Fate/zeroニンジャもの   作:ふにゃ子

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その16

 

 

 夕暮れ時が押し迫るフユキ。汚染された黒雲に覆い隠された太陽では夕焼けの美しさなど望むべくもないが、それでも光量でおおまかな時間帯はわかる。

 そんなフユキ旧市街のはずれに存在する、ありふれた無人の廃ビル。

 無計画な建築による需要と供給のミスマッチング。

 かつては退廃ホテルとして経営されていたこのビルは、ついには管理すら放棄されて打ち捨てられた都市の闇を象徴するイコンめいたものだ。

 寒々しいバイオコンクリート造りの外観を有する建築物は、恐竜の化石めいた物寂しいアトモスフィアをまとっている。

 毒々しい原色で点灯していたのであろうネオンノボリの残骸が虚しくビル側面と屋上に残り、かつての姿を僅かに想起させていた。

 

 その上層階フロアの一室で向かい合う二人と三人。

 ライダー陣営と、ウェイバーのノロシに気付いてやってきたランサー陣営が対面中であった。

 ウェイバーが目撃したバーサーカーめいたサーヴァントと、そのマスターらしきフード付きパーカーの男についての情報共有中である。

 

 なぜ上層階を用いているかと言えば、低層階には浮浪者などが雨を避けるために入り込んでくる可能性が高いためである。

 退廃ホテルとして経営されていた頃の名残か、ベッドや家具なども実際残っているためにねぐらにしている者も居る。

 人払いの魔術でビルごと封鎖することも不可能ではなかったが、人が入り込みにくい上層階だけ封鎖して会談すれば問題ないという判断であった。

 

 ケイネスは室内に残されていた、PVC加工がはがれたチャブの傍に座っている。部屋の入口から最も遠いアッパーポジションだ。自然とそうなった。

 ランサーとライダー、そしてウェイバーもケイネスに倣い、チャブを囲んでいる。ザブトンなどはないため、バイオタタミの床にアグラ座りだ。

 ソラウは一脚だけ有ったバイオラタン編みのスツールをランサーに勧められ、そちらに腰掛けていた。

 ごく自然にランサーの隣に腰掛けようとした彼女を、女性が腰を冷やすのはよくないとか実際ムリヤリめいた理屈で説得したのだ。

 横から聞いていたライダーが何かに気付いたような表情を浮かべていたが、あえてランサーは無視した。

 

 

「というわけで、魂喰いをさせていたんじゃないかと思うんです。こういう場合、やっぱり監督役に訴え出る必要もあるんでしょうか、センセイ」

 

「そうだな、一般人の虐殺となれば捨て置くわけにもいくまいし。

 私に相談するよりも先に監督役へと伝えておくべきだっただろう。ケジメせよとまでは言わんが、悪判断だったなウェイバー=サン。

 しかし……マスターが狂ったニンジャか」

 

「はい、ニンジャに見えました」

 

 

 腕組みして考えこむケイネスを、怪訝そうに見るランサー。

 このヤバイ級魔術師が、外道めいたマスターの振る舞いよりもニンジャであるという点を気にしているのは実際不思議に見えたのだ。

 

 

「ケイネス殿、ニンジャというのは一体?」

 

「ニンジャとは数多くの先史文明を背後より支配したとされる旧支配者種族、半神的存在とも語られる神秘の化身だ。

 かつて人間が畏怖した多くの超常的存在の伝説は、ニンジャと接した人間が彼らへの恐怖を語り継いだ末に生まれたともされている」

 

「はっ?」

 

 

 きょとん、と目を丸くするランサー。

 何やらものすごく荒唐無稽な話を聞かされたような気がする。

 

 ライダーも同じく、ものすごく胡散臭そうな表情で顎髭をさすっている。

 

 

「のう坊主、お前の師匠は本気で言っとるのか?」

 

「センセイは時計塔でも数少ないニンジャ学研究の第一人者なんだ。ゲテモノ扱いされることもあるジャンルだけど……あのマスターは、あからさまにニンジャだった」

 

「そりゃあまあ一応ニンジャには見えんこともんかったが、単にニンジャ被れの魔術師だったのではないのか?

 確かに凄まじい体術ではあったが、腕の立つ魔術師なら不可能でもあるまい」

 

「アイエエ……そう言われると……」

 

 

 ライダーの疑いめいたアトモスフィアがこめられた言葉に、自信無さげな表情になるウェイバー。

 だが、その疑念を横から竹槍でアンブッシュするベトコンめいて否定するケイネス。

 

 

「いや、それはあるまい。

 人間という種には、遺伝子に刻み込まれたニンジャへの根源的畏怖が存在するとされる。

 ウェイバー=サンがそのマスターをニンジャと直感したのならば、それは理由に成り得よう。

 それにだ、古代に於ける魔術師の何割かは、己の正体を偽装したニンジャであったという説もある。

 ライダー=サンの言う"体術に優れた魔術師"像がニンジャである可能性も実際高い」

 

 

 ウェイバーの不安に対するインタラプト。あまりに堂々としたアトモスフィアだが、言っている内容は実際ヨタ話めいていた。

 ケイネスの自信に満ちた言葉に、ウェイバー以外の全員がこの上なく胡散臭そうな表情になる。

 ソラウが呆れたようなアトモスフィアをまといつつ口を開いた。

 

 

「ねえケイネス、あなたのトンデモ学説の話はさておいて、その魂喰いをさせてるらしいマスターをどうするのかの話をするべきじゃないの」

 

「トンデモ学説とは心外だな、ソラウ=サン。

 だが確かに今はニンジャについて論ずるべき時ではなかったか」

 

 

 居住まいを正し、真面目めいた表情とアトモスフィアをまといなおすケイネス。

 

 

「問題は、その虐殺について既に公的な発表が済んでいるということだ。

 街頭ラジオから流れていたフユキ公営放送によると、発狂した重武装のサイバネテロリストが、火災現場のマッポを襲撃した不運なインシデントであるそうだ。

 まだ半日と経っていないというのにな」

 

「欺瞞! それは実際欺瞞ですよセンセイ!

 あの場所にサイバネテロリストなんていませんでした」

 

「表向きは、ということだな。臭いものにはとりあえずフタをして、それらしい覆いをかけておけば目立たんということか」

 

 

 憤るウェイバーと、やや渋面のライダー。

 実際稚拙な隠蔽工作だが、超常現象めいた神秘をフユキ市民を納得させられる日々のありふれたニュースに落としこむことには成功していた。

 殉職したマッポ達にしてみれば、サーヴァントに殺された挙句に犯罪者相手に遅れを取ったという不名誉まで被せられる、弱ったところを更に棒で叩くような仕打ちだが。

 

 

「教会による隠蔽工作が速やかに行われたのだろうな、実際素早い。

 暴徒などによるマッポ襲撃というのは実際ありふれた事件であるため、隠蔽による事実のすり替えは違和感なく受け入れられているようだ。

 そして現状では、教会はそれ以上のアクションを起こしておらん。

 他マスターへの注意喚起などもな」

 

「ではケイネス殿、教会とやらはバーサーカー陣営の虐殺について問題視していない……と?」

 

 

 不満めいた表情で、納得がいかないというアトモスフィアを漂わせるランサー。

 それに対して否定するように首を振るケイネス。

 

 

「いや、そうは思えん。

 確かに教会の立ち位置は神秘の秘匿重点であって、市民の生命を守ることは最重点ではない。

 だがマスターによる虐殺となれば話は違うはずだ。他マスターへの注意喚起、加えて討伐要請まで出されてもおかしくはあるまい。

 単に下手人の情報が不足していると見るべきだろう。

 本来ならばウェイバー=サンからの情報で、その判断をくだしたのだろうが」

 

 

 横目でじろりとウェイバーを見るケイネス。その目付きは鋭く冷たい。

 申し訳無さそうな表情で身をすくませるウェイバー。

 

 

「まあコウボウ・エラーズだ。今さら責めても仕方あるまい。

 そういえばウェイバー=サン、焼かれていたのは狂っていたマスターの工房らしいと聞いたが」

 

「アッハイ、錯乱してるみたいでしたけど、間違いないと思います。

 あと、サクラチャンとかいう人名らしきセンテンスも」

 

「となると、順当に考えるならば他マスターの襲撃か。魔術師の工房を焼いたのがただの火事であるはずもない」

 

「ふぅむ。マスター不在の隙に拠点を破壊して戦力を削ごうとした、と言ったところかのう」

 

 

 ライダーの妥当な推理。

 戦力の手薄な補給線、あるいは拠点を叩くのは実際効率的だ。軍略スキルの持ち主であるライダーでなくともわかる理屈である。

 なるほど、と頷く一同。

 渋い表情でランサーが口を開く。

 

 

「……そしてその襲撃で近親者を失い、錯乱したマスターが暴走した……という事なのでしょうか、ケイネス殿」

 

「魔術師としては妙に脆すぎる気がしないでもないが、一応話の筋は通っているな」

 

「ありえんと否定する理由は、今のところ存在せんか。確かにあやつのサクラチャンとやらについて尋ねる様子、尋常な有様ではなかったわい」

 

 

 両陣営の表情は明るさを欠いている。

 暴走したバーサーカー陣営に非があるのは明白だが、それを誘発させた何者かが居るとすれば、それは実際アクマめいて悪辣な話だ。

 なんとはなしに胸くその悪いアトモスフィアである。

 

 

「ともあれ、今はバーサーカー陣営への対処重点だ。狂った魔術師となれば、我々同じ魔術師の手で誅伐せねば道理が通るまい。

 いかにサイバネ・キドータイやケンドー装甲兵でもサーヴァント連れのマスターと戦うのは実際難しい」

 

「監督役とやらの判断を待っていればさらに被害者が増える可能性も高かろうしな。

 通報と並行して余らとお主らの二手で捜索し、発見次第共闘して撃破が上策か」

 

 

 ライダーの言葉に頷くケイネス。

 確かに聖杯戦争では、毎回少なからぬ巻き添え被害者が生まれている。

 だがしかし、魔術師は殺人嗜好者とイコールで結ばれるわけではない。

 

 

「フユキ教会の監督役には、私から取り急ぎ使い魔を飛ばしておこう。

 恐らく討伐という判断にはなるだろうが、それを待つこともあるまい。

 平安時代の剣豪ミヤモト・マサシも、負けを待って無駄死にと言っている。

 ソラウ=サンとランサー=サンは、聖杯戦争の本筋からやや外れたイクサに付き合わせることになってしまうが」

 

「私は別に構わないわよ、ランサーの勇ましい姿も見られそうだもの」

 

「非道のマスターを誅するイクサとあれば、参ぜぬ理由はございません。

 アーチボルトご夫妻をお守りする盾としての務め、全身全霊で果たしてご覧に入れます」

 

 

 騎士めいたアトモスフィアを全開に、主君たるケイネスへと応えるランサー。

 何かに勘付いているらしいライダーが、笑いをこらえて無理に真顔を作っているかのような歪みを口許に浮かべているが務めて無視するランサー。

 

 

「その魔術師の工房を焼いた可能性の高い未知の第三者が少々気にはなるが……何はともあれバーサーカー陣営の情報を共有重点とするか。

 ウェイバー=サン、人相書きのウキヨエを頼む」

 

「アッハイ」

 

 

 チャブを囲み、白紙のマキモノにウキヨエを描いていくウェイバー。

 それを隣で見ているケイネス。その表情は真剣そのものだ。

 

 アーチボルト家は、いわゆる貴族めいた血筋の家柄だ。ケイネスは生粋の魔術師であり、その世界にどっぷりと浸かっている。

 だからこそと言うべきか、魔術を無軌道な暴力装置めいて使う人間に対し、彼は憤りを感じている。

 そしてそれは、ウェイバーも同じだ。だが、その怒りめいた感情の源はそれぞれ実際異なっていた。

 

 ウェイバーの方は、魔術師というよりもモータル寄りの思考から来る義侠心めいたものの発露か。

 こちらは単純に魔術師としてスレていない、若さ故の過ちめいたものとも言える。

 

 対してケイネスが感じている憤りは折り目正しい貴族めいた血筋から来る、無法な振る舞いを嫌悪する感性によるものが大きい。

 そしてニンジャ学で言うところのインガオホーの思想だ。力に溺れて無力なモータルを虐げる者には、それ相応のムクイがあるべきであるという考えが染み付いていた。

 これは魔術師としては実際変人めいた考え方だ。

 人情やワビ・サビというものは、魔術を極める道程に於いては必ずしも必要なものではないと思われている。時計塔においても実際メインストリームな。

 魔術師としての高みを目指す必要ならば、モータルを犠牲にする事も厭わないのが通常の魔術師だ。それ故に外道とも言われるのだから。

 

 そんな魔術師らしい魔術師像からは、実際少しばかりズレている二人を、ラタンのスツールに腰掛けてぼんやりと眺めるソラウ。

 

 

(……まあ、悪い人じゃないのよね)

 

 

 ケイネス・エルメロイ・アーチボルト。

 父からも才能を買われている時計塔屈指のヤバイ級魔術師であり、多くの実績を有する研究者であり、多くのアプレンティス魔術師を教える講師であり、そして自分の婚約者。

 欠点があるとすれば、ニンジャ学とかいうゲテモノ学問に入れ込んでいる事と、極東の島国の特産品をプレゼントしてくる変な趣味の持ち主だという事くらいか。

 トーキングフクスケやクロームシャチホコやサスマタなど、よくわからない珍妙なプレゼントを送ってくるセンスは実際頂けないが腹が立つほどのことではない。

 

 自分はソフィアリ家の娘として、いわゆる政略結婚の道具めいた立場にある。血のつながりを利用して他家との親密さを維持するリベートめいた存在。

 ケイネスとの婚約関係だって、実際言ってしまえばそれだけの事なのだ。

 この世紀末でもポリティカル・マリッジによる政争の道具めいた扱いを受ける女性は数多い。

 愛のない結婚で結ばれ、対外的には仲睦まじいが冷えきった夫婦関係を維持し、そして魔術師の家にとって必要不可欠な後継者となる子を産むための道具めいて使われる。

 そんな関係に終始する魔術師の夫婦は、実際少なくないそうだ。

 父や兄が茶飲み話めいて話していたのを耳にしたことがある。

 魔術師の家柄だけではなく、一般的なモータルの社会ですらありふれた話だとも。

 それを考えれば、何だかんだで自分個人を見てくれているケイネスは、良い婚約者なのだろうとは思う。

 

 だがしかし、それと恋とは違うのだろう。

 激しく前後したいとか、そういう露骨な事ではない。もうちょっとスピリチュアルめいたなんかを感じない。

 

 だが……。

 

 ソラウはケイネスから視線をずらし、その隣で真面目な表情で片膝をついているランサーをじっと見つめた。

 横顔を目にしただけで胸の中にドラミングめいた強い鼓動を感じる。呼吸が荒くなり、頬が熱を帯びるのを感じる。

 手垢にまみれた表現だが、恋というものがあるならこの感情のことを言うのだろう。

 初めて見た時から抑えきれない衝動めいた何かを覚え、それは今も変わらない。

 

 だが、ランサーは自分のこの気持ちに応じてくれる素振りを見せてはくれない。

 なけなしの勇気を振り絞ってアプローチしてみても、必ずといって良いほど喜劇の騎士めいた大仰な振る舞いで返される。

 そして二言目にはアーチボルトご夫妻の従者として、だ。

 まるで自分を避けるように。

 

 いや、きっと避けているのだろう。頭では理解はできるのだ、あの稚拙な芝居めいた振る舞いの理由は。

 はふう、と溜息めいて息が漏れた。

 

 と、手持ち無沙汰なアトモスフィアを漂わせていたソラウの視界に突き出されるオチョコ。

 驚きつつ視線を動かすと、そこに居たのは征服王であった。

 手にはサケのボトルとオチョコ。サケは持ち込んだものだろうか。

 退廃ホテルであったこの建物には、往時の備品の多くが取り残されている。

 このオチョコもその一つなのだろう、掠れて読めないもののホテル名らしきミンチョ体の文字の痕跡が側面にある。

 

 

「寒かろう、一杯どうだ」

 

「あんまり日本のおサケには慣れてないんだけど」

 

 

 そう言いつつ、オチョコを受け取るソラウ。やや強引めいているところはあるが、こういった気遣いめいた振る舞いは実際嫌ではない。

 スツールから腰を上げ、ケイネス達が使っているものとは別のチャブをライダーと共に囲むソラウ。

 がさがさとマントの中を探ったライダーが、手土産らしいスシパックを取り出した。

 中に詰まっていたのは甘辛いソースが染み込んだバイオアナゴの型押し成形スシだ。これは主にオーサカ・ディストリクトで食べられる伝統的なスシ形態の一つである。

 

 受け取ったオチョコにライダーがサケを注ぎ、ボトルを受け取りサケを注ぎ返す。

 お互いにくい、と一息に呷る。

 日本にはサケを飲む時に守るべき、カケツケ3オンスという古くから伝わるレイギサホーがあるらしい。

 喉から流れ落ちる熱が体の芯に残り、夜の冷気を振り払ってくれるように感じた。

 

 

「何やら悩んでおるようだな」

 

 

 手酌でオチョコにサケを注ぎつつ、視線は向けずにソラウへと言葉をかける征服王。

 アナゴスシを摘みつつ、そらとぼけるように目線を外しつつ返答するソラウ。

 

 

「……何のことかしら?」

 

「とぼけんでもよかろう。傍から見ておれば一目瞭然よ、板挟みめいておるようだの」

 

 

 わずかに顔を赤らめて唸るソラウ。それほどわかりやすかっただろうか。

 睨むようなソラウの視線を受けつつ、素知らぬ顔でオチョコを傾ける征服王。

 

 憮然とした表情のソラウだが、ふと気付いた。

 このサーヴァントは、先日のスシ・バーでいきなり堂々とイスカンダルと名乗り、あのアプレンティス魔術師を涙目にさせていた。

 イスカンダル、読み方によってはアレクサンダー大王とも言われるその英霊は、生前既婚者だった。そして愛人も、同性異性ともに居たそうな。

 つまりは上級者めいたなんかだ。いろんな意味で。

 そんな征服王であれば、この類の微妙な心の機微めいたものにあっさり気付けても不思議はないのかもしれない。

 

 目線を空のオチョコに落としつつ、独り言めいて口を開くソラウ。

 

 

「……ねえ、ライダー」

 

「うん?」

 

「あなた、恋ってしたことあるの」

 

 

 ぶふっ、と噴出するライダー。

 一体何だと胡乱げな視線を向けてきたケイネス、ウェイバー、ランサーにひらひらと手を振り、何でもないと返した。

 

 赤面しつつ睨んでくるソラウのオチョコに新たなサケを注ぎつつ、ライダーが笑み混じりに語りかける。

 

 

「恋か……そうさなあ、余にも惚れた女はおった。後世の人間であるお主なら、あるいは知っとるのかもしれんが」

 

「ええと、バクトリア豪族の娘、ロクサネだったかしら」

 

 

 ソラウは歴史オタクと言うわけではない。

 こういったウンチクめいた知識を彼女が有していたのは、元々ライダーの聖遺物を求めていたケイネスが集めた資料を暇つぶしに読んだためであった。

 どんなサーヴァントが召喚されるかくらいは知っておこう、という程度の動機であったが、結果的には役に立ったことになる。僥倖めいて。

 

 

「うむ」

 

 

 ぐい、とオチョコからサケを呷るライダー。

 この豪放磊落な征服王でも、色恋の話は若干気恥ずかしさめいたものがあるらしい。サケの勢いが常より早い。

 

 

「えっと、確か……アレクサンダー大王がペルシアを征服する途中で見初めて妻にしたのよね」

 

「それで大体合っとるぞ。しかしまあ、意外と伝わっておるもんだな」

 

 

 この豪快な王には珍しいモデストなアトモスフィアを顔に浮かべつつ、新しいサケを注ごうとするライダー。

 その手からボトルを取り、サケを注ぎつつさらに問うソラウ。

 

 

「どんなところを好きになったの?」

 

「最初は容姿だな。輝く星のように美しい女であった」

 

 

 なんとなく不満気なアトモスフィアのソラウに笑いかけつつ、ボトルを取ってソラウのオチョコへとサケを注ぎ返す。

 

 

「きっかけは容姿であったが、妻にするに至った理由はそれだけではない。

 気立てや心根も気に入っておったし、政治的に価値ある結婚でもあった。

 妻に娶るまでの過程を後押ししたのは、一つだけではなかったということだ」

 

「そう……」

 

「で、お主はどうなのだ」

 

「え?」

 

 

 サケの満たされたオチョコを手に、虚を突かれたように戸惑うソラウ。

 ライダーが親指を立て、チャブを囲んでバーサーカー陣営のウキヨエを描いている三人を示した。

 その指の先にいるのは、片膝をついているランサーだ。

 真面目な表情でウェイバーの描いたウキヨエとやらを覗き込んでいる。

 

 その端正な横顔をじっと見ている内に何やら気恥ずかしい感情が泉めいて湧き出してくる。

 やはり、特別な存在に思えるのだ。理屈ではなく。実際直感めいて。

 

 だが……ランサーの側は、どうなのだろうか。

 彼が己を見る時には、ほぼ必ず自分の隣にケイネスが居る。

 稀にそうでない時があったとしても、ソラウ・ヌァザレ・ソフィアリとしてではなく、ケイネスの婚約者ソラウとして接してくる。

 そこには異性へ向ける感情はなく、ひたすら騎士めいたアトモスフィアが漲っている。

 

 ランサーの願いは、ソラウにも聞かされている。

 騎士として生前尽くしきれなかった忠誠を、この聖杯戦争の場で貫き通したいのだと語っていた。

 だとすれば、自分の想いに彼が応えてくれることなど、ないのではないか?

 主君の妻との不貞こそ、騎士ディルムッド・オディナの過ちの象徴めいたものなのだから。

 

 ランサーを従者めいて控えさせている、己の婚約者をじっと見詰めた。

 インクボトルをひっくり返し、マキモノを盛大に汚してしまったアプレンティス魔術師を説教しているようだ。

 その弟子は顔をシシオドシめいて頭を下げている。腕でも当たったのだろうか。シャツの袖口にイカスミめいた汚れがついている。

 

 実際、結婚相手として不満があるわけではないのだ。

 家柄も、経歴も、そして魔術師としての能力そのものも十分に有る。

 確かに趣味嗜好的には実際変わり者であるが、それが悪い方向へと向かない類であることは一応間違いないはず。

 そのくらいには、ケイネスの人格を信頼している。

 

 この聖杯戦争に参加するべく召喚されたランサーと出会うまで、とりたてて不満など無かったのだ。

 

 だというのに、どうしてこれほどランサーに惹かれるのか。

 聖杯戦争に婚約者のケイネスが参加し、彼がサーヴァントを召喚し、そしてランサーに出会った。

 運命めいた流れが自分の背中をランサーに向けて押しているような、イマジナリーブッダハンドめいた何かを感じずにはいられないのだ。

 

 

「独りで盛り上がるのもよいがな、一方通行では得られるものもさほどはなかろうよ」

 

「アイエッ!」

 

 

 そんなソラウにかけられるライダーの突っ込みめいた台詞。

 オハギめいて甘い妄想を見透かされた気恥ずかしさに、びくりと身を震わせた。

 

 

「……どういう意味」

 

「さぁて?」

 

 

 すまし顔でとぼけつつサケ・ボトルを手に立ち上がり、チャブを囲む三人のほうへと歩き出すライダー。

 突き出されたサケに面食らいつつも受け取る三人。

 重金属酸性雨には至らずとも、冷たい雨の降る日本の夜は実際冷える。サケで暖を取るのは、ごくありふれた振る舞いだ。

 

 一方通行。

 片道だけの、返ってこない想いということか。

 思えば、あそこに居る四人のうち、二人は人間ではないのだ。

 歴史めいた過去の世界を生きた英霊が召喚され、サーヴァントとして現界した者たち。本来この時代に存在するはずのないマレビトめいて。

 つまりそれは、人間ではないということだ。ケイネスがよく口にしているニンジャめいた幻想上の存在なのだ。

 人間は人間と結ばれるべきである。幻想と結ばれるのはおかしいと思いませんか? あなた。

 そんな説教めいたフレーズを思い浮かべてしまう。

 

 ケイネスとランサーを見つめるソラウ。ウェイバーとライダーは視界に入りながら無視される。部屋の隅に置かれているフクスケめいて。

 

 ランサーが、ケイネスからオチョコを渡されサケを注がれている。

 彼はそれを一息で飲み干し、オチョコをナプキンで清めてからケイネスへと奉納品めいて手渡す。

 その上でケイネスが持っていたボトルを受け取り、ケイネスの手にあるオチョコへとサケを注ぎ返していた。

 

 あれは、奥ゆかしく伝統的な日本のレイギサホーだ。古く平安時代より伝わるエンシェント・リチュアル。

 ケイネスはニンジャ学の研究者として、このように複雑怪奇なセレモニーめいたレイギサホーにも精通している。

 これは主君から配下がサカズキを受け取り、サケを注がれて飲み、その上でサカズキを返すことで主従関係を確認しあう儀式めいた振る舞いである。

 

 そう、主君と配下なのだ。

 日本にあてはめるならケイネスはトノサマで、ランサーは仕えるニンジャか。

 ランサー自身が望んで欲した人間関係であり、彼はそれを得るためにサーヴァントという偽りの生を得ている。

 ソラウには理解しきれない人間模様だが、それこそがランサーの願いであり、祈りなのだろう。

 

 であれば、その願いと相容れない自分の想いというのは……どうなのか?

 道ならぬ恋は、諦めなければならないのだろうか?

 ランサーのことを想いながら、その相手の心を無視する振る舞いは、決して奥ゆかしいものではない。

 

 答えの出ぬ自問を続けて悶々としながら、空になったオチョコを手の中で転がすソラウ。

 物憂げなアトモスフィアだ。

 

 所在なげに彷徨わせていた視線が、フユキの空を飛ぶサカナめいた飛行船を偶然捉えた。

 フユキ市警のエムブレムを示威的に掲げて悠然と飛行するそれは実際不恰好だが、そこはかとない愛嬌もある。

 厚い黒雲を背景に、下界のネオンやビルの照明で薄っすらと浮かび上がるマグロ・ツェッペリン。

 そして、その側面ハッチに取り付いている人影。上部甲板上にしゃがみ込む人影。

 

 

「……?」

 

 

 今おかしなものが見えたような、と目をこするソラウ。

 再び目を開けて見てみた時には、そこには何もなかった。

 ハッチも、二つの人影も。

 だがツェッペリンはそのまま飛行している。

 飛行中に扉が開いているのは実際アブナイな気もするが、とりたてて異常なさげに飛んでいるし、多分問題無いのだろう。

 ハイ・テックに疎いソラウには判断がつきかねた。

 

 溜息をつきつつ頭を振り、奇妙な光景をニューロンからかき消す。

 きっと、悩み過ぎで知恵熱めいたものでも出たのだろう。

 

 

「ソラウ=サン、ウキヨエが描き上がった。君も目を通しておいてくれるか」

 

 

 背後からかかるケイネスの声。

 感情を強く表には出さない、平坦な声だ。日本では感情を強く声に込めず、そのように振る舞うのが奥ゆかしいとされる。

 だがしかし、どことなく柔らかい。不快な声では、ない。

 

 

「ええ、ヨロコンデー」

 

 

 努めて軽いアトモスフィアを出しつつ、その声に応えて歩み寄るソラウであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昼過ぎに起きたミヤマタウン間桐邸の火災はすでに消し止められ、いつも通りに静かな街並みに戻っているいつも通りのフユキ。

 バベルめいてそそり立つビル群も、その下で蟲めいて蠢く労働者たちも何も変わらない。

 マッポを襲った神秘による悲劇はありふれた事故として隠蔽され、無垢なるモータルはその脅威を知らぬまま日々を過ごすのだ。

 

 現在はすでに地平線の向こうへと太陽は隠れ、陰鬱な黒雲越しにも夜闇が押し迫っていることが理解できる時間帯だ。

 重金属酸性雨までは至らないものの、しとしとと冷たい雨が降りしきるそんなフユキの空を飛ぶ、マグロめいた機影があった。

 

 フユキ市警航空隊のパトロール飛行船、マグロ・ツェッペリンだ。

 無計画な増改築などにより迷路めいて複雑な市街地を誇るフユキでは、航空戦力というものが実際有効であり、多くの予算が割かれているのだ。

 

 そのキャビンで、弛緩したアトモスフィアをただよわせる二人の乗組員の姿があった。

 

 

「あと一周で今日の警らも終了ですね、タナカ=サン」

 

「そうですね、ヨギタ=サン。帰りにどうですか、合法マイコセンターにでも」

 

「オタッシャですねえ、ぜひ行きましょう」

 

 

 サラリマンめいた会話をかわすこの二人は、いずれもフユキ市警のマッポ。

 操縦士のタナカと、副操縦士のヨギタという。

 

 マグロ・ツェッペリンでのパトロールでは、実際に事件に関わる事は少ない。

 彼らの任務は地上の監視であり、事件に遭遇した時、それをフユキ市警本部へとすみやかに連絡すること。

 そして地上部隊の手に負えない凶悪事件が発生した際のサポート重点することだ。

 とはいえ、フユキの治安状態は他の土地と比べて実際良好。

 直接ヨタモノやヤクザ、サイコと殺し合いになることも多い危険な地上任務と比べ、航空隊はカチグミエリートめいて安全な仕事と言えた。

 

 マグロ・ツェッペリンは彼らの担当地区へと差し掛かった。

 スラムほど治安は悪くないが、カネモチ・ディストリクトほど安全でもない、この深夜でもフユキの住人が実際多く行き交う地域である。

 不夜城都市めいたフユキの夜からは、深夜でも灯りと人のさざめく声が絶えることはないのだ。

 ミヤマタウンのような高級住宅地区に住める人間というのは実際さほど多くない。超高級住宅地区でなくても多くのカネがかかるのだ。

 

 副操縦士のヨギタがUNIXを操作し、彼らの役目である市内の犯罪監視を開始した。

 キャビン下方に据え付けられたカメラがフユキ旧市街を映し、光度調整が為された白黒の映像がキャビン内部のUNIXモニターへと表示される。

 

 

 ゲームセンター前の道路へ、ボロボロのヨタモノをつまみ出すスーツのバウンサーがいる。

 問題なし。

 

 ストリートオイランが仕事帰りのサラリマンへと豊満な胸元を押し付けて誘惑し、退廃ホテルへと連れ込んでいる。

 問題なし。

 

 路地裏で暴れているヨタモノめいた集団がいる。外国人旅行者めいた女性二人を襲っているようだが、素手の女性に返り討ちにされているようだ。

 銃などは使っていないようなので問題なし。

 

 薬物中毒者めいたパンクスが路上で暴れだし、駆けつけたマッポ地上部隊に囲まれて棒で殴られている。

 既にマッポが出動済みのため対応の必要なし。

 

 

「今日もいつも通り平和ですよ、タナカ=サン」

 

「それはいい。平和が一番ですよね、ヨギタ=サン」

 

 

 ナムサン! この程度のトラブルはフユキではチャメシ・インシデントなのだ!

 彼らにとっては実際見慣れた旧市街の光景に過ぎず、むしろ流血沙汰の少なさから平和で穏やかなアトモスフィアを感じるほど。

 なんとマッポーめいた治安環境か。

 

 鼻歌交じりにUNIXを操作し地上監視を続けるヨギタであったが、その時ふと、ビルの上に妙な影を見たように感じてカメラ操作の手を止めた。

 フード付きパーカーめいた姿であったように思えるが。

 首をひねりつつカメラを動かし、もう一度ビルの上を映してみるも、そこには誰もいない。

 

 

「どうしたんですか、ヨギタ=サン?」

 

「いえ、ビルの上に人影が見えたような気がして」

 

「きっと気のせいですよ、こんな雨の日にビルの上に人間なんていませんよ」

 

「そうですかね?」

 

「そうですよ」

 

 

 タナカの言葉を受けてUNIXを通常操作に戻すヨギタ。

 ナムサン! なんたる事なかれ主義か!

 しかしヨギタ達を責めることは出来ない。このような慣習的事なかれ主義は日本の伝統文化めいたものだ。

 

 ふたたび市街地の監視任務に戻ったヨギタであったが、どうもおかしい。

 景色の流れ方が普段の警らルートと違うのだ。マグロ・ツェッペリンの針路がズレているのだろうか?

 定められた警らルート以外での自由飛行は禁止されている。ムラハチまでは至らないだろうが始末書ものだ。

 

 連帯責任で罰されてはたまったものではない。タナカに注意するべく、ヨギタは口を開いた。

 

 

「タナカ=サン、針路がズレているみたいですよ。……タナカ=サン?」

 

 

 だが、タナカは真っ青な顔でUNIXコンソールをいじるばかり。

 ヨギタの声も耳に入っていないようだ。

 一体何があったのだろうか?

 

 

「タナカ=サン? どうしたんですか?」

 

「ア、アイエエエ……おかしいんです! マグロ・ツェッペリンが制御を受け付けないんです!」

 

「なんですって!?」

 

 

 覗きこんだ操舵用UNIXコンソールの表示は『システム総じ緑な』と出ている。

 だが、おお、見よ!

 誰の手も触れていないというのに、独りでにプロペラの回転方向が変化し、その針路が変わっていく! これは一体!?

 

 このまま無軌道飛行を続ければ最悪ムラハチにされて依願退職もありうる!

 半泣きでUNIXコンソールを操作するタナカとヨギタ!

 しかしマグロ・ツェッペリンは無反応!

 

 

「ど、どうしましょう! タナカ=サン!」

 

「と、とにかく市警本部にツェッペリンに異常事態発生と報告しましょう! 機材側の暴走トラブルだとわかれば始末書も免除されるかもしれません!」

 

「そうですね、そうしましょう!」

 

 

 責任逃れ重点とばかりに、慌ててIRC通信機へとかじりつくヨギタ。

 だがしかし、その瞬間である!

 

 CRASH!!

 

 轟音と共にキャビンのドアがもぎとられた! 気圧差でキャビン内に置かれていたオカキやフクスケが吸い出される!

 そして飛来したスリケンがIRC通信機を破壊!

 

 

「アイエエエエ!?」

 

 

 なんたることか!

 もぎとられたドアから入り込んできたのは、フード付きパーカー姿の男!

 その顔はメンポに包まれている! あからさまにニンジャだ!

 

 

「ニ、ニンジャ!? ナンデニンジャ!?」

 

「ドーモ、間桐雁夜です。このフネを貸してもらいたいんだ」

 

「ザ、ザッケンナコラー!」

 

 

 実際高い職業意識に支えられ、タナカが腰のホルスターに収められていたマッポガンを引き抜く!

 だがしかし、その腕が横合いから伸びてきた黒い金属鎧めいたものに包まれた手に握り潰された!

 

 

「グワッ、アバーッ!?」

 

 

 悶絶するタナカの手からマッポガンをむしりとり、その頭部を鉄拳で粉砕したのは……おお、ナムサン!

 霧めいた闇を全身にまとった、あからさまに怪しい甲冑の人影! こいつもニンジャか!?

 その左手がUNIXに触れるや、黒い葉脈めいた何かがキャビン内部を蹂躙する!

 同時に再び針路を変え、あまつさえ加速しだすマグロ・ツェッペリン! 何がどうなっているのか!

 

 ヨギタへと近づいたフード付きパーカーの男が、ヘドロめいて濁った瞳で覗きこんできた。

 あまりに人間味のないその眼光に、ヨギタはしめやかに失禁!

 

 

「このフネを貸してもらいたいんだ。ワカリマシタカ」

 

 

 静かな口調ではあるが、そのジゴクめいた威圧感に壊れたトーキングフクスケめいて首を上下させるヨギタ。

 ヨギタに向かって満足気に頷いて返す間桐雁夜。

 その手指が、ヨギタの顔へと無造作に伸ばされた。

 そして……おお、見よ!

 雁夜の指が異形の蟲へと置換されている! これは一体!?

 

 

「ア、アイエエエ!? ゴボボッ、アバーッ!!」

 

 

 雁夜の指から伸びた蟲が、ヨギタの鼻から体内へと入り込む! 悶絶!

 ナムサン! これが雁夜に憑依したニンジャソウルのもたらしたユニーク・ジツであることは誰の目にも明らかだ!

 忌み嫌ってきた間桐の魔術と似たジツを有するニンジャソウルを得るとは、これが間桐の運命めいたものなのか!

 

 

「飛ばせ、バーサーカー」

 

 

 今しがた哀れなマッポの命を奪った痛痒など、その目には微塵も存在しない!

 なんたることか!

 もはや間桐雁夜は完全に暴走しているのか!

 体内を這いずりまわる蟲に五臓六腑を食い荒らされ悶絶するヨギタなど目にも入らぬとばかりに、狂気の滲み出る眼光でフユキ住宅地区ミヤマタウンを見据える!

 

 その目線の先にある大邸宅は────遠坂邸だ!

 

 

「待ってろよ、桜ちゃん……。すぐに皆をそっちに送ってあげるからな……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 おおよそ同時刻、聖杯戦争をとりあえず進める為に、そして昼間に大立ち回りをやらかした何者かの情報を得るために、セイバー陣営は夜のフユキ旧市街を歩いていた。

 違法薬物でニューロンをやられたサイコ野郎ならばファック&サヨナラの欲望を抑えられないであろう実際ヤバイ級の美女が、二人連れでの深夜徘徊だ。

 歩いているだけで、トラブルは実際山めいて彼女らに降りかかってきた。

 

 今もそうだ。

 興奮で顔をマグロめいて赤く染めたヨタモノが、黒スーツのセイバーへと跳びかかり見事なカウンターで吹き飛ばされていた。

 地面に転がったヨタモノが、たまたま目の前にいたアイリスフィールの足へと手を伸ばす。

 それは実際ZBRのオーバードーズで理性を吹き飛ばした哀れなジャンキーゆえの振る舞いであったが、さすがに容赦する理由にはならない。

 

 

「いい加減に恥を知りなさい!」

 

「アバーッ!」

 

 

 セイバーのボールブレイカー・キックを受けて七転八倒してのた打ち回るヨタモノ。

 これでもサーヴァント脚力は一割すら発揮されていない。全力だったならオタッシャ重点だ。

 首根っこを掴んだセイバーが子猫めいてヨタモノを持ち上げ、既にKO済みのヨタモノ仲間の山へと積み上げた。

 

 彼らはフユキ旧市街を歩いていたセイバー主従に、集団で因縁をつけてきたヨタモノたちである。

 無警戒な外国人旅行者をさらってファック&サヨナラ。フユキでは実際チャメシ・インシデントめいてありふれた事件だ。

 当然ながらセイバーが黙っているわけもなく軽々と返り討ちにされてしまっているが。

 違法薬物や合法栄養剤でいい感じにトリップしていた彼らには、目の前の男装の美少女が実際ニンジャめいて強いと理解するほどの冷静さはなかったのだろう。

 

 

「まったく、昼に来たショッピングモールとは違い過ぎます。これほど治安が悪いとは……嘆かわしい!」

 

「確かにそうね……これじゃ他のマスターを捜すのも一苦労だわ」

 

 

 押し殺した怒気を放つセイバー。やれやれ、と溜息をつくアイリスフィール。

 そんな彼女らを、物陰に隠れて怯えた目で観察する浮浪者や自制心のあるヨタモノたち。 

 彼らにとっては今のセイバーとアイリスフィールは、ニンジャめいた恐怖の対象として映っているのだ。

 そんな怯えの視線を受け、不本意めいたアトモスフィアを出すセイバー。

 騎士王をなだめつつ、とりあえずメインストリート方面へと足を向けるアイリスフィール。

 

 ダウンタウンストリートは劣悪な治安と引き換えに、少々のトラブルは黙認され、見逃される。

 仮に魔術的戦闘を行おうと、わずかばかりのコネがあれば容易く隠蔽できるのだ。

 

 例えば死徒が暴虐極まりない振る舞いをし、無数のモータルを手に掛け、その末に代行者に討たれたとする。

 それは『閉鎖されたバイオ兵器工場から逃げ出したミュータントが暴走し、市民を虐殺した後に討伐された』といったありふれたニュースへと置換され、隠蔽される。欺瞞!

 

 だがしかし、それは無力な一般市民への精神的ショックを最大限やわらげる慈悲めいた意味もあるのだ。

 神秘は人の心を強く打ち据え、多大な爪痕を残すものだからである。 

 

 だが神秘の隠蔽がやりやすくなる代償としては、この治安の悪さはどうにも頂けない。

 四六時中女性的な意味での危険に晒されるのを喜ぶ人間などいないのだ。

 

 そんなわけでメインストリート方面へと足を向けた二人だったが、いくらかも進まぬ内にセイバーが何やら足を止めた。

 

 

「……アイリスフィール、あの空を飛んでいるサカナのようなものは、一体なんですか」

 

 

 暗い空を指差すセイバー。アイリスフィールは彼女が指し示す先へと視線を向けた。

 そこにあったのは、空飛ぶマグロ。

 いや、フユキ市警航空隊のマグロ・ツェッペリンだ。

 

 

「ああ、あれはマグロ・ツェッペリンね。フユキ市警のパトロール飛空艇よ」

 

「マグロ・ツェッペリン……」

 

「どうしたの、セイバー?」

 

 

 警戒を解かぬ厳しいアトモスフィアのセイバー。

 パートナーの妙な様子に、首を傾げるアイリスフィール。

 先ほどの乱闘について官憲の手が回ることを恐れているのだろうか?

 

 

「さっき叩きのめしたヨタモノなら大丈夫よ。

 仮にあの場にデッカーがいても、私たちは取り調べもなしに無罪放免されると思うわ」

 

「いえ、そうではありません。飛行機械については詳しくないのですが……。

 その、ああいう乗り物はドアをもぎ取りながら飛行中に乗り込んだりするものなのですか?」

 

「え?」

 

「一瞬ですが、見えたのです。フード付きパーカー姿の男が、金属めいた質感の扉をもぎ取り破壊しながら乗り込む様子が。

 それと……確証までは至らないのですが、サーヴァントの気配もあったように思います」

 

「なんですって?」

 

 

 セイバーの睨む方角の空へと視線を向けるアイリスフィール。しかしマグロ・ツェッペリンは既に夜闇に紛れ、彼女の視力では何も見えない。

 

 だが、セイバーが居ると言ったのだ。

 ならば必ず居たはず。この騎士王の目に錯覚や見間違いはあるまい。

 

 だがしかし、サーヴァントがマグロ・ツェッペリンに乗り込んで何をやろうというのか。

 しかもあれはマッポの飛空艇、魔術師の私物である可能性はゼロだ。

 

 

「サーヴァントがマグロ・ツェッペリンを……何かおかしいわね。

 セイバー、確かめに行ってみる?」

 

「ええ……そうですね」

 

 

 アイリスフィールの言葉に頷くセイバー。しかし、彼女の表情はどうにも晴れない。

 何か気がかりがあるような煮え切らないアトモスフィア。

 

 

「……どうしたの、セイバー?」

 

「……」

 

 

 口ごもり、視線を地面にさまよわせる騎士王。

 その表情は霊体ニューロンの奥底めいた深い位置に沈んだ、古い記憶を思い出そうとしているようであった。

 そうして四分の一分ほど黙り込んでいたセイバーであったが、意を決したように顔を上げる。

 

 

「……いえ、なんでもありません。後を追いましょう、アイリスフィール」

 

「? ええ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜のフユキ市警本部。

 ハイテクサイバー要塞めいた威容を誇る、フユキ中心市街地に存在する法の砦だ。

 重武装の治安維持部隊サイバネ・キドータイや、マグロ・ツェッペリン航空隊など、フユキの治安を守る警察戦力の拠点である。

 

 今夜も当然、そのフユキ市警本部は眠ることも知らず働いている。

 廊下をデッカーや一般マッポが忙しく行き交う足音や、逮捕された犯罪者の罵声や悲鳴などが騒がしく響きわたる雑然としたアトモスフィア。

 そんな賑やかなエリアから少々離れた、薄ら寒い空気の漂う資料室の片隅で、UNIXを操作する男の姿があった。

 服装はマッポの制服。手入れを怠っているとひと目で知れるボサボサの黒髪。

 ハガネめいて硬質な眼光を宿すオブシダンの瞳を、ゴーグルめいたサイバーサングラスで隠した中年男性。

 メイガススレイヤーの変装した姿であるのは一目瞭然であった。

 

 いま彼は生体LAN端子での直結ではなくキーボードでのタイピングでUNIXを操作して、フユキ市警の捜査情報を閲覧している。

 フユキ市警は対IRCハッキング防御が厳しく、スゴイ級以上のハッカーでもなければ痕跡を残さず情報を盗み出すことは実際困難。

 だがしかし、署内に忍び込んで備品のUNIXとマッポの純正IDを用いれば話は違ってくる。

 外部からのアクセスには警戒重点していても、署内からのアクセスにはザルめいて緩いもの。

 これは窃盗術やアンブッシュ能力に優れるニンジャならではの情報収集法であった。

 

 滝めいて流れるIRC情報ログを睨むメイガススレイヤー。

 閲覧しているのはミヤマタウン間桐邸火災現場で起きた、謎の虐殺についての情報だ。

 聖堂教会からの圧力めいた何かによって重武装のサイバネテロリストによる事件として処理されているが、実際はそうではない。

 メイガススレイヤーのニンジャ洞察力が、真犯人の存在を嗅ぎつけたのだ! スルドイ!

 

 改ざんを受ける前の、生き残ったマッポからの報告データや消防士の証言データをアーカイブから引き上げて目を通す。

 そして正式な報告書としてまとめられたものとの差異から、実際に起こった出来事を推理する。

 

 

「……この実際妙な手口。恐らくはサーヴァントと、ニンジャ。マスターは魔術師ニンジャか」

 

 

 ぼそり、とささやき声めいた声量で呟くメイガススレイヤー。

 その目にはジゴクめいた憎悪の焔が燃えている。

 ニンジャ推理力により浮かび上がった、イマジナリー魔術師の姿に煮えたぎる狂気。

 

 その時である。閲覧していたIRC情報ログの一つに、新たな文章が追加された。

 これはフユキ市警が捜査情報共有に用いているIRC通信チャンネルの会話内容だ。

 

#HUYUKI:AirPoliceHQ:

 飛行パトロール中のマグロ・ツェッペリン七番機からの定時連絡なし。異常事態発生か? 地上部隊からの情報提供求む。

 

#HUYUKI:PoliceCar_107:

 地上パトロール中、ミヤマタウン方面へ異常経路で飛行中のマグロ・ツェッペリン七番機を目視で確認。IRCでの呼びかけに応答なし。

 

#HUYUKI:PoliceCar_314:

 ミヤマタウン超高級住宅地区方面で、こちらへ向けて飛行中のマグロ・ツェッペリン七番機を目視で確認。IRCでの呼びかけに応答なし。

 

 流れていく情報ログを睨み、マグロ・ツェッペリンのイレギュラーな動きを知らせる会話を読み取るメイガススレイヤー。

 

 

「ミヤマタウンの……超高級住宅地区方面か」

 

 

 UNIXの電源を落として資料室から出るメイガススレイヤー。

 一般マッポの流れに紛れ込んで廊下を歩き、パトロール出動を装って外出し、路地へと隠れ、マッポの変装を脱ぎ捨てる。

 その下から現れた姿はいつもの宵闇色のロングコートだ。

 

 キャスターは消滅したが、彼のやることは何も変わらない。

 外道の魔術師を見つけて殺すのだ。今回は魔術師ニンジャのようだが。

 

 

「イヤーッ!」

 

 

 ビルの壁面を三角飛びめいて蹴り、原色が目に痛い退廃ホテルのネオン看板へと飛び乗り、そしてビルの屋上へと登り切った。

 高所からニンジャ索敵を開始。サイバーサングラスの光度調整機能が働き、白黒めいてはいるが夜闇が明るく補正される。

 彼の高機能サイバネ義眼めいて実際優れたニンジャ視力が、遥か遠くの空をミヤマタウン超高級住宅地区へと飛ぶ、針先めいて小さい機影を捉えた。

 そのサカナめいた形は、マグロ・ツェッペリンに間違いない。

 

 あれが狙う対象であれば殺す。そうでなければその時はその時である。

 

 

「イヤーッ!」

 

 

 メイガススレイヤーはビルの屋上を蹴り、フユキの夜闇へと消えた。

 

 

 

 

 


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