UBW~倫敦魔術綺譚 (未改訂版)   作:冬霞@ハーメルン

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1年以上ぶりの更新で、こうして最終話と題する話を更新できたのは幸いでした。感動と言い換えてもいいです。
忙しさのあまり、7年もの間、書き続けた拙作も埋もれてしまうのかなぁと思いました。
本当にこのまま書ききれないのかなぁと思いましたが、皆様の応援で何とかこの話を書き上げることができました。
もうあとはエピローグだけ。最後の最後まで、出来ましたら、どうぞおつきあいくださいませ。


最終話 『創作者の閉幕』

 

 

 side Rin Tosaka

 

 

 

 

 心が挫けた、なんて死んでも口にしたくはない。けれど、皹ぐらいは入ったかしら?

 平行世界の妹との戦い、なんて突拍子もないものを経て絶好調に高ぶっていた心が瞬時に鎮火されてしまい、私はだいぶ弱気になっているらしい。

 式ですら眉間に皺を寄せて様子を見ていた。いつも真っ先に、無造作に敵の中へと飛び込んでいく両儀式が。

 明らかに場慣れしていない黒桐さん達も察している。あれが、台風や地震に立ち向かうようなものだと。人間が挑めるようなものではないと。英霊や吸血鬼とか、そういうものですらない格の違いを感じている。

 あのとき、コレが私たちの方を向いて言葉を発したとき、真っ先に飛び出した士郎が数歩進むだけで、その圧力に耐えかねて膝を突いた。援護しようと用意していた宝石を、投げる気も失った。高い高い崖の上から身を乗り出して、ここから落ちたら死ぬと理解するように。コレと戦えば死ぬと理解させられた。

 だから今こうして只管絶望している。前に進めば死ぬ。後ろに退けば心が死ぬ。友人を助けに来ておいて、おめおめと逃げ帰るなんて私のやることじゃない。そうしてしまいたい。でもできない。立ち向かいたい。でもできない。

 こんなにひどい気分になったのは聖杯戦争以来だった。

 

 

「‥‥ふむ、つまらん」

 

 

 楽しみにしていたショウを台無しにされたような、そんな顔と声色でコンラート・E・ヴィドヘルツルは言った。

 そのスカした顔を何とかして凹ませてやりたいんだけど、何も手が思いつかない。そして何を思いついても、間違いなく無駄になる。そういう確信がある。

 現れてから一言だけ喋った、あの星の触覚、真祖の姫君はぴくりとも動かずに立ち尽くしている。こちらを興味深そうに見てはいるけれど、動かない。

 逆にそれでよかった。あの姫君が腕を持ち上げてこちらに向けただけで、もしかしたら私は一目散に逃げ出してしまうかもしれない。

 そうなったら多分、死ぬより後悔するんだろうけれど。

 

 

「魔王に立ち向かう勇者達。しかし力及ばず敗れてしまう。それもそのはず、実のところ魔王にこそ道理があり勇者達こそが悪。魔王は目的を達し、カーテンコール‥‥というシナリオだったのだが、ふむ」

 

 

 嘗めたこと言ってくれるじゃないの、という言葉は口から出てこなかった。

 ちらりと横へ視線を動かし、ルヴィアと、その隣のシエルとアイコンタクトをとる。ルヴィアは策がない。けれど、こんな状態なのに覚悟だけは十分に決まっている。シエルは何か言いたげだ。

 ヴィドヘルツルと真祖の姫君から死角になるように背中に回した手の、指を三本立てる。私の方へ軽く動かして、目線をヴィドヘルツルへ。そして自分の太ももを軽く叩いて、目線を真祖の姫君へ。最後に目線を一番近い扉へと。

 

 

「させるとでも思ったのかね、ふむ?」

 

 

 と、次の瞬間、その扉が壁の中に塗り込まれるかのように消える。人を嘗めきった笑みを浮かべるヴィドヘルツルを、シエルも私も視線だけで殺せたならと睨みつけた。

 後出しが許されるのも、ここがアイツの陣地だから当然のこと。でも、あぁそういうこと。

 どうしてもこの全身真っ白の変態は、私たちに真祖の姫との真っ向勝負をしてもらいたいってワケ。ただただ私たちが足掻く様子を観て楽しみたいって算段かしら。

 本当に嘗めてくれる。なんでも思い通りにいくと思ったら大間違いよ。

 

 

「やれるわね?」

 

「やるしかないではありませんの」

 

「しばらくぶりに、本気であのアーパー吸血鬼をブチ殺すのも悪くありません」

 

「もちろんだ。紫遥を助けなきゃいけないんだからな」

 

「手間かけさせてくれるわ兄弟子ってのは」

 

「どっちにしたって逃げられないなら、腹くくったほうがいいよ鮮花?」

 

「‥‥ま、殺せないことはないだろ、多分」

 

「凶げられないこともないはず」

 

「片腕だろうと私の剣は曇りはしません」

 

 

 そうよ、何を怖がってたのかしら。

 相手は真祖の姫君とはいえ変態魔術師が喚び出した仮初めの器。英霊だって殺せそうな面子が揃ってるってのに、怖気付いてばっかりじゃ、せっかく助けても蒼崎君に笑われちゃうわ。

 殴って斬って燃やして凶げて、蟲に喰わせて影に沈めて、串刺しにしてやって死なないことはないでしょうよ。

 ここで全財産使い切ったって、一生かけてでも蒼崎君に返済してもらえばいいじゃない。

 

 

「‥‥ふむ、良い目だ」

 

「その余裕もすぐになくなるわド変態」

 

「そうやって吠えるがよいよ、存分にな。君たち、英雄たちの、その最期の輝きが私と彼の新たな旅立ちを祝福する!」

 

 

 靴音も高らかに、ヴィドヘルツルは真祖の姫君の隣に立つ。見た目だけは厭らしいぐらいには良いから、並んで立つと絵になるかしら。

 いいやダメね。あの星の光の隣では、セイバーの聖剣ぐらい美しくないと釣り合いがとれない。

 滑稽ね、自分の力だって思い込んで。あの半分は蒼崎君のものだっていうのに。

 ‥‥半分? 星の光の半分が蒼崎君の? おかしくない?

 

 

「灯火が最期にひときわ強く輝くように、さぁ星の触覚よ、彼女達を彩るのだ!」

 

 

 なんで私たちは納得していた? 聖杯戦争だって、英雄をサーヴァントとして使役するなんて規格外の魔術儀式だって、たった一人の魔術師では不可能なことなのに。

 ましてや星の触覚を具現化するなんて、そんなこと人間にできるわけがない。いくら優れた魔術師にだって、そんなことできるものなの?

 蒼崎君のことといい常識が麻痺してしまってたけど、有り得ることなの? 次から次へと理解の範疇の外にある結果ばかりを突きつけられて、みんな思考が麻痺してるんじゃ。

 目の前で圧倒的な存在感を放ち、本当に押しつぶされそうなぐらい私達を威圧する真祖の姫君がハリボテだとか言いたいわけじゃあない。でも、あれは本当に奴が制御できてるものなのか。

 あんなものを自由自在に、蒼崎君の助けを得ているとはいえ、操れるのだとしたら。それこそ私達がこうして抵抗の真似を許されていることも。それすら不思議なこと。

 論理が合わない。本当に蒼崎君にかかりっぱなしなら、いくら私達が足掻くところを鑑賞したいのだとしても、それすら面倒に思うぐらいのはず。

 だったらあの姫君は。

 

 

「――まぁ、そこまでだな」

 

 

 瞬間、緊張が最大限に張り詰めた広間を、鈴のような声が支配した。

 

 

「なっ、貴様いったい」

 

 

 言葉を次ぐ(いとま)もなく、数多の鎖が白づくめの魔術師を縛り上げる。

 誰もが目を疑った。一番驚いたのは、間違いなく縛り上げられた本人だったことだろう。

 信じられない、といった様子で軋む骨も構わず目を見開いて姫君の方を向く。

 

 

「人には触れてはならぬ領域というものがある」

 

 

 がし、と姫君が片手で奴の顔を掴んだ。万力に挟まれても尚これほどではあるまい、とヴィドヘルツルは呻いた。

 飛び出そうとしていた私達みんな、それを畏ろしげに注視していた。

 口を開いたところはおろか、姿を見たのすら今この時が初めて。でも本能が理解している。

 あそこにいるのは、あそこにあるのは姫君ではない。

 

 

「それと知って挑むなら、この時まで至らなかったであろう。先んじて貴様は潰れていたわ。所謂“勘違い”だからこそ許された遊びに興じていればよかったものを、貴様は踏み込み過ぎた。否、踏み込むことは既に識っていた」

 

「どういうこと、だ‥‥」

 

「誇るがいい。その勘違いが禁足を侵すと、そのチカラがあると貴様は認められた。此処に来て、貴様は褒美を受け取る運命(さだめ)にあった。しかし手づから下賜するわけにもいくまい。故に触覚を用意されていた」

 

「星の触覚、貴様このために」

 

「私ではない。そら、夢が醒めるぞ」

 

 

 ピシリ、と鎖に罅が入る。石膏像が割れるように、星の触覚の表面にも。この大広間にも。

 やがてパラパラと姫君の表面が、鎖が、大広間の壁面が崩れ落ちていき――

 

 

「ショウ?!」

 

 

 全てが元に戻った。

 ヴィドヘルツルを縛り付けていた鎖は消え、隠されていた大広間の扉は暴かれ、真祖の姫君は蒼崎君に変わっていた。

 

 

「シロ‥‥いや、シヨウ・アオザキィ?!」

 

「おはよう皆。ちょっと、寝坊したみたいだけど」

 

 

 まったく見慣れた、いつもの姿で、蒼崎君は姫君と同じようにヴィドヘルツルの頭蓋を掴み、立ち尽くす。

 困ったような笑みを浮かべ、不満気に眉間に皺を寄せて。いつもとまったく変わらない、蒼崎紫遥という魔術師。友人。驚愕と、安堵の声が後ろからも聞こえた。

 でも、その目だけが、いつもとまったく違っていた。

 色も、形も、変わりようがない。まったく日本人らしい黒い瞳が、見るものの心の奥底まで暴くような、波紋一つない水面のような静けさを湛えている。

 チカラがあるわけでも、威圧するわけでもない。その静かな瞳だけが、人好きのする、いつもの蒼崎君とまったく違う。

 それ故に、私は背筋に疾る震えを不安に感じた。

 

 

「何故お前が此処にいる、お前はいなくなったはずでは」

 

「いなくなる? 変な話だな、お前は誰を求めていた」

 

「お前ではない! お前など、お前のような無価値な、ただの魔術師など要らないのだ! 返せ、彼を、シロウ・ムラサキを!」

 

「そんな奴、いないよ。お前は勘違いしてたんだ。根源に見放され、根源に掬われた哀れな男。本当ならお前こそが、根源に最も愛された者だったのに」

 

 

 自らの魔術を破られ、鎖なくともヴィドヘルツルは動けない。人を呪わば穴二つ、と言われるように、強力な魔術は破られるとフィードバックが術者を襲う。

 だけどヴィドヘルツルは、そんなものがなくても動けないだろう。

 それは私達も一緒だった。真祖の姫の姿をした、ナニカ。その皮が剥がれて蒼崎君が出てきて、それでも皮がもう一枚あるような、そんな畏れが。どんな鎖よりも強力な畏れが私達を、彼を縛っていた。

 

 

「根源、ハッ。そんなものが私に何をするというのだ。私は世界の外側じゃあない、世界を創る側に回るはずだったのだ! いや、お前がそう望め、今からでも、そして!」

 

「‥‥コンラート・E・ヴィドヘルツル。そんなものは存在しない」

 

「存在するではないか! 村崎嗣郎が! 早く彼を出せ!」

 

「もう一度だけ言う。いいかヴィドヘルツル、“そんなものは存在しない”」

 

 

 あれほど精神を傷つけられ、憎んでいたはずの相手に、蒼崎君は穏やかな声色を崩さない。

 その静まりきった湖面のような瞳は、ああそうか、似ているんだ。士郎に。士郎は激情することも多いけど、いくら叩かれても曲がらない鋼のような強さを宿す光を、瞳に湛えている。方向性は違っても、あの瞳は士郎に似ている。

 

 

(でも、人間があんな目をできるの‥‥?)

 

 

 そうだ。あれは個人の好嫌の感情を超越した使命感。士郎と似ていて、まったく違う。

 自分を放り投げてでも他人を助けたい、という士郎の願い、思いはごく当たり前のもの。ただ覚悟と熱意の格が他の人とは、普通の人々とは一段違うだけ。

 けど蒼崎君のあの目、あの何かへ自身を準じる覚悟の重さは並を完全に振り切ってしまっている。機械のような、と形容された士郎だって本当の機械じゃあない。けれど今の蒼崎君は、まるで本物の機械だった。

 

 

「俺自身、ずっと勘違いをさせられていたんだ」

 

「勘違い、だと?」

 

「そうだ。村崎嗣郎という人間が最初にいて、今の俺は蒼崎紫遙という役割を与えられているのだと、そう勘違いしていた。お前もそうだ」

 

「そうだ。蒼崎紫遙という魔術師はお前の、村崎嗣郎という男の仮の存在だ。そうでなければ村崎嗣郎の存在は根源にとって危険すぎる劇物。故に蒼崎紫遙という仮面を被り、根源を欺かなければお前という存在は圧殺されていた」

 

「根源という、全ての原初の渦すら創造した上位の世界を、だからお前は信じた。村崎嗣郎が存在していた別の世界に行けば、この世界の全てはツクリモノという概念で捉えることが出来る。そうすれば」

 

「そうすれば、私はこの世界の全てを手に入れたも同然だ。私という存在は根源の渦の下位から上位へと置き換わる」

 

 

 意味のわからない会話を続ける二人を、私達は混乱したまま見守っていた。

 本当は今すぐにでも蒼崎君を助けて、あのド変態を仕留めてしまった方がいいに決まってる。でも直情型の士郎も黒桐さんも、戦闘狂のケがあるらしい式も、誰もが動けなかった。

 まるで遺言のやりとりをしているかのようだった、二人は。それがどちらの遺言なのかは、私にも分からなかった。

 

 

「この世界の全ての物語が、全て本当の物語だった。英霊も、魔術師も、時計塔も、根源という概念すらも、村崎嗣郎にとっては、そのあたりに転がる娯楽の一つに過ぎない。私達は物語の登場人物、簡単に誰かの気分で根本から存在を改変されるような不安定な存在だった」

 

「そう思ったんだろうな、お前は」

 

「だが私が村崎嗣郎と同じ場所に立てば、その不安定さも私のものになるのだ。回りくどい方法など何一ついらない。村崎嗣郎、お前さえいれば」

 

「だからお前はオレを、俺を狙った。あちらこちらで要らんちょっかいばかり出して、徒らに世界の根底を揺るがし続けていたお前は、俺だけを求めて動き始めた」

 

「お前だけ、お前さえいれば」

 

「“それが間違いで、それが正しかった”んだよ、コンラート・E・ヴィドヘルツル。俺がいれば、“お前がそうする”ことは分かっていた。だから俺がいて、そして“お前はそうするように決まっていたんだ”」

 

「‥‥何ぃ?」

 

 

 ヴィドヘルツルが、怯えたように一歩下がろうとした。けれど下がることは蒼崎君が許さない。

 いや、“あれは本当に蒼崎君なのか”?

 どうしても聞きたくないことを聞いたように、ヴィドヘルツルだけじゃない、みんなが一歩下がっていた。多くは話していないから、言葉だけでは何が何なのか分からない。でも少し頭が回る人なら、あの二人が何を話しているのか分かるはず。

 ああ、それは絶対に認めてはならないと、全員が理解しているんだ。多分それは、どんなことより恐ろしいもののはずなのだ。

 

 

「お前は、世界一大きな罠にかかったんだよ。コンラート・E・ヴィドヘルツル」

 

 

 蒼崎君は、哀しげに、寂しげに嗤った。

 その微笑みが、どれほど恐ろしかったことか。どれほど悲しかったことか。多分私たちは悲しいと感じて、そして恐ろしいと感じただろうヴィドヘルツルの顔色は忽ち変わる。

 

 

「――まさかッ!!」

 

「そのまさかさ。ありえない話じゃないか、自分達が御伽話の住人だなんて、そうは思わないか? 蒼崎紫遙という魔術師は世界を騙す仮面だった。それは本当のことさ。でも、村崎嗣郎もまた、同じようにあやふやで、全くの嘘っぱちの代物だったんだよ」

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 目の前にはすっかり怯えて、目を見開いた我が宿敵。

 かっこつけてはみたけれど――あぁ、前はあんなに恐ろしかった此奴が、今は唯々哀れにしか見えなかった。

 自らの魔術のフィードバックで動けなかったのは数秒前までの話だろう。もう動こうと思えば、俺の掌なんてどんな魔術でだって振り払って距離をとれるはずだ。そして、今度こそ目的を達することが出来るだろうに。

 ‥‥いや、もうそれも適わない。いくら此奴が頑張ったところで、その目的は達成できない。

 だってそんなもの、始めから存在しなかったのだから。

 

 

「俺もお前も、遠回りだったな。本当なら一瞬で全ては終わるはずだったんだ」

 

 

 俺はずっと勘違いをしていた。村崎嗣郎という人間が最初にいて、今の俺は蒼崎紫遙という役割を与えられているのだと、そう勘違いしていた。此奴もそうだ。

 でもそれは全て嘘っぱちだった。

 村崎嗣郎なんて男は、この世のどこにも、別の世界にだって存在しないのだ。

 

 

「‥‥魔術師は根源を目指す。あらゆる方法を試す。そして失敗する。魔術師が根源に到達することを世界は許さない。あらゆる手段で根源への到達を妨害する。だから魔法使いだって、本当の意味で根源に到達したわけじゃない」

 

 

 根源の渦は全ての始まりであり、全ての終わり。

 魔法はこの世の常識では不可能なことを起こす。ゆえに“法”。根源に直結した道。でも常識で不可能、程度の、人間の頭の中から生まれ得るようなものは根源そのものとは断じて言えない。

 根源に接続している式の肉体もまた同じ。だから何? と。真に根源に接続したものならば、もはや人の知覚が及ぶところではない。俺達が観測できる範疇から飛び出してしまう。

 そうだ。根源というのは、本当にこう、どう呼んでいいか、どう表現していいか、わけのわからないナニカなのだ。だから式の中にいる「   」は、そのわけのわからないナニカを見ることはできても、そこから生まれたナニカであっても、それを人類に対して明瞭に出力し、伝えることはできない。

 なんて酷い話なんだろうな。なんて酷い気分なんだろうな。

 まるで今の俺の、この言語化しがたい気分と一緒なんだろう。

 だって俺もまた、“根源から生まれた”ナニカなのだから。

 

 

「およそ凡ゆる魔術師は根源の渦からの抑止力を受け、根源へは到達できない。その点お前は、本当に優秀だったんだろうさ。おそらく、今までで一番世界の秩序と混沌を揺るがす存在だったに違いないさ」

 

 

 だから俺が生まれた。

 コンラート・E・ヴィドヘルツルという魔術師は、本当に特異な存在で、とてつもない脅威だったのだろう。

 根源の渦は人類には知覚できず、何が何だかわからないナニカであるが故に、俺達への干渉の手段は制限される。それが根源の渦から生まれた俺が根源の残滓を“観測”して得た感覚だった。

 どんな舞台を整えても力技で抑止力を退けてしまうかもしれない特級の脅威。きっと根源には辿り着けないだろうけれど、辿り着くために世界をめっちゃくちゃにしてしまった魔術師。

 めっちゃくちゃに、というのは目に分かることだけではない。根源というのは触られるのを嫌がる小動物みたいで、触るぞー触るぞーと頻繁にアプローチされるだけでも過大なストレスを受けているように感じる‥‥のだと思う。

 そのストレスは様々な形で世界に悪影響を与える。一見何も起こらないし起こさない。けれど確かに悪いことだ。何とかしなければならないことなのだ。

 抑止力には人間の集合的無意識であるアラヤと、星の存続を旨とするガイヤとがあり、双方がそれぞれ抑止力の行使を行うが‥‥。俺はこいつら、結構優しいというか、そう簡単に過激な手段がとれないと感じた。昔はヤンチャした、という表現が似合うあたりは旧約聖書の神様と新約聖書の神様の違いにも似ている。

 その気になれば地表を洪水で洗い流してしまったり、火山を噴火させたり、凄まじい台風を発生させたりと好き放題できるはずなのに、やらない。

 星も疲弊しているのだろうか? 大掛かりな抑止力を行使できないほどに神秘は薄まったのだろうか? 理由はわからないけれど、あるいはそれらの手段でだって、コンラート・E・ヴィドヘルツルという魔術師の脅威を排除できないと判断したのかもしれない。

 だから俺が生まれた。

 

 

「――人間を一人、そのために生み出すぐらい世界を追い詰めた。それは誇れよ、コンラート・E・ヴィドヘルツル」

 

 

 嘘っぱちが、俺だった。

 村崎嗣郎は嘘っぱちとして生まれた。

 吸血姫と殺人貴を巡る物語は確かにあったはずだ。破戒僧が根源へと繋がる肉体を求めて、その人格の一つと、冠位の人形師と争う物語も確かにあった。聖杯を巡る物語も、数ある分岐の可能性の中から一つだけが存在した。

 でもそれが娯楽として存在している別の世界。そんなものは何処にもありゃしない。ああ、当たり前なんだよな。そんなものがあっていいはずはないし、あるかもなんて考えは妄想以上でも以下でもないんだ。

 普通に考えれば分かってしまう、夢物語。誰に話したって嘘っぱちだと笑うだろう。未来視か過去視か、詐欺か、そんな程度のことだ。知らないはずのことを知ってるなんて、そんな話は掃いて捨てるほどあるだろう?

 

 

「お前は俺という夢物語を信じてしまった。お前なら信じるだろうという信憑性を俺は持っていた。当然だな、そうあれかしと生まれたのだから、俺は」

 

 

 宇宙の外にあり、過去現在未来、そして凡ゆる可能性に通じる英霊の座。

 俺は英霊の座に存在理念が似ている。正確には、俺の中にある色んな知識が。あれは創作されたものじゃなくて、本当にそうあるかもしれなかった可能性や、そうあった過去や、そうあるだろう未来そのものなんだ。

 ただただ人類に知覚しやすいように、分かりやすいように噛み砕かれた。そして俺の中には、創作だと、物語であるとして存在する。

 村崎嗣郎なんてのも同じ。創作された人格と人生。ただの造りもの。しかし人ならぬ、根源そのものが創作したそれは、凄まじい信憑性を持っていたというだけ。本人すら騙すほどに。

 あの知識を思い出すと世界からプレッシャーを受けると。それも当然だった。来たるべき時が来るまで俺が自分の役割に気づかないようにするには、それが一番都合がよかっただけのこと。

 実際に世界から存在を否定されていたんじゃあない。あれは元から俺の中にあったセーフティ。催眠術の、ものすごいやつだ。俺は今までずっと踊らされていたというわけ。

 今ではそれでもいいと思ってしまっている自分がおかしくて、少し笑った。

 

 

「‥‥嘘だ」

 

「嘘じゃない」

 

「嘘だ、じゃあ私は、ずっと」

 

「そうだ。お前は存在しないものを追い求めていた、ただの道化だ」

 

「バカな、そんなバカなことがあるか! だって私は」

 

 

 選ばれた魔術師なんだ。そう言いたかったのだろう。

 安心しろよ、コンラート・E・ヴィドヘルツル。それは紛れもない事実なのだから。お前は選ばれた魔術師に違いない。

 お前のために俺は生まれたんだ。それは選ばれた、特別な存在じゃなきゃ許されないことだ。こんな回りくどいやり方でなければ、お前は止められなかったんだ。言うなればお前は世界の宿敵だった。

 この神秘の薄れた現代で、お前は根源に最も近づいた魔術師だった。蒼崎青子も、キシュア・ゼルレッチ・シュバインオーグもお前ほどは世界に認められなかっただろう。だからお前は正しい。

 でも、それもここまで。結局のところお前を殺すために生まれた俺が、俺の存在意義がそれだけだったように、お前もまた俺に殺されるのが役割で、存在意義。なんて無価値で、なんて残酷な真実。

 

 

「なぜだ、なぜお前は“それ”ができる、なぜだ。お前が真に根源から生み出された存在だというのなら、お前はただそのための存在意義しか持たない飛沫のような存在ではないか。すぐに乾いて消えてしまう飛沫のように、お前という存在は消え失せるのだぞ!」

 

「そうか。お前はそう思うのか」

 

「何もかも虚ろに消え去ってしまう、そんなこと、お前にどうして耐えられるというのだ!」

 

 

 人は、一人では自身を定義付けすることが出来ない。

 誰かに観測してもらうことで、誰かに定義してもらうことで“人間”になれる。そういう概念についての話を聞いたことがあった。他者という文明によって、認識による集団の形成によって定義をされなければ、それはもはや人間ではなく獣であると。

 ならば村崎嗣郎は誰によって定義付けされていたか。答えは明確だった。すなわち俺の生みの親たる根源による定義。

 いるかいないか定かではない、人として生を受けて成長した記録すらない不確かな存在を定義づけるには、根源による直接、強力な認識が必要だった。そしてそれは、俺が役目を果たせばもはや不要なもの。村崎嗣郎は瞬く間に、晴れた日のアスファルトに跳ねた飛沫のように消え去ってしまうことだろう。

 

 

『そろそろ、お前に名前をつけようか。その名前では呼べないから、そうだな、語感は合わせるとして』

 

『“紫”は入れたいわね、私的には』

 

『たまには悪くないことも言うものだ。よし、遙か遠いところからやってきたお前だから――』

 

 

 だけど、それの何が怖いっていうんだろう。だって俺はそのために生まれてきたんだ。

 そうだ、それの何が怖いっていうんだろう。確かに村崎嗣郎は意味のない存在になってしまうかもしれない。

 かつて、それは俺を表す言葉として作られたものだったんだろう。俺は村崎嗣郎と便宜上呼ばれる存在だったかもしれないけれど。

 

 

『ショウ』

 

『紫遙』

 

『蒼崎君』

 

『ショー』

 

『紫遙君』

 

『蒼崎』

 

『シヨウ』

 

 

 こんなにも、蒼崎紫遙は観測されていた。認識されていた。定義されていた。

 なら、もう十分じゃあないか。村崎嗣郎は伽藍洞の嘘っぱちだったかもしれないけれど。俺は蒼崎紫遙だったのだから。蒼崎紫遙は、こんなにも素晴らしく人間をしていたじゃないか。

 自分の何もかもが失くなるわけじゃない。誰にも定義されなかった村崎嗣郎は失くなってしまうかもしれないけれど、蒼崎紫遙は失くならない。なら自己の喪失、定義の消失なんて恐れることじゃあないんだ。

 だったら俺のやるべきことは決まってる。

 橙子姉も青子姉も教えてくれた。

 俺は一流の役者じゃあないかもしれないけれど。それでも一端(いっぱし)の役者でいたいと思っているのなら。

 

 

「――台本通りに演じきらなきゃな。そうだろ、コンラート・E・ヴィドヘルツル」

 

 

 白い魔術師の頭蓋をつかんだ右手に力を込める。

 こんなことになるって分かってたんだから、脚本家はもっと楽な小道具を用意しておいてもらいたいものだったけれど、文句を言えるわけもなし。

 頼みの綱はいくつも用意してやってきていた。

 十八番の『魔弾の射手(デア・フライシュツ)』。

 片手間にシゴかれた両儀流の短刀術。

 此奴にひと泡吹かせるために現代の魔女に頼んでまで用意してもらった『蛇の王(バジリスク)』。

 手持ちのルーンは使いきった。魔眼も超一流の魔術師にはレジストされてしまう威力しかない。なら本当に、最後の最後の、文字通りの奥の手を使うしかなかった。

 

 

「――戦神よ(テュール)焔もて(アンスズ)我が責を果たす(ナウスズ)いま洛陽の時(ダガズズ)

 

「ッこのルーンは、シヨウ・アオザキ貴様ァ?!」

 

 

 右腕の肘から先の骨に、びっしりと刻み込んだ力ある文字が俺ごとヴィドヘルツルを紅蓮の焔で包み込む。

 瞬く間に炭と化し、俺の右腕は焔と一体化して我が宿敵を焼き尽くさんと命を燃やす。

 旧い魔術には生贄がつきもの。特に術者の一部は生贄として一級品。捧げる部位が大きければ大きいほど、貴重であれば貴重であるほど術の効果は高まる。

 髪の毛とか歯とか、そんなもので出せる威力じゃ此奴は燃え尽きない。だからこその、腕一本。苦痛に耐えて骨に直接刻み込んだ力ある文字(ルーン)は俺の持つ最も価値の高いもの。

 余波が顔を焦がすけど、もうそんなものは熱いとも痛いとも感じなかった。俺の中で、何か大切なものが、ヴィドヘルツルが焼けるにつれて毀れていくのが理解(わか)る。

 それは勝利の確信であると共に、破滅の確信だった。世界は勝利を確信し、俺の破滅を決定したのだ。

 

 

「‥‥じゃあな、コンラート・E・ヴィドヘルツル。俺達の物語は、これでおしまいだ」

 

 

 終に掴んでいた頭蓋と首は炭化し、どうと燃え続ける身体が倒れて、俺は自分の右腕だったものを肘ぐらいから振り払った。

 ぐらりと身体が揺れる。右腕一本の喪失は思ったよりも身体のバランスに影響を与えているのか。いや、多分それだけじゃない。

 酷い吐き気。目眩。ぐにゃぐにゃと視界が歪む。立っているのに立っていないような、痛覚どころか触覚もなくなってしまったような感じだった。

 身体中の関節が消え失せてしまったように不確かで、俺は吐き気を堪えながら、視界の端に皆が駆け寄ってくるのを見た。

 

 

「ああ、せっかく来てくれたのに、礼の一つも、言えや、しない――」

 

「ショウ!」

 

「蒼崎君!」

 

「紫遙!」

 

 

 そして俺も、宿敵と同じように床に倒れ伏す。

 上等だろう石で出来た床は冷たいのだろうか、それとも先程の焔で熱せられているのだろうか。頬には何の感触もなくて、自分が寝っ転がっているのが全く現実味のない現実。

 毀れていく、俺の中の大切なナニカ。それはもう皹や欠けを通り越して、粉々に砕け散ってしまおうとしている。俺を構成しているオレが、俺でなくなる瞬間を今、感じた。

 このまま、ただちに村崎嗣郎なんて人間はいなくなる。存在を定義されなくなって、観測されていた事実もなくなって、なかったことになってしまう。誰にも認識されずに消えて失せる。

 悲しくも、寂しくもない。それは最初から分かっていた。ただただ当たり前のように消えていくのだと、何の感慨もなく消えていくのだと。

 でも不思議だった。

 当たり前の役目を当たり前のようにこなしたはずなのに。

 俺の中にあるのは、自分でも驚くぐらいの熱。

 満足感。

 そして村崎嗣郎が知るはずもない。

 蒼崎紫遙の、二人の義姉の顔。

 俺以上に満足そうな、安心したような義姉の顔に、ああ、なにか喋らなきゃ。伝えたいなにかがあると。

 口を開こうとして。

 俺の意識は、あの飛行機のときに感じたぐちゃぐちゃした渦のような沼のような泥のようなナニカの中へと引きずり込まれて。

 

 

(橙子姉、青子姉、終わったよ)

 

 

 目玉も歯も、全身の骨と血液も、すべて吹っ飛ばされるような衝撃。

 そうして俺は暗闇にすべてを委ねた。

 

 

 

 

 Final act Fin.

 

 

 

 

 

 




そういえば、いつのまにか誤字報告なる機能が実装されていて驚きました。
大量の誤字報告と修正‥‥ありがたい限りです。とても嬉しいです。
順次直していきます。ご協力ありがとうございます!

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