺たちの紡ぎ得る幻想の範疇を優に超えた正真正銘の怪物だ。

 この世に存在しない、いわば敵対心と恐怖の権化。ネロ・カオスという吸血鬼が俺たちに向ける敵意のすべてを凝縮したら、ああなるんだろうか。

 『無限の剣製(アンリミテッド・ブレイド・ワークス)』を使って、なお勝てるかどうか分からない化け物が、一匹、いや、さらに次々と湧き出てこようとしている。

 

 

「‥‥おい衛宮、ルヴィアゼリッタ」

 

「何か言いたいことでもございまして?」

 

「流石にあんなキワモノが飛び出してきちゃ、オレも真っ向から突撃するわけにもいかない。援護を頼む」

 

「へぇ‥‥式からそんな言葉が出るとは」

 

「なんだ、オレのことそんなに知ってるわけじゃないだろうに、なんだよその言いぐさは」

 

「いや別に、ただ式ってそういうタイプの性格してるように見えなかったからさ‥‥。それがどうってわけじゃあないよ、むしろ安心した。任せてくれ。

 式の両サイドにはアリ一匹通さないさ。何が何やら分からないけど、とにかくネロ・カオスは任せた!」

 

「‥‥はぁ、直死の魔眼とやらが何なのか、疑問符は尽きないところではありますが。しかしショウと旧知の仲である貴女がそう仰るなら、一つ賭けに乗ってみましょう。出し惜しみは致しませんわよ、エレガントにエーデルフェルトの実力を見せつけて差し上げますわ」

 

 

 本気になったネロ・カオスが相手では、さっき神業を見せつけてくれた式でもキツイだろう。

 だからこそ、ここは俺たちが、今度は代わりに式の為に血路を開く。正直まったく意味が分からないけれど、それでもネロ・カオスに届くらしい式の刃を、奴の懐まで送るために。

 

 ただ目の前の敵を排除する。

 その時の俺たちにはそれしか考えるところがなかった。なにせ目の前の敵を何とかしなければ、命が危ない。どれだけ相手は危険だったし、俺たちにも余裕はなかった。

 

 けれど、そう、俺たちの最初の目的は浚われた紫遙の救出だったはず。

 つまるところ今の俺たちは、俺たちがおかれた状況をしっかりと理解するべきだったんだ。‥‥もちろん、今の状況がそれを許さないだろうというのは、簡単に想像できることだが。

 

 

「———ああそうだ、こんなところで手間取ってる場合じゃないってのによ‥‥!」

 

 

 すでに慣れた弓の投影をゼロコンマ秒でこなし、疾風のように進む式の側面から這い寄って来た巨大なトカゲを貫き倒す。

 横でルヴィアがエメラルドを投げて突風を巻き起こし、地面が海であるかのように飛び出してきた、全長が軽く8メートル、あるいは10メートルもあろうかという巨大な人喰い鮫(ホオジロザメ)をズタズタに引き裂いて宙に撒き散らした。

 

 

「ですわね。身動き取れない程度に痛めつけて、色々と吐いて頂きますわ!」

 

「やってみせるがいい、六百六十六の獣を乗り越えて、な」

 

 

 暗闇に光る無数の瞳。

 それが俺たちを喰おうと敵意を向けてきている。殺される、ではなく捕食される。これには生物としての根源的な恐怖が存在していた。

 けれどその恐怖を押し込め、俺は弓を握る手に力を込め、続けざまに投影した三本の矢を一直線に放つ。

 

 目の前にいるのは強大な吸血鬼。世界最強の一角。

 けれど俺は、俺たちはこんなところで死ぬわけにはいかない。やらなければならないことが、まだ山ほどあるんだ。助けなきゃならない友人がいるんだ。

 

 圧倒的な咆声を前に、三人は駆け出す。

 それはたとえて言うならば、魔王に立ち向かう勇者のパーティ。

 ‥‥まぁ、そこまで格好良くはないだろう。けれど、少なくとも候補に挙がるぐらいには十分な光景だったんじゃないかと思う。

 

 何しろホラ、俺たちが勇者かどうかは置いておいても、

 

 相手は間違いなく、

 

 魔王と称されてもおかしくないバケモノだったんだからさ。

 

 

 

 

 81th act Fin.

 

 

 

 

 


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