ἀπορɛία   作:Hydrangea

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ἐλπίς

 大変唐突だが、自分にはある「秘密」がある。自身を生み育ててくれた両親には勿論の事、この世で最も信頼していると公言して憚らない“相棒”にさえ明かしておらず、墓の下まで抱えてゆく事も吝かでないだけの「秘密」。

 ――今の自分の生が、比喩でも何でもなく「二度目」である というものが、だ。

 

 便宜上、自分はこの事象そのものを「転生」、一度目にあたる人生を「前世」と(勝手に)呼称しているが、これは何も良くあるオカルト的なものではなく、どちらかと言えばコンピューターゲームにおけるコンティニュー、もしくは「二週目」に近いものであると(自分では)考えている。一度目の記録……人格や記憶などをある程度保ちつつ、全く別の新しい名と身体を手に入れた感じだろうか。

 勿論、常識に則せばまず夢物語か妄想と切り捨てられても可笑しくない話であるし、いきなり面と向かってそんな事を言われようものなら、かく言う自身も迷わず黄色い救急車をコールする事だろう。だが、幸か不幸か自分にはそう言えるだけの「心当たり」が確かに存在していた……「神との出会い」という、同等かそれ以上に胡散臭いものとして。

 

 「神」と言っても、別に白い空間で白い服を着た白髪の老人に「I’m GOD」等と宣言された訳ではないし、そんな事を言われて真に受ける程間抜けでもない。自分が出会ったのは、相応の水準には達していると自負できる国語力でも形容しきれない「光の塊」とでも言うべきもの。それにしたって「神」という分類(カテゴライズ)に対する根拠なぞ何も無いのだが、こうして自分が第二の生を送れている辺り、本当に“そういった”ものであったと言えなくもないだろう。

 

「前世」に当たるものにおいて、自分は一度の「死」を迎えた。

 例えその過程も、原因も、何もかもが不明瞭であっても、その“事実”だけは“事実”として、この脳髄の奥底にまでくっきりと焼き付いていた。勿論、そうなった理由も理屈に関しても判らない。

 そして、その中で神(仮称)は問い掛けてきたのだ。諭すのでも、戒めるのでもなく、唯々淡々と、まるで機械か何かのように。

 

 

 ――生きたいか――

 ――何処で 生きたいか――

 

 

 非礼を承知で本音を述べれば、その問いかけに対する自身の返答は、決して真剣と言えるものではなかった。勿論、心にもない出鱈目を吹いた訳ではないが、かといって答えた通りになるとは露とも考えておらず、そもそも当時の自分に真っ当な思考力が備わっていたのかさえ疑わしい。結果としては惨事に至らなかったが、今思い返しても恐ろしい限りである。

 

 で、肝心の“返答”の内容についてだが、前者の問いに関しては当然の如く「YES」。後者(で正しいのかは判らないが)の問いに対しては――「『遊戯王』の世界」と答えた。答えてしまった。

 判らない事尽くしで我ながら情けない話だが、何故自分がそう答えたのかについては、この世界で既に1X年経過した今となっても定かではない。いくら同世代の例に漏れず漫画・ゲーム並びにアニメへ熱中していたとはいえ、「何処へ」と問われた時の行き先として選ぶなど、どうにかしているとしか言いようがない。尤も、その時は本当に“どうにかしていた”のかもしれないが、今更それを言った所でクーリングオフが効く訳でも無く、そも申請する気も無い。

 強いて挙げるとすれば、原作のキャラクター達の様に熱く、かつ格好の良いプレイングをしてみたいだとか、ソリッド・ビジョンシステムを始めとする各種技術を体感してみたいだとかの、良くも悪くも人間らしく、そして平和ボケした純日本人らしい能天気な発想ぐらいのものだろうか。加えて、アニメよろしく「精霊」としてでも、可愛らしいキャラクター達に出会ってみたいという下心も僅かばかりはあったのかもしれない。

 

 

 

 

 と、まぁその結果として「二度目」の生を得た自分は、こうして自身の発言通り『遊戯王』という漫画原作の世界(と思われる場所)、即ちソリッド・ビジョンが存在し、「デュエルモンスターズ」が非常に大きな影響力を有している地へと生まれ、前述の通り1X歳となる今の今まで健やかに……まぁ紆余曲折を越えて逞しく育ち、そして今に至っているのである。

 ――但し「女性」として。

 

 確かに、自分は可愛らしいキャラクター、というか極論「可愛い子ちゃん」を望みはした。それに関しては、自身の下心(ぼんのう)の存在もあり決して潔白とは言い難い。邪であったと判断されても文句は言えない立場ではある。

 しかし、だ。自分が望んだのはあくまでも「精霊」の様な、言わばパートナー的な存在(もの)であって、決して自分が「可愛い子ちゃん」となる事を望んだ訳ではないのだ。勿論、これならばその「可愛い子ちゃん」と四六時中共に居られるし、そう簡単に引き離される事はないだろう。何せ自分自身がそうなのだから、離れ離れになりようがない。だが、これが「違う」事など小学生どころか昨今の賢しい幼稚園児でも容易に判るだろう。それ程までのイージーかつ重大なミスなのだ。

そもそもが自身の勝手な願いであるし、託した先が本当に神に該当する存在であるかの保証も何も無いのだが、例え悪魔であっても契約事に関しては誠実かつ慎重になる筈である。これではどこぞの青狸のびっくりアイテム同然であり、散々自滅してはネタにされ続ける二口龍より酷い有様だ。

 

 だが、ここまでの(真に身勝手な)不平不満とは反対に、「二度目」の人生は個人として見れば(・・・・・・・・)非常に恵まれた境遇となっているのもまた事実である。それこそ、前世は一体何だったのかと自虐したくなる程までに。

 まず始めに最も目に付く容貌だが、これに関しては先程さりげなく自慢した通り、少なくとも「可愛い子ちゃん」と呼べるだけの器量は有している。美容院などまるで縁の無かった髪はさらさらの黒髪ロングヘアーとなり、凡々百々のしょうゆ顔は、(前世の価値観に則せば)平均の高いこの世界においても尚上位に入るであろう、凛々しさと可愛らしさの双方を絶妙のバランスで兼ね備えた美人に。スタイルに関しても上々であり、更にオプションとして、何かと個性の光るこの世界に置いても埋没しないだけのストロングなアホ毛を二房備えるおまけ付きだ。

 また、外見のみならず中身に関しても非常にスペックが高く、優秀であったという両親の才を余す事なく受け継いだ為か、この世界における“本命”とも言えるデュエルモンスターズは勿論、バイクを持ちだせばデザインから整備、乗りこなすまでお手の物。それ以外にも炊事洗濯掃除に裁縫、果てはリアルファイトまでそつなくこなせる万能っぷりであり、言う事無しどころかいちゃもんさえ思いつけないレベルとなっている。

 流石に三千年の歴史をひっくり返すだとかドローカードが必然だとか、或いは俺とお前を超融合 なんて連中とまともに渡り合えるとは思っていないが、最低限職に溢れる心配は無くなり、その上で満足往く人生を送るには十分過ぎる程の財産と言えよう。

 

 決して前世に不満があった訳ではないが、かといって二度目のそれを断る積極的な理由も無く、そも前世だ何だといった訳の判らない理由で今生を棒に振るなんてのは、この世界の両親に対する非礼以外の何物でもない。それらを踏まえた上で考えるに、やはり自分はこの「二度目」自体に関して肯定の側に傾いているのだろう。

 

 

 

 

 尤も、不満自体は無いものの、残念ながら現状それらの才は「持ち腐れ」としか言いようのない状態にある。

 より正確に言えば腐らせざるを得ない、或いは非常に不本意な用途によって輝いているといったところだろうか。兎に角、今の自分は「前世」における末期で想像していたものとは179°ほど異なる方向へと進んでおり、かつ舵取りさえままならぬ激流の真っ只中に置かれている。

 

 というのもこの世界、確かに諸々の要因より『遊戯王』の世界ではあるのだが、その実情はと言えば、漫画やアニメにおける中心的要素たるカードそっちのけで人間と機械とが戦争を繰り広げているという、SF映画顔負けの世紀末的情勢なのである。それも、単なる“機械の反乱”レベルとうに越え、完全に立場が逆転しているのだから尚性質が悪い。今や人類は、呑気にカードゲームの世界大会を開催している暇も余裕も無く、日々非道なる機械達の侵攻に怯えつつ何とかその生を繋いでいるような状況下に置かれているのだ。そんな環境の中では、与えられた才も真っ当に活用できる筈が無い。

 

 

 では、何故世界がその様な事になってしまったのか。そもそも、そう判断するに至った根拠たる『遊戯王』の要素は何処にあるのか。それらの疑問を纏めて説明する為には、まず「モーメント」と「シンクロ」という、この世界特有とも言える二つについて述べる必要がある。

 

 まず「モーメント」についでだが、これは簡潔に纏めれば、次世代を担うべく開発された新しいエネルギー資源である。(良く解らない)回転によって生み出されるそれは、低燃費・高出力・省スペース・低排出性等々、いっそご都合主義とさえ思える程の利点に恵まれており、未だソーラーだエコだで蹴躓いていた時代の人間にしてみれば、まさしく夢の様な存在と言える。

 前世と比べて遥かに未来的なこの世界(じだい)においてもそれは同様であったらしく、世に出ると同時に瞬く間に広まったモーメントは、科学技術の躍進へ大いに貢献。また小型化が容易であった事から決闘盤(デュエルディスク)、更には新しい時代の決闘たる「ライディング・デュエル」専用のバイク・Dホイールにも採用され、(間接的ではあるものの)デュエルモンスターズの興隆にも一役果たしたのである。

(尚、バイクとカードを組み合わせた始まりや理由については諸説あるが、何れにしても長く面倒になる為ここでは省かせてもらう。ただ私が言えるのは、やってみれば案外悪くは無いという事ぐらいだろうか)

 

 そして二つ目の「シンクロ」……正確な名称を「シンクロ召喚」だが、此方は「前世」においては存在していなかった新しいルールであり、より直接的にカードとも関わるものである。

 従来(ぜんせ)までにおける主な上級モンスターの召喚方法と言えば、最もシンプルな「生贄召喚」(この世界においては「アドバンス召喚」と呼ぶらしいが)、続編アニメにおいて主人公が多様していた「融合召喚」、そして「儀式召喚」の三種類が基本であった。

 特に生贄召喚で言える事だが、通常召喚の権利が1ターンに1度しか無いこのゲームの性質上、上級モンスターを呼び出す為の“生贄”自身にも場持ちの良さ、つまりはそれ単体でもある程度闘い抜ける高いステータスが必要とされる場合が多く、特にこの世界においては、単体での戦力に欠ける弱小カード達は、余程強力な特殊効果でも有していない限り低く見られる事が大半であった。

 勿論、「原作」における主人公達はそういった“常識”へと真っ向から立ち向かい、また実際に打ち破ってきた訳ではあるのだが、現実的に考えれば、それらの業績はどうしても本人の引きの強さだとか卓越したプレイングに依存しており、極々普通のデュエリストが普通のプレイを以て低ステータスのカードを活躍させるのは、中々にハードルの高い業だったのである。

 

 そんな中で颯爽と現れた「シンクロ召喚」という概念は、まさしくそれまでの“常識”という名の壁をぶち破るものであった。

 「融合」の様に専用の魔法カードを要する事も無く、「儀式」と同様に参照とするのはカードの合計レベルである為自由度も高く、そして「生贄」の様に召喚権を消費せず、かつそれらの何れにも匹敵、或いは遥かに凌駕する力を秘めたカードを呼び出せる。

 幾つか省略した部分はあるが、ある程度このゲームをプレイした経験のある人であれば、これだけでも十分にその性能を測れる事だろう。古代エジプトの石版に端を発し、3000年の時を越え現世へと生まれ出で、数多のデザイナー達の手によって新しい姿を与えられ、その度に一歩ずつデュエルモンスターズは歴史を進めてきた。しかし「シンクロ召喚」は、それらの積み重ねを一足に飛び越せるだけのパワーを秘めていたのだ。

 そうして「シンクロ」という新しい時代が幕を開けた結果、それ自体の爆発的な普及は勿論、新参者の勢いに負けじと行われた従来の戦法への梃入れも相まってデュエルモンスターズ界は更に白熱。既に最初期の有名デュエリスト達こそ居なくなってはいたものの、次代へ受け継がれた熱き魂(バーニングソウル)は依然として滾り続け、「原作」より遥かに後の時代となっても尚変わらない繁栄の源となっていったのである。

 

 

 ここまでが「前世」と今世との大きな違いであるのだが、もしこれらの要素が一方でも欠けていれば、或いは個々別々の道を歩んでいたのならば、昨今の自体には至らなかったのでは というのが、現在における定説となっている。(尤も、時間を逆行する術でも無い限り、既に起きてしまった事を嘆いてもしょうがないのだが)兎角、「モーメント」と「シンクロ」の二つが予期せぬ形で超融合を果たした事によって、人類は存亡を賭す段階をすっ飛ばし、種の滅亡一歩手前にまで追い詰められてしまったのである。

 

 そもそもモーメント……というより、その中心的役割を果たすものとして用いられている特殊な粒子には、「人間の心を読み取り反応する」という、超科学に囲まれて生きてきた世界の人間にしてれみば到底信じられない――「原作」を知る者としては今更感に溢れる――オカルト的な性質が存在していたのである。更にその未知数的要素は、先述の通り決闘盤という決闘者にとっては半身にも等しいツールの中核としても用いられており、「シンクロ召喚」と、それによって燃え上がる人間の心へ最も近い場所へと在り続けたのだ。当然、沸騰する程の闘志を浴び続けたモーメントの波長が、植物の如く平穏平静でいられる筈がない。

 確かに、繁栄は更なる繁栄の呼び水となり、そのコンテンツの寿命を引き伸ばす要因ともなるだろう。しかし、その担い手が人間である以上、どうしてもそれが正しい方向だけに進むとは限らない。敗者が抱く“悔しさ”と“闘志”は、翻せば更なる力を求める“欲望”にも同義であり、モーメントはそれら人間の感情を正負の区別無く受け入れ、エネルギーを生みだす傍らで蓄積してゆく。

 更なる加速と繁栄を齎す燃料(とうし)の裏側で、自らさえも壊してしまう“淀み(よくぼう)”が静かに、しかし確実のそのシステムを蝕んでいたのである。

 

 ライディング・デュエルという新基軸の登場によって、年月を経て尚世界的な盛り上がりを見せていたデュエルモンスターズと出会ってしまった事も、ある意味では不幸な巡り合わせの一つと言える。溜めこまれる(マイナス)は加速度的に増え続け、しかし殆どの人達はその事実に気付く事もなく、そもそも一度手にした豊かさはそう簡単に忘れられるものではない。

 そうして軋みに軋み、歪みに歪んだモーメントという名の柱は、それにより支えられていた人類の文明は、ある日突然、何の前触れも無く――――弾けた。

 

 エネルギー問題という、ある意味では「(たが)」となっていたものが解消された事によって、モーメント以外にも多方面で人類が色々とやらかしていた事も、その“決断”を後押ししたのかもしれない。何れにせよ、モーメントの暴走を切欠として、それまで社会全体の秩序を守り、またその為に生み出された機械達は、人間という自らの造物主を守るべき存在(ちつじょ)の「敵」と判断。お偉いさんが提唱した三原則とやらも何のその、原初の理念に従い人類という(がい)の粛清を始めたのだ。

 当然、色々と逞しくもしぶとい人類が大人しく頭を垂れる筈も無く、また一度どっぷりと浸かった生活から簡単に抜け出せる筈が無い。そうして“反抗”という形の回答を得た機械側は、秘密裏に開発していた“剣”たるロボット兵器達を世界中に拡散。「種の根絶」を目的とし、そもそも情けや容赦といったプログラムを有しない彼らは、市街地や非戦闘員等々、人間であれば思わず躊躇うような状況下においても遠慮なくビーム砲をぶっ放し、あれよあれよという間に人類の文明を駆逐。美しかった街並みを、モヒカンさえ尻尾を巻く廃墟群(せいきまつ)へ瞬く間に模様替えしてしまったのである。

 

 

 自分で言っておきながらまるで意味が判らないが、悲しいかなこれが現実。この世界とそこに住まう人間達は、カードゲームに端を発する諍いによって滅亡の危機に瀕しているのだ。

 嘗ては“決闘者(デュエリスト)”という栄誉の名を戴いていた者達も、今やカードではなく引き金を引く一兵卒に成り果て、いつ人生(ターン)が終わるとも判らない過酷な戦場へ身を投じざるを得なくなっている。

 銃口を向けてくる相手(きかい)へ「おい、デュエルしろよ」等と冗談――嘗ては「常識」でもあった言葉を投げかける余裕も無く、ただ鉛玉だけが命を繋ぐ、文字通り殺るか殺られるかの世界。それが、「個人としては」非常に恵まれた自分が生まれた場所であり、第二の生のフィールドなのである。

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

 で、図らずもそんな世界のそんな時代において第二の生を授かった自分が、身勝手な愚痴を押し殺しつつ現在何をしているのかと言うと……

 

 

 

「粉砕! 玉砕! 大喝采! イヤッッホォォォオオォオウ!!」

 

 愛用の改造型Dホイール……元々は先述のライディング・デュエル様に開発され、しかし今では立派な武装バイクとなってしまったそれを駆り、人類を脅かす機械(マシーン)軍団の先兵たる「機皇帝」が一種、ワイゼルと呼ばれる野郎の跨ぐらへとバーストストリーム(物理)をぶち込む。

 つまりは戦いの真っ只中な最前線(フロントライン)であり、所謂「反乱軍」の一員として、機皇帝の連中をスクラップにする日々を送っているのである。先程までうだうだと愚痴を連ねてはいたが、現実的にはそんな事を一々考えている暇さえ無く、不満を漏らす口で手榴弾のピンを引き抜き、諸々のストレスをロボ軍団へとぶつけるのが専らの日課となっている。

 

 とはいえ、これは別に徴兵だ何だの為に仕方なく という訳ではない。というより、そもそも人類側のそういった統制システム等は既に軒並み崩壊しており、「戦争」とは銘打ったものの、実際には有志による散発的なゲリラ戦で侵攻を僅かばかり遅らせている程度でしかないのだ。そして、そんな旗色の悪すぎる戦線へと加わったのは、置かれた環境や自身の状況などの要因があったとはいえ、最終的には自分自身の意志によるものである。

 無論、武器を取って久しくなった現在においても尚、戦いに対する“恐怖心”というものは少なからず存在している。(少なくとも表面的には)世界でも稀に見る程に争乱と縁遠い国で生きてきた「前世」における価値観や経験は勿論の事、「今世」においても少しばかり良い所へ生まれただけで、硝煙に咽るような生活は普通ならありえなかったのだ。たかが数年ばかりその渦中へ身を置いただけで慣れる筈もないし、慣れようとも思わない。一通り目を通しただけで使い方を覚え、片手で50口径の反動に耐えうるだけの頭脳と肉体の高スペックによりそれを誤魔化し続けている節があるのは、決して否定できない事だろう。

 

 

 

「……相変わらず、やる事が派手だな。

 全く以て心臓に悪い」

 

 だがそれでも、そんな自分でもこうして戦い続けていられるのは、やはり相棒の存在……要するに「一人では無い」為だろうか。

 

 

「そっちこそ、相変わらず良い援護をしてくれるじゃないか。

 おかげで、後ろを心配する必要が無くて助かるよ」

「フン、当然の事をしているまでだ」

 

 この、赤の混じった灰色の髪を星型に爆発させた、如何にも素直じゃなさそうな(実際素直じゃない)性格をした男こそ、共に戦場を駆ける唯一無二の相棒である。

 縁があるのはゲリラ的活動に限られた話ではなく、出会いも日常も爆音鳴りやまない戦場ばかりではあるものの、二人の関係は決して悪くはない……と、思う。少なくとも自分ではそう思っている。まぁ、唯でさえ心が荒む世紀末な時代において、決して社交性に溢れる訳ではない自分達がこうしてパートナーをやっていけているのは、単に時代の流れだとか境遇の相違以外にも、何か個々人のレベルとして惹かれるものがあるのだろう。所謂デステニーとか言う奴だろうか。

 

 その辺に関してはあまり詳しく触れるつもりはないし、此方としては突っ込まれても困るのだが、こんな調子でも先述の通り「最も信頼している相棒」であり、それこそ彼の存在が無ければ何度も戦場に立ち、あまつさえ最前線でドンパチする気になぞ到底なれなかっただろう。今の自分にとって、彼の存在はそれ程までに重要な要素であり、色々と不確かなものが多い自身においても尚、それだけは確かなものなのである。

 

 

「何度も言っているが、お前はもう少しばかり女としての嗜みを持てないのか。

 いくら戦場でも、限度ってもんがあるだろう」

「今更そんな事を気にする輩なんていないだろうさ」

「俺が気にする」

「……はいはい、そうでしたね。次からは気を付けるよ」

 

 口にこそ出しはしないものの、相棒の方もまた相応に自分の事は信頼している……少なくとも、「唯の同志」扱いでは無い筈だろう。自慢に聞こえるかもしれないが、唯でさえ捻くれている相棒がこんな事を言ってくれるのは自分くらいのものなのだ、少しばかりは自惚れたくもなる。

 

 尤も、相棒個人の感性に依らずとも、今の自分が淑女然としていないのは明らかな事実でもある。腰程まであった黒髪は諸事情によりバッサリ短くなり(アホ毛は相変わらずだが)、また外側から目立つものではないが、既に右腕も完全なるメカ化を済ませており、流石に銃器こそ仕込んではいないものの、それだけで大の男一人を易々投げ飛ばすくらいにはチューンアップされている。身体の半分以上を機械に換えている人と比較さえすれば大したことはないが、それでも健常者にしてみれば等しくトンデモ人間へと分類される側ではあるだろう。

 とはいえ義肢自体は探しさえすればそう珍しくも無いご時世であるし、それ以前に問題があるのは先の通り言動なのだ。そも、相棒は言動(そちら)は兎も角容姿容貌に関して触れた事は一度も無い。

 

 

「後、いい加減その言動もどうにかしろ」

「治すさ。こんな日々が終わったらゆっくりとな」

「その台詞も何度目だか」

 

 その言動に関しても、やはりこの環境や色濃く残る「前世」の存在があるのだろうか。少なくとも、それを「育ち」の所為とするのは双方の両親に失礼ではあるだろうが。

 

 

「ほれ、そんな事より次に行くぞ。

 まだまだ機皇帝の連中は沢山いるんだ。呑気に喋っている暇なんて無いぞ」

「……言われるまでも無い」

 

 その辺りについては、戦場では老若男女問わず多少なりとも口が汚くなる……という事にしておこう。自分でも何度目か判らない言い訳の通り、今はそんな事に感けている暇も惜しいのだ。

 機皇帝は、「皇帝」と言う大層な名を戴きつつも、その実態はGよろしく物量だけ攻め切れる程の多勢。たかが下っ端一体を仕留めた程度では喜んでいられないし、戦っているのも、またその“理由”も自分一人だけのものではない。言動の矯正なぞ花嫁修行の代わりにすれば十分であるし、それよりも今は一体でも多くの機皇帝を減らし、少しでも安らげる夜を取り戻す事が先だ。

 その為にも、今日もまた自分は武器を片手に愛車へ跨る。頼れる相棒と共に。

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

「俺のターン、ドロー!」

 

 と、まぁこの様な感じで戦闘行為が日常生活の中心を占めている現状ではあるが、「反乱軍」もそう四六時中武器を振りまわしている訳ではない。そもそも、生き残った人類の全てが武器を持てるなど普通はあり得ないだろう。

 自分達が身を寄せている集団にもまた、そういった非戦闘員――年端もいかぬ子ども達を含む――が何人かいる。

 

 

「相変わらず、元気だけは有り余っているな。

 騒々しい程だ」

「そう言うなって。あれくらいの年齢の子どもってのは、大体あんなものさ。

 それに、お前だって別に嫌いな訳じゃないだろう?」

「ふん……」

 

 そして、そんな子ども達にとっての娯楽の中心と言えば、当然デュエルモンスターズに他ならない。……のだが、戦争が始まって以来劣勢しか経験した事の無い人類側に(文字通り)エネルギーを遊ばせておく余裕がある筈も無く、モーメントを利用していた決闘盤は早々に動力源を抜かれ、幼き決闘者達は地べたにシートで紙オンリーという、「前世」と何ら変わらない(或いはそれ以下の)環境でのプレイを強いられているのである。

 単なる技術的側面だけではなく、込められた理念からして正しく“夢の結晶”であっただけに、もの言わぬ置き物と化してしまった決闘盤が醸し出す悲壮感は並のものではない。種としての生存が掛かっているとはいえ、戦争の為に(それ)を犠牲としている今の人間達の姿は、創始者が忌み嫌っていた光景そのものと言えるだろう。

 

 しかし、何時の時代においても子どもというのは逞しいもの。当初こそ全体には不満足が蔓延っていたものの、気付けばその逆境へ真っ向からぶつかってゆくかのように、日々こうしてささやかな、しかし確かなる闘争心(チャレンジスピリッツ)に基づく決闘に励んでいた。そこに(マイナス)の気配は一切見られず、例えモーメント関連で大幅に株を落としたとはいえ、一度は世界の中心にまで上り詰めた文化の面目躍如と言ったところだろうか。

 確かに、現在の荒んだ世界を生みだしたのはデュエルモンスターズとそれに触発された技術(モーメント)であり、ある意味ではカードがこれら“絶望”の原因とも言えるのかもしれない。だが、今を生きる子ども達の笑顔に貴賎も無ければ罪も無い。纏わる過去が何であれ、此処にはカードが紡ぐ“希望”がある。求めれば必ず応えてくれる“何か”が、確かに存在しているのである。

 

 

 そんな、一抹の未来(ひかり)を感じさせる光景を見ていると、時々ふと思う事がある。

 嘗て人々の心を、カードが繋ぐ絆を信じ続けた「伝説のDホイーラー」もまた、同じ様なものを見てきたのかと。

 

 “不動遊星”

 その経歴は、「創作物としての世界」という自身(ぜんせ)の認識に基づいて考えれば、間違い無く「主人公」と呼べるだろう。彼はそれだけの功績を成し、それだけの“光”と同程度の“闇”を内に抱えていたであろう人物なのである。

 「伝説のDホイーラー」(Dホイーラー:先述のライディング・デュエルをする者)の呼び名の通り、その偉業として第一に挙げられるのはデュエルに関連するものである。一対一のシングル戦は勿論の事、2対2のタッグトーナメント、リレーマッチとなるチーム戦等々、数々の大会を仲間である十六夜アキや炎城ムクロらと共に制覇。単純な実力は言うまでもなく、冴えわたるプレイングや鮮やかな逆転劇、如何なる境遇においてもカードを、そしてチームメイトを信じ続ける姿勢などは多くの人々を惹きつけ、彼の持つ総合的な「強さ」は、デュエルモンスターズ初期における「キング・オブ・デュエリスト」――武藤遊戯(アテム)(勿論、この世界では実在していた人物)を彷彿させるとまで評された程である。

 

 また、直接決闘者としての「伝説」へ結びついている訳ではないものの、その実父がモーメント開発者の一人である事も、(良くも悪くも)彼を有名とさせている理由の一つだろう。

 勿論、彼やその父親がモーメント暴走へ結びつくような謀をしていたという事実は無く、むしろ(親譲りなのかはさておき)Dホイールの整備開発などを手掛けられるだけの器用さと博識さ、その原動力となる道具への愛情を兼ね備えていた程であるのだが、それでもしばし云われ無き非難の対象となっていたらしい。

 また、不動遊星本人も少なからずモーメントが孕む危険性について認識していた。とする説もあり、数多くの“危機”(おそらくは文章にできないような非ィ科学的事件)に際し率先して立ち向かっていたその行動指針は、モーメントという存在を世に生み出した父を持つ彼なりの、罪の意識による自己犠牲的なものとする考え方も存在している。

 

 既にここまでの時点でお腹一杯ではあるが、彼の存在が「伝説」として一際抜きんでているのは、不動遊星が強い信念に基づき「シンクロ召喚」を生涯使い続けていた故だろう。

 先述の通り、シンクロ召喚はモーメントに暴走を引き起こさせた要因でもあり、また彼はモーメントという技術に対して非常に近しい生まれでもある。あくまでも言いがかりでしかないが、人類破滅の元凶たる二つの要素を、彼の行動が結びつけていたとも取れる。

 しかし、それでも尚彼がシンクロへと拘り続けたのは、例え一人一人では小さくとも、力を合わせる事でどんな大きな(かべ)をも打ち破れるというシンクロ召喚のシステムに、困難へと立ち向かう人間の「絆」にも似たものを感じた為 と言われている。人類を、そこへ宿る可能性を信じ続けたその姿勢こそが、不動遊星という人間が持つ最大の魅力であり、今尚「伝説」とされ続ける理由なのかもしれない。

 

 

 

 自分自身、別に彼の歴史について専門に扱う立場でも何でもなく、その知識についても一般常識の域を出るものではない。だが、そんな自分でも、カードが結ぶ“絆”が存在し、やがては“希望”へと繋がるという考えに関しては大いに賛成する所である。

 

 極論、カードとは有機物の塊である紙っきれなのだ。精霊だモーメントといった不思議パワーが一切存在していなかった、或いは表沙汰となっていなかった「前世」の価値観に則せば、それはより判り易いだろう。カードを創造しているのは極々普通の人間であり、普通の工場において普通のライン上で生産される極々平凡な工業製品。それ以上でもそれ以下でも無い。

 しかし、例えオカルトチックな力が働かなくとも、そこには確かに“絆”があり“希望”があった。原作者に始まり、企画者、デザイナー、更には制作現場に携わる様々な人や物、世に送る流通の分野。そして、実際に手に取るファンや夢中になる子ども、温かく見守る親御さんetc……。

 5枚150円の紙束には数えきれぬ程の人々の手が加わっており、またその一枚一枚が多くの人間の想いを、願いを繋ぎ、重なり合ったそれらはやがて、様々な舞台において実を結ぶ。ゲームやコレクション等十人十色な姿を取り、しかし等しく希望(ホープ)となって笑顔をもたらす。

 

 たかがカード、されどカード。

 神や仏が存在するかも定かでない世界でさえ成し得ていたのだ。神も精霊も実在するこの世界で、それが実現できない道理は無い。人が生みだした物が、人を幸せにできない筈が無いのだ。

 

 

 

「……何だ?」

「いや、何でもないよ」

 

 何より、今の自分を動かしている原動力もまた、人間の(きずな)に依るものである。

 ちっぽけな元一般人に戦う勇気を授けてくれたのは、相応にちっぽけかつ平凡なもの。縁あって再誕した『遊戯王()』の世界。折角なのだから、人も精霊も機械さえも、つまらない諍いも種族の垣根も越えて、呑気に能天気に決闘(デュエル)をして熱くなって笑いあいたい。非常識で愉快なる平和(にちじょう)を満喫したい。ただそれだけなのだ。

 後、個人的な事情を付け加えるのであれば、この素直じゃない相棒を引っ張り出し、潮風香る海辺のハイウェイ辺りでライディング・デュエルをできれば、もう文句は無いだろうか。

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

 そんなちっぽけな、しかし今の自分にとっては非常に大きな願いを胸の内に秘めて、今日も自分は銃を取る。いつか(カード)(決闘盤)へ持ち替えられる日が訪れる事を夢見ながら、廃墟というフィールドで、火薬と鉛玉でできた罠を張り、科学という名の魔法を装備したモンスターとして、機皇帝の軍団と戦い続ける。

 勿論、端末でしかない機皇の一体や二体を廃品(ジャンク)にしたところで、大局がびくともしない事など承知している。それこそ、本体たるネットワークを叩きでもしないかぎり機皇はいくらでも生産され続け、人間への“粛清”は対象を失うその時まで止む事はない。こうして小さな単位によるゲリラ的戦闘だけでは、人間側がジリ貧となるだけである。

 だが、それでも自分は、自分達は戦い続けるのだ。抗い続けるのだ。守り抜いた現在(いま)が、やがて未来(きぼう)へと繋がってゆくと信じて。

 

 

 その日もまた、「いつも通り」の戦いであった。

 決して楽なものではないが、しかし綿密な計画と濃密なる経験故に然したる滞りも無く、本隊より引き離した機皇の一体・グランエル型と呼ばれるものを罠で溢れた廃墟群へとおびき寄せて仕留める。というより、つい今しがた仕留めた。

 

 

「やったな」

「お前のアシストのおかげさ」

 

 張り巡らせたワイヤートラップによって動きの鈍った機皇帝を相棒が牽制しつつ、別角度より自身が本命でズドン。放たれた火閃は寸分たがわず中枢を司る頭部へとクリーンヒットし、黄鉄の巨体は黒煙の中へと沈んでいった。

 機皇を仕留める典型的な手法だが、それ故にある程度の信頼性もある。が、今日のそれは随分と上手く運べており、思わず柄にも無いハイタッチなどをしてしまった。後から若干の恥ずかしさがこみ上げてきたが、相棒との共同戦果と考えれば、それ程悪い気もしなかった。

 二人なら越えられない(しょうがい)など無い。そう思える程に、今日の自分達は調子が良かったのだ。

 

 

 

 

 だが、どこまでいっても、どれ程の事を成そうとも、自分達は「一人の人間」でしかない。

 時に破滅の未来をひっくり返すだけの力を秘めるそれは、しかし同時に拍子抜けする程あっけない最期を迎える場合もある。その「脆さ」こそが強さの源であり、「人間」という存在を証明する何よりの証なのだから仕方が無い。

 

 “何故”

 それは、当事者である自分でさえ判らない。当て損ねたのか、武器の方に整備不良でも起きていたのか、それとも機皇の側が何かしらの対策でも講じていたのか。はたまた、見えざる何者かによる力でも働いたのか。

 しかし、その理由が何であれ、自分のとる行動が変わる事は無いだろう。如何なる過程を踏み、どの様な状況下であっても、自分は同じ道を選び、同じ選択をとる。そこに、相棒がいるのなら。

 

 

 珍しく――本当に、らしからぬ程の柔らかな笑みを浮かべた相棒の胸倉を掴み、有無を言わさず思い切り投げ飛ばす。

 女の身とはいえ、銃器を担いで戦場を駆ける以上少なからず鍛えてはいるし、何よりとっさに出たのは改造に改造を重ねられた自慢の右腕、それも利き腕だ。唯でさえ細身の相棒を少しばかり遠くへ……悠然と此方を狙う、機皇帝(グランエル)のビーム砲の射線外へ投げ飛ばす事なぞ訳もない。

 尤も、投げられた当事者たる相棒と言えば、“茫然”と呼ぶに相応しい表情の通り、一貫して何が起きたのかも判らないといった様相であった。気付いた自分でさえ言葉を発する間も無かったのだから、当然と言えば当然かもしれないが。

 

 悲哀か、憤怒か。それとも憎悪か虚無か。

 未だ色を写さない彼の相貌がこの先どう染まってゆくかなど、自分には判らないし判りようもない。だが、何れにせよ相棒は涙を流し、或いは全てに絶望さえしてしまう事だろう。他者より少しばかり形とするのが苦手なだけで、その本質は誰よりも優しいから。流せる涙を持った人だから。

 それだけ優しい人の心を傷つけてしまうのは大変心苦しいが、だからと言って今の自分に何かできる訳でもないし、数瞬の後にはそんな考えを考える事さえ叶わなくなる。流石に「三度目」があるとは思えないし、ここでの戦い(せいかつ)を経験した以上、何もかもを捨ててまで自分だけ生き永らえようとする気が起きるとは思えないし、思いたくもない。

 「私」の人生は、間違い無くここで終わるのだろう。

 

 

 

 だからせめて、最後に“願い”を託す。この荒んだ世界で生き残る事となった人へ、精一杯の、命一杯の笑顔と共に想いを繋げる。

 

 この先どれ程辛い事があっても、どうか「希望」だけは失わないでほしい。

 こんな世界に生まれたお前へと託された、誇るべきその名と共に、自分の分まで生きてほしい。

 その生が、希望の灯が、いつの日か必ず、未来へ続く光差す道の(しるべ)となるから。

 

 身勝手な願いである事は判っている。無責任な押し付けである事は承知している。だがそれでも、それでも私は、お前に生きてほしいのだ。

 それが、私に残された最後の「希望」だから。こんな自分が唯一成せる「幸せ」だから。

 

 

 

 さようなら■■■■。私の大切な相棒。

 

 

 

 

 

 

 

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『どうしたのですか、友よ』

「……夢を……見ていたらしい」

『夢……ですか』

「ああ……。遠い昔の……事だ……」

 

 気付けば、あの日から随分な時が経ってしまった。未だ何も成せていないというのに、ただ時間だけが過ぎ去ってゆく。我々の追いつけぬ速度を以て、我々を置き去りにしてゆく。

 だがそれでも。例え数えきれぬ程の記憶が、時の流れに揉まれて削れようとも、その瞬間(こうけい)だけは決して色褪せる事なく、脳裏に焼き付いて離れはしない。

 

 懐かしくも忌まわしきその記憶、拭いがたき悲しみ。

 この身に宿る三の絶望が一つ……「愛する者を失った」絶望

 

 

 何故 あの時彼女を救えなかったのか

 それは、こうして年老いた今でも尚悔やみきれないぬ、決して解放されない、我が永遠の命題(そくばく)でもある。

 無論、例え一機だけであろうと、自分一人の力であの機皇帝を打倒する等と思い上がるつもりは無い。だが、それでもあの時の自分は、残る二つの絶望の場合とは訳が違うのだ。

 ただ守られるだけの、弱き存在ではなかった。

 成す術もなく彷徨うだけの、無力な存在ではなかった。

 例えちっぽけなものであっても、自らの意志で武器を手に取り、戦う事を選んだ戦士だった。守る事のできるだけの力を持っていた存在だったのだ。

 しかし、現実はこれだ。何よりも守りたかったものを守る事ができず、あまつさえ目の前で失った、奪われた。身を呈す事だってできた筈だ。なのに、またも守られるだけであったのだ、どこまでも無力でしかなかった。

 

 

 いっそ、共に死んでいれば良かったのだのろうか。

 確かに、そう考えた事は何度もあった。放浪の中で、自ら命を断とうとした事なぞ数知れないし、“死”が常に寄りそう戦場を駆け抜けてきた以上、今更それに恐怖など抱きはしない。

 だが、それは終ぞ叶わなかった。銃口を向ける度、刃を立てる度に、彼女が最期に見せた顔が脳裏にちらついて離れなかったのだ。

 今にも泣き出しそうな、あの笑顔が。

 

 

 そうして生き永らえた自分は、放浪の果てに出会えた盟友――崩壊した世界の、人類最後の生き残りとなってしまった三人と共に、この世界を再生する為の道を模索した。彼女の笑顔へ込められたものを信じて。

 

 だが、世界はどこまでも冷酷であった。度重なる研究と実験が実を結ぶ事はなく、過ぎゆく時間だけが老いた身体と心とを蝕み続け、一人、また一人と、科せられ寿命(タイムリミット)の刻を迎えていった。

 「シンクロ」を、そこに生まれる絆を信じて幾度となく限界を打ち破ってきた友は、終ぞ超える事の叶わなかった壁の存在に絶望した。“時間”という禁忌を犯してまでも未来を願った友は、自らの成果を見届ける事なく、“自らの時間”の前に膝を屈した。

 この身も例外ではない。その時を迎えた自分は、もはや焼きついた光景(えがお)へ込められていたものさえ思い出せぬ程に老いさらばえていた。そうして自分もまた、失意と絶望の中で死を迎えるのだろう。一足早く眠りについた、二人の友と同じ様に。

 

 

 

『本当に……本当によろしいのですね?』

「構わん……遠慮は無用だ……。

 これもまた……私が背負わねばならない……罪なのだから……」

『……済みません。この様な役目を押し付けてしまって』

「何を……謝る必要がある……。謝らねば……ならぬのは……私の方だ……。

 一人きりに……させて、本当に……済まない……」

 

 だが、ただ伏して死を待ちなどはしない。否、この身が死しても尚、私は無し遂げるのだ。成さねばならないのだ。この世界に光を取り戻すための計画、「歴史の改竄」を。

 

 人類が文明を築くよりも遥かに昔、有史以前の時代へと遡り、人類の歴史の影よりその繁栄を、欲望を、元凶たるモーメントの興隆を抑制し、破滅の未来を回避する。

 当事者の一員ながらも、荒唐無稽な話だとは思っている。しかし、それでも人類を、未来を救う為には、過去を変えるより他には無いのだ。最早、(ここ)に希望など存在していないのだから。

 

 当然、自身が既に死にゆく身である事は承知している。そうでなくとも、今や自らの足で動ける者はこの場にいない。例え時間を遡る事ができたとしても、このままでは単に死に場所を変えるだけに過ぎないだろう。

 ――故に、私はこの人格(こころ)を機械の写し身へと宿す。我が人格を構成する三の絶望、それぞれの時を宿した存在(わたし)を作りだし、唯一人残る友人の手足となって、いつ終わるのかも定かでない“戦い”へと身を投じる。

 そして、未来を得る為なら、目的を無し遂げる為であれば、自身同然であるその写し身がどうなろうとも構わない。例え紛い物(コピー)に新たなる感情が芽生え、それが新たなる“希望”の種になりかけたとしても、成すべき大事の妨げとなれば遠慮なく切り捨てて構わない。そう友へと伝えた。

 新たな未来を得る為の礎となる事。それが、愛する者を守れなかった私が成すべき贖罪なのだ。

 

 

 無論、時間を遡る手段が確立された際に、直接「あの時」へ赴き彼女を取り戻す事も考えた。

 だが、仮に一時の悲劇を回避したところでどうなるのか。この荒廃した世界へと彼女を連れてきて、一体何になるのか。何も変わりはしない。ただ、愛する者へ自身の絶望を押し付けるだけだ。それでは、真に彼女を救うとは言い難い。

 何より、あの時守れなかった手で、何もできなかった自分が、今更どの面を下げて「彼女を救う」などと言えるだろうか。そんな資格が、今の自分にあると言えるのだろうか。

 

 だからこそ、私は、私達は、その根本から世界を変える。

 例え歴史の掛け違いにより、「私」が彼女と出会えなくなろうと構わない。私が愛した女性の記憶から、私という存在が消えようとも構わない。歴史を改めた果てに得られる世界で、彼女が心からの笑顔と共に穏やかなる生涯を送れるのであれば、私はそれ以上何も望みはしない。

 この身を、絶望に染まってしまった我が生涯を。君と、君が幸せとなれる世界へと捧げよう。嘗て君が愛してくれた、この真名と共に。

 

 

 

 

 そして愚かなる人類よ、覚悟するが良い。その目へ、脳髄の奥底へしかと焼きつけるが良い。

 

 これが、貴様達の成してきた(Sin)の結晶だ。

 繁栄を欲し、如何なる代償をも認めなかった貴様達へ突きつけられる二律背反(アンチノミー)の姿だ。

 「希望」という名の幻想に縋りつき、その果てに生みだした破滅の未来だ。

 

 私が成す 未来を得る為に

 私が裁く 己が罪と共に

 私が示す この身へ刻まれた記憶と共に

 

 

 

 わが名は「アポリア」――絶望の番人

 

 





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