その日、内田流留はいつものように休み時間には同じクラスの仲の良い男子生徒たちと、昨日のテレビがどうの、最近プレイしたゲームはどうの、好きなプロサッカーチームの試合がどうだっただのペチャクチャと話していた。そうして気の置けない男子とおしゃべりをしている時間は、彼女にとっては空気を吸うかのように自然で気楽に過ごせる時間である。
彼女にとって、同性つまり女子同士のおしゃべりや交流は退屈そのもの、面倒くさい人間関係を考慮しなければいけないので窮屈だった。趣味が合えば話さないこともないが、そんな女子はいた試しがなかったので極力かかわらないようにしている。その点男子生徒は、気軽に趣味のバカ話だけでどこまでも接することできるし、流留を受け入れてくれる。相手がどう思っているかは彼女にとって関係ない。あくまでも自分が楽しくて、自分を受け入れてくれる関係がそこにあればいい。
成績はよくないが身体を動かすこと、スポーツは見るだけでなくやるのも好きで得意な彼女は、部には入っていないが、応援と称して仲の良い男子生徒の助っ人として臨時で入って参加することもしばしばある。趣味の話が合うだけでなく、そうした助けを求めてくる生徒を助けてあげる飾らない素直な行為は、男子生徒たちの心を掴むようになっていた。助けるのはあくまでも気の合う生徒たちである。
それゆえ男勝りな娘だとかサバサバしてるなどと評価されることがある。が、決して男子そのものの立ち居振る舞いというわけではなく、女であるのでそれなりにオシャレにも興味はあるし、人に不快に思われない程度には身だしなみには気をつける。しかし必要以上のオシャレはしない。そうして取捨選択したオシャレが結果的には他人から見るとセンスが良いという評価をくだされることもある。
が、あくまで流留としては必要以上の女性らしさを演出したりはしない。
彼女を巡っては女子生徒・男子生徒の間で思いのすれ違いや一悶着があるのだが、流留は気にしないし、そもそもそういうのに疎いので気がつかない。そういう鈍感さが彼女の見えないところで多々問題を起こしているのだが、彼女がそれを知る由もない。
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午前の授業が終わりお昼。いつも彼女は仲の良い男子生徒たちと学食に行き、お弁当を買って教室に戻ってきて食べる。教室には他の派閥的なグループもあるが、表面上は互いに気にしていない空気がある。
流留は数人の男子生徒と会話を楽しみながら食事をする。話題はサッカーなどスポーツだ。
「……でさ~その新しく入った○○選手、あたしは最近注目してるんだよね~。Aくんはどう?」
「あ~その選手いいよね。俺は××選手もいいと思うけど。」と男子生徒B。
「俺もその選手に最近注目してるぜ。その人、前は△△っていうチームでMVP取ったんだけど、内田さん知ってる?」
男子生徒Bはそれなりの反応を返す。一方で同意を求められた男子生徒Aは流留の気をさらに引くために追加情報を教えた。
「えー!?マジで?ねぇねぇ!その試合見たかったなぁ~」
流留の反応を見て、これはイケると思ったのか男子生徒Aはさらに情報を口にする。
「俺その試合録画して持ってるからさ、今度内田さんに共有するよ。○○Driveのアカウント持ってる?」
「うん。」
「そしたらそこに動画アップしておくからぜひ見てみてよ。」
「Aくん、ありがとー!」
流留はきりっとした目を笑みで緩ませてはにかみ、男子生徒Aに礼を言った。男子生徒Aは流留の気を引けたことでBに対してさりげないドヤ顔で誇った。
昼食を取りながら雑談に興じる流留と男子生徒たち。そんなお昼休みの光景であった。
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次の授業が終わり、流留が別のクラスの男子生徒と話そうと教室を出て向かおうとする途中、一人の男子生徒から話しかけられた。違うクラスだが、彼女が接する男子生徒の中ではそれなりに交流のある、三戸基助だ。
「あ、内田さん。今いい?」
「ん? あぁ三戸くん? なぁに、どうしたの?」
「うん。実はさ、内田さんに話したいことがあってさ。今時間いい?」
これから別の男子生徒のところに向かう途中ではあったが、別にその男子生徒と約束を取り付けていたわけでもなく、休み時間を潰せるだけの時間を取れるなら誰でもいいと流留は思っていたため、三戸の話を聞くことにした。
二人はお互いのクラスの教室から少し離れたところの、階段の向かいの窓際に寄り添って話をすることにした。同じ1年生の生徒はもちろん、たまに上級生も近くを通る場所だが、二人とも気にしない。
「そういやこの前のプール掃除は手伝ってくれてありがとう。内田さんたちが来てくれたおかげで早く終わったよ。会長たちも喜んでたよ。」
「あ~。どういたしまして。」
会話の潤滑油代わりに最初に一言感謝の言葉を述べた後に、三戸は本題を切り出した。
「ところでさ、内田さんは艦娘って知ってる?」
「艦娘?ううん。名前は聞いたことあるけど全然わかんない。それがどうしたの?」
「俺さ、会長……立場上は生徒会長としてじゃないけど、とにかく会長が艦娘部というのを作ったから、その宣伝に協力してるんだ。」
流留は三戸からの誘いの言葉を聞いて、先日プール掃除の時、全員の音頭を取っていた光主那美恵という2年生の先輩のことを思い出した。おかしな格好をしていた人だと。あれはコスプレなのだろうかとその程度しか気にかけてなかったが彼女にしては珍しく、なんとなく気を引かれた同性である。
「あ~もしかしてプール掃除の時にいた変なカッコしてた生徒会長だよね。あの人が?」
「うん。それで勧誘のために展示を見に来てくれる人を増やしてるんだよね。それでもしよかったら内田さんにも艦娘部の展示を見に来てほしいと思ってさ。どうかな?」
流留は艦娘のことは全然わからないので特段興味があるともないとも言えず答えようがなかったので、うーんと言葉を濁す。よくわからないがなんとなく気にはなるので三戸の更なる説明を聞くことにした。
「俺一度会長やその艦娘の人たちのこと見たんだけど、艦娘ってさ、○○っていうゲームみたいに普通の人間がヒロインになって戦う感じなんだ。まさにそのゲームが現実になったようだったよ。すげーとしかもう表現出来なかったもん。」
一度プレイして前にハマったことがあるゲームの名が出てきたので流留は少し気になった。
「え~そんなゲームみたいなのが?ホントかな~?」
「マジマジ。内田さんなら展示見るだけでも絶対楽しめると思うんだよね。どう?放課後視聴覚室で俺たち展示をしてるからさ、もし気になったら来てみてよ。動画もあるし、艦娘が使う装備も展示してるからかなり参考になると思うんだ。」
三戸とはそれほど熱く話すことはなく、接する多くの男子生徒のうちの一人だったが、曲がりなりにも生徒会に身を置く人物。他の男子生徒よりかは信頼できるとふんだ流留は、その現実離れしたゲームような現実の存在が気になり始めたので、うんと返事をして三戸の話に乗ることにした。
「OK!しばらくは放課後毎日展示してるから、いつ来てくれてもいいよ。」
「せっかくだから今日行くよ。どーせいつも○○くんや△△くんたちとしゃべって帰るだけだし、特に用事もないから。あたし手ぶらで行っていいの?何か持ってくものある?」
「いんや。普通に来ていいよ。じゃあよろしく。」
会話と言いつつも自分のお願いだけしていき、三戸は自分の教室に戻っていった。流留は窓際に一人きりになる。
((艦娘かぁ。ま、見るだけ見てみよっと。))
その後彼女は教室に戻り、残りの休み時間を別の男子生徒と雑談して時間を潰すことにした。
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放課後、すぐさま教室を出て帰る者、教室に残って雑談し続ける者、部活に行く者と、生徒たちの行動は様々である。那美恵と三千花は艦娘部の展示のため、生徒会室に向かうために教室を出た。1年生である三戸と和子も、お互い違うクラスながら同じように生徒会室へ向かう。
その頃、1年生の流留は教室に残って数人の男子生徒と雑談をしばらくしていたが、用事があると言って男子生徒の輪の中から一人離脱して、あるところへ足を運んだ。
那美恵たちは4人揃ったところで、先週までと同様にパネルや資料、そして川内の艤装を運び出して視聴覚室へ向かった。土曜日の艤装のデモを行なったおかげか、視聴覚室前には数人がすでに展示の開始を待っている。それを見た那美恵と三千花はひそかに手を合わせて喜びを表し合った。
展示見学者をひとまず外で待たせ、那美恵たちは急いで展示の設置を始めた。
「いや~まさかの効果ですよ、みっちゃんさん。」
「ホントよね。百聞は一見にしかずってことね。デモやってよかったじゃない!」
パネルや資料を並べつつ二人は話す。それを視聴覚室の仕切りを動かしつつ聞いていた三戸が会話に入り込む。
「俺も会長の艤装デモ見たかったなぁ~会長の麗しい姿を一目見られたらなぁ。」
「私も見たかったです。」
三戸に続いて和子も実は思うところは同じらしく、希望してくる。そんな書記の二人の様を見て那美恵は苦笑しつつ、二人を慰めつつ提案した。
「また近いうちにやったげるから、その時は一緒にね!」
「私と四ツ原先生だけ見る形になって、二人にはなんか申し訳ないことしたわね。」
三千花は肩をすくめつつ言い、三戸と和子に謝った。
「いえ、気にしないでください。私達は鎮守府で一度しっかり見てますから。」
そう言って和子は副会長の三千花をフォローする。
「じゃあ次やるときこそみっちゃんに艤装つけて動いてもらおー。」
「……あんた、あの時私に艦娘になってほしくないって言ったの嘘なの?」
「もちろんホントだよ~。でもちょっと試すだけならいいでしょ?ね?ね?」
親友のどうしてもやらせたい欲求バリバリの言い方を聞いて、三千花は半分諦めた。一度従ってやってみれば那美恵の気が収まるかもしれない。三千花は肯定とも否定ともつかない曖昧な返事で那美恵の反応を受け流すことにした。
展示の準備が終わり、その日の展示がスタートした。
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先週よりも大盛況っぷりに那美恵たち4人は驚いたが、それぞれ役割を決めていたのでいつもどおり見学者を捌く。そして先週までと違ったのは、艤装の同調を試したいという生徒がいたことだ。その日は結果10数人来て、4人同調を試した。
いずれの生徒も合格水準の同調率を出せなかったが一人だけ、合格レベルの生徒がいた。
放課後の1時間少々ではあるが、10数人の見学者が来て、それぞれ思い思いに艦娘のことを見聞きして帰っていった。那美恵と三千花による説明も回数を繰り返して慣れてきたのか、わかりやすさと説明のスピードが安定して、誰が聞いてもある程度分かってもらえる口調になっていた。艦娘である那美恵はもちろんのこと、艦娘でない三千花もあたかも自分が艦娘であるかのように熱を込めて説明をする。
表で案内役をしていた三戸は、日中に流留を誘ったことを思い出していた。彼女は(男)友達が多いし、なんだかんだで都合があって今日は来られなかったのだろうと。会長である那美恵に任せてくださいと大見えきったはいいが、目的の生徒に来てもらえないのは(那美恵も三千花もそんなことは気にしない性格なのは三戸自身もわかってはいたが)少々気まずく感じる。
展示を締め切る10分前。厳密な時間ではないしその時間に先生が来るわけではないが、一応借りている時間はその時間までなので、生徒会自ら破る訳にはいかない。見学者の大半がいなくなり、視聴覚室付近は静かになった。和子は艤装デモや資料配布の手伝いのため視聴覚室におり、廊下には三戸しかいない。三戸は大きく背伸びをし、自分も視聴覚室に入ってそろそろ展示片付けの準備を手伝おうかと思って扉の方に方向転換したとき、少し離れた階段の辺りから一人の女子生徒が小走りで近づいてきているのに気づいた。
内田流留である。
流留は少し息を切らしており、三戸の前で胸に手を当てて呼吸を整えた後ようやく口を開いた。
「ゴメンゴメン、遅れて!もう展示終わっちゃった?」
「いいや。ギリギリだけどまだやってるよ。そんな走ってくることないのに。どうしたの?」
三戸は、小走りではそこまで息切れしないだろうとなんとなく違和感があったので彼女に尋ねてみた。が、流留はちょっとねと言葉を濁すだけで、三戸にそれ以上の説明をしようとしない。三戸もそれ以上は聞く気はなく、すぐに思考を切り替える。
「じゃあ、中見ていく?今なら他の見学する人いないからゆっくりできるよ。」
「OK~。じゃあ三戸くんも一緒に来て。どうせもう人来ないんでしょ?」
流留から見学の付き添いをお願いされて、本人的には内心鼻の下が少し伸びた状態な気持ちになって、快く承諾して二人で視聴覚室に入った。
視聴覚室に入った三戸は那美恵たちに声をかけた。
「会長、次の見学者の方っす。」
「こんちはー」と流留。
「こんにちは~。あ!あなたは確か……内田さんだったよね?」
那美恵は自分が三戸づてに来るように催促してはいたが、そんな素振りは一切感じさせず、今初めて来てくれたのに気づいたというふうに振る舞う。当然そんな策略なぞ流留が気づくわけがない。
「内田さん、艦娘に興味あるの?」那美恵は入って早々の流留に尋ねる。
「うーん。よくわからないんですけど、三戸くんに誘われて、なんだか面白そうだから見るだけみてみようかなって。」
流留自身の興味のレベルはそう大して変わっていない様子が伺えた。誘われたから来たということは、少なからず揺れ動いたのだろうと那美恵は想像してみる。早速那美恵は流留に直接説明することにした。
「おっけ~じゃああたしが説明してあげる!」
「よろしくお願いしまーす、会長。」
「内田さ~ん?今のあたしは生徒会長じゃなくて、艦娘部部員の光主那美恵なんで、そこんところよろしくね~。」
流留が何気なく言った会長という言葉を頭をブンブンと振って那美恵は否定する。
「へ?あぁ……はぁ。」
流留は生徒会長である那美恵のことをほとんど知らなかったので、そのずいぶん砕けた感じに少し戸惑いを隠せない様子を見せて適当な相槌を打った。
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那美恵が説明し紹介する艦娘の内容に、流留は驚きを隠せないでいた。あっけにとられるその様は、口が半開きになっていた。
「……でね、あたしは隣の鎮守府の天龍って人たちと大きな深海凄艦を倒したんだ。」
那美恵の説明の後半は彼女の体験談だったが、流留は説明のほとんどが耳を右から左へ素通りして抜けていくような状態に陥っていた。近くにいた三戸の言葉によるとゲームのようなことが現実に起こる仕事場とのことだったが、本当にそんなわけが……と最初こそ疑っていた。しかし那美恵の説明を聞くうちに疑う気も失せるほどの内容が流留の視覚・聴覚などの感覚に飛び込んできた。
流留は「ホントだったらやってみたいねぇ」などと冗談混じりに軽く考えていたのだが、実際に目の当たりにすると人間の心理的な流れなのか、その気は収縮してしまう。
そんな呆けた様子の流留のことが気になったのか、那美恵は説明を一旦中断して彼女の状態を確認した。
「ねぇ、内田さん?どーしたの?」
「へ!? え? あー、その……なんか現実離れしすぎて頭が真っ白に。」
流留は左手で頭を抱えるように額を抑えて、戸惑う様子をその場にいた全員に見せている。
「うんうん。わかるよ。最初はそうなるよね~」
あっけらかんと言う那美恵に三千花は突っ込んだ。
「あんたは絶対戸惑ってないでしょ。私達もそりゃ驚いたけど、なみえっていう良くも悪くもすごい例がいたから感覚が鈍ってただけでさ。内田さんの反応こそが一般の人の反応よ。」
「いやいや。あたしだって最初は戸惑ったよ~。そりゃもう脱兎のごとく!だよぉ~」
那美恵は冗談とも本当ともつかない言い方で自身の時の経験を語る。三千花は親友の言が、半分はその場の空気を和ませるための冗談だと察していたので必要以上のツッコミは野暮として、一言で終わらせた。
「はいはい。言ってなさいな。」
今の流留にとっては、那美恵と三千花、つまり生徒会長と副会長の妙に親しげなやりとりさえ気にならないほど、ここの展示の内容で受けた衝撃を収められないでいる。この人たちはこんな現実離れした出来事を本気で平気で受け止められているのか。こんなことを本気でこの高校で広めようとしているのか。ありえない。ついていけない。
流留は今まで、楽しければそれでいいと適当に過ごしてきた。勉強は苦手で成績は並だが、ルックスや運動神経には自信がある。別にそれを笠に着てるわけではないが。彼女の生き方の根底にあるのは日常生活。そしてその延長線上。その生活を崩したくない。いくら艦娘がゲームみたいに振る舞えて楽しく活動できたとしても、日常生活から逸脱した世界に足を踏み入れてまでしたくないと思っている。
このままこの場にいたら、艦娘にさせられてしまうんだろうか。ふと彼女の脳裏にそんな心配がよぎる。
流留が呆けていると、那美恵は次の説明をし始めた。
「まぁびっくりするのは仕方ないよね。けど現実にこういうことがあって、あたしや内田さんたち、一般人の日常生活を密かに守っている人たちがいるというのだけは、頭の片隅にでも置いておいてもらえると、嬉しいな。」
「はぁ……。はい。それはわかりました。」
「でね。内田さんがもし冷静になった後も艦娘に興味があるなら、一緒に艦娘やってほしいんだ。」
来た。
流留はそう思った。しかし彼女が口を挟む前に那美恵が言葉を続ける。
「でもね、艦娘が装備する艤装っていう機械があるんだけど、艦娘になるには同調っていって、それと相性がよくないと艦娘になれないんだ。だからなりたい!って言っても艦娘になれるわけじゃないし、気が乗らない~って人が実は相性バッチリで艦娘になる素質あったりと、誰もが必ずなれるわけじゃないの。だからあたしはこの学校で一人でも多くの生徒に同調を試してもらって、艦娘になってもいいって人を探しているんだ。でね、よかったら内田さんにも、同調を試してもらいたいの。どう?」
誰でもなれるわけではない。流留はその一言で安心感を得た。そしてその安心感は、一つの返事を生み出した。
「まぁ、試すだけなら……。」
流留のその一言を聞いて那美恵の表情はパァッと明るさを増す。
「よ~しっ!じゃあ三戸くん、一名様を川内の艤装の間に案内して~!」
「よろこんで~」
那美恵は飲み屋の店員のような軽いノリで三戸に指示を出した。三戸も似たノリで那美恵の指示に従い、流留を案内させた。
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「内田さん、こっち。こっち来てくれる?」
三戸を先頭に、流留、その後ろに那美恵と三千花が続く。
川内の艤装を置いてある視聴覚室の区画は展示の区画より小さめに仕切られており、5~6人が入るともう限界の広さだ。区画の中央には、机の上に置かれた川内の艤装が静かに佇んでいる。
「さ、これが艦娘が身に付ける、艤装っていう機械だよ。」
前に出て一言紹介したのは那美恵だ。流留は、そう言って紹介された艤装を見て、現実離れした存在である艦娘のことを、ようやく現実のものとして受け止めようという気になった。
「これが……艦娘の。」
「そ。じゃあ早速つけてみる?」
コクリと頷いた流留の意思を確認した後、那美恵は川内の艤装のベルトとコア部分の機器を手に取り、流留の腰に手を回して装備させる。近くにいた三千花は少し駆け足で展示の部屋に戻り、艤装のリモート接続用のアプリを入れたタブレットを手にとって再び那美恵達の前に来た。その間、那美恵は流留に注意事項を小声で教える。
「もし同調できちゃったときにはね、……シたときと同じような恥ずかしい気持ちよさを感じちゃうかもしれないから、気をつけようがないけど心構えだけはしっかりね。裏を返せば感じちゃったら、内田さんは同調できたってことだから。自分でも判断つくと思う。」
生徒会長の口からとんでもない言葉を聞いた流留は思わずそれを大声で復唱しようとした。が、それを那美恵と三千花に全力で制止された。
「オ、○ナ……っ!? フゴッ」
「わーわー!口に出したらいけませーん!」
「ちょ!ちょっと内田さん!男子もいるんだから!!」
そばにいた三戸はポカーンとしている。当然なんのことだかわかっていない。艤装を試させるときは必ず那美恵と三千花の二人が担当していたため、三戸はさきほどの那美恵のノリに乗って入ってきたとはいえ、初めて誰かが艤装を試すその場に立ち会うのだ。
「……わかりました。確かに気をつけようがないですね……。」
全然まったく関係ないところで恥ずかしい言葉が出てきたことに流留は驚いたがひとまず平静を取り戻し、その後教えられた同調の仕方を頭の中でじっくり何度もシミュレーションし始める。
「同調始めてもよさそうだったら声かけてね。電源はみっちゃんがリモートでオンにするから。そしたら教えたとおりにしてみてね。」
那美恵が最終確認を含めた説明をした。その後、その場にはしばしの静寂が漂う。
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流留は教えられたとおりに心を無にして落ち着かせる。心をからっぽにとはいうが易し行うは難しだ、と自身にしては柄にもない高尚な表現を頭の中で反芻していた。からっぽになったと心に思わせて無にしてみることにした。
心の準備ができた流留は那美恵に合図をした。
「いいですよ。お願いします。」
流留の言葉を聞いて那美恵は三千花の方を見る。流留の言葉は当然近くにいた三千花の耳にも入っていたので、那美恵と目配せをしたのち、三千花は手に持っていたタブレットのアプリの画面にて、川内の艤装の電源をオンにした。
ドクン
流留は腰のあたりから二方向に電撃のようなものがほとばしるのを感じた。一つは頭の先へと、もう一つは下半身を通りすぎて足の指まで。那美恵の言ったとおりの感覚を得た。確かに似ており、気を抜くと高校生にもかかわらず、側に男子がいるにもかかわらず、粗相をしてしまいかねない感じだった。しかし流留はその感覚を必死に我慢する。
その感覚がようやく収まったと思ったら、次は全身のありとあらゆる関節がギシッと痛み、よろけて片膝立ちになりかける。流留が完全に倒れこむ前にすぐ近くにいた那美恵は彼女の肩口を支えてあげるために近寄った。流留はというと、関節の痛みが収まると頭のてっぺんから踵までを、ひんやりして冷たく細長い鉄の棒を埋め込まれたような不思議な安定感を覚える。
そして最後、流留の脳裏には突然何かの情景が大量に流れこんできた。
それは遠い何処かの海、闇夜に照らされる一筋の光の先に向かって自身と仲間が砲撃する一人称視点の光景だったり。
それは仲間とはぐれて小さな艦と一緒に海を漂う高空からの光景だったり。
それは仲間が遠く離れた、点々とした光の集合体に向かって砲撃している最中、別の仲間と何かを運ぼうと死に物狂いで波をかき分けて進む第三者視点の光景だったり。
止めに、あちこち穴ぼこだらけ、炎上している自身の身体を必死に我慢して円運動をしながら応戦するも、敵の放つ恐るべき一撃必殺の52本が次々に襲いかかり、微光射す朝の海のやや濁った海中から見た最期の光景。
どれもこれも、今までの人生で見たことなんてない、ましてやゲームですら見聞きしたこともない、リアルすぎる光景だった。そしてありえないはずなのに、まだ顔も見ぬ、素性も知らぬ少女?たちが側に近寄ってきて親しげに並走する光景が浮かぶ。
いつかあった過去と未来なのか。脳の記憶保持のキャパシティが限界を超えて頭が爆発しそうになり、流留は耐えられなくなって思わずよろけてしまった。
その様子は、那美恵から見ても、今よろけた少女がどうなったかを察することが出来た。
内田さんは、川内の艤装との同調に成功した!!
あたしは、艦娘の艤装とやらに選ばれた!?
タブレットで電子的にその状況をチェックしていた三千花がはっと息を飲む。
「内田さんの、川内の艤装との同調率は88.17%よ。私よりも高いわ。なみえ、これって……」
数値を聞いて、那美恵は飛び跳ねて喜び、流留と三千花の肩を抱き寄せて更なる喜びを表した。
「うん!! 合格! 内田さんなれるんだよ! 軽巡洋艦艦娘、川内に! やったぁ~~!!」
飛び跳ねて素直に明るく喜びを表す那美恵と、対照的に微笑んで静かに喜んで那美恵を見つめる三千花。そして、そんな二人を複雑な表情で見る流留がいる。まさか自分が艦娘に合格できるとは……。流留はさきほど艦娘の世界のことを知った時以上の衝撃を受けていた。
そんな彼女の気持ちを落ち着かせる間もなく、那美恵は勧誘の攻勢を強めることにした。
「やっと出会えたよ。うちの学校で、艦娘になれる人に! あたしね、実は言うとプール掃除の時に初めてあなたを見た時に、何かピンと感じるものがあったの。直感ってやつ? 内田さんが今日見学しに来てくれたのは運命だったのかもって今、すごく嬉しいの!」
「はぁ……」
「ね!ね? 内田さん。こうして出会えたのも縁かもだし、あたしと一緒に艦娘やってみよ?」
那美恵は興奮を抑えきれない様子で流留を艦娘へと誘いかける。珍しく、目の前の少女の様子がどうだとか、観察がままならない状態になっていた。そのため流留の表情が思わしくないことに那美恵は気づかない。
流留は同調率というものに合格という評価を受けて戸惑う。自分が肯定の返事をしてくれると信じて熱い眼差しで見つめる那美恵が側におり、そのさらに横では冷静そうな三千花がいる。流留は妙な威圧感を(勝手に)感じていた。
押されすぎていて何と言えばいいか混乱しかけたが、ようやく一つの言葉を絞り出した。
「とりあえず、外していいですか?」
「おぉ!?そーだねぇ。コアユニットだけ付けて同調しつづけると疲れが早いって明石さん言ってたし。」
「じゃあまたこっちで電源切ればいいのね?」
「うん。お願いねみっちゃん。」
那美恵から合図を受けた三千花はタブレットのアプリから艤装の電源をオフにした。流留は今の今まで全身に感じていた妙な感覚がなくなり、元に戻ったのを実感する。元に戻ったはずなのに、身体が重い感じがする。そして同調する前に言われた通り、アノ感覚が下半身にかすかに残って猛烈に恥ずかしい。
はぁ、と一息ついてベルトを外し、那美恵に艤装のコアの箱を手渡す。
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「ねぇねぇ?どうかな?艦娘、やってみない?」
なおも尋ねてくる那美恵に、やや疲れた表情で見上げて流留は言い返してみた。
「それは……生徒会長や上級生として言ってるんですか?」
「えっ!?」
まさかそんな返し方をしてくるとは思っておらず、那美恵は珍しく素で呆けてしまった。だがすぐにいつもの調子に戻り、言い方を変えて流留を誘う。
「いやいや。あくまでも艦娘部部員としてだよ。もちろん強制じゃないから、あたしからはあくまでも誘うことしか出来ないから、最終的な判断は内田さんに任せるよ。」
とは言うが、流留にしてみれば、光主那美恵という人は生徒会長としての影響力が強すぎる。そして、思うように増やせない、相性があるという艦娘と艤装の関係、やっと見つけた自分(流留)という存在、きっと彼女はなんとしてでも誘ってくる気がしてならない。
退屈を凌ぐために適当に楽しさを求めて過ごしてきたが、あくまで日常生活の範囲。ただでさえ、視聴覚室に来る前に自身に似合わぬ心かき乱される出来事があったのに、これ以上壊されたくない。艦娘なんて非常識な世界は、自分には無理だ。
日常を壊したくなかった流留の心は決まった。
「ごめんなさい。あたし、無理です!」
その一言だけ言って、流留は那美恵と三千花をかき分けて、脱兎のごとく視聴覚室を駆け出て行った。
「あ! ちょ! 内田さん!?」
那美恵の呼びかけも意味をなさず、声はその場に響いただけだった。視聴覚室にはあっけにとられた那美恵達3人、そして廊下には早足で出てきた流留に呆然とする和子が残る。
「せっかく艦娘になれる人見つけたのになぁ~」
後頭部を掻きながら流留がいなくなった視聴覚室の区画で宙を見つめる那美恵。驚いた和子も艤装のある区画に入ってくる。
「どうかなさったんですか?内田さん走って出て行っちゃいましたけど?」
異変を感じたのか、和子がその場にいた3人に訊いてみた。
「うん。内田さん、同調率合格したんだけどね、やりたくないって出て行っちゃったの……。」と那美恵。
「だから言ったでしょ。なみえだけ理想に燃えてやる気みなぎってたって誰もついていけないって。内田さんの言い分わかるわよ。なみえはさ、やっぱ生徒会長としての存在が強すぎるのよ。実際に誘われたらあれが普通の反応よ。」
と三千花は親友に厳しく諭す。
「え~……それじゃあ、誰誘ってもあたしにはついてこないってこと? うー……」
「そ、そこまでは言わないけど、もっと違う切り口からの誘い方にしないと。それにさっきのあんた、興奮しすぎて押しすぎだったわよ。ちょっと珍しかったけど。」
泣きそうな顔になり那美恵は俯いて表情を暗くする。三千花は、親友の那美恵が弱気を見せはじめ本気で凹んでしまったことに焦ったのか、思いやり半分指導半分のフォローをする。が、那美恵の表情は暗く落とされたままだ。
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二人の側にいた三戸は、会長に言われたとはいえ、自分が進んで流留を誘ってきたこともあり少々責任を感じていた。艦娘になれる素質があったにもかかわらず結果的に流留は断り、せっかく得られるはずだった艦娘仲間を失ったという事実に今まで見せたことのないショックを受けている那美恵のその様は、さすがの三戸も心苦しかった。
自分が、内田流留と光主那美恵の橋渡しをするのだ。いや、しなければならないと彼の中には強い決意が湧き上がった。
「会長!副会長!俺ちょっと追いかけて内田さんと話してくるっす。任せて下さい!」
左腕でガッツポーズをして、そばにいる1つ年上の女の子二人を元気づけて三戸は視聴覚室を出ていこうとする。
「ちょ!三戸君!?どうするのよ!?」
反応して呼び止めたのは三千花だ。那美恵はまだ俯いたままでいる。
「内田さんを誘ったのは俺だし、なんとかしてみますよ!」
「違うよ三戸くん。内田さんを誘おうとしたのはあたし。三戸くんを使ってあたしが誘ったんだよ。だから三戸くんはこれ以上何もしてくれなくていいんだよ?」
那美恵はうつむいたまま涙声で三戸に言う。三戸はこれはますますヤバイ、なんとかせねばと燃える。
「いや。直接交流あるの俺だけだし、俺がなんとかしなくちゃいけないんっすよ。」
妙にやる気にも燃えている三戸の姿を見て、那美恵と三千花、和子は少しだけ彼の見方を変えた。やる気に燃えた三戸は3人の声を聞いても今度は足を止めずに視聴覚室を出て流留を追いかけていった。