UBW~倫敦魔術綺譚 (未改訂版)   作:冬霞@ハーメルン

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第三十五話 『復讐曲の序曲』

 

 

 side Ms.Blue

 

 

 

「いくわよ‥‥薙ぎ払え!」

 

 

 宙に浮かんだ数多の光球から、雨のように青白い魔力光が降り注ぐ。ノタリコンを使って圧縮された詠唱に妨害する隙などなく、破壊の力は私の眼前に展開していた死者の群れを次々と砕き、焼き尽くしていった。

 田舎とはいえ一つの集落をまるまる死都へと変えてしまったからか、死者達の量は半端じゃないわね。とはいえ、そもそもある程度戦闘に慣れた魔術師ならばろくな自律思考もできない死者風情に遅れをとることなどない。ましてや私ならこの通り、いくら数を揃えたって無駄よ無駄。

 そうね、私を倒したかったらこの三十倍は持って来いってものよ。

 

 

Samiel (ザーミエル)―――ッ!」

 

「あら?」

 

 

 ふふんと胸を張った私の背後でいくつかの高速で飛来する物体が空を斬り、続いて聞こえた何か柔らかいものと固いものが砕かれる音に振り返る。

 いつの間にやら死角に回っていたらしい死者を尽く砕いた七ツの球体が私の周りを護衛するかのように旋回し、そして砂埃を立てて滑り込んで来た義弟が肩で息をしながら背中を合わせた。

 魔力で脚力を強化しながら礼装を操るなんて容量以上のことをしたせいかキツそうだ。この子に危ないところをフォローされるなんて、ちょっと私も注意が抜けてたみたいね。

 

 

「頼、む、から、最低限の警戒だけは、して‥‥」

 

「あはは、ごめんごめん。ついついぶちかますのが楽しくってさあー。次からはちゃんと注意するから、心配しなくても大丈夫よん?」

 

「わかってるよね? 俺の魔力そろそろ限界だってわかってるよね? 頼むから、少しでいいから真面目にヤッテ」

 

 

 半泣きの声に再度アハハと笑い、義姉思いの義弟に免じて追加で魔力弾を雨霰と降らせた。まるで視界に小さく写る流星群をそのまま地上に持って来たかのような猛攻撃は、大地も、木も草も、果てはそこに存在する空気すらも平等に削り取って盛大に砂煙を巻き上げていく。

 咄嗟に不器用ながらも風を操って障壁を張った私に対して魔力の底が見えかけていた義弟はもろに砂塵を吸い込んでしまったらしい。後ろでゲフンゲフンと激しく咳込んでいるのが聞こえて、それがまたどことなく面白くて私はまた笑い声をあげた。

 

 

「ゴホ‥‥どう? ちゃんと殲滅できた?」

 

「ちょっとちょっと、そこは『俺の分はちゃんと残しておいただろうな?』とか恰好つけて聞くところじゃないの?」

 

「寝言はせめて横になってから言ってくれよ。さっきガス欠だって申告したじゃないか」

 

「だらしないわねー。それでも時計塔の次席候補でしょうに」

 

 

 声から察するにそこまでヤバくはなさそうね。重畳重畳。

 元々この子が戦いに向いてないのはもとより承知。わざわざこうして依頼に連れて来てるのはもっぱら私の暇つぶ―――もとい、いざという時の実戦でこの子が困らないようにするため。多少以上にキツイ修業をさせないと身にならないっていうものよ。

 ‥‥異能は異能を引き付ける。類友なんて言葉が示す通り、“外れてしまった”者達は互いに引き寄せ合うのが世界の常。

 そして向こうから言い寄ってくる連中は大概が余計な厄介事を手土産に持ってくるのだ。そういった手合いに対抗するには実力がなくては仕方がない。得るためでもなく、守るためにも力が要るのもまた世の理ならば、先達である私や姉貴がある程度まではしっかりと導いてやる必要があるだろう。

 姉貴との仲は相変わらず、とは言っても以前に比べれば格段にマシな冷戦状態だけど、二人とも可愛い義弟を守ってやりたいという点に関しては同意を得て、それなりに交流している。一昔からすれば考えられない事態ね、ホント。

 

 

「だーいじょうぶよ、あんたに言われたから念入りに砲撃したし。これなら跡形も残って―――」

 

「ぐ、お‥‥ぉ‥‥」

 

 

 と、かろうじて瓦礫として残った家の残骸の中から一人の男が姿を現した。身の丈190cmに届こうかという巨体に、瞳は赤く血走りもはや宝石のように光っている。着ていた上品な仕立てのグレーのスーツはぼろぼろに汚れ、日本人のものとは違う黒髪は埃や塵で半ば白髪と化していた。

 その男は魔力弾のあおりを喰らったらしい身体をぎこちなく動かすと、鋭く尖った犬歯を剥き出しにしてこちらを睨む。明確な怒りという意志の灯ったその瞳、明かに死者ではありえない。その身から発する魔力も並ではなく、人を喰らって生き延びた年月を感じさせる。

 ならば、この吸血鬼こそが―――

 

 

「貴方が、この死都の主ね。まったく面倒かけさせてくれるわよ」

 

「主に‥‥俺が‥‥」

 

 

 後ろで義弟が何か言ってる気がするけど、無視よ無視。

 私は息も絶え絶えに文句らしきことを言っている義弟を華麗に無視し、目の前でようやくなんとか身体を起こした死徒に向かって髪を後ろになびかせながら尋ねた。

 

 

「なぜだ‥‥なぜ貴様がこのようなところへやって来たのだ?! ミス・ブルー?!」

 

「依頼があったからに決まってるじゃないの。アンタ、ちょっと派手にやりすぎ」

 

 

 通常死徒の討伐は聖堂教会の代行者が行い、魔術協会まで依頼が回ってくることは稀だ。私はあっちこっちに首つっこんでストレス発散もかねて喧嘩を売りまくってるけど、本来魔術師と死徒が敵対するのは互いの利害が一致しないどころか完全に反目した場合のみ。

 もともと死徒ってのは魔術師あがりの連中が多いうえに、長い年月を生きた吸血鬼とは魔術協会も色々と便利なコネクションとして交流していることも少なくない。ごくたまにではあるけど、時計塔の廊下を元協会所属の魔術師だった死徒がうろついてるなんて光景は、驚きこそすれ別段不思議なことじゃないのだ。

 

 にも関わらず今回わざわざ私の方まで依頼が回ってきたのは他でもない、このお馬鹿な死徒は少々遊びすぎたから。街や村があちらこちらに点々と存在して互いの人や物資の流通がそこまで密でなかった時代ならともかく、現代においてココまで完璧に死都を作ってしまうというのは死徒の中においてもあまり好まれない娯楽である。

 答えは簡単、そんな目立つことをすれば忽ち教会と協会の双方からなりふり構わずに死都ごと殲滅されてしまうから。このように辺鄙なところであろうとも、昔よりは遥かに他の地域との交流がある以上不審なことがあればすぐに周囲へと伝わってしまう。

 一度住人全てが死者と化してしまえば教会は生存者に配慮する必要はないし、ここまで目立つことをされては神秘の漏洩の観点からも協会は迅速に動かざるをえない。二つの巨大な組織が普段なら信じられないほど円滑に迅速に手を組み、多人数からなる精鋭部隊か、私みたいな歩く大量破壊兵器―――自分で言うのもなんなんだけど―――を投入して一気に殲滅にかかるというのが常套手段。そんなことされたらどんなに力のある死徒だってたちまちのうちに滅ぼされてしまうだろう。

 

 最近で言うなら私の故郷である三咲町に現れた三人の死徒。死徒二十七祖番外位ミハイル・ロア・バルダムヨォン、同じく第十位ネロ・カオス、同じく第十三位ワラキアの夜ことタタリ。

 ネロの方はホテル一つ丸ごとなんて随分と派手な食事をしたけど彼は例外。なにしろ真っ正面から戦ったら私でも滅ぼしきれるかどうかなんて化け物なんだから、相当に自分の力に自信があったとしても納得してしまう。で、私が言いたかったのは他の死徒達。彼らも単体で英霊と渡り合えるような人外でありながら、教会に勘づかれず、本体である自身を捜されにくいように巧妙に立ち回っていたのだってこと。

 今そこでコッチを睨んでるあの死徒もかなり強力ではあるけれど、アレよりもさらに強大な二十七祖ですら慎重に補食しているってのにこんな派手なことをして目をつけられないわけがないのよ。

 

 

「何考えてやったのか知らないけど、お遊びが過ぎたわね。ステレオな正義を振りかざすつもりはないんだけど、裏の住人なら最低限は表の社会への配慮を忘れないってのは暗黙の了解でしょ? ‥‥お仕置きは痛いじゃすまないわよ」

 

 

 腕を中心に術式が編まれ、魔力が回路を疾る。再び数えるのも億劫な程の数の光球が宙に浮き、青白い光を放って敵へと襲いかかる時を今か今かと待っている。それはまさしく圧倒的な物量による戦力差。たいていの特殊能力など力押しに吹き飛ばしてしまうのが細かいことが嫌いな私の戦法。

 ありったけの憎悪をこめてこちらを睨むその死徒にたっぷりの自信を込めて笑いかけてあげると、万が一にも無防備に近い義弟が襲われないように背中へ庇い、振り上げた腕で光球達へと号令を下したのだった。

 

 

  

 

 

 

 

「‥‥では状況を説明しますね」

 

 

 ロンドンからは飛行機と電車を乗り継いだところにあるという現地へ向かう鈍行列車の中、簡単な防音処置を施したコンパートメントで俺達は昼食を摂りながらシエルの話を聞いていた。

 衛宮が急遽準備してくれた弁当はサンドイッチ。近所のパン屋で購入した食パンの耳を落としてスライスし、自家製のマヨネーズやソースで味付けされた新鮮な野菜の味は最早コレを喰ったらファーストフードなど食べれるかという程に美味で、キャラに似合わないことは分かっているけれど思わず「う・ま・い・ぞー!!」と叫び出したいぐらいの衝撃である。聞くところによるとハムまで手作りだそうで、今度分けてもらえないか頼んでみることにしよう。

 

 一方、ちょうど俺の隣に座っているシエルは嬉々としてカレーパンを鞄から取り出すと、一口咀嚼して実に幸せそうな顔をしてから状況の説明を始めた。袋に『めしあん』と書いてあるところからして、どうやらわざわざ日本から持ってきたようである。賞味期限が気になるところではあるけれど、そこは代行者。万が一にも食中毒で戦線離脱なんて無様は晒すまい。

 ‥‥しかしまぁ、聞きしにまさるカレー狂いよな。当然ながら初対面であるからして衛宮達はキャラ設定には気づいてないけれど、隣に座れば本当にほのかにではあるがカソックからも香ばしいスパイスの香りがする。この程度なら香水と同等のアクセントに過ぎないとは思うけれど、原作(?)でのカレーに対する執着を思い返すとなんとなく笑いが零れそうになるのを止められない。

 

 

「ではまずこの地図を見てください。‥‥向かう先はここ、オストローデという街です」

 

「オストローデ、ね‥‥。別段気になるようなところはないけれど‥‥」

 

 

 地図を見れば悪名高き魔窟、ブロッケン山にほど近い。比較的に便が良いらしく鉄道も通っていて、ちょうど冬木を住宅地のみに限定して縮小すればこのようになるかという小さいながらも賑やかな街のようだ。

 遠坂嬢が縮尺の小さい地図と大きい地図の二通りを見て周囲の様子と街の見取り図を照らし合わしてそう発言する。衛宮は吸血鬼退治という未だ経験したことのない仕事に既に緊張気味で、手を握ったり開いたり、眉間に皺を寄せたりしていた。

 言い忘れていたけれど今コンパートメントに居るのは定員ぎりぎりいっぱいの四人。セイバーは隣のコンパートメントにいて、遠坂嬢と視覚と聴覚を共有することで会議に参加しているということだ。ないとは思うが電車が襲撃されたときに備えて警戒もしているとか。サーヴァントの鏡だね。

 

 

「別に特筆すべきところもないアメリカ西部様式の住宅街です。なんでも昔に人外同士でどんぱちやらかして、長い間人が寄りつかず、最近になってようやく住宅地として移住が始まったということですが‥‥まぁ今回の件には関係ないでしょう」

 

 

 またもやカレーパンと一緒に鞄から取り出した報告書を一瞥したシエルが書類の束をこちらに寄越す。報告書はドイツ語で書かれているけれど幸いなことに守備範囲だ。‥‥なになに、近くの森の樹齢何百年かの大樹に異様に大きな爪痕? いったい昔に何があったんだ?

 

 

「我々の任務は簡潔です。街の住人の二割以上を占めるに至った死者を駆逐し、おびき寄せられて出てきた大本の死徒を叩く。いわば囮任務も兼ねているわけですが‥‥蒼崎君については聞いているのですけれど、失礼ですが、そちらのお二人は死徒についての知識は?」

 

「まぁ、常識程度には」

 

「‥‥う、すいません、全然です」

 

 

 すまして答えた遠坂嬢に対し、衛宮はばつの悪そうな顔で頬をかきながら頭を下げる。そういえばこの野郎、以前『ワイバーンってまだ生きてるのかな?』とか真面目に質問しやがったことがあったか。ワイバーンってのは紋章学による空想の産物で、決して幻想種ではないなんて初歩の初歩から説明せにゃならんかったときのこめかみに走った頭痛と言ったら‥‥。原作の登場人物の方が俺より無知とはこれいかに。

 

 

「吸血鬼って太陽の光を浴びたら灰になったり、にんにくや十字架に弱かったり、噛まれたら同じ吸血鬼になったりする奴のことですか?」

 

「おおむねその認識で間違っていませんよ。まぁニンニクと十字架はそれ単体ではあまり効果がありませんが。まず吸血鬼というのはですね―――」

 

 

 麗らかな昼下がりの鈍行列車で行われる血なまぐさい吸血鬼についての講義。衛宮はともかく遠坂嬢も吸血鬼退治のプロの話を聞くのは初めてらしく、後学のためにと真剣に耳を傾けている。

 シエルとはいえ教師が聖堂教会の人間であるがゆえにかなり偏った教え方ではあったけれど、その内容は俺が原作及びこちらに来てからの橙子姉によるスパルタ学習によって覚えた内容と大差ない。衛宮はその内容が段々と物騒なものになるにつれて表情を険呑なものへと変えていったが、彼と違って生粋の魔術師である遠坂嬢はいたって冷静だ。

 もとより彼女については大師父である宝石翁が二十七祖だとかはさておいても、彼女自身が吸血鬼の血筋であるという疑惑もある。傷を負ったら庭に埋めておけば云々といったくだりとか、あと朝が弱いのも考えてみればそれが関係しているという可能性もあるような気がするな。

 

 ちなみに、隣のコンパートメントにいるセイバーからは乗車してから今の今まで何の音沙汰もない。遠坂嬢を通じてシエルの説明も聞いているはずだし彼女もあまり吸血鬼には馴染みがないと思うんだけど、もしかしたら食事に集中してないか? 確か向こうに入るときにやたらと大きな折りたためる便利なバスケットを抱えていたような気がするんだけど‥‥。

 

 

「ところでシエルさん。埋葬機関の第七位である貴女がいるというのに、どうして今回私たちに依頼が回ってきたのでしょうか? 詳しいことを聞いていないので少々気になりまして‥‥」

 

「ああ、なるほど。実は今回の討伐は少々事情が込み入っているものでして‥‥」

 

 

 一通り吸血鬼に関する講義―――真祖の件で些か以上に私情が入っているような気がしたけれど―――を聞き終えた遠坂嬢が、ふと居住まいを正してシエルに質問した。

 本人を前にしてこう言うのも何だけれど、埋葬機関の連中というのはすべからく化け物だ。低位であれば二十七祖とも一対一で渡り合え、特にこの“弓”を冠する第七位に関しては防衛戦に限れば英霊とも殴り合いができるなんて尋常じゃない戦闘者。その身に秘めた魔力は並の魔術師の百倍。不死者としての特性は失われこそしたが、たとえソレをさっ引いたとしても鉄鋼作用をはじめとする黒鍵の投擲技術や無限転生者ミハイル・ロア・バルダムヨォンから受け継いだ魔術の知識、そして代行者となってからの苛烈な任務によって手に入れた戦闘技能は彼女の異端審問官としての地位を揺るぎないものとしている。

 つまるところ死徒二十七祖とも渡り合える彼女がいれば、ぶっちゃけ足手まといである俺達は必要ないはずなのだ。

 

 

「まず、このオストローデで最初に死者が観測されたのが一週間前。派遣された諜報員によると加速度的に被害者は増えており、今は市議会に根回しして夜間の外出を控えるように住民達へ通達を出している状態です。多数の行方不明者に警察やマスコミも動き始めており、あまり時間をかけていてはそれらも押さえきれません。

 たとえ我々聖堂教会が世界の各地へ浸透しているとは言っても、あまり事態が進行してしまえば出来ることにも限界があります。ここまで死者が増えてしまった以上、一度に短時間で殲滅しなければならなりません。よって私一人では手が足りず、加えて現在戦闘を行える代行者の数が少なかったので仕方なく魔術協会へ依頼をしたというわけです」

 

「なるほど‥‥確かに神秘の漏洩が懸念される事態とくれば、魔術協会(わたしたち)が動く理由には十分ね。それにしても死徒って連中はそんなおおっぴらに食事に励んだりするものなの?」

 

「いえ、通常は街に潜伏し、出来る限り本体である自分を探し出されないように注意して慎重に捕食を行うのが常識のようなものです。ここまであからさまな方法になるとむしろ殺してくれと宣伝しているようなものなのですが‥‥」

 

「まぁ死徒の考えることなんてわからないよ。研究もあることだし、とっとと行ってとっとと終わらせたいものだね」

 

 

 そろって顎に手を添えて考え込んでしまった二人にそう言うと、俺は啜っていた紙パックを空にしてごみ箱へと放り捨てた。難しい話についていけずに黙っていた衛宮も決意の表情で首肯する。セイバーからも同意の声があったらしく、遠坂嬢も「そうね」と呟くと話に集中するあまり進んでいなかったサンドウィッチを囓った。

 一方シエルは四個目のカレーパンを鞄から取り出して咀嚼し、既にコンパートメントの中に充満し始めたカレー臭がさらに増す。ココにいたってようやく真向かいに座った二人もこの代行者の異常なキャラに気がついたらしい。普通の人間ならたとえ好物はカレーと自称していたとしても四個も続けてカレーパンなど食べられるものではない。いや、大食い選手権とかに出ている人物ならともかく、目の前の女性はどちらかと言えば出るところは出ていながらもスマートで華奢な部類に入る。

 ‥‥なんとなく今、焼き肉大帝都の大食い記録を更新した青子姉と橙子姉のそれぞれやり遂げた笑顔を思い出した。どちらも無理矢理引きずりこまれて付き合わされたのも良い思い出か。

 

 

「さて、オストローデには直接赴かず、まずは一番近い街に宿をとります。そこで彼の街に先行していた諜報員と接触、工作の後に死者殲滅へと向かうというのが今後のスケジュールです。ホテルについたら後は自由行動にしますので、今日は明日の夜に備えて英気を養って下さい」

 

 

 そう言うとシエルは食事に専念したいのか、鞄の中から更に追加で二つのカレーパンを取り出して膝の上に乗せると窓枠に置いておいたペットボトルの紅茶を煽る。前の衛宮はまだ緊張気味だがそのマイペースな様子に少し落ち着いたのか、隣のコンパートメントに控えているセイバーにサンドウィッチのおかわり(?!)を持って行くために席を立った。

 

 窓の外には相変わらず長閑な田園風景が広がっていて、これから向かう先に凶悪な吸血鬼が潜んでいるなどとは毛ほども感じさせない。家族旅行に来たのか通路で楽しげに騒ぐ子供達の声もそれを助長させるけれど、実際問題としてこの先では今も死徒によって死者にさせられた者達が行方不明として家族達に伝えられているのだろう。

 ステレオな正義を振りかざすような人間ではないつもりだ。けれど、やはり強者によって弱者が嬲られているのは虫酸が走る。

 俺は足下に置いてあった信頼する魔術礼装に手をやり、そこにきちんとそれを収めた筒があるのを確認した。戦いはいつもギリギリで、余裕だったものは一つたりともない。心強い味方もいる。しかし人間など簡単に引き裂くことのできる吸血鬼を相手に油断などしていては簡単に命を落としてしまうだろう。

 少し乾いてしまった口をミネラルウォーターで潤しながら、俺は今まで何度も確認した魔術礼装の操作要領を繰り返し繰り返し反復したのだった。

 

 

 

 

 36th act Fin.

 

 

 


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