side Toko Aozaki
「‥‥ふぅ、今日は少し呑み過ぎたな」
魔術師たるもの、酒は呑んでも飲まれるな。例え酔っぱらっていても思考は正常に回るし、足がよろめくこともない。
ただ少しばかり意識に靄がかかったようになって考え事が面倒になったり、注意していないと道を間違えてしまったりするぐらいだ。
十分酔っぱらっているって? 馬鹿言え、これが普通の人間だったら今頃そこら辺でマグロになっている酔っぱらい共と同じように無様にへたり込んでいるさ。
ある程度な、自分の肉体を制御出来ないようでは魔術師とは言えん。もちろん魔術回路に魔力を流して、なんて反則を使うという意味ではないぞ?
「しかしまぁ、久しぶりに外に出たのだから少しぐらい羽目を外したところで罰はあたるまい。いかに研究者といえども日がな日中篭りっきりでは体に障る」
人形弄りに夢中になるあまり、暫くは保存食ばかり摂っていた。これはよくない、よくないが‥‥一度こうなるとどうしようもないのだから仕方がないのだ。
それに別段食通を気取るわけでもないが、普段の生活からあのようなゲテモノで済ませるつもりもない。
篭るのが終われば無理をさせた体‥‥主に胃袋へ餌を与えてらねばならんだろうし、私自身としても些か舌に違和感を覚える。
先程も言ったが、私は食通を気取るつもりはない。だが同時に、食事を適当にばかり済ませてもいられないのでな。
「‥‥それにしても鬱陶しい雨だな。昨日の予報では晴れだったというのに‥‥。まぁ傘は持っていたから問題はないのだが、どうにも気に障るな」
先程までは霧のような、それはそれで鬱陶しい雨だったが、今は傘に重みを感じる程の豪雨だ。
傘は十分に大きいが、それでも道路で跳ね返った水しぶきが足下を濡らす。
アルコールを摂取したがためにやや浮いているような独特の感覚があるが、現実は現実。明日になる前にしっかりと処理しておかなければ痛んでしまうだろう。
まったく最近はいいことがない。先日の青子との目出度い百回目の姉妹喧嘩は痛み分けに終わり、私の使い魔は潰されてしまった。
青子の方が私より怪我が酷いだろうが、それでもアイツの人外じみた回復力なら数週間もしない内に元どおりだろう。
それにひきかえ私は軽い怪我で済んだが、使い魔は二度と使い物にならん。
あの取って置きに匹敵するぐらいの使い魔を新しく作り直すには数ヶ月以上はかかるに違いない。
作るだけなら面倒はない。既にシステム自体は完成している。
問題は材料の調達で、あれを用意して使えるようにするまでだけでかなりの時間が消費されてしまう。
‥‥あぁ忌々しい!
魔術師たるもの自分が最強である必要はない。
自分で足りなければ他所から持ってくるのが魔術師のやり方である以上、最強な何かを用意するだけの話だ。
だがな、やはり青子と殴り合い———私がしているわけではないが———をしていると、アイツのような戦い方が羨ましくなる時もたまには、ある。
本当にたまにだ。一時の気の迷いに、と言い換えてもいいかもしれん。
私とアイツとは重なる部分が何もない。魔術にしても、魔法にしてもな。
アイツが魔法で、私が魔術。アイツは自分自身で戦うならば、私は使い魔に戦いを任せる。
一般的な姉妹というものが全く分からないために一般的でないのかどうかは分からないのだが‥‥いや、度々殺し合いをするような姉妹が一般的であるはずもない、か。
「ふん、いったい何処から間違えてしまったのかな。あいつが蒼崎を継いで魔法使いに成った時か、いや、あいつが魔法使いに成ったのが先だったか? 私が祖父をブチ殺したから‥‥なんてことはあるまいが。‥‥何にせよ忌々しいことだ」
既に記憶も確かではないし、今では想像も出来ないことではあるがが、昔は仲が良かったはずである。
仲が悪ければ互いの性格上、最初から殺し合いをしていたはずなのだ。そんな記憶はないから間違いなく某かの契機やきっかけが存在したはずだ。
「とはいっても仲良く遊んだ記憶というのも無いわけだがな。‥‥あぁダメだ、今はそんなこと考えるだけで虫ずが走る」
仕方がないことではある。
そもそも私はあまり過去のことを頭の中に残しておかない性分だから昔、学院時代よりも更に昔の記憶の棚なんぞ錆び付いて開かなくなってしまっている。
加えて私は———今になって思えばこれまた忌ま忌ましいことであるのだが———祖父達の期待に応えるべく魔術の修業に思春期以前の殆ど全てを費やしていたといっても過言ではない。
が、今になってよく考えてみれば、魔法という奇跡は必死になって習得しようとするくらいで手にすることができるようなものではなかったのだ。
運命などという陳腐な言葉は私も好かない。だが思うに、おそらく最初から選ばれた者のみが魔法を手にすることができるのだろう。
もちろんコレは才能とやらに胡座をかいていいという話ではない。努力すれば成功するなんてのは都合の良い幻想だが、成功した者は須らく努力しているなんてのは誰の言葉だったか。
クク、既に根源の探究を諦めてしまった私にお似合いの、負け犬同然の台詞じゃないか。
「‥‥いかんな、私らしくもない。他虐嗜好ならともかく自虐趣味はなかったはずなんだが。まぁ、自嘲ならば似合わんこともないだろうが、フン、どちらにしてもこんな無様な考えが湧いてくるあたり思ったより酔いが回っているらしい」
久方ぶりだった姉妹喧嘩と強い酒が、とうの昔に置き去りにしてきたはずの記憶や感傷を呼び起こしたのか。まったく、酒は呑んでも飲まれるなとはよく言ったものだ。
シュボ、と小気味良い音を立てたライターで咥えた煙草に火を点けて、アルコールで火照った脳をすこしだけ冷まして自嘲気味に笑う。
「たいした量は呑んでないのだが‥‥ふ、私も歳をとったのかもしれん。まだまだ若いつもりではあるのだが、青子のヤツはちっとも昔と変わらんしなぁ‥‥」
魔法使いについて詳しいことは、おそらくは全ての魔法使いとその関係者の中でも最も近い位置にいる私ですら殆ど分かっていない。
あいつが使う魔法の概要すら掴めていないのだから、つまるところ私が魔法に辿り着けなかったのも当然のことなのだろう。
そもそも学ぶ対象を理解せずに学んだところで辿り着ける道理があるだろうか。後々になって見返してみれば如何にも滑稽である。
「本当にどうしてこんなことをしているのやら。惰性というやつなのか? だとしたら惰性なんぞで殺し合いを続けている私達は相当な物好き、というよりは物ぐさということになるが」
確かに青子が魔法使いになり蒼崎を継ぐのだと聞かされた時、私は未だかつてない程の怒りに駆られて祖父を殺した。
しかし良くも悪くもあのときの私は若かったのだ。それこそ激情に簡単に行動を左右されてしまうほどの、な。
確かにあの当時の私は自分が蒼崎を継ぐのだとばかり思っていて、だからこそ全てが許せなくなり家を飛び出したさ。
しかし今になって思えば、少なくともあの当時の修練の日々こそが今の私の下地を作っていることは間違いない。
そして昔よりも遥かに冷静に動くことができるようになった私の頭は、決して魔法使いになれなかったことを、魔法使いになった、なってしまった青子を、そこまで憎んでいるわけではないのである。
この辺りは非常に難しくてややこしい話で、決して割り切れているわけではない。ただ冷静に考えることができるようになったというだけだ。
青子に対する蟠りは紛れもないものであるし、相変わらずあいつのことを考えると無性に苛々する。
だが冷静になって考えてみれば、その感情が生じる所以であるところの確たる理由が分からない。そうなれば自然と落ち着いていくのもまた道理。
もちろん相対すればまた理由もなく再燃して殺し合いを演じることになるのだろうが、まったくもって不思議なことだ。
「‥‥そういえば嫌がらせにあいつの名前で協会から金を引き出していたが———」
普通なら、できない。いくら私が自他共に認める封印指定の魔術師であったとしても、言うなれば銀行に行って名前を騙るだけで、身分証明もなしに他人の口座から金を引き出すということで、まぁまともに考えてまかり通るはずがない。
だというのに私が容易に金を引き出せているという事態は、一体何を表しているというのだろうか。
私は封印指定の魔術師としては比較的新顔で、魔術貧乏である極東の島国出身の日本人ということでそれなりに名前を知られている。
つまり青子の口座から金を引き出すということは、そのまま私の居所が知れるという可能性を孕んでいるのだ。
「‥‥まさか、あれが青子なりの甘え方だとでもいうのか?」
青子が時計塔で騒げば調査がなされ、自ずと何処で誰がどのように金を引き出したのかが判明するだろう。
にも関わらず今の今になっても私の住み処に封印指定の執行者が現れていないということは、乃ち青子が自分の口座から金が消えていく事態を黙秘しているということを指す。
だとすれば、これは、ひどく、そう、あまりにも荒唐無稽な考えではあるのだが、もしかしたらそれこそが青子が示す態度の一環なのてはないか。
「あぁダメだ怖気が走る。‥‥つくづくいかんな、今日はどうにも調子が悪い。酒が変な具合に回ってしまっているらしい。これはとっとと帰って水でも飲んで、さっさと寝てしまうに限る」
あまりにも恐ろしい考えに及び、身震いしてしまう。よほどキてしまっているに違いない。
そんなことを考えながら大股に歩いていると、パシャリ、と足下で存外に大きな水たまりが音を立てた。
注意力が散漫になって普段なら絶対にやらないような無様を晒している。これで周りに人がいないからいいものを‥‥まぁ別に視線を気にするような性格もしていないのだが。
やれやれ、靴の中に水が入ってきているぞ。これは帰ったら乾かす手間がかかってしまうな。
一応靴の調子を見ておこうと真っ直ぐに前を見ていた視線を足下へと移し———そこで私は今後を左右するトンデモないものに出会ってしまった。
「‥‥なんだ、これ、いや、こいつは」
私が足を止めたのは丁度ビルとビルの間を横に見る歩道で、夜遅くだから通行人は少ないにしても、車道では盛んに車が行き来している。
そして私が視線を足下へと移すその間に視界に入ったビルとビルの隙間の、僅かに人一人が歩くことができるであろう空間に、何か黒っぽい物体が這い蹲っていた。
気になって近くに寄ってみると、這い蹲って、という表現を咄嗟にしたことからわかるように、それは物体ではなく生き物のようだった。
暗いために真っ黒い布の塊にしか見えないが、それは僅かに体を上下させて呼吸をしている。
路地裏はろくに掃除をされていない。その汚れた地面に横たわって、しかも礫のような雨に打たれているためにひどく汚らしい。
「人間‥‥それも子供だな。‥‥捨て子、か? ふん、それにしては随分と図体がデカイな。それに酷い怪我だ」
子供がボロボロの布を纏って俯せに倒れている。ザッと見聞した私はそう判断した。
泥にまみれた布は衣服なのだろう。もっとも、まるで走っている車から投げ出され、ついでに炎にでも炙られたかのように痛んでしまっている。
これではボロ布と形容するより他ない。しかもどうやらサイズが大きすぎる大人モノのようで、更に惨め差を強調していた。
咥えた煙草の火を魔術で大きくさせた灯り代わりにしてみると、ボロ布の間から見える手足は酷い火傷や裂傷を負い、地面には決して少なくはない血が流れ出ている。
‥‥おいおい、こりゃ一体どういうことだ? この辺りは比較的に治安が良くて暴力団の類の話は聞かないし、とりあえず普通の生活を営んでいたらこのような酷い状態になるよなことはないだろう。
まるで火事と交通事故とカツアゲやリンチに同時に遭ったかのような姿だ。あまりにも状況が不自然すぎる。
「‥‥あ、あぁ」
「ふん、なんとか生きているようだな、‥‥おいお前、この平和な街で一体どういうことだ?」
私の独り言に反応したのか、その子供はひどく緩慢な動きでノロノロと首を上げた。
黒い髪の毛は泥に塗れ、顔も傷や火傷だらけで痛々しい。とはいえ全ての傷はつい先程出来た物のようで、恒常的に虐待を受けているという感じではない。
私を見上げる普通の日本人である証の茶色がかった黒い瞳が濡れているのは雨のせいばかりではなかろう。まるで捨てられた子犬、いや、それ以上に助けを求める瞳だ。
いつぞや気まぐれに点けたテレビ番組に出ていた難民の少年のような、そのときは無関心に流した助けを乞う瞳。私が何者であろうと関係ないのだろう。
口だけが僅かに「タスケテ」と動き、それでも声は出ない。そこまで力が残っていないのか、それで最後の力を使い果たしてしまったのか、子供はガクリと地面に突っ伏して意識を失った。
「これは警察に連絡するのが順当だろうが‥‥ん?」
路地に入るために傘を動かした時にレンズについてしまった水滴を拭おうと眼鏡をとり、そこで私は異常に気がついた。
これと確かに言えるわけではない。どのようなものだと明確に言えるわけではない。
それでも私が低下してしまった視力で、それでも保持していた魔眼と感性が確かに世界の異常を捉えた。
「世界が‥‥歪んでいる? いや、撓んでいるのか?」
上手く形容できないが、この少年の周辺だけ世界が歪んでいる。
強いて表現するならば、例えばズラリと隙間なくビー玉が詰められた箱の中に、もう一つ無理矢理ビー玉を押し込んだような‥‥。
「ほう、これは中々おもしろそうじゃないか」
恒常的なものではあるまい。この少年が発している、というわけでもない。
世界の歪みは少年からではなく、その周辺から観測できる。そして徐々にそれは修正されつつある。 だが一度生じた歪みは微妙に痕が残る。これは間違いなく魔術師の領分だ。一般人にコイツを手渡してしまうのは勿体ない。
「やれやれ、私は非力なほうなんだがねっと。‥‥ふむ、案外軽いな」
血や泥でコートが汚れるのにも構わず、私は少年を抱き上げて器用に傘を体の間に挟み、軽い認識阻害の魔術を使った。
これで明らかに不審な私の姿は一般人に見られることはない。安心して寝床までコイツを運ぶことができる。
そのとき、私は間違いなく道を踏み外した。悪い意味でもなく、良い意味でもなく。
だがそれはあくまで他者からの主観。私としては、あのときの私の選択は決して間違いではなかったと信じている。
例えば知らない方が幸福な事柄があったとしても、魔術師がそれを知らない決断を選ぶことは許されないのだ。
なにより、かけがえのない一人の義弟を得て、それをきっかけに実の妹との関係を僅かながらも回復させることができたというのは、誰に聞いても良かったと曰うだろうからな。
まぁ一部の、そう、それこそ私達を“観測”する人々の中にはおもしろくないと思うヤツも出ることだろう。
しかし考えてもみるがいい。そうだ。そうなんだよ。
そういうことは正しく、私達には“関係ない”のである。
◆
「やれやれ、半年ちょっとぶりの帰国が任務とはね。ロンドンで会ってすぐまた日本で会ったりしたら、桜はどんな顔するかしら」
「そりゃ驚くんじゃないかな。もしくは呆れるとか。どっちにしても藤ねぇが騒ぐだろうから大変だぞ。終わったら直ぐに帰らなきゃいけないだろうけど、後片付けを任せるのが心苦しいよ」
ギシリ、と体が軋む音を聞きながらこの街出身の二人の会話を背中越しに聞く。
辺りを見回せば真っ昼間だからか通行人も多く、かなり目立つ五人組をどこか奇異な物を見る目で眺めていた。
東京生まれ東京育ちの俺にとってみれば、そこまで大きくない地方都市だとばかり思ってたけど、意外と人は多い。新都と呼ばれている駅の周辺もかなり賑わっている。
ゆとりを持ってスペースを取れている分、もしかしたら東京よりも便利ですごしやすいかもしれないなぁ。
実際に東京で生まれ育った俺だって特別な用事がなければ滅多に観布子の周辺から出なかったわけだし、本屋とか電気屋とか商店街とか、必要なものが揃っていれば全く問題ないだろう。
「
「そうだな。どっちにしても流石に終わった直後にとんぼ返りってわけにもいかないし。ルヴィアも紫遙も、宿は俺の家でいいか? 結構広くて部屋も余ってるし、なんなら二人だけホテルでも構わないけど‥‥」
「いえ、是非シェロの屋敷にお邪魔させて頂きますわ。私、前々からシェロに聞かされた日本の武家屋敷というものに泊まってみたかったんですの」
「やれやれ、衛宮が来るまでの君は大の日本人嫌いで通ってたんだけどね———って痛?!」
呆れたように呟いた次の瞬間、突如ヒールによる急襲を足に受けて俺は激しく、それでいて意図を悟って出来る限り静かに悶絶した。
頑丈さだけが取り柄の安いスニーカーは安全靴なんかじゃないから鉄板なんて入っていないし、ルヴィアのヒールはとても痛い。
多少手加減してくれてはいるから骨にまで支障は出ていないだろうけど、逆にいうとだからこそ非常に痛いとも言える。
この絶妙な手加減具合っていうのは何時ごろから身についたんだろうか。別にしょっちゅうお仕置きくらっているわけでもないんだけどなぁ‥‥。
「ていうか君、最近とみに俺への遠慮ってのがなくなってきてるよね? なんでかな? なんでなのかな?」
「貴方は最近とみに失言の類が増えてきていますわよ。お気を付けになった方がよろしいのではないでしょうか?」
はて、と口を覆ってわざとらしく考え込んでみる。確かに俺とルヴィアはそれなりに長い付き合いだけど、二人でいるときにお喋りが多かったというわけじゃない。
そりゃ何か話題があれば話すけど、そうでないときは互いに自分の研究とかに没頭していたような気がする。
となるとやっぱり、衛宮達が時計塔にやって来たのが一つの転機だったのだろう。
気むずかしいように見えて意外に口数の多い上の義姉といると自然と聞く側、質問する側に回ることになり、そういう意味で俺はそこまでお喋りじゃなかったし。
ルヴィアに至っては沈黙は金。猫っかぶりの巧みさにかけては他の追随を許さず、周りからは完全無欠のお嬢様と思われていた身である。
衛宮達と付き合うことで俺達にも、いや、おそらくは時計塔にも変化が現れつつあるのかもしれない。
「紫遙もそれでいいのか?」
「そうだな、衛宮も女の子ばかりの家じゃ気も休まらないだろうし、お邪魔させてもらうことにするよ。とはいえ、どっちにしてもまずはホテルに寄らないとな」
ロード・エルメロイから渡された書類を見ると、そこには見慣れた名前と見慣れない名前が載っている。
生憎とろくに調査も行えないままに、というよりも調査が出来たか出来ないか以前の問題で、調査結果をこちらに送る前に調査団は全滅してしまった。
続いて派遣された執行者の部隊もまた然り。十人の腕利きの戦闘者達が二人を残した全滅だ。
そして残った二人についても、詳しい報告書を送れる程に回復していなかったらしい。
結果、時計塔に待機していたプロフェッサのところへ送られてきたのは最低限の簡素な報告とランサーのクラスカードの写真のみ。
だから俺達はまず、新都のホテルで休息をとっている執行者と接触して情報を入手しなければならないのだ。
「しかし歴代最強の執行者との誉れ高いバゼットともあろうものが満身創痍の状態にならないと仕留められないとは‥‥生半可な相手ではありませんわね」
「そうね、私もあれからバゼットの噂は聞いたことがあるわ。あまりにも唐突に紹介されたから気づかなかったけど、彼女、フラガの『
俺の隣で調査書を見て、飛行機の中で言ったのと同じ台詞をルヴィアが呟き、遠坂嬢が同意を示す。
普段のバゼットは生真面目出方ブツで、まるでセイバーにそっくりでありながらおっちょこちょいなところもある気の良い友人だ。
基本的にガサツで自分のことに無頓着なところがありながら、それでいてルヴィアとショッピングに出かけたりもする。
どうもそういう趣味の範疇に属する小物の類とかは好きらしいんだけど、反面食事とかインテリアとかファッションとかに気を遣わないのだ。
このあたりまったくもって矛盾していると思う一方で、彼女やルヴィアに言わせればそういうものらしい。
なんていうか、本当になんだかんだでルヴィアと仲が良いんだよね、バゼットは。似たようなところなんてないように思えるのに、不思議だ。
「なぁ遠坂、『
と、遠坂嬢の言葉に先頭を歩いて道案内をしていた衛宮が振り返って質問した。
新都はビルが多数立ち並んでいて、その中にお目当てのホテルが建っている。
昔ながらの商店街に似つかわしくないチェーン店とか、そういうものは全部が新都に集められているらしい。
二つの町が殆ど完全に機能を分割されているのは不便かと思うんだけど、この辺りの人達は基本的に健脚で、町一つ分ぐらいなら余裕で歩いてしまうんだとか。
知ってはいたけど、衛宮から聞いた龍洞一成なる生徒会長の健脚ぶりには吃驚だ。幹也さんに匹敵するんじゃないだろうか。
あの人も聞き込みは足だ! を地でいく人だからなぁ‥‥。あれで意外とスタミナあるし、足もそれなりに速い。
というか、そうでもなかったら式と一緒になれないっていうのもあるんだとは思うんだけど。
「‥‥コレ、言っちゃっていいのかしら?」
「いいんじゃないかな? 協会では結構有名なことだし、別に深く知ってるわけじゃないだろう?」
「まぁそれもそうね。‥‥いい、士郎? 『
「宝具って‥‥サーヴァントが持ってるアレのことか?」
「そう。人の身でありながら神代の昔から脈々と血を受け継ぎ、その血で宝具を行使する者。それがフラガの『
どうだろう、バゼット以外に宝具を持った人間がいないと断言されているわけではない。それこそ衛宮だって宝具を持っているっていうことに関しては同じだしね。
問題はどちらかといえば“真名解放”の方にある。
俺が橙子姉から貰って衛宮に贈った干将莫耶のように現存する宝具は幾つか確認されているけど、それらの担い手たる人間はついぞ現れてはいないのだ。
つまるところ、人間では宝具の真価を発揮できない。干将莫耶はともかく、現存する宝具の担い手はとうの昔に死んでしまった英雄達だからね。
だから真名まで解放できる宝具使いは、今のところバゼットの出身であるフラガの家の者しか知られていない。
協会でも他には確認できていないから、そういうのが名のある旧家であろうことを考えると殆ど実質彼女一人だと言ってしまってもいいだろう。
「確か、『
「そこまで調べられたら上等だよ。というより、俺としては有名であるにしてもそれなりに秘匿がされているはずのバゼットの情報をそこまで調べられたのが驚きだけど」
「私達って結構あっちこっちから狙われる可能性があるしね、色々と用心深くなっておく必要はあるでしょ?
とにかく、格下のサーヴァントでも一発逆転を狙える宝具と同じものを持っておいて苦戦、いえ敗北ギリギリまで追い詰められるぐらいの敵だってことは、しっかりと頭に置いておいた方がいいわ」
実際バゼットとセイバーが闘えば、ほぼ間違いなくセイバーが勝つだろう。
バゼットの宝具である『
そしていくらバゼットが接近戦に優れているとはいっても、流石にサーヴァントに切り札を使わせるぐらい追い詰めるなんてことは無理だ。
セイバーにしてみれば宝具を使う必要すらない。地力で押しつぶしてしまえばいいのである。
そういう意味で彼女がランサー相手に宝具を使ったとは思えないんだけど‥‥。まぁそれも相手による、か。
『
英雄の使う宝具にも、窮地に陥った時に使うものから、有利な時に使ってこそ効果が顕れるものなど色々なものがあるだろう。
というより、黒化したサーヴァントに宝具が使えるのかってのも俺としては疑問なんだけど。
まぁその辺りはバゼットからしっかりと話を聞いておく必要がある。
「こっちにはセイバーもいるしね。私の魔力が少し心配だけど、残り全員で援護に回れば早々負けはないと思うわ」
「ミス・トオサカの魔力が不足した時の備えについては既に話し合っておりますし、おそらくセイバーを主軸に援護ということになるでしょうね。もしかすれば私達は英霊の戦闘を見学、なんて暢気なことになるかもしれませんわよ」
「おいおい、セイバーが強いのは俺だってわかってるけど、そこまで楽観してると足下を掬われかねないぞ? 油断は禁物だ、絶対に。その辺りは聖杯戦争の教訓だしな」
冷静に過ぎるがために少々楽観な考えを示す遠坂嬢とルヴィアに、珍しく衛宮が意見を述べた。
どちらかといえば猪突猛進して遠坂嬢やセイバーから止められる方だと思ってたんだけど‥‥。
あぁ、でもよくよく考えてみればコイツの将来ってあの紅い弓兵だったっけか。
だとすれば冷静な思考も出来なきゃ嘘だよな。なにせ『心眼・真』のスキル持ちだ。
「シロウの言うとおりです。私は相手がどのようなサーヴァントだろうと勝利を掴んでみせるという自信こそありますが、やはり戦闘というものは一口に括れないものだ。油断は勝機を逃がす最大の原因です。
それこそ聖杯戦争においても、危ない場面は幾つもありました。聖杯を介する儀式以外で彼らほどの霊格のサーヴァントが召喚されるなど早々ありえないでしょうが‥‥」
「そうね、予定なんて何のアテにもならないなんてのは聖杯戦争でも思い知ったことだし、十分に注意するわ」
キリッと顔を引き締めて告げたセイバーに、遠坂嬢も憮然とした表情を改めた。
あまりにも現実味が薄いけど、敵はそれこそ正に腐っても英霊である。用心してもし過ぎということはあるまい。
「まぁまぁ、とにかくどう戦うにしてもまずは情報を集めなければ始まらないさ。何をどうするかはおいておいて、最初にバゼットともう一人の執行者に会いに行って色々と話を聞こう。ほら、このホテルで合ってるんだろう?」
まだまだ不安ばかりが先行しているのは分かるけど、とにかく往来でこのように物騒な話を続けているわけにもいかない。
俺は話し続ける四人を一旦宥めて、目の前にそびえ立つ比較的大きめのホテルを仰ぎ見た。
観光客やビジネスマンが大量に訪れるような土地でもないだろうに、やけに豪華な作りをしている。
外見はそれこそ大きなビルだし、エントランスへと入れば内装もとても綺麗であった。
しかしやはり目に付くところに宿泊客はいない。一体どうやって営業が成り立っているのだろうか。
「失礼、こちらにバゼット・フラガ・マクレミッツという人が泊まってはいないかな?」
「伺っております。遠坂様ご一行様ですね? どうぞこちらへ」
一人のスタッフがやって来て俺達を先導する。
バゼット達が泊まっているのは最上階。スイートと称される一番立派な部屋のようだ。
エレベーターに乗って無駄に多い階層を上り、一階層に数部屋しかない内の一つの部屋のドアをスタッフがノックし、中から遠隔操作か何かで鍵が開けられたのを確認すると一礼して去っていった。
「お邪魔するよ、バゼット。怪我の調子はどうだい?」
「ごきげんよう。お久しぶりですわね」
「紫遙君、それにルヴィアゼリッタも?! 貴方達も今回の任務に参加していたのですか?」
豪奢な作りの部屋に備えてある二つのベッドの片方に、見慣れた小豆色の髪の女性が身を休めていた。
恰好は全く普段通り。下着の上にシャツを羽織ったラフな‥‥を数段階ぐらい吹っ飛ばした、健全な青少年には多分に目に毒なスタイルだ。
現に最初に部屋に入った俺の後ろにいた衛宮は素っ頓狂な叫び声をあげ、ついでに遠坂嬢とセイバーの二人に叩き出されていた。
すっかり見慣れてしまった———それはそれで大問題なんだけど———ことに加えて昔から義姉達に育てられた俺には全く問題ないんだけど。
「‥‥とりあえず、衛宮が入って来られないから最低限ズボンだけでも履いてくれないかい?」
「はぁ、そうですか。よくは分かりませんが紫遙君がそう言うならば。今は療養中ですから楽な恰好の方がいいんですけどね」
俺の言葉の意図は分かっていないみたいだけど、素直にベッドの下におおざっぱに脱ぎ捨てられていたスラックスに足を通すバゼット。
気付けば彼女はズタボロだ。あちらこちら、それこそ傷ついていない場所を探すのが手間なくらいに怪我をしている。
真っ白な包帯は少し巻かれているくらいなら有名過ぎる無口な少女同様にファッションとなるかもしれないけど、ここまで隙間なく巻かれていては見ていて痛々しい。
いくら慣れているとはいっても年頃の女性の体を無躾に眺める趣味はないから全部を確認したわけじゃないけど、とりあえず今は血が滲んだりはしていないようだ。
どうやら命や今後に関わる重傷というわけでもなさそうで、少しばかり安心した。
「君がそれほどまでにボロボロになっているのを見るのは初めてだな。こりゃ、よほど手強い相手だったみたいだね」
「だから黒化した英霊だと報告したではないですか。セイバーさんと親しく付き合っている貴方達なら、あまつさえ聖杯戦争に参加した凜さん達なら、彼らが我々とは比べることができない程に規格外な存在だと承知しているはずでしょう?」
「貴女のその様子を見て一気に現実味が増しましたわ。どうやらセイバーがいるからと楽観できる相手ではなさそうですわね」
何の誇張もなく、事実バゼットは歴代最強の封印指定の執行者だ。
おそらく一対一の近接戦闘に限定すれば、数多の位階の高い魔術師を抑えて時計塔でも最強クラスだろう。
名にしおうクロンの大隊にしても接近戦においては彼女に一歩譲らざるをえない。凡百の魔術師ならば魔術無しの彼女にも敵わないのではないだろうか。
もちろん格闘だけが強いのではない。宝具は言うまでもなく、ルーン魔術においても彼女は橙子姉に次ぐ術者である。
本来ならルーンは戦闘中に行使できるような魔術ではない。あれはどちらかといえば悠長な魔術で、戦闘で効果を発揮するためには色々と前提条件が必要だ。
例えば事前に時間をかけて武器に刻み込んだり、結界の補助に使ったり。
昔はともかく現代においては基本的には単体ではなく、他の魔術と組み合わせて使用する場合が多い。
肉体強化などを行うにはそれなり以上の実力が必要で、ついでに戦闘でそれを瞬時に行うなんてのは上位の術者でも難しい。
実際、傲慢なワケでも何でもなく今ルーン学科に所属している生徒も含め、時計塔の学生で一番ルーンに精通しているのは橙子姉の教えを受けた俺だと思う。
それでもそれなりの相手との戦闘でルーン単体を主軸に戦うことはできない。アレは、本当に何にでも使えるわりに使いどころが難しい魔術なのだ。
「とにかく士郎君達も含めて久しぶりですね、五人共。私はこの有様ですが、一緒に仕事が出来て嬉しいですよ」
「そうね、まだ数回ぐらいしか会ってないけど、貴女と仕事が出来るのは私も嬉しいわ。よろしくバゼット」
「宜しくお願いします」
バゼットがゆっくりと差し出した手と遠坂嬢、次いでセイバーが握手する。衛宮は後ろの方で先程のダメージが残っているのか悶絶していた。
「実はもう一人、今回の任務を共にした相棒がいるのですが‥‥。彼女は真実重傷で、今は協会が手配した病院で療養しています。申し訳ないが、状況の説明は私だけで行いたいと思います」
「構わないわよ。私としても出来る限り早く終わらせちゃいたいから、余計な手間は省きたいしね。病み上がり同然のところ悪いけど、早速説明をお願いするわ」
俺達は一転真面目な表情になると、バゼットに促されて窓際に据えてあるソファーや椅子に腰掛けた。
これまた素材がいいというか作りがいいというか、ロード・エルメロイの執務室にあるものには劣るけど、中々の座り心地だ。
日差しが眩しいからカーテンが閉めてあるので外の景色は見ることができないけど、これが夜になったら冬木の街を素晴らしい夜景として一望できるに違いない。
「それでは私達が受けた任務について説明しましょう。まず私は十名からなる執行者の部隊の一員として、先日この冬木へとやって来ました。既に聞いているとは思いますが、目的はさらに数日前に派遣された調査団が全滅した件についての調査です」
「その調査団はどうしたの?」
「彼らが遠坂さんに土地の管理を任された聖堂教会の神父に遺体で発見されたのは港の工業地帯のような場所で、幸いにして一般人の目撃者はありません。彼がすぐに日本に駐在していた処理部隊に連絡したので、その後の処理も滞りなく終了しました」
何かと一般社会の常識の範疇に収まらない事態が起きやすい霊地において一般人に神秘が漏れたりしないようにするというわけ。
また、土地に住まう魔術師が一般人を犠牲にしようとも、神秘の秘匿が為されていれば口を出さない管理者は多いと聞く。というよりも魔術社会全体において共通する風潮だ。
もちろん他にも仕事は多い。霊脈の管理や、外敵の排除。一般の魔術師と協会を繋ぐ窓口としての役割もある。
遠坂嬢ぐらい潔癖な人なら一般人に被害が出た段階で神秘の秘匿云々とは無関係に処罰してしまうとは思うけどね。
なにせそういう権限も管理者には与えられているのだ。実行できる力は別として。
「彼らの遺体を簡単に検分したところ、魔術による殺傷ではないとの報告があがりました。よって私達は戦闘を先ず考慮にいれて現場へとやって来たのですが‥‥」
「やって来たけど?」
「‥‥うまく表現できないのですが、気がついたら次の瞬間には全く別の空間に転移させられていたのです」
「「「「はぁ?」」」」
歯切れの悪いバゼットの言葉に、冷静なセイバーを除いた全員が疑問符を発した。
魔術関係の事柄についてはハキハキと自身の考察を述べるバゼットにしては珍しく、説明の要領を得ない。
「まさか空間転移ってこと? 何の術式も魔力の気配もなかったのかい?」
「いえ、何らかの術が行使される兆候だけは把握していました。ですが実際の転移の経緯というか、プロセスを把握できなかったのです。術式が起動したと感じた次の瞬間には転移が完了していました」
「それはおかしいですわね。いくら空間転移、瞬間転移の類であっても、まがりなりにも魔術師ならば転移のプロセスを感じ取れるはず。たとえ理解不能なぐらいに高度な術式だったとしても、解析はともかく知覚もできないのは不可思議ですわ」
「先程話した同僚のフォルテは少し感じ取っていたらしいのですが、戦闘が終了した痕すぐに病院へ連れて行かれてしまったがために情報交換ができませんでした。ただ一言、『反転』と呟いたのは聞こえたのですが‥‥」
純粋な空間転移は魔法の域に近い。だから世間一般で空間転移と呼ばれているのは、まず間違いなく何らかを媒介とした擬似的な転移だ。
例えば水、例えば影。そういうものを使った転移ならば非常に難易度は高いけどギリギリ大魔術の範疇に収まっている。
そして何らかを媒介にしている以上は、実際には瞬間的な転移であっても意識的なタイムラグが生じる。
一般人なら感じ取ることができないその誤差も、魔術師ならば知覚することができるのだ。
いくらバゼットがそのような方面の魔術に明るくないといっても、全く知覚できなかったというのは少々不思議。
決定的に、異常なまでにおかしいというわけではないけど、少しだけ気になった。
「おそらく時間としては本当に一瞬だったので術式を高度に隠蔽していたのだと思います。とにかくそうして私達が連れてこられた空間は‥‥そうですね、フォルテの言葉を借りるならば、まるで鏡で反転したかのような奇妙な場所でした」
「鏡で反転?」
「えぇ。建物や景色は全く変わっていなかったのですが、空は曇ったように淀んでいて、遠くの方へと視線をやれば、まるで檻の中にでもいるかのように格子で囲まれていました。おそらくですが、現実空間を反転させた擬似的な別空間だったのでしょう」
「ちょ、ちょっとバゼット、それって殆ど固有結界よ! そうじゃなかったとしても第二魔法に掠ってるじゃない?!」
「だからこそ宝石翁がこの件に関して指揮を執っているのでしょう。広さは四方数キロもありましたので現実空間を切り取ったというわけではなさそうでしたから」
「数キロっていうと、新都の一部を飲み込んでるな。確かに一般人が存在している現実空間を切り取って異界にしたりしてたら神秘の秘匿もへったくれもない、か」
遠坂嬢が素っ頓狂な声をあげ、ルヴィアも見る間に目の色を変えて眉間に皺を寄せ始めた。
これは間違いなく第二魔法に関連する封印指定か、それに準ずる魔術師の仕業だろう。
英霊を召喚したという事実で予想はしていたけど、どうやら厄介なヤツを相手にすることになりそうだ。
「あとは大体予想できると思います。蜃気楼か何かのように現れたランサーと戦闘を開始し、部隊の過半数を犠牲にして漸く仕留めたというわけです」
「その空間からはどうやって脱出したんだい?」
「‥‥すいません、気がついたら港に横たわっていたので、どうやって離脱したかまでは分かっていないのです。ですが転移させられた直前の術式の感触からして、おそらくトラップのように発動するタイプでしょう。サーヴァントが消滅すれば自動的に戻るのだと思います」
領域内に魔術師に類する者が入って来た時に発動するのかな? そして一度取り込まれてしまえば抜け出すにはサーヴァントを倒すしかない、と。
霊脈の乱れを観測すれば術式が仕掛けられている場所は自ずと分かるだろう。でも出たとこ任せの一発勝負じゃあんまりにもリスクが大きい。
こちらにはサーヴァントの中でも最優の誉れ高いセイバーがいて、なおかつ彼女は英霊の中でも最高ランクの知名度を持つアーサー王その人だ。
しかし子供向けのカードゲームでだって基本的な性能だけで勝負は決まらないというのに、実際の戦闘、殺し合いがそれより甘いなんてことがあろうか、いやない。
特にサーヴァントなんてのは多少の差こそあれ皆が皆、過去にそれぞれの国、それぞれの時代で名を馳せた英雄豪傑。簡単な話になろうはずもなし、油断はおろか少しの楽観も禁物である。
なによりも厄介なのは一つの可能性。俗に言う必殺技。英雄と一心同体として崇められる魔法の域にある神秘。乃ち———
「‥‥なぁバゼット、あんたが戦ったサーヴァントの真名って分かってるのか?」
「!」
かなりキツ目に為された遠坂嬢の折檻から漸く回復したらしい衛宮の言葉に、バゼットはベッドの上でビクリと体を震わせた。
「あらシェロ、既に倒したサーヴァントのことなど知ってどうするというのですか?」
「いやほら、どんな英霊が召還されたかとかで俺達も色々と判断できるかもしれないだろ? もしかしたらこれから召還される英霊にも共通点があるかもしれないし、情報は多いに越したことがない」
英雄と一口に言っても、その数は一人の人間が想像できるものを優に越える。
アキレウス、ジークフリート、聖ゲオルギウス、チンギスハーン、関羽、張飛、ヤマトタケル。とにかく英雄は多すぎる。各国に一人ずつ挙げたところで百や二百ではきかない。
倒してしまったサーヴァントの真名を知ることに大して意味はないかもしれないけど、もしかしたら何らかの統一性というものを見いだせるかもしれない。
倒していくうちに、例えば欧州の英雄だとか、例えば日本の英雄だとか、そういった大まかな括りであってもクラスというものに当て嵌めていけばそれなりに絞ることができるかもしれないのだ。
「まぁ確かにそうだね。ただでさえ選択肢が多すぎるんだ。多少なりとも判断材料が増えるのは喜ばしいことだと思うな」
俺達の視線を受けてバゼットは顔を俯かせ、決意するように大きく深呼吸をすると、それでも顔を上げることはできないまま、床を見つめて小さな、ぎりぎり聞き取ることができるぐらいの小さな声で呟いた。
「‥‥ランサーは、クーフーリンでした」
「な、なんだって?!」
「第五次聖杯戦争で召喚されたランサーで間違いありません。姿形こそ醜く改悪されていましたが、私が彼を見間違えるはずがない」
「‥‥なんてことかしら。クーフーリン程の英霊が召喚されるっていうなら気は抜けないわね」
クーフーリン。
アイルランドの光の御子、クランの猛犬、アルスターの番人、赤枝の騎士。
ク・ホリンという呼び方でも知られている彼は光の神ルーの息子であり、日本での知名度こそ低くとも掛値なしの大英雄だ。
さっきは格下の英雄でも十分に格上を打倒し得るとか何とか言ったけど、やっぱり有名な英雄の方が基本的なスペックで勝る場合が多い。
成し遂げた偉業が困難であればある程に有名なわけで、知名度補正なんてものがあると考えたらさらに恐ろしいことになる。
つまり俺が言いたいのはさ、基本的に有名なら有名なだけサーヴァントは強いってことなんだよ。さっきからコロコロ話が変わって面倒だけど。
「‥‥戦闘能力まで持った英霊を何の前準備もなく喚び出すなど不可能です。これはあくまで私見なのですが、もしかすると第五次聖杯戦争絡みの何かを触媒にしてサーヴァントを召喚しているのかもしれません」
「つまり君は、他のサーヴァントも第五次聖杯戦争の面子と被ってるかもしれないって言いたいのかい?」
「あくまで推測です。証拠などありませんし、根拠も漠然とした勘に近いものですが‥‥」
「しかし理にかなった推測ですわ。私達エーデルフェルトとて召還の触媒を手にすることはできなかったがために、今回の聖杯戦争は見送ったのです。
ポッと出の魔術師に英霊七人分の触媒が用意できるわけもありませんし、有益な情報が少な過ぎる今とあっては一考の価値がありますわね」
サーヴァントに限らず、この世ならざる存在の召喚には概ね何らかの触媒が必要になることは一般的に知られている。
例えばクーフーリンを召喚したバゼットのピアス。セイバーを召喚した衛宮の体内に埋め込まれていた『
正確にはサーヴァントを召喚するのは魔術師じゃなくて聖杯らしいけど、とにかく英霊を召喚する最適の環境である聖杯戦争ですら、触媒が無ければ一流の英霊を喚び出すことなどできないのだ。
それを考えると何の情報もない今であっても、今回の事件について何らかの触媒か何かが存在するであろうことは簡単に予想できる。
それこそ下手人が聖遺物に匹敵する触媒を手に入れているとは考えにくい。
確実にお目当ての、それもクーフーリンのような大英雄を召還するための触媒など、魔術協会やアインツベルンのような古い家でなければ入手できまい。
「六分の一、っていうのは結構アバウトな確率だよねぇ。サイコロ振ってお目当ての数が出るのと同じぐらいの確可能性だ」
「まぁ流石に次に出現するサーヴァントのクラスすらわかってない以上は推測するにも限りはあるけど、もしこれ以上そういうことが続くようなら念頭に置いて行く必要がありそうね。
でも聖杯戦争がらみで細工をしてあったとしても、いったい何をどうやったのかしら? 聖杯は私たちが破壊したっていうのに‥‥」
最後の方の呟くような遠坂嬢の言葉の意味を理解できたのは、関係者以外では俺ぐらいだっただろう。
確か、聖杯戦争は小聖杯と大聖杯とから成っていると記憶にはある。遠坂嬢達が破壊したのが小聖杯だったとすれば、もしかしたら大聖杯に細工をされていたのかもしれない。
でもそうすると色々と合点がいかない部分も多い。何もわざわざ異空間を作り出したりしないで、直接大聖杯の方に干渉すればいいのだから。
聖杯戦争が始まって数百年。そのシステムを把握しているのは御三家の中でも千年程も妄執を維持し続けているとかいう化け物じみたアインツベルンぐらいだろう。
魔術協会とてシステムを解析しようと試みなかったはずがない。それでも第五次の段階で殆ど理解できていなかったのだ。
「早々に敗退したライダーとか直接攻撃しかしてこないアサシンとかならともかく、バーサーカーなんかが出てきたらちょっと手に負えないわよ。どうにもこれは、簡単な仕事じゃなさそうね」
「そうだな。セイバーの宝具だって毎回毎回使うわけにはいかないし、俺たちで出来る限り援護しないと」
だとすればいくら天才が相手だったとしても、聖杯戦争のシステムを把握するなんてことは不可能。それは言うなれば遺跡の発掘作業を一人でやるようなものである。
バゼットが言っていたように、サーヴァントの召還に聖杯戦争絡みの何かを触媒にしているという可能性は高いだろうけど、どうにも今は判断がつかないな。
そして遠坂嬢が言っていたように、たとえ第五次聖杯戦争のサーヴァントが召還されると仮定しても、次に召還されるサーヴァントが誰なのかまではわからない。
なにより決めつけてしまうのは非常に危険な行為である。とにかく次のサーヴァントに関しては慎重にぶち当たっていくしかなさそうだ。
「本当は時間をかけて作戦会議でもしたいところなんだけど、流石にそういうわけにもいかないわね。ちょっと不安はあるけど早速今夜にでも調査を始めるとしましょう」
「そうですわね。別にミス・トオサカのためを思っているわけではありませんが、ここまで発展した霊地ではいつ何時一般人が巻き込まれてしまうかもわかりませんし、早めに片付けてしまうに越したことはありませんわ。
‥‥ところでバゼット、大師父から貴女に魔術礼装を預けたと聞いたのですが、受け取っておりませんの?」
「あ、はい、受け取っていますよ。確か‥‥アレです」
バゼットはルヴィアの言葉に頷くと、部屋の隅に置かれた箱を指さした。
それはまるでアニメや漫画にでも出てきそうな宝箱。重厚な木製で非常に重そうだ。
大きさは大体抱えることが出来るか出来ないか微妙という、曖昧な形容のしかたができる程度で、所々黒ずんでいて古びている。
これは運ぶ時に相当不審がられたのではないだろうか。まかり間違ってもホテルのスイートに運び込むような代物ではない。
「‥‥なんというか、その、すごく不吉な宝箱ね。私の家に似たようなものがあるわよ」
「エーデルフェルトの屋敷の宝物庫でも同じようなものを見かけた覚えがありますわ。大師父の趣味なのかもしれませんわね」
「必死に仕舞い込んだ記憶まで蘇って来そうで触りたくないんだけど‥‥そういうわけにもいかない、か」
二人は箱に近づくと、片方は溜息混じりで、片方は魔法使い謹製の魔術礼装への期待を隠せずに、全くベクトルの違う表情を浮かべて蓋を開けた。
鍵は予め開けてあったらしい。もしかすると最初からかかってなんかなくて、シュバインオーグの家系の者にしか開けられないような仕様になってたのかもしれない。
「うわ、やっぱりコレってアレだわ、ウチにあるヤツ。ホントにアレばっかりは大師父の趣味を疑うわね」
「なんですのコレ、空間が歪んでいる‥‥?」
「見た目の容量以上に中身を詰め込めるようになってるのよ。私も家にあるのを解析しようとしたことがあるんだけど、ちんぷんかんぷんだったわ」
流石にやや後ろ、ベッドに座っているバゼットの傍で待っている俺達には会話の内容だけでさっぱりだ。
そんな俺と衛宮とセイバーに構わず、魔法使いの直弟子の座を狙う二人はそ良く分からない話をしながら同時に宝箱の中へと腕を突っ込んだ。
「「痛っ?!」」
「遠坂、大丈夫か?!」
「平気よ士郎、中に何か尖ったものでもあって、指から血が出ただけだから。ほんとにもう、危険物でも入ってるんじゃないでしょうね‥‥? っと、あれ、何か掴んだけど、もしかしてこれかしら?」
多少のトラブルがあったみたいだけど、二人は構わず中を探り続ける。
そして遠坂嬢が何やら見つけたらしい嬉しそうな声を発した次の瞬間、宝箱の中からまるでスピーカーを通したかのような現実味の無い声が響き渡った。
『ふ、ふふ、ふふふふふ‥‥』
「な、なんですの?!」
「‥‥げ、この声は?!」
『血液によるマスター認証、接触による使用の契約完了しました。起動のキーは宝石翁からパスして構わないとのワイルドカードを頂戴しております。姉さん、出番です』
まるで悪戯でも思いついたかのような明るい声と、どこまでも冷製沈着な落ち着いた声。
全く持って方向性の違う二つの声は似通った少女のもので、それでいながら可愛らしかった。特に前者。
そしてその二種類の声にルヴィアは疑問符を発し、遠坂嬢は瞬時に顔を青ざめさせる。
「ちょ、ちょっとそこの男二人、今すぐにこの部屋から出て———」
『コンパクトフルオープン! 鏡界回廊最大展開! さぁ久しぶりのお披露目ですよ凜さーん!!』
「と、遠坂っ!!」
宝箱から旋風と閃光が迸る。
圧倒的な魔力の奔流。その量は俺や衛宮はおろか、遠坂嬢本人や、ともすればセイバーを構成しているものすら上回る。
そして部屋中を真っ白に塗りつぶす光が収まり、俺達がゆっくりと目を開けたそこには———
『凜さんが幼少の頃の一度きりの放送ではありましたが、ご好評につき第二シーズン! 魔法少女カレイドルビー、ここに再・誕! ですよー! イヤッフー!』
『同じくカレイドサファイヤ、爆・誕! です。不束者ですが、よろしくお願いします、ルヴィア様』
「「「「‥‥‥‥」」」」
そこには赤と青の衣装を身に纏った、どこからどう見ても魔法少女な二人の友人の姿。
半ば呆然と自分の姿を見下ろすルヴィアと異なり、遠坂嬢は耳どころか衣装から覗く三の腕や太股まで真っ赤になって、主に衛宮を睨みつけている。
「そ、その、遠坂。俺はそれ、似合うと思うぞ‥‥?」
空気を読めない衛宮の言葉に、遂に衣装も含めて全身真っ赤になった遠坂嬢の頭の上からボフンと煙が飛び出した。
そして世の女性達のようにそのまま恥ずかしさで気絶するのではなく、生憎と完璧に使い方をマスターしてしまっているのだろうステッキを振り上げ———
「‥‥とりあえず今すぐに出て行け、このバカ共ーーーーーっっ!!!!」
「「ぎぃやぁぁああーーー?!!!」」
真っ直ぐに振り下ろした杖が特大の魔力弾を放ち、俺と衛宮はあえなくそれに衝突して扉をブチ破ると廊下まで吹っ飛んで行った。
ちなみにセイバーはバゼットを庇って避難したがために被害は俺と衛宮のみ。
俺達全員が一緒に受けることになった初めての重要な任務はというと、予想とは真逆に、こんなギャグみたいなノリで幕を開けたのであった。
51th act Fin.