「良いか、無知蒙昧でどうしようもない役立たずの塵屑にもわかるように教えてやる」
柊聖十郎と名乗った男はサルビアに対してそう言った。
「殺すわよセージューロー」
「ふん、貴様のようなものに殺されるものか。自分の格すらもわからなぬとは」
心底呆れた顔をする聖十郎。
「……なら、その偉いセージューローは何を教えてくれるのかしら」
「決まっているだろう。邯鄲だ」
「邯鄲……」
彼が言っているのは故事の邯鄲の枕のことではないだろう。おそらくはこの夢の世界に関すること。
「そうだ。無知蒙昧な屑どもが寄ってたかってこの邯鄲を再現しようともがいていた。それも通常の法ではなく魔法とかいう力を使ってな。そのおかげで、様々な箇所が歪だ。百年単位の邯鄲の周回も歪に歪んでいる。それどころか、並行的に無自覚的におまえたちは周回を重ねている。このままいけばどれほどまでの年月が立つか見ものと言えるほどにな。それもこれもこれを施術した未熟な蒙昧が悪いのだが、色々と抜け道があるがゆえに俺もこうしてここに立っているというわけだ。わかったか塵」
「吹っ飛ばすわよ塵」
ともかくとして、魔法による邯鄲の再現。邯鄲とは夢の行。
資格を有した者を盧生へと至らせるための修行場とも言いかえられる。それを再現するということはすなわち夢を手に入れようとしたか、あるいは盧生を創りだそうとしたことに他ならない。
「全ては盧生になるためね」
柊聖十郎曰く、盧生とは夢界に入り込める資格を持つ者のことだ。無意識と現世を紡ぐ架け橋。それになれる人間。
邯鄲による修業、つまるところ夢界と呼ばれる場所を制覇することにより邯鄲――夢を現実に持ち出すことを可能とする選ばれし者である。
本来、邯鄲とは万人を無条件で受け付けるほど敷居の低いものではなく、夢界に入れる人間はそもそも相当に限られている。
その資格を有する者を盧生と呼ぶのだ。いや、正確に言えば盧生とは邯鄲を制覇した者のことである。資格を持つだけでは盧生たりえない。邯鄲を制覇して初めて資格者は盧生となるのだ。
つまるところ、盧生の資格とは背の高さや低さと同じく生得的な個々人の差異でしかなく、言い換えれば才能のようなものでしかない。
才能の保有者が出来ることは大まかに四つある。
一つ、夢の中に入れる。
二つ、自身と強い繋がりを持っている者を、同じく夢界に導ける。
三つ、邯鄲を征した暁には、夢を現実へ紡ぎ出せるようになる。
四つ、邯鄲制覇の後、夢を夢のまま封じれる。
「俺は盧生になる。本来の歴史がどうなっていようが知ったことか。俺は盧生になる。そのための貴様だ塵」
「……盧生になるねえこういう事かしら。肉体の病を消すべく邯鄲を構築した。己には必ず盧生の資格があると信じて。でも、なかったわけだ。なぁに、それなんて滑稽なのかしら」
「殺されたいようだな塵が」
「あら、殺すのかしら。おまえが私を? やってみろよ塵が。おまえにない盧生の資格とやらを持つ私を殺せるのならな!」
聖十郎にそれが出来るはずがない。
「殺すまでもない奪えばいいのだ」
「お前の力が私に効くわけないだろうが」
互いに逆さの十字を背負う者である。そうであるがゆえに、互いの夢は互いに影響を及ぼさない。先ほどのように盧生の血でもって眷属としての繋がりを強化すれば一時的に夢を条件を無視して扱うことができるがその効果が切れてしまえば何もできない。
「お前は黙って私に従うだけの憐れな塵だ」
「…………」
「夢を扱うとかどうでも良いけど、盧生というのは良い。やる気などなかっけど、セージューロー、あんたの悔しがる顔は見てみたいわ。
盧生になる。ふふふ、あんたにできないことを私がやるのよ。悔しがって這いつくばれよ。ねぇ、ヒーラギセージューロー」
それにだ、盧生という力があればダンブルドアなど即座にひねりつぶせる。ヴォルデモートでもなんでも。誰もサルビア・リラータを止めることなどできない。
ゆえに、サルビアは盧生となるのだ。自らにその資格があるのならばなる。サルビア・リラータに不可能などないのだ。
「黙れよガキが。お前、辿れば俺の系譜だろう。俺から与えられた力を我が物顔で振るう。呆れてものも言えん。せいぜいいい気になっておくがいい。盧生になるのは俺だ。断じてお前などではない」
闇の中で逆十字が胎動する。
盧生になる。それがどのような結末をもたらすのかも知らずに、逆さの磔を背負い、サルビア・リラータは夢へと侵攻を開始した。
その瞬間、サルビア・リラータは貴族の館にいた。いるだけで感じる高貴なる青い血の気配。気品だとかそういうものではなく、ただただそうあることが当然のような貴族の気配。
「あら、あらあら、こういうこともあるのでしょうか。ねぇ、宗冬」
「はい、お嬢様」
「誰かしら」
「辰宮百合香、こちらの無愛想な執事は宗冬。この館の主と言えばよいでしょうか。いえ、正確にはこの夢と言うべきなのかしら。甘粕事件以降、このようなことなどあるはずないと思っていましたのに。いいえ、夢だからこと言いましょうか。ねえ、宗冬」
「はい、お嬢様」
「ふぅ、やはりそれ以外に言ってはくれないのですね。それもまた仕方のないこと。私の中にいるあなたはきっと、そう言うのでしょうから。これもまた私の業なのでしょう。
さて、申し訳ありませんお客様。紅茶はいかがかしら可愛いお客様。生憎、野枝はいないためこちらの宗冬が淹れたものになりますけれど」
サルビア・リラータはどこに出たというのだろうか。いつの間にか柊聖十郎は消えている。それもこれもこの夢の中にある結界のせいだろうか。
「ああ、柊殿には退場願いました。なにせ、彼がいてはお話になりませんもの」
「なるほど、それで、何か用かしら」
「ええ、そう。用というほどではないのだけれど、しいて言えばお話を」
「話?」
「ええ、そう
つまりはこれもまた夢ということだ。不安定な邯鄲だと柊聖十郎が称した魔法版邯鄲は普遍無意識による夢の形成が非常に不安定なのだ。
ゆえに、どこに繋がるかもわからない。過去、未来、現在にまで干渉する可能性を秘めた魔法による邯鄲の施術は通常は起こりえない時間や次元の跳躍すらも可能としている。
これもまたそんな事例の一つ。不安定な邯鄲が起こす泡沫の夢。
「あなたがどんな人なのかを教えてくださらないかしら」
「なぜ私がそんなことをしなければならない」
「さあ、私もあまり深くは考えていませんし、どうせ忘れる夢のことですから。ならば自分のことよりもあなたのことを知りたいと思うのはごく自然のことではなくて? そうですね、現代風、あなた方風にいうのであればがーるずとーくという奴です」
このお嬢様はいったい何を言っているのだろうか。サルビアには理解が出来そうにない。
「そういう顔をしないで。あなたも年頃の女の子のはず。恋の一つや二つしているのではなくて?」
「なぜ、私があのような塵屑どもに恋をしなければならないんだ。恋や愛などそんなもの男女の生殖行為を良いものにすべく論点を置き換えているだけに過ぎない」
「あら、なんとも夢のないことを言うのですね。恋は良いものです。まあ、
それがあなたが盧生になるために必要なことなのです。
サルビアにはこの女が何を言っているのか理解が出来ても理解する気が起きない。頭がお花畑の女が何かを言っているだけだ。
愛がどうだの。そんなものが何になるというのか。どうして塵屑に何かしてやらねばならないのか。
「帰るわ」
「あら、まだ紅茶に口もつけていないのに。もう帰るのですか」
「お前との話に意義がない」
「これでも先達として伝えるべきことは伝えたと自負しておりますが、そうですか。それならば仕方ありませんね。でも、きっとあなたもわかる時が来ます。あなたも女の子なのですから」
「知らん」
掻き消えるように女と館が消える。後に残ったのは執事だけだ。
「何をしている」
「いえ、差し出がましいとは思いましたが、再びお嬢様に出会えたことについて感謝として一つお手伝いをと。逆十字は私が押さえていよう。その間に、答えを探すことだ」
「ふん、余計な御世話だ」
言葉少なく執事も消える。次に世界が歪むと同時に、獣が姿を現した。双頭の犬が咆哮をあげる。玉座に座るは赤い服の少女だ。
いや、あれは王だった。
「ふむ、客か。まったくもって千客万来だな」
「誰だ、お前」
「ふん、匂いは逆十字に似ているが。まあいい。問うのであれば聞けキーラ・ゲオルギエヴナ・グルジェワである」
「何が目的だ」
「目的? 目的など決まっている。盧生となる。そして、我が臣民と共に暮らすのだ。それ以外などどうでも良い」
臣民。その言葉の意味をサルビアは正しく理解している。
彼女の背後に見える超獣の姿。三千人もの獣化聯隊を細切れの肉片に分解したのち、キーラ・ゲオルギエヴナ・グルジェワを核とした外科手術で科学・魔術的に接合させた大巨人兵の帝国。
まさに巨人。それはまさしく彼女を王とした帝国の姿なのだ。目の前の可憐な妖精の如き少女の本当の姿がそれとは酷く笑えるものだった。
「貴様、何がおかしい」
「これほど滑稽なことが他にあるとでも?」
「ふむ、今宵の私は怒らん。申してみよ。聞くだけ聞いてやる」
「人間ぶってる獣が酷く滑稽で嗤えるのよ」
「そうか。ならば死ね――」
巨人が動き、視えざる手がサルビアを圧殺すべく動く。
単純にして協力無比。何よりも強い物理的な力の圧力がサルビアへと襲い掛かる。
「アバダ・ケタブラ」
死ねよ雑魚共。
咒法の散にて拡散させた死の呪文が当たった先からその不条理を発動していく。当たれば死ぬ。その単純な魔法は夢においてはそれ以外の機能などまったく発揮しない。当たれば死ぬ。ただそれだけだ。だが、それだけゆえに強い。
単純な力の勝負であれば強い方が勝つのが道理だ。ゆえに、サルビア・リラータが勝つ。
「ぐおおおおおおおおおおおお」
響くのは慟哭だ。血の涙を流して、黄金瞳を輝かせる少女が慟哭する。同胞の死を嘆き、悲しみ、怨敵を殺さんとその力を振るうのだ。
そこにあるのは愛だった。自らに繋がれた三千人に向ける彼女の愛。
「くだらん」
それを真っ向からくだらないと吐き捨てる。愛がどうした。愛はわかる、人間の情など余すことなく知り尽くしている。
だからこそ、それはくだらないものだ。そんなものを抱いてどうするというのか。
「ほら見ろ、愛を向ける同胞がやられただけでこのざまだぞ」
キーラ・グルジェワは酷い有様と化していた。死の呪文を浴びて、自らの肉体が、臣民が死に絶えていく。
「とどめだ」
そう思い杖を振ろうとして、
「もう、駄目でしょ」
ぺしと頭を叩かれる。それは決して痛いものではなかった。
「誰だ、私の邪魔をするのは」
「こぉら、もう女の子がそんな乱暴な口調じゃだめでしょ、め! だよ」
そこにいたのはサルビアとあまり変わらないような身長をしたふわふわとした女だった。眼鏡をかけて、どこかサルビアが話に聞いた母親に似ているらしいような女。
「他人が嫌がることはしたらいけません。他人のお子さんだって、私ちゃんと叱っちゃうんだから」
「は?」
「言うことがあるでしょ? ごめんなさいって、そう言えば相手もきっと許してくれるからね」
何を言っているんだこの女は。塵屑に謝る? 利用するだけのものに? 何を言っているんだこの女は馬鹿なのか?
「それから、誰かに何かしてもらったらありがとうございますって言わないと。そうしたら言われた方も気持ちが良いし、また手伝ってあげようって気になるの」
サルビアの話など聞かずに目の前の女は言葉を続ける。
「何かしたらごめんなさい。そうすれば許してくれる。そして、助けてほしい時は、助けてほしいって言えばいいの。きっとあなたのことを大切に思っている誰かが助けてくれるわ」
「何の話だ」
「お節介かな。ううん。きっと大丈夫と私は思ってる。だって、まだ若いんだもの。きっと一杯失敗とかしちゃうだろうけれど、そうやってみんな大人になって行くの。だからあなたも怖がらないで、きちんと言葉にするの。ありがとうって」
「さすが恵理子さん、良いことを言う!」
それからまた誰かが現れる。ハゲだった。
「ハゲって言うなああああっ! ――おっと、ごほん。ついくせで。いやぁ、恥ずかしい恵理子さんの前で」
「だいじょーぶですよー、剛蔵さんはかっこいいですから」
「――」
何やら感極まった様子のハゲ。
それからサルビアの方を見る。
「セージに良く似てるな。だが、違う。君はセージじゃないし、きっとセージにはならないと俺は思う」
ハゲは言う。
「根拠なんて全然ないが君はどうやらいろんな人に思われているらしいからな。だからきっと大丈夫だと俺は思う」
何を言っているのだろうか。この頭がお花畑の連中は。
サルビアには何一つわからない。何一つ。そう何一つだ。塵屑共の言葉などわかるはずがない。
そうわかるはずがないのだ。
――本当に?
久しぶりにサルビアメイン。セージはお嬢様とくらなくんはまぞによってちょこっと退場。
我らが大天使ハゲエルとエリコエル登場。
二大天使(悪魔)。ここに三人目の天使(悪魔)神野を加えることで逆十字的には天使(悪魔)なユニットが出来るのではないか!?
とかなんか意味不明なことを思いついた。SAN値が削れそう。
邯鄲と盧生の説明。
盧生の説明は良いとして。魔法式邯鄲は非常に不安定ながらも途轍もないことが出来ます。逆転時計とか作れる魔法世界なので、時空を超えるのは当たり前の魔法式邯鄲。
ゆえに大正時代だろうがなんだろうがに飛べるわけです。
さて、次回か次々回くらいには、アズカバンの囚人を終わらせて四年目に行ければいいなぁ。
正直、アズカバンの変更点ってシリウス関連をそのままやってホグワーツ特急でハリーが吸魂鬼を追い払うくらいだし。
色々カットしつつ、サルビアの愛を知る旅を続けていければとか思ったり思わなかったり。