UBW~倫敦魔術綺譚 (未改訂版)   作:冬霞@ハーメルン

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大変お待たせしました、倫敦最新話をお届けします。
今回は救援隊のお話がメインで、嗣郎君については少しだけ。
色々と疑問もあるでしょうが、ここから彼の戦いが急ピッチで進んでいきます。
どうぞよろしく!


第八十八話『救援隊の困惑』

 

 

 side Shiro EMIYA

 

 

 

 閃光が視界を灼き、たまらず目を閉じた。

 鬱蒼とした緑と、どこまでも続く深い暗闇に閉ざされた公園は何処かへと消え、やがて取り戻した視界に映るのは最初に俺達が辿り着いた大広間。

 不規則なひび割れ模様が走る床に、あるいは膝をつき、あるいは何でもないように佇むのは、さっきまで一緒に死徒二十七祖の一柱と戦ったみんな。世界最強の一つと対峙し、打倒した疲労を隠せず、ただ独り着物にジャケットというちぐはぐな格好をした式だけが泰然と構えていた。

 

 

「‥‥戻って、きましたの?」

 

 

 情けなくも肩を貸してもらっていたルヴィアが、周りを見て呆然と呟いた。

 俺達以外に人影はなく。ただただ静寂が広がっている。そして主に俺が流した血痕も、数多の獣から流れ落ちた泥の残滓も奇麗に消え失せていた。

 あれは夢だったのだろうか、と思ってしまうぐらい何も残っていない。けど大事な仲間が負った傷や、懐から消え失せた宝石達、魔力の喪失による拭いがたい疲労感と倦怠感が確かに戦闘の痕跡を俺へと刻んでいた。

 

 

「みたい、だな。大丈夫かルヴィア? 式?」

 

「俺は平気だ」

 

「こちらの台詞ですわよ、シェロ。危険はないみたいですし、少しお座りになって。あまり得意ではありませんけれど、治療してさしあげますわ」

 

 

 嗜めるように言ったルヴィアが少し小粒の宝石を取り出し、呪を喚び起こして俺の身体に押し当てた。

 僅かばかりの魔力の注入、そして傷の修復。治癒とは自己治癒能力を促進させるもので、本来なら多用するべきではない。しかし戦闘の最中、敵の本拠地の中にいる今はそれどころじゃないのだ。

 ルヴィアの宝石から熱が移っていくようにじわじわと魔力が注がれ、俺の体はゆっくりと傷を塞ぎ始める。こうやって傷を直すときは、いつも刃を噛み合せるようなイメージが俺の頭を過る。ルヴィアが小さく息を飲む音がして、やっぱり傷口を女の子に見せるのは不味かったかな、なんて思った。

 ちなみに式は傷一つ負ってなくて、俺の未熟さが思い知らされる。そんなに歳は違わないと思うんだが‥‥ここまで差が出るものなんだな。

 

 

「おい、見ろ」

 

「ッ?!」

 

 

 瞬間、床に刻まれた模様に光が走り、俺とルヴィアはすぐさま戦闘態勢に。

 模様で区切られた空間をカーテンで覆い隠すように吹き上がる光の奔流。それが収まると同時に、次々と人影が現れていく。

 

 

「ここは‥‥ルヴィアに士郎?! 無事だったのね貴方達!」

 

「ミス遠坂、セイバー!」

 

「無事だったのかって、それこそこっちの台詞‥‥ってセイバー、お前どうしたんだ、その腕?!」

 

 

 光の中から現れた遠坂、シエル、セイバー。皆ボロボロで、シエルはともかく残りの二人は疲労困憊を絵に描いたような有様だった。あのセイバーが、遠坂に肩を貸されて辛うじて立っている。

 そしてセイバーの左腕は、肩のやや先ほどから断ち切られて無くなってしまっていた。

 

 

「‥‥強敵に遭遇しまして。克つために、捨てました。心配はありません、シロウ。今は少々不便ですが、凛から十分な魔力の供給があれば数日で完治します」

 

「サーヴァントって、そんな爬虫類みたいな生き物なのか」

 

「そもそもエーテル体で構成されていますからね。それに生き物でもありません、英霊です。それ以前に失礼ですよシキ、誰が爬虫類ですか誰が」

 

 

 サーヴァントはマスターからの治癒の魔術と、魔力の供給とある程度の時間があれば、たいていの傷は回復すると聖杯戦争の時にセイバーから聞いた。しかし腕一本ってのは荒療治だろう。一朝一夕で治るわけもない。

 何よりセイバー、シエル、そして遠坂が揃っていて、なおセイバーが片腕を失う相手だって? ルヴィアの話によれば俺達が戦った吸血鬼も死徒二十七祖とかいう化け物だったらしいのに、それ以上の強敵だっていうのか。

 

 

「‥‥げ、ホントだセイバーさん大変ねソレ」

 

「だ、大丈夫ですかセイバーさん?! わ、私すこしだけ治癒の勉強をしましたから、傷を奇麗にするぐらいなら‥‥!」

 

 

 と、光が収まった背後からも仲間の声が聞こえて来た。

 かなり煤けちゃいるけど、無事な様子の桜と黒桐。そして落ち着いた表情の浅上。どうやらこちらも激戦だったらしく、かなり疲れ切っていた。

 セイバーの怪我を見て、桜が慌てて近寄り傷口を確認していく。奇麗に斬りとられた傷というよりは、吹き飛ばされた傷らしい。傷口は荒くヤスリでもかけられたかのようで、普通のヤツなら正視に耐えないぐらい酷かった。

 

 

「あぁ、酷い傷じゃないですか! これ、私じゃ完治は無理です‥‥」

 

「気にしないでください、桜。応急処置は凛にしてもらいましたから、これ以上は戦いが終わり、治癒に集中できるまではどうしようもありません」

 

 

 なんとか少しばかりの治癒を施し、心配そうにセイバーと話をする桜。

 魔術特性と合っていたのか、その治癒は素人同然の俺が見ても奇麗な方だ。セイバーも今はつらそうにしているわけではないが、少しばかり眉間の皺が浅くなった気がする。

 そんな桜の様子を見て、何か妙な表情を浮かべている遠坂とシエルが少し気にかかった。遠坂らしくない、何かを言いたいのに堪えているような。いや、何を言ったらいいか分からないような顔だ。

 

 

「なぁ遠坂、なにか‥‥あったのか?」

 

「‥‥ううん、なんでもないの士郎。これは蒼崎君を助けてから、何とかする話だから」

 

「そういう言い方をされると気になるぞ」

 

「だとは思うわ。でも大丈夫。この面倒が片付いたら、ちゃんと話すから。そのぐらいは信用してくれてもいいんじゃない?」

 

「む。まぁ遠坂がそこまで言うなら、そりゃ俺だって吝かじゃない」

 

「ありがと。それと、心配かけて悪かったわね」

 

「あぁ、気にすんな」

 

 

 一息ついて、みんなで周りを見渡した。静まり返った大広間には、俺たちが変な場所に引きずりこまれる前まで、あんなに溢れ返っていた兵士達の亡霊も、紫遙を拐したコンラート・E・ヴィドヘルツルの姿もない。

 では奥へと続く道があって、その先に奴がいるのかと言えばそんなこともなく。俺たちが入って来た通路以外には扉の一つも見当たらない、完全な行き止まりだった。だが只の行き止まり、とはとても思えない。

 だって城に入ってすぐの大広間から続く道がなければ、どうやって他の部屋に入るっていうんだ?

 

 

「‥‥昔の城塞では、城攻めをしている敵方を奇襲するための城門がありました。普段は普通の城壁にカモフラージュしていて、内側からのみ開かれるというものです。探せば案外、隠し扉が見つかるのでは?」

 

「流石に大広間にそんなものをつけるなんてナンセンスよ、セイバー。多分、空間の置換か位相のズレを作り出しているか‥‥」

 

「位相のズレって、どういうことだよ遠坂?」

 

「空間の持つ固有位相は私達が近く出来る範囲では、ほぼ同じとされておりますわ、シェロ。しかしこれを意図的にずらし、歪めることによって知覚できないようにするというものです。時間的に、あるいは空間的に位相を捩じ曲げることは一般的な魔術の一つではありますが、故にこそ正攻法では中々破りづらい魔術的な備えの一つ。前にも教えたことがありませんでしたかしら?」

 

「物覚えがよくないのは自覚してる。勘弁してくれルヴィア」

 

 

 空間の持つ位相、なんて講義で聞いたのは随分昔だ。人間の知覚に関する概念で、魔術で知覚をズラしてしまう際に使われるのだという。空間そのものに干渉するのではなく、人間の知覚というステージにおいてのみ干渉されない位相を発するようにしてしまうんだと。

 言うなれば知覚に関係する概念である以上、実際に存在するものに働きかける触覚などには効果が及びづらく、また魔術による空間探査などを潜りぬけることも難しい。だがそれも術者の力量次第で、術式によっては触覚すらも欺き、実際には避けて歩いたのに、まるで通り抜けたかのような錯覚をさせる高等な魔術などへ昇華すると二人は語った。

 二人は言った、という風に自分の頭からこれっぽっちも知識が出てこないのが悲しい限りだけど、やっぱり俺は学者としての魔術師には向いていないらしい。仕方がない。

 

 

「どうしますか、遠坂さん、ミス・エーデルフェルト。必要なら私がからくりを暴きますが」

 

「聖堂教会の破戒司祭さんにやってもらうこともないわ。破るだけなら私とルヴィアで十分。ただ‥‥」

 

 

 相手の動きが読めない。

 眉間に皺を寄せて零された遠坂の呟きに、達観した様子の式と薄く瞼を閉じた浅上以外の全員が首肯した。

 不気味な静寂が広間を支配する。短い時間だったが、俺たちの不安を表すには十分すぎるほどの時間だった。

 

 

「ルヴィア、貴女のところは何が出た?」

 

「死徒二十七祖の第十位。ネロ・カオスが」

 

「桜、貴女は?」

 

「誰でしたっけ、えぇっと、木っ端、じゃなくて、赤いというか何というか」

 

「コルネリウス・アルバ」

 

「あぁそれです、ありがとう藤乃。何かの修道院の院長さんだとかいう魔術師が」

 

「コルネリウス・アルバ? 存じ上げておりますわ。随分と前に姿を消しましたが、彼のアグリッパの直系、シュボンハイム修道院の天才魔術師と噂されていた」

 

「あ、有名な人だったんですね。私てっきり勘違いした変人かと。でもそうですよね、死徒二十七祖なんて大物と釣り合うためには、そのぐらいじゃないと」

 

「桜、それ以上はいけない」

 

 

 ニコニコと笑いながら毒を吐いているようにしか見えない桜に、やむを得ず黒桐が突っ込みを入れた。

 付き合いが長い俺から見ても、今の桜はどこはかとなく恐ろしい。まさか変な呪いでも受けたのだろうかってぐらいに。

 

 

「いや、桜が毒を吐いてるなら元気ってことだしいいんだけど‥‥。そういえば遠坂さん達のところには何が出て来たわけ?」

 

「‥‥セイバーよ。端的に言えば、悪いセイバー」

 

「ってことはセイバーさんの腕って」

 

「えぇ、あったかもしれない別の可能性の果ての私自身に」

 

 

 自分自身と戦った、というセイバーに、黒桐がわけのわからないものを見るような顔をした。そりゃそうだ、誰だって実際に自分と面と向かうことなんて想像出来るわけがない。

 あるいは俺も、一生そんなチャンスはなかっただろう。幸とすべきか不幸とすべきか、まさにセイバーと同じように自分自身と対峙した経験のある俺としては、セイバーの何故か吹っ切れたような顔の理由が何となく想像出来る。

 

 

「いい顔してるな、セイバー」

 

「腕一本で、随分いい買い物をさせてもらいました、シロウ」

 

「私達はトンでもなく心配したんですけどね」

 

「それについてはあれほど謝ったではないですか凛‥‥というかですね、本来なら私が謝らなければならない謂れはないのではと」

 

「マスターに文句言うんじゃないの。ほんと、心臓止まるかと思ったわよコッチは。一難去ってまた一難って、こういうことを言うのよね」

 

「ふむ。それを言うなら遠坂さん、どうやら、また一難が飛び出して来そうな様子ですよ」

 

 

 ひやり、と緊迫感を滲ませたシエルの声に、俺たちは一斉に同じ方向に向き直った。

 シエルの放つ殺気が明確に其処を指していた。不可解に続きがない階段の、踊り場を。

 

 

「――お見事、というべきかな埋葬機関の第七位殿」

 

 

 ゆらり、と陽炎。いや、俺たちにはそれを形容するために使える言葉がそれしかないだけで、それは陽炎などでは断じてない。

 空気が目を騙しているわけでは断じてなく。空間そのものが正真正銘歪んで、撓んで、無理矢理に隙間を作り出す。

 そして現れる、全身白尽くめの異様な男。

 

 

「コンラート・E・ヴィドヘルツル‥‥ッ!」

 

「如何にも。どうだったかな、今回の演目は? ふむ、どうやら楽しんで頂けたようで何より。そうだろう、ミス・トオサカ?」

 

「‥‥悪趣味な出し物だったけど、まぁ得るものはあったわ。礼なんて口が裂けても言わないけど、それだけは認めてあげましょ。最初考えてたよりは、やさしく殺してあげるわ」

 

「ふむ、照れ隠しかね?」

 

「今すぐ降りてこいゴルァ! 殴ッ血Kill!!」

 

「中指を立てるのはおやめなさいミス・トオサカ! はしたないですわよ!」

 

「そうだぞ遠坂、挑発に乗るな!」

 

 

 大袈裟にお辞儀をしておちょくってみせるコンラートに、遠坂が一瞬で沸点に達して怒鳴り散らした。ここまで遠坂を怒らせる奴も珍しい、とルヴィアと二人で必死に制した。

 遠坂はそんなに気が長い方じゃないが、とにかく外面が良くて他人に対する壁が厚い。だから普段なら厭味だって何だってサラリと受け流してみせる。その遠坂が簡単に挑発に乗るなんて、何かあったんだろうか、俺とルヴィアが見ていない間に。

 

 

「ふむ、ミスタ・エミヤやミス・マキリには申し訳ないことをした、興の乗らない相手だっただろう。人選には悩んだのだ、ふむ。やはりミス・トオサカの御相手に凝り過ぎてしまったのがいけない。どうにも夢中になってしまうと止まらなくてな。いや失敗だった、ふむ」

 

「やっぱりお礼を言った方がいいみたいですね、先輩?」

 

「その笑顔をこちらに向けないでくれ、桜。背筋が別の生き物みたいに震えるから」

 

 

 やはりアノ吸血鬼はコンラートが意図して、そうしようとして喚び出したものだったのか。あんな規格外の代物を。

 サーヴァントだって、英霊を呼び出す聖杯戦争という儀式だってあり得ないぐらいに大規模で希少だと時計塔で会った人達は口を揃えて言っていた。勿論そんなことは俺だって十分以上に分かる。だからこそ、目の前のコイツの得体の知れなさは尋常じゃあない。

 聖杯戦争は土地の龍脈を使って、長い時間をかけて英霊召還のための魔力を蓄えるというシステムらしい。英霊に匹敵するだろう敵を三体、たった一人で召喚するなんて頭がおかしい。

 

 

「‥‥しかし、ふむ。これで理解してもらえたと思うのだがな。私と、シヨウ・アオザキの力を」

 

 

 ぴくり、と全員が一斉に表情を歪めた。

 そうだ、あいつは言っていた。「俺たちも知らない紫遙の力」を見せると。そう言って俺たちをあんな変な連中が出てくる場所へと送り込んだのだ。

 

 

「俺はさっぱり分からなかったけどな」

 

「君は勉強が足らないから分からないのだ、ミスタ・エミヤ」

 

「余計なお世話だ。じゃあ遠坂は分かったのか?」

 

「なんとなくはね。でも納得は出来ない。コンラート・E・ヴィドヘルツル、さっきのあれは噂に聞くあんたの大魔術、『メモリー』の仕業ね?」

 

 

 遠坂の言葉を受けて、さも嬉しそうに頷くヴィドヘルツル。まぁそうでしょうね、と隣でシエルが呟いた。

 彼女が言うところによると、死徒二十七祖には記憶をもとに悪夢を再現する形で、ヴィドヘルツルのように何かを召喚する能力を持つ吸血鬼がいたそうだ。

 そういえばコイツと会ったときの騒動、クラスカードの魔術も記憶を媒介に英霊を召喚するって仕組みらしい。あのときはバゼットと、俺と、遠坂と、紫遙の記憶を媒介に英霊が召喚されたんだっけか。

 

 

「そうでなくては道理に合うまい、ふむ。あれこそが私と、シヨウ・アオザキの力さ、ミス・トオサカ」

 

「馬鹿にしないで。あんたの魔術が他人の記憶や土地の記録を媒介に霊体を召喚する、なんてことは封印指定の執行者からリサーチ済みよ」

 

「だからこそ納得がいかないのですよ、私も遠坂さんも。死徒二十七祖、それはまだいい。魔術協会の大魔術師、それもまだ分かります。しかし私達の前に出て来たアレ。アレはさっぱり分からない」

 

「凛とシエルの言う通りです。アレは“ありえない”ものだった。私がああなったことはなかったし、これからもああなることはないでしょう。可能性としては存在しても、実際には欠片も存在しないものは召喚しようにも出来るはずがない」

 

 

 遠坂、シエル、セイバーが一歩前に出て強く詰問した。

 あの三人が何を見たのか、俺たちにはさっぱり分からない。クラスカードの時に出て来た、黒く染まった英霊の現象のようなセイバーが出てきたのと聞いた。けど、どうにもそれだけじゃないような。

 そういえば俺たちが相手にした吸血鬼も、クラスカードの時と違って意識があった。現象では断じてなかった。同じように、三人が相手にしたというセイバーにも意識があったのだろうか。ありえたかもしれない、可能性の果てのセイバーとしての意識を持っていたというのだろうか。

 

 

「形骸に仮初めの意識を宿しても、その人格は言わばメッキ。辿って来た人生までも再現できるわけではありませんからね」

 

「あれは断じてメッキなどではありませんでした。まぎれもない私自身でした。私がそういうのだから間違いない。そして彼女も‥‥」

 

「あんなもん見せられて、無事で済ませるわけにはいかないわよね。キリキリ吐きなさいよ、話したそうな顔してるわよ、この変態」

 

 

 普通、魔術師がペラペラと自分の魔術について解説するなんてことを期待してはいけない。当たり前だけど、俺もたまに読む少年漫画みたいに解説が入るわけじゃないんだ。

 けど踊り場の上から俺たちを見下ろすヴィドヘルツルは、母親に褒めてもらうのを待っている子どもみたいに、満面の笑みを浮かべていた。無邪気な表情が端正な大人の青年の顔立ちに浮かんでいるのは、実に気味が悪い。

 

 

「‥‥君たちの推理は概ね正しい。ふむ、いや、殆ど完全に正しい」

 

「どういことよ」

 

「あれらはシヨウ・アオザキの記憶から生み出された。その一点については疑いようのない事実だということだよ」

 

「ふざけているのですか、貴方は。今までも、これからもありえないだろう存在が、どうやって記憶に残るというのですか」

 

「ふむ、ふざけてなどはいないよ騎士王殿。ただの事実だ。君が目にしたもの、耳で聞いたもの、戦い、話し、感じ取ったもの。全て彼の記憶から出てきたものだ」

 

「だからふざけてんじゃないって言ってんでしょ! ないものをどうやって、どこから持ってくるっていうのよ!」

 

「ないのではない。あるのだ、ふむ。彼は知っているのだ、全てを。我々すら知らない全てをだ」

 

 

 ゆっくりと、誇らしげに、ヴィドヘルツルは言った。

 堂々巡りのような問答だと一瞬思った。しかし奴の言葉には、何故か否定出来ないぐらいの確信と、背筋が泡立つ狂気が込められていた。

 

 

「‥‥ふむ。ここ最近の私は、英霊の座について調べていた。つい先日のクラスカードも、その結果、生まれたものだ」

 

「苦労させられたわ」

 

「溜飲が下がる思いだな、ふむ。私にとっては慰めのようなものだったが‥‥一つ、面白い考察を得ることが出来た。英霊とは不定形なのだ。移ろい、変わる、儚い存在。元は人間、意思ある存在でありながら、人々の信仰によって姿を変える精霊。不思議だとは思わんかね、騎士王殿?」

 

「‥‥どういうことですか」

 

「最初に等身大の英雄が生きていた。死して英霊に祀り上げられ、後世の人々は彼の、彼女の活躍を語り継いだ。時代を経て、次第に伝説は姿を変え、元の姿から遠ざかる。ふむ、だというのに君たちはそれを自覚していないのかね?」

 

 

 セイバーの顔が一瞬で青ざめていった。そして遠坂も、そして俺も。

 そうだ、考えれば妙なことだ。

 英霊が使う宝具には、明らかに後世で創作された逸話を反映したものがある。

 それは当たり前のことだ。奴が言う通り、英霊とは人々の信仰によって座に祀り上げられた精霊のような存在。信仰によってその在り方が定まり、信仰によって姿を変える。ある程度は。それは当たり前のことだ。

 でも英霊は、元は嘗て存在した意思あるモノ。

 自身の在り方が他人によって変えられていくことを、果たして了承しているものだろうか。

 

 

「例えば騎士王殿。貴方は男性として語り継がれているが‥‥ふむ。貴女の知らない内に、貴方が男として召喚される未来もあり得たのではないのかね?」

 

「何を、馬鹿なことを」

 

「ない、とは言わせんよ、ふむ。いや、君は死ぬ直前で世界と契約した身。もしやイレギュラーで、そのようなことが適用されないのやもしれん。しかし君たちのよく知るライダーのサーヴァント。彼女も女神としての属性と魔物としての属性が同居しているな。何もかもが、人々の信仰に左右されている、ふむ」

 

 

 青ざめながらも、このぐらいでは動揺はしない。セイバーは右手で不可視の聖剣を構え、ヴィドヘルツルを睨みつけた。

 逆にセイバーだからこそ、その感覚が分からないのだろうか。普通の英霊は自分が信仰によって変化する存在だと自覚しているのだろうか。アイツはどうだったんだろうか。

 

 

「回りくどい話はやめなさい。それが私達に何の関係があるっていうのかしら?」

 

「ふむ、論点はそこだ。意識持つ自己なる存在が、他人からの干渉について理解しているということが肝なのだ。ともすれば、人々によって創作された英霊すらいる。童話から召喚された英霊は、自分が創作の存在であることを知っている。ふむ、如何にも不思議ではないかね?」

 

「だから、どういうことなのよ」

 

「唯一性の問題なのだよ、ミス・トオサカ。ふむ、君は君の唯一性を、根源を如何やって証明できるのか、そういう問題なのだよ。全ての根元は何処にあるのかと、そういう話をしたいんだ、私は!」

 

 

 狂ったように興奮しながら振るわれた腕で、階段の手すりが粉砕される。ハンサムの部類に入るだろう顔は歪みきって醜く変貌し、息も荒く、声は大きい。

 あまりにも急激な変化に俺たちは言葉をなくし、互いに目を合わせた。

 勿論、誰もその理由なんて分かりはしない。

 

 

「何奴も此奴も、全ては根源より生ずると応えるだろう! 全ての魔術師が、愚物どもめ! では根源は何処から生じたのだ、自然発生したとでもいうのか、思考停止した化石め! 魔法使い共め! 連中の考えることなど底が知れる! 底の先にあるものを求めぬ蒙昧さよ! 真の渇きを知らぬくせに砂漠にいるかのように振る舞うのだ! これが可笑しくなくて何が可笑しいというのか!」

 

 

 ぎしり、ぎしり、と階段が軋む。奴がこちらへ降りてくる。

 速やかにセイバーが剣を構え、それを遠坂が手で制した。奴は底が知れない、迂闊に手を出すと何があるかわからないってのは、俺も同感だ。

 握り締めた掌がじっとりと汗ばんでいて、自然と乾いた喉がゴクリと鳴った。

 

 

「根源の先にあるものを、知りたくはないかね、ミス・トオサカ?」

 

「‥‥根源にすら至ってないくせに?」

 

「違う! 根源などというくだらないものには興味がない! あんなものは路傍の石ころ、プレートの隅の香草、私にとって価値のないものだ! 至る価値などあるものか! 所詮は君も愚物だ! トオサカの家では石ころを宝石と勘違いしているらしい!」

 

「んですってぇ?! 撤回しても許さないわよアンタ!!」

 

「事実だ! 魔法の残滓にすがって、自ら道を拓けぬ愚物だ! 有象無象の魔術師など、魔法使いなど所詮はその程度のものだ!」

 

 

 とうとう我慢が出来ずに遠坂が放ったガンドを、振り払った手で苦もなく消し去ったヴィドヘルツルは半狂乱に叫んだ。

 だんだんとプレッシャーが強くなっていく。ここに来て、漸く俺も異常に気がついた。辺りが次第に霞み、風景が変わっていく。もう広間と階段、踊り場なんて影も形もありはしない。

 

 

「‥‥コンラート・E・ヴィドヘルツル。私も些かならず魔術の心得のある身。だからこそ問いましょう、貴方の言わんとする根源以上の存在とは? そしてその存在と、蒼崎君との関連性とはなんですか? 先ほどセイバーと交わした問答の意味も、まだ答えてもらっていませんね」

 

 

 気がつけば俺以外の全員が、自然体な式と浅上以外の全員が戦闘態勢でヴィドヘルツルを睨みつけていた。

 代表して、シエルが口を開く。聖堂教会の代行者でありながら、この中の誰よりも魔術に秀でた異端の聖職者。彼女の構えた黒鍵がピタリと、叫び過ぎて青色吐息な魔術師を指した。

 

 

「‥‥ふむ、ふむふむふむ。蛇の娘よ。妄想の産物、可能性の果て、あったかもしれない未来。そんなものでは断じてない。君たちを、私たちを構成する全てをバラバラに分解して再構成して現れるものは、そんなものでは断じてない。私達から生まれでたものではない、君たちから生まれでたものでもない。あれはな、ふむ、そう定義された絶対の事実なのだよ。民草の信仰によって英霊が数多の姿をとるように、それが彼らの本質であるように、あれもまた、君たちの姿。君たちそのままの存在なのだ」

 

「私達が英霊とでも言うのかしら?」

 

「そうではないことは、聡明な君ならよく理解しているはずだ、ミス・コクトー。だから唯一性について述べたのだ。自らの存在が英霊と同じように、何者かの信仰によって作られたものでないと如何やって証明するのかね? 全ての事柄が、童話のように創作されたものではないと如何やって証明するのかね?」

 

「わ、私が誰かに操られてたとでも言うわけ?!」

 

「君の自由意志による選択すら、全て何者かに定められた筋書き通りだとしたら?」

 

「あるわけないでしょ、そんなの!」

 

「証明できるかね?」

 

「悪魔の証明を要求されても、請け合う気はないわ!」

 

「だが事実なのだ。シヨウ・アオザキが私にそれを教えてくれた。根源を見限った私に訪れた、根源を上回る神秘。根源すらも含んだ、あらゆるものを定めた上位の世界こそが、私の目指すもの。シヨウ・アオザキの力。神代の時代から連綿と受け継がれて来た全ての概念を覆すもの。十分に思い知ったと、思うが、ふむ?」

 

「‥‥狂ってる、ありえるはずがないわ、そんなの」

 

「ならば、さらに重ねて示そう、我々の力を」

 

 

 霞んでいた空間が、だんだんと姿を取り戻していく。

 とっくに乾いた血が染み込み、くすんでしまった絨毯は鮮血のような赤に。古くさい石造りの壁は、鏡のように磨き上げられた大理石の白に。たいして広くはなかった広間は、数えきれないぐらいの柱で支えられた果ての見えない回廊に。そして俺たちの目の前には、いつの間にか消えたヴィドヘルツルの代わりに、天まで届くかってぐらい高い高い背もたれの、石造りの玉座が。

 

 

「‥‥誰、だ?」

 

 

 その玉座には、一人の女性が鎖で縛りつけられていた。

 どんなに高級な絹糸でも代わりにならない、美しい金の髪。床まで届く髪が、白と金で織られたドレスを彩る。顔はおよそ人間に許されるはずのない美貌。

 ゆっくりとその瞳が、奥底の知れないぐらいに深紅に染まった瞳が開き、項垂れていた頭が上がる。

 

 

「そんな、馬鹿な」

 

「‥‥シエル?」

 

「ありえない、あれは人が再現できるものではない」

 

 

 常に余裕を見せていた、俺たちの中でも頭一つ実力の抜きん出たシエルが震えている。

 目を見開き、見て取れるぐらいに冷や汗を流し、歯を食いしばって震えている。

 分からない,けど感じる。あれはヤバい。

 ギルガメッシュやバーサーカーも確かにヤバかった。でも、そういうのじゃない。アレは、明らかに人間がどうこう出来る存在じゃあない。

 何がなんだか分からないけど、それだけは感じる。

 

 

「シエル、あれは何‥‥?」

 

「‥‥姿は、あーぱーと一緒。でも違う、私は知っています、見れば理解してしまう。まさか、そんな、しかし」

 

 

 スローモーションのように鎖が碎け、姫としか呼べない、彼女がゆっくりと立ち上がる。

 それだけで全員が大きく一歩飛び退いた。式や浅上すら、表情を変えて身構えていた。

 シエルは言う。

 あれは星の頭脳、夢見る石、真祖の吸血鬼を超えた何か、アルティメット・ワン、最高純度の神、自然現象としか呼べない代物、星の天蓋、両翼の主。

 

 

「つまり、どういうことよソレ」

 

「遺言は済ませて来ましたか、遠坂さん」

 

「ああ成る程、つまりそういうことね」

 

 

 こちらを眺める、無機質な瞳。

 あの瞳に見つめられただけで、いつの間にか投影し、構えていた双剣を手放しそうになる。

 本能的に命の危機を感じれば生き物は必死で抵抗するらしいけど、そんなことすら考えられない恐怖に支配される。

 どさり、と音がして黒桐が尻餅をつく。桜が膝をつく。ルヴィアがらしくない歯軋りを。式が深呼吸を。

 そして俺は、それでも何とか血が滲むくらい干将と莫耶を握りしめた。そして吐き気がするぐらい、全力で魔術回路を回転。

 

 

「――久々の五体の感触。楽しませてくれるのだろうな、道化たちよ」

 

 

 声にならない悲鳴を雄叫びに変えて、ただ一息に飛び出した。

 たとえ消し飛ばされるだろうことが分かっていても、愚直に前に出る事しか出来ない。他にそれが出来る奴はいない。

 奴の指先が少し動いただけでも死を予感する。そんな余分な感情も全て恐怖が塗りつぶし、俺は初めて勇気からではなく恐怖から剣を振るった。

 

 欠片も希望のない戦いから、意味のわからない現状から逃れるためだった。

 紫遙のことは、頭から消し飛んでしまっていた。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 ――また朝が来た。

 何回目の朝だろうか。いや、朝は毎日来るものだ。そういう意味じゃあない。

 母さんが起こしに来て、高校へと行く。友達と会話をして、卒業旅行の話が出る。

 そしていつの間にか卒業旅行に行っていて、倫敦で散々馬鹿をやって、飛行機に乗って、そこで記憶が飛ぶ。

 記憶だけじゃない、多分、オレの身体も実際にぶっ飛んでいるんだろう。幸いなことに、その瞬間の記憶がないから、オレはこうして平常心で朝を迎えることが出来ていた。

 母さんとのやり取りも、同じようなものを繰り返したからか随分と等閑になってしまっていて、母さんはそれも不審に覚える様子もなく——あるいは隠してくれているのか——オレを学校へ送り出した。

 

 

「‥‥頭がどうにかなりそうだ」

 

 

 確かにどう、というわけじゃあない。本当は全てオレの思い過ごしなのかもしれない。

 最初はそう思っていた。要するに、ただの既視感(デジャブ)の延長線上だと。よくある勘違いだと。オレは中二病に再罹患してしまったに違いないと。

 けれど、それも次第に明瞭になっていく。同じ映画を間を置かず繰り返し見ているかのように、倦怠感が募っていく。そして、どうやらオレは頭がおかしくなってしまったらしい、という恐怖感も。

 

 

「そりゃ旅行中に時間が止まってしまえばいいのに、今を繰り返せばいいのに、なんて思ったことはあったよ。そりゃ、あったよ。けど、実際はこんな気分だなんて、くそ、分かってたなら一度だって願うんじゃあなかったな‥‥」

 

 

 体調は万全だ。どうやら身体の方はリセットされるらしくて、そりゃまぁリセットされなきゃグチャグチャのコゲコゲになってしまってるだろうから当たり前なんだけど、しかしオレは酷い顔をしてるはずだ。

 本来なら頭の方もリセットされるんだろうと思う。実際、きっと何回目かまでのオレは気づかずにこの騒動を繰り返していたはず。どうも人間っていうのは、人間の意識っていうのは、同じ事を繰り返すと順応する仕組みになっているらしい。

 

 

「タイムループ、ってヤツか。ちょっと、そろそろ本腰を入れて何とかしないと、オレは本当に頭がおかしくなっちゃうぞ」

 

 

 やっぱり病院に行った方がいいんだろうか。けど不幸なことに、何と卒業旅行まで病院にいく隙間なんて何処にもありゃしないのだ。

 どうせ繰り返すのだからと学校なんてサボってしまえ、って思わなかったわけじゃない。別にオレに自由な行動が許されていないわけでもないらしい。けど何故か身体は自然と同じように行動したがる。自然と、だ。わけもわらかず、じゃあない。

 なんでかって説明出来ないんだけど、むしろオレが思うに、これは繰り返しの間にとる行動にヒントがあるか、あるいはそんなものは関係ない何かじゃないと解決できないか、だろう。

 

 

「——よう、村崎! どうしたよ朝から辛気臭い顔しやがってさぁ‥‥っと、おいおいどうした貴様、突然身のこなしがよくなったんじゃないのか?」

 

 

 ひゅ、と短く風を切る音がした瞬間、オレは身体を屈めて悪友——加藤慎一郎の豪腕から逃れた。

 そりゃ、こっちは何回もこの場所この時間にお前の絞め技を喰らってるんだ。学習したなら避けるだろ常識的に考えて。

 

 

「おはよう加藤。いや、実は今朝ね、突然さ、武術の奥義に開眼したんだ」

 

「そりゃすげぇなって、んなわけあるか! せいぜい勘が鋭くなったってところだろうが‥‥くぅー、感涙だねぇ、ついに我が弟子が俺の下を離れる日が来るとは!」

 

「誰が弟子か、誰が」

 

 

 関心したように泣き真似で頷く加藤の脇腹を小突き、通学路を進む。

 ‥‥どうにも解せないのがこれだ。ループっていうのは、小説やらアニメやら漫画やらだと、多分ありふれた題材なんだと思う。オレはどれもそんなに嗜まないから呆れるほど知ってるってわけじゃあないけど、別に馴染みのない概念じゃあない。

 で、だ。

 ループ物っていうのは、例えば同じ場所で同じ人に会ったり、会った人は同じことを喋ったり、何をどうしようとしても同じことが起こったり‥‥そういうのが定番だと思うんだ。

 しかしどうにもその例からは外れる。今のやりとりだってそうだ。加藤はオレが発言や行動を変えれば、その都度様々な反応を返す。オレが同じことをしていれば流石に変わりはしないけど。

 母さんとは朝一番のやり取りだし基本的にオレの話を聞かないので、あまり変わり映えはしない。けど他のクラスメートなんてのは加藤と同じように、普通の人間にしか見えない。

 前に読んだことがある小説だと、自分の記憶の繰り返し、夢を見ている、とかいう設定だったっけ。主人公は何を言ったって同じ言葉しか返してこない知人を不審に思って、ループを見抜いた。けど、それはオレには出来ない相談だ。

 

 

「っていうか、貴様なんか顔色悪くないか? ちゃんと寝てるのか? 飯は食ったのか?」

 

「‥‥加藤、人間はさ、精神的ストレスだけで窶れることが出来る生き物なんだよ」

 

「それは人間だけに限らねぇぞ。しかし、何かあったのか? 昨日までのお前は何も考え事なんてしてません、なんて能天気な仏頂面してやがったろうが」

 

「能天気な仏頂面ってなんだよ、普通は仏頂面なら悩み事あるだろ」

 

「気にすんな。でも、悩み事があるっつうのは本当みたいだな?」

 

 

 むぅん、と唸った。

 実際に悩み事っていうのはあるわけで、今までのオレは時間の経過が何とかしてくれやしないかと期待して惰性で過ごしていたわけで。

 しかし段々と込み上げてきた危機感は、オレに行動を要求している。精神衛生の限界はまだ訪れていないから、オレはこんなにノンビリしているわけだけど、にしたってそろそろどうにかしないと不味い。

 ただ、どうにかするって言ったってね。まず何をすればいいんだかさっぱり分からない。

 小説や漫画にヒントがあるか、と言ったってね。主人公は魔術師に狙われていたり、SFの世界にいたり、どうしようもないぐらいポエティックな世界だったり、童話の中だったり。

 そんなものが今のオレにどう影響するっていうんだ。オレはいつの間にか、魔術結社に目を付けられていたのか。異世界からの侵略者と戦っていたのか、超能力を身につけていたのか。

 いや、いいんだ。確かに今の状況が非現実的だってのにはオレも同意する。だからといって何をしたらいいのかさっぱり分からないんだ。

 いっそのこと身投げでもしてみるか? いや待て、オレはどのみち死ぬんじゃあないか。あれより痛い死に方したくないし、それでまたループに戻ったら今度こそ立ち直れない。

 もともと頭が回る方じゃないんだオレは。‥‥うーん、うーん。

 

 

「相談があるなら乗るぜ?」

 

「‥‥馬鹿らしいことでも、笑わないか?」

 

「笑う」

 

「おい」

 

「笑うが‥‥馬鹿にはしねぇさ。まぁ話してみろよ、大した助けにゃならんかもしれんが、一人で考え込むより百倍マシさ」

 

「‥‥むぅん」

 

 

 まぁ、確かに。

 話したって最悪、頭がおかしくなったと思われるだけだ。オレ一人の頭の中から出てくる解決策なんて限りがある。

 じゃあ話してみるのも悪くはない。話して相手にされなくても、それでオレがどうこうって奴じゃないし。

 

 

「じゃあ、頼む。放課後に時間空いてるか?」

 

「あぁ、別にいいぜ。もし気にしないなら、湊も一緒でいいか? 俺は頭悪いが、あいつは成績いいぜ?」

 

「成績の問題じゃないと思うけど、まぁ構わないよ。逢坂さんなら、悪いようには言わないと思うし」

 

「そいつは保証する。じゃあ放課後までこの件はお預けだな。ところで村崎よ、実は——」

 

 

 何度も行った倫敦旅行の話を切り出されながら、それを適当に聞き流しながら、オレは眉間の皺を揉み解す作業に集中することにした。

 時間がループするっていうなら、そりゃ考える時間はたくさんある。けど、どうせループさせてくれるなら、スキップ機能もつけておいて欲しかったものだ。

 やっぱり何より退屈が一番の毒だと、そんなことを考えながら。

 

 

 

 

 89th act Fin.

 

 

 

 

 


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