Fate/zeroニンジャもの   作:ふにゃ子

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その15

 

 

 

 

 

「何たる事だ……」

 

 

 懊悩に満ちたアトモスフィアを纏い、自室で苦しげに呻く赤いスーツの紳士。

 自宅兼用の魔術工房へと篭り、これまで全くと言っていいほどアクションを起こしてこなかった、アーチャーのマスターである。

 

 先ほど愉快げにアーチャーが飛ばしてきた念話で綺礼の暴走を知り、慌てて通信機を起動するも梨のつぶて。

 実際、彼が連絡を取ろうとした相手はメイガススレイヤー目指して移動中なのだから、連絡など取れるはずもなかった。

 

 あのレイギサホーを忘れぬ謙虚な青年が、師の命に背きアサシンを浪費めいて使い潰してでも求めた敵とは、一体何なのか。

 アーチャーはニンジャだとか言っていたが。

 

 

「……馬鹿馬鹿しい、アサシンとしてニンジャが召喚されるならばいざ知らず、マスターがニンジャだなどと」

 

 

 かぶりを振って、益体もない想像をニューロンから追い払う。

 ニンジャがマスターになっているなど、道を歩いていて隕石に打たれることを心配するようなものだ。絵物語の登場人物が現実に存在するわけがない。

 確かに今は聖杯戦争中、ニンジャが召喚される可能性はゼロではないだろう。

 東洋の英霊は召喚されないという縛りもあるが、古事記にはブラジル人やロシア人のニンジャが存在したと書かれているという説もある。

 だがしかし、可能性はゼロではないかもしれないが実際ありえないはずだ。

 何よりサーヴァントがマスターになれるわけがないのだから、ニンジャがマスターである可能性はゼロのはず。

 

 綺礼がアサシンを動かし、自らも飛び出して行った事は解せないが、恐らくは勝算あっての事なのだろう。

 時臣が知る綺礼という青年は自傷行為めいた激しい修行を己に課すマゾヒスティックな面はあっても、無謀や蛮勇を誇る人物ではなかった。

 ならばニンジャかぶれめいたマスターを綺礼が打倒し、帰ってくるのを待てば良いはず。

 

 

「……他にとるべき行動も思いつかんな。今は綺礼の帰還か連絡を待つ他にないか」

 

 

 一先ず様子見するべき時であると判断した時臣は、ふと顔を上げた。

 自室の窓よりフユキの街並みへと視線を送る。ミヤマタウン外周から立ち上る工場火災めいた黒煙。

 火付けや暴動などの類はフユキにおいてチャメシ・インシデントめいている。あの黒煙も、恐らくそうだろう。

 

 些末事だな、と時臣は目にした光景の事を忘れ、聖杯戦争についての思索へと戻った。

 つい先ほど起こった正体不明の大魔術めいた気配について、若干不安をおぼえつつ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そのミヤマタウン、黒煙の源で呆然とする男の姿があった。

 フード付きパーカーを着込んだ白髪の男だ。

 

 彼は痴呆の老人めいて口を半開きにし、力なく膝をつき、燃え尽きる前のキャンプファイヤーめいた有様となった間桐邸の残骸を見つめていた。

 

 周囲には数台のパトカーや放水車が停まっており、ボヤめいた火災を消し止めるべく今も放水が行われている。

 彼らの努力の甲斐あってか、少なくとも炎はすぐに消し止められそうではあった。

 

 だが、雁夜にとって重要なのは間桐邸の建物ではない。

 

 

「なん、だ……これは……」

 

 

 禅城家を訪問し、昼ごろにジェットモノレールでフユキへと戻ってきた間桐雁夜だ。

 遠坂邸を訪れる前に黒煙を目にし、言い知れぬ不安感に襲われて間桐へと戻ってみればこの有様。

 

 臓硯はどうしたのか。あのヤバイ級魔術師がいて、どうして間桐邸はこんな無惨な姿になっているのだ。不審火などではあるまい。

 鶴野はどうしたのか。薬物とアルコールの中毒者な上に憎むべき魔術師のイヌめいた手下ではあるが、それでも兄は兄だ。その安否が気遣われた。

 そして何より……桜ちゃんは?

 

 ただ呆然と虚脱状態めいた姿で間桐邸を見詰める雁夜を見咎め、声をかけてきた者がいた。

 この火災の通報を受けてやってきたフユキ市警のデッカーだ。

 

 

「アーキミキミ、この家の住人かね?」

 

 

 その声に振り向き、バッタめいて立ち上がった雁夜がデッカーの肩を掴む。

 

 

「間桐の家に何があったんだ! 桜ちゃんは、この家の住人はどうなったんだ!」

 

 

 デーモン・オニめいて必死な形相で詰め寄る雁夜。

 彼にとって、命がけで救おうとした少女が住む家なのだ。当然のことであった。

 ミキサーめいて激しく体を揺さぶられ、目を白黒させつつも律儀に答えるデッカー。

 

 

「じ、事故だ。タンクローリー車らしきものが突っ込み、爆発炎上したと見られている」

 

「桜ちゃんはどうしたんだ! この家に住んでいた、小さな女の子だ!」

 

「グ、グワッ、痛い! 苦しい! 離さんか貴様! 生存者は誰も見つかっておらん!」

 

 

 万力めいた雁夜の握力で胸ぐらを掴み上げられたデッカーが、口許から泡を吹きながら必死に抵抗する。

 だがデッカーガンを手にしてすらいない状況で、モータルがニンジャに抵抗できるわけもない。

 

 

「何故だ……何故だ! どうして桜ちゃんが!」

 

「や、やめ……アバッ、アババッ」

 

 

 無意識めいたネックハンギングツリー! デッカーの顔色がブルーベリーめいて変色!

 ようやく騒ぎに気付いたマッポが殺気立ちながらマッポガンを引き抜く!

 警告無しに向けられる銃口! ここフユキでは犯罪者の射殺をためらうマッポはいないのだ!

 物理トリガーに指がかかり、三八口径の銃弾が吐き出される!

 

 BLAM! BLAM! BLAM! BLAM!

 

 雁夜の背中に迫る銃弾! だがしかし!

 

 

「アババッババーッ!」

 

 

 なんたることか!

 雁夜は咄嗟のニンジャ判断力でデッカーの体を盾に銃撃を回避!

 ミートシールドめいて使われたデッカーは絶命! ナムサン!

 

 

「イヤーッ!」

 

「アバーッ!」

 

 

 雁夜はネギトロめいたデッカーの死体を投擲! 直撃を受けたマッポは吹き飛び、バイオ石塀に激突してイカめいて全身骨折! 即死!

 あらわになった雁夜の顔面はジゴクめいた形相! コワイ!

 そしてニンジャめいた腕力! やはりコワイ!

 

 

「ニンジャ!? ナンデニンジャ!?」

 

「ダマラッシェー!」

 

「アイエエエエエ!?」

 

 

 雁夜の冒涜的なシャウトがマッポを打ち据える! そのニンジャ迫力に生き残りのマッポや消防士は失禁!

 

 

「どうしてだ……! どうしてだ! なんで桜ちゃんがこんな目に合わなくちゃならない! どうしてだ!」

 

 

 手近なマッポの顔面を掴みあげ、至近距離から睨みつけつつ詰問! コワイ!

 

 

「アイエ……アイエエエエ! わかりませアバーッ!」

 

 

 半泣きで失禁しつつ必死で答えるマッポ!

 雁夜のニンジャ握力がその頭部を握りつぶす! 即死!

 

 

「こ、こちらミヤマタウン火災現場! 応援を! 応援を頼みまアバーッ!」

 

「■■■■──!」

 

 

 マッポカーの通信機に齧り付いていたマッポが、突如実体化したバーサーカーの鉄拳でケンドー装甲兜もろとも頭部をスイカめいて粉砕された! 即死!

 なんたることか!

 雁夜の精神は最後の拠り所を失い、本格的にニンジャソウルの悪影響に屈しつつある!

 裡なるニンジャソウルがもたらす狂気めいた殺人衝動が、バーサーカーにも伝播しているのか!

 マッポガンを拾い上げるバーサーカー! 黒い葉脈めいた魔力がマッポガンを包み込み宝具化!

 

 BLAM! BLAM! BLAM!

 

 容赦無い殺意と神秘の篭った三八口径弾が次々に吐き出される!

 

 

「アババーッ!」

 

 

 実際正確極まる射撃が吸い込まれるようにマッポ達の頭部に炸裂!

 彼は銃が存在しない時代の英霊ではあるが、狙って撃てば弾は当たる!

 そして彼の宝具たる"騎士は徒手にて死せず/ナイト・オブ・オーナー"が、近代兵器にすら適応しているのだ!

 宝具化によって性能が底上げされたマッポガンの精度と連射速度は、論理トリガ対応のデッカーガンにすら匹敵する! コワイ!

 

 自ら握り潰し粉砕したマッポの脳漿と血液をまともに浴び、真紅に染まった視界。

 雁夜のニューロンもまた赤く染まっていく。

 狂乱したバーサーカーがマッポや消防士を虐殺していくジゴクめいた状況の中、無意識に戦闘しつつ雁夜の精神はローカルコトダマ空間へと飛ぶ。

 

 

 穏やかな自然公園ではない。

 血と臓物と炎の色、ジゴクめいた赤に染まったローカルコトダマ空間の中で立ち尽くす雁夜。

 その中に、三つの骸が転がっている。

 死んだ蟲の山めいて崩れゆく臓硯。

 屠殺場の豚めいて地に転がる鶴野。

 そして────桜。

 

 ジゴクめいた光景の中で、その小さな躰を横たえる桜。生命の息吹はもはや感じられず、光なき瞳は何も映し出さぬ。

 

 

(どうしてだ……どうして! なんでこんなことに!)

 

 

 雁夜の慟哭が、ニューロン内に響き渡る。

 その断末魔めいた絶望の声へと応えるように、背後からかけられる声。

 

 

『理解しているだろう』

 

(────ッ!)

 

 

 邪悪なるニンジャソウルの声に、苛立たしげに振り向く雁夜。

 その背後では……おお、ブッダよ!

 一転して平和で見慣れたフユキの街並みが広がっている!

 その中を桜の手を引いて歩く時臣が、間桐邸へ向かい進んでゆくではないか!

 

 これは現実の光景ではなく、雁夜のイメージめいたものが映像化された光景にすぎない。

 だがしかし、それ故に雁夜への精神的重圧感は絶大!

 

 

(や……やめろ……)

 

 

 雁夜の制止は届かず、時臣の手で臓硯へと引き渡される桜。

 時臣は踵を返して去り、臓硯と桜は間桐邸の中へと消える。

 そして立ち上がる火柱! 間桐邸が燃え尽きていく!

 

 雁夜の伸ばした手は空を切る! 当然だ、これは現実ではなくローカルコトダマ空間内で彼のニューロンが見せている幻影に過ぎないのだから!

 雁夜の視界の中で、桜の笑顔が炎の中に溶けてゆく!

 

 そしてジゴクめいた背後の光景に振り向くことなく、遠坂邸へと歩み去る時臣の背中!

 

 

『わかっているはずだ! 全ての発端は遠坂時臣だ!』

 

 

 そうなのか?

 全ての責任は時臣にあるのか?

 違うと否定する言葉を、雁夜は発することができなかった。

 

 

『全ては遠坂時臣が、"遠坂"桜を"間桐"桜へと変えたことがきっかけで始まった!

 憎くはないか? 実の娘を捨てて、安穏と暮らす男が憎くはないか?』

 

 

 邪悪なるニンジャソウルのささやきが、雁夜のニューロンへと木霊めいて響く!

 

 

(……それは、それは確かに原因の一つかもしれないが、しかし……)

 

 

 裡なるニンジャソウルのささやき声を、何とか否定しようともがく雁夜。

 彼の中に残った人間性が、親しい友人への憎しみを募らせまいとバリケードめいて食い止める。

 そう、例えば、この悲劇を生み出したのは、間桐にも遠坂にも関係ない第三者かもしれないではないか。そう、例えば通りすがりのサーヴァントとか、ニンジャとか。

 そうだとすれば葵=サンの夫に罪はないはずだ。

 

 と、己のローカルコトダマ空間での対話に没頭していた雁夜の耳に、何やら大質量の物体が走る車輪めいた音が届いた。ニンジャ聴力のたまものだ。

 現実空間へと意識を戻した雁夜の目の前を通過する戦車! 巨大な質量に仰け反る雁夜!

 

 

「全く弱者を力に任せて蹂躙する輩の多い街よ!」

 

「いきなり突っ込むなんてライダー何考えて……アイエエ、サーヴァント!?」

 

 

 ドリフトターンして停車する戦車! それを駆るのは征服王イスカンダル!

 謎の魔力の源を捜すついでに火事場見物にやってきたところ、雁夜とバーサーカーの手によるマッポ大虐殺の光景にでくわしたのだ。何たる偶然!

 さすがに真名開放は行なっていないものの、単純なひき逃げアタックでもその威力は絶大!

 もし紙一重で通過せず接触していれば、雁夜はネギトロめいた骸へと変わっていただろう! 征服王は運転技術をも征服しているというのか! ワザマエ!

 

 

「ア、アイエエ……あのサーヴァント、バーサーカーだ!」

 

「察するに、狂戦士の餌に魂喰いをさせておった……と、言う所か」

 

 

 さすがに火事場でマッポ相手に虐殺をやらかすサーヴァントがいるのは想定外だったのか、失禁寸前のウェイバー。

 そして険しい表情でバーサーカー主従を睨むライダー。

 

 そんなライダー主従へと、ズンビーめいて虚ろな視線を向ける雁夜。

 雁夜がローカルコトダマ空間より帰還し、ある程度理性を取り戻したためにかバーサーカーの狂乱も収まっている。

 僅かに生き残った消防士とマッポはエスケープラビットめいて逃走し、もはやこの場には居ない。

 

 

「あんたたちは……サーヴァントと魔術師か」

 

「応とも。そういう貴様もそうであろう」

 

「あんたたちが……これをやったのか?」

 

「何?」

 

 

 どうにも筋の通らぬおかしな質問に、訝しげな表情になるライダー。

 目の前の男から感じるのは、殺戮を楽しむ異常者というよりは精神衰弱者めいたアトモスフィア。

 詰問というより懇願めいた口調でライダーらへと問い掛ける。

 

 

「答えてくれ……あんたたちがこの間桐の家を焼いたのか? 桜ちゃんを殺したのか?」

 

「アイエエ……誰なんだよ、桜ちゃんて」

 

 

 困惑するウェイバー。バーサーカーのマスターの言葉には説明が足りず、何を問いたいのかよくわからない。

 それに対し、何やら理解したらしく納得の色を顔に浮かべるライダー。

 

 

「どうやらこの男……錯乱しておるようだな、察するに家族か想い人が、あの火事現場で犠牲になった……というところか」

 

「ナンデわかるんだよ!?」

 

「イクサの場で、こやつのように心を病んだ者を見ることも稀にあったもんでな」

 

 

 非道を働いたバーサーカー主従への怒りはそのままに、若干の哀れみを瞳に浮かべるライダー。

 征服王の歩んだ道程とは、すなわち戦争に次ぐ戦争と言いかえることもできる。

 その歴史めいた過去が、征服王の洞察を土台めいて支えているのだ。

 

 

「答えてくれ……! お前らが、お前らが桜ちゃんを……」

 

「余らは騒ぎを聞きつけてやってきただけであって、お主の言う桜ちゃんとやらの事は知らぬ。

 先程まで一緒に居ったセイバーやランサーも関係はあるまい」

 

 

 雁夜のすがるような問い掛けに、堂々たる態度で返答するライダー。

 

 

「アイエエ!? そんなバカ正直に答えていいのかよ、ライダー!」

 

「こやつは錯乱はしておるが、少なくともマスターであるということは魔術師に他ならんはずであろう?

 坊主、魔術師の工房とやらは、ただの火事めいたもんで全焼したりするほど貧弱なもんなのか」

 

「そういえば……そんな脆いものじゃないはずだ。それに、僕らが犯人かどうか聞いてきたってことは、まさか……サーヴァントが?」

 

「ま、有り得る話ではあろうよ」

 

 

 理解顔になったウェイバーに頷いてみせるライダー。

 つまり、このバーサーカーのマスターは、いずれかのサーヴァントが犯人であると確信めいたものを感じているということ!

 そして先ほどまでスシ・バーにいたセイバー、ランサー、ライダーの三陣営は犯人に非ず!

 サーヴァントを用いて敵陣営の拠点を昼間から襲撃するなど、尋常な魔術師の振る舞いではない。

 一体誰がこんなことを!

 

 ライダーとウェイバーの会話を横から聞き、黙りこむ雁夜。

 ニンジャ洞察力は、ライダーの言葉が真実であることを直感していた。ならば誰が犯人なのだ?

 

 タンクローリー車が突っ込んで燃えただけで、あの間桐の怪翁が対処できぬほどの事態になど、なるわけがない。

 そしてサーヴァントも使わず間桐邸を崩壊せしめるような化物めいて規格外の存在が居るとも考えにくい。

 誰かがやったはずなのだ。間桐の怪翁の防衛陣を突破し、間桐邸を焼き払い、住人を手に掛けた何者かがいるはずなのだ。

 

 

「じゃあ、誰が一体」

 

「さぁて、な。少なくともあの場におった三組とバーサーカーは違うとして、残るは……二騎か、アサシンは脱落しておるそうだし」

 

 

 彼らの会話を耳にして、雁夜のニューロン内に呼び起こされたのは、遠坂のサーヴァントである金色のアーチャー。

 まさか、とかぶりを振る。まだ、キャスターが残っているはずだ。そうと決まったわけではない。

 

 だが、どうやって確かめればいい? 残っているサーヴァントが誰のサーヴァントなのかなど、どうやって確認すればいいのだ。

 ヘドロめいてこびり付いた時臣への疑念を払拭する方法は、何か無いのか。

 目の前のライダーとやらとそのマスターには、恐らくわからないだろう。

 そんな事を考えつつ、ぼんやりと視線をさまよわせる雁夜。

 

 

「まあそれはともかくだ、バーサーカーのマスターよ。お主の残虐極まりない振る舞い、さすがに捨て置くわけにもいかぬ。

 いかに錯乱しておったとはいえ許せるものではない」

 

 

 目の前のサーヴァントが何か喋っているが、雁夜のニューロンには響かない。

 

 雁夜が茫洋とした眼差しで見ているのは、バイオ石塀に貼られた映画『ジーザスIII』の広告ビラ。

 ゴルゴダの丘で磔にされる寸前で脱出した、茨の冠を被った筋骨隆々としたセクシーな肉体の男が中心に映されている。

 宗教道徳めいたなんかで固有名詞は明らかにされていないが"あの男"だ。

 バスタードソードを片手に雄々しく立つ彼と対峙するように、ライバル役めいて大きく描かれているのはべん髪のカンフー男。

 

 雁夜のニューロンに、一昨年辺りに見た『ジーザスII』の記憶が蘇る。

 

 オーボンに帰省して遠坂邸にオミヤゲを持って遊びに行った際に、凛ちゃんと桜ちゃん、三人でシアターまで見に行ったのだ。

 時臣=サンと葵=サンが他の親戚の相手をしている間、娘二人と遊んであげてくれと頼まれて、頭をひねった挙句に話題の映画に連れて行ったのだ。

 

 結論から先に言うと、不評だった。

 凛ちゃんは、本来そこで死ぬべき"あの男"がサツバツめいたアクションの末にゴルゴダの丘から脱出するストーリーに憤慨していた。

 こんなのナンセンスすぎる、死ぬべきところで死なないなんておかしいと。

 桜ちゃんも控えめながら同意していた。

 確か時臣=サンの友人に、聖堂教会の神父がいたはずだ。だからこそ、『ジーザスII』のストーリーに違和感を覚えたのだろうか。

 

 そうだ、死ぬべき時に死なないのはおかしい。だから『ジーザスIII』のストーリーは、どこか荒唐無稽めいておかしな話になっているのだ。

 死ぬべき時に……殺すべき時に……

 

 

『そう、お前の決断が遅れたせいだ』

 

(!!)

 

 

 無意識のうちに、雁夜の意識はローカルコトダマ空間へと入り込んでいた。

 邪悪なるニンジャソウルの声が響く。

 

 

『もっと早く殺しておけばよかった。そうすれば、桜ちゃんが死ぬこともなかった』

 

(それは……それは、違う! やったのはキャスターかもしれないだろ! 時臣=サンは実際無関係だ! 自分の娘をサーヴァントに殺させる親がいるか!)

 

『原因や過程がどうであれ、結果は同じだ』

 

 

 ニンジャの声と共に、ローカルコトダマ空間内に桜の骸が浮かび上がる。

 その虚ろな視線に、たじろぎ後ずさる雁夜。

 そうだ。

 理由がなんであれ、桜ちゃんがもうこの世にいないことに変わりはない。

 フユキ市警のデッカーは言っていた、生存者はいなかったと。

 

 

『無くなったものは取り返しがつかない。だったら、逆に考えてみろ』

 

(……逆に?)

 

 

 邪悪なるニンジャソウルがキャットテイマーめいて優しげな声音で雁夜に語りかける。

 

 

『お前はニンジャだ。ニンジャの力で遠坂の人間を、桜ちゃんと同じところに送ってやれ。そうすれば、桜ちゃんも寂しくはなくなるじゃないか』

 

(桜ちゃんと……同じところに……)

 

 

 邪悪なるニンジャソウルの誘いの言葉と同時に、遠坂家の四人が微笑みを浮かべて寄り添う光景がローカルコトダマ空間に投影される。

 時臣=サン。

 葵=サン。

 凛ちゃん。

 そして、桜ちゃん。

 

 かつてローカルコトダマ空間で見た光景と違うのは、その全員が……屍であるということ!

 なんとジゴクめいた冒涜的な光景か!

 一家全滅した後に幸せなどあるわけがないではないか! これは実際ニンジャソウルの欺瞞的なまやかし!

 だが、ニンジャソウルの悪影響に蝕まれつつある雁夜の精神にとって、それは────

 

 

(桜ちゃんの為に……時臣=サンを?)

 

『そうだ! 見よ、あの娘の笑顔を!』

 

 

 雁夜は見た!

 命の灯火は消えて失せ、力なく座り込み、しかし父を背にどこか幸せそうに、眠るように瞳を閉じる桜の姿を!

 ナムサン! これはニンジャソウルが雁夜の人間性を奪い去る為に見せている身勝手なイメージに過ぎない!

 だがしかし、追い詰められた雁夜にとって、これは真理めいて思えてしまった!

 

 

『オヌシがやるんだ、あの子のために!』

 

(俺が……桜ちゃんの為に……)

 

『そうだ、やるんだ! 俺の力で、ニンジャの力で!』

 

(ニンジャの……力で! 桜ちゃんの……為に……!)

 

 

 雁夜の顔を瞬時に形成されたメンポが包む! 悪鬼めいた形相を覆い隠す仮面めいて!

 ついに邪悪なるニンジャソウルが、雁夜の精神と同化しきったというのか!

 

 

「イヤーッ!」

 

「ぬおっ!?」

 

「アイエエエ!? ニンジャ!?」

 

 

 そして雁夜はカラテシャウトと共に大ジャンプ!

 バイオ石塀を蹴り、カーボンカワラの屋根を蹴り、ニンジャ跳躍力に任せてハッソウ・ビートめいて連続跳躍!

 バーサーカーも霊体化して後に続く!

 

 

「何たる体術! あやつめ、本当にマスターか!?」

 

「ア、アイエエエ……! ニンジャだ、本当にニンジャがいるなんて……!」

 

 

 目を剥くライダー! 征服王の眼力をして、雁夜の動きは人間の枠を逸脱した何かとしか思えぬほどに実際俊敏であった!

 ウェイバーは魔術師胆力で辛うじてニンジャリアリティ・ショックによる失禁を堪えきり、驚愕に打ち震える!

 今! ウェイバーが目の当たりにしたのは肉体を持つ英霊、現代を生きる英雄にすらなぞらえられる東洋の神秘の化身、半神的存在たるニンジャなのだ!

 ある意味でそれは魔術師にとって得がたい経験と言える!

 

 

「って驚いてる場合じゃない! 頭のおかしいニンジャがバーサーカーのマスターで、しかも一般人を襲ってるだなんて最悪じゃないか!

 ななな、何とか……何とかしないと!」

 

「それは余も思わんでもないが、ヤツの足に追いつくのは少々無理があるな。どうしたもんか」

 

 

 渋面をつくり、顎髭をさするライダー。

 確かに直線ならばゴルディアス・ホイールで追いつくことは可能だろう。いくらニンジャでも、そこまで最高速度は早くはないように見える。

 だが家の屋根をバッタめいて跳躍し、時おり路地へ降りてサイバー馬めいた速度で駆けるニンジャの機動性は、戦車の比ではない。戦車は小回りが効かないのだ。

 行く先がわかれば先回りもできるだろうが、それがわからなければどうにもならないだろう。

 

 頭を抱え、ニューロンを最大活動させるウェイバー。

 狂人めいたニンジャがバーサーカーを引き連れているなど最悪も最悪だ。ニンジャに狂気と狂戦士を掛けて脅威度は一〇〇倍。それこそ悪夢めいている。

 

 折悪しくと言うべきか、マッポのサイレンも近づいてきている。

 殺されたマッポが応援を呼んだのだろうか?

 

 

「ライダー、一旦この場を離れよう! それでこの事を……センセイに伝えないと!」

 

「坊主の師匠か、確かに無難な案ではあるな」

 

 

 雄牛にハンドシグナルを出すライダー。聡い神牛は鞭や手綱を受けるまでもなく走りだし、ネギトロめいた死骸の散乱する火災現場から離脱した。

 目指す先はスラムだ。実際無法地帯めいているフユキスラムならば、マッポの捜索の手も及びにくい。

 ミヤマタウンの路地を走りつつ、ライダーが隣のウェイバーへと話し掛けた。

 

 

「で、どうやって伝える?」

 

「アイエッ? えーと、IRC通信……は無理だろうし、直接会って話すしか」

 

「居場所がわからねば直接会いに行く事はできんだろう。いくら余の"神威の車輪"とて、目的地もわからんのでは行きようがないしな」

 

「ア、アイエエエ! そうか! しまった!」

 

 

 頭を抱えるウェイバー。センセイと彼は聖杯戦争を争うライバルだ。当然住まいはわからない。

 そしてヤバイ級魔術師であるケイネス=センセイが、よもや拠点の隠蔽に手抜きをしているわけもない。

 ウェイバーの魔術師としてのワザマエでは発見するなど実際困難。

 時計塔に問い合わせても連絡方法など教えてはくれないだろうし、IRC通信しようにも魔術師はハイ・テックに頼らない。

 居場所は不明な上に連絡手段がないのだ。実際手詰まりめいていた。

 夜まで待って、偶然会えるのを期待するしかないのだろうか。

 

 その時、ライダーが何を悩んでいると言わんばかりの気軽いアトモスフィアでウェイバーに口を開いた。

 

 

「何を唸っておる、相手を見つけられんのならばこちらを見つけさせればよいだけの話よ」

 

「アイエ? ……ああ、そうか。なるほど」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 火災現場からそれなりに離れた、フユキ住宅地区ミヤマタウンのブケ・ハウスにて。

 悪魔除けのガーゴイルめいてサスマタ片手に正面玄関前に立っていたランサーが、奇妙なものに気付いた。

 

 煙だ。

 ただの煙ではなく、色のついた煙だ。青に赤、ビリジアンにアイボリー。実際カラフルな。

 化学薬品工場で火災でも起きたのだろうか?

 

 訝しげに色付きの煙を見つめていたランサーが、ふと違和感に気付いた。

 あの煙には、何やら魔力めいた気配がある!

 あれは一体なんだ!?

 

 何かがあってからでは遅い、とゲートをくぐり庭へと向かうランサー。

 歩いてきたランサーを、庭に居たケイネスが目に留めた。彼の疑問めいたアトモスフィアと目線の向きを確かめ、口を開く。

 

 

「ノロシだな」

 

 

 魔術強化ベアトラップを庭に仕掛けていたケイネスが、サイバークワを壁に立てかけながら煙へと視線を送る。

 エンガワではソラウがチャをすすっている。

 

 

「ケイネス殿? ご存知なのですか」

 

「ずいぶん前に時計塔でのインストラクションの合間に、雑談めいて話した記憶がある。神話時代のニンジャは色付きの煙で連絡を取り合ったと」

 

「時計塔……すると、もしや?」

 

 

 何かに気付いた様子のランサーに頷いて見せるケイネス。

 

 

「恐らくはウェイバー=サンだ。だが……どういうことだ? 聖杯戦争での尋常な勝負を求めてきていたはずだが、別れてすぐにノロシとは」

 

 

 首を傾げ、考えこむケイネス。

 

 

「ねえケイネス、とりあえずノロシとかいうもののところへ行ってみたらどうかしら。

 相手はあなたのアプレンティスなんだし、まさか罠ってことも無いでしょう?」

 

「フーム……」

 

 

 ここでランサーのサーヴァント直感力が感知した!

 ソラウの次の言は『私とランサーが工房を守っておいて、貴方が一人で行くのがいいと思うわ。サーヴァントがいなければ戦いになる危険もないはずよ』だ!

 そして何故かソラウの浮気めいた行動を阻止する気配のないケイネスが、これを拒絶する可能性も実際ない!

 

 インタラプトせねば!

 

 

「きっと大丈夫よ、ケイネス。それでね──」

 

「お任せを、ケイネス殿! このランサー、万一の事あらば一命にかえてもライダー陣営よりケイネス殿をお守り致します!」

 

 

 ギリギリの割り込み! アブナイ!

 もしもソラウの口にした単語が確たる意味を成していれば、ランサーは騎士として遮りきれない!

 だがインタラプトは成功! あくまで騎士めいたアトモスフィアで跪き、頭を垂れて忠誠心を見せるランサーの姿にソラウは発言を中断!

 若干不満気なアトモスフィアを感じるが、この程度は気にしてはならない。二人きりになったりするのが実際アブナイのだ。

 

 何度かこうして道化めいた振る舞いをしていて、ランサーは気付いた事があった。

 忠誠とは、タイコ持ちめいた言葉や振る舞いよりもイクサ働きで見せるべきものと思っていたが、それだけではないのだ。

 口にして初めて伝わるものもある。相互理解が生まれると。

 実際、何度も何度もインタラプトを繰り返し、ひたすらケイネスへの忠誠を示している内に、ソラウからのアプローチめいた振る舞いが減少している気もする。

 漠然と理解してくれているのだ。己が主君の妻を寝取るような変節漢ではないと、私事の色恋よりも私心なき忠誠を重んじる騎士なのだと。

 

 希望的観測めいたものかもしれないが、ランサーはそう思いたかった。

 

 ランサーの言葉に軽く咳払いしてからケイネスが答えた。

 

 

「待ちたまえ、ランサー=サン。ウェイバー=サンが奇妙なコネクションを試みてきた以上、何かしらの非常事態が起きたのは間違いない。

 そう……例えば、神秘の秘匿を蔑ろにしているマスターが、サーヴァントの力で暴れまわっていたのを発見した、とかだ」

 

「まさか……そのような主に従うサーヴァントなど」

 

「マスターにはこれがある。それに、理性なきバーサーカーなどならば倫理や節度もあるまいよ」

 

 

 そう言いつつ、己の手の甲に存在するレイジュ・タトゥーへと目線をやるケイネス。

 ランサーは不服げな表情ながらも納得した。確かに令呪による強制力は圧倒的だ。

 それこそ未契約のまま戦闘しているような狂人めいたサーヴァントでも無い限り、その行動はマスターによって縛られるはず。

 

 そしてバーサーカーならば、真っ当な自制心など有しているわけもない。

 それこそ破壊衝動に任せて女子供を虐殺し始めてもおかしくはないだろう。実際危険な。

 

 

「いずれにせよ、不測の事態に備えるには三人で行動するのが実際安全だ。

 そろそろ日も落ちる時間だが、ノロシの元に向かうとしよう。準備をしておいてくれソラウ=サン、ランサー=サン」

 

「ええ、わかったわ」

 

「御意」

 

 

 何やら言い知れぬ不安めいたアトモスフィアを感じつつ、頷くランサーであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ミヤマタウンに存在する廃屋内で、満足そうな表情を浮かべたまま昏倒する綺礼。

 

 破壊されたバイオ石塀もショウジ戸フレームも全てそのまま放置。

 神秘どころか戦闘めいた痕跡の隠蔽すら行われていない有様のそこへ、通りかかる二つの人影が。

 

 サイバーゴス姿のペケロッパ・カルティスト二人連れである。

 帰宅途中で本日三度目のニンジャ怪異への遭遇。なんたる不運さであろうか。

 

 

「ペケロッパ! 見てくださいよ、バイオ石塀が壊れてますよ」

 

「アイエエエ……もうニンジャはイヤですよ……コワイ! コワイ! ペケロッパ!」

 

「ダイジョブですよ、たぶん……ちょっと見てみましょう」

 

 

 引き止めている側のペケロッパの足は生まれたての子鹿めいて震え、その顔色はターコイズめいて真っ青。誰が見ても実際怯えているとわかる。

 これは典型的なニンジャリアリティ・ショックの後遺症であり、精神的外傷めいたダメージを被っていることは誰の目にも明らかであった。

 そんな相方をなだめつつ、廃屋を伺うもう一人のペケロッパ。こちらも腰が引けているが、相方ほどではないようだ。

 破壊されたバイオ石塀の裂け目から覗きこんだペケロッパが、蹂躙された廃屋に転がる綺礼に目を留めた。

 

 

「誰か倒れてますよ、人間みたいです」

 

「やめましょうよ! ニンジャだったらどうするんですか! ペケロッパ! もうイヤですよ! ペケロッパ!」

 

「ダイジョブですよ、たぶん……フユキ教会の神父さんみたいに見えますよ、あれ」

 

 

 半泣きでとりすがる相方をなだめつつ、バイオ石塀を迂回して入り口を探すペケロッパ。

 これほど好奇心旺盛なペケロッパが長生きしていることが、取りも直さずフユキの治安が比較的良好であることを示している。

 

 それにしてもなんたる怖いもの知らずか! 井戸の中の闇をのぞくどころか井戸への飛び降り自殺めいた行為!

 ここが仮によりマッポーめいた都市であったならば、確実にファック&サヨナラされているだろう! 実際アブナイ!

 だが、ここは世紀末日本においてもそれなりに平和なフユキ。

 彼女らのような底辺めいたサイバーゴスでも、そこそこ平和に暮らせるのだ。実際安全な。

 

 迂回するとすぐ側面に本来の入り口があった。サビだらけの金属製ゲートだ。

 後頭部からドレッドヘアーめいて伸びるLANケーブルと豊満な胸をつっかえさせつつ、動かない半開きのゲートを抜け、彼女は恐る恐る廃屋へと近寄った。

 バイオタタミの上に転がるカソック姿の青年。服は血まみれで、デッサン人形めいて全く動かない。

 

 

「ア、アイエエエ……まさか、死体……?」

 

 

 道路で震えながら見守るペケロッパが涙目でうめく。

 廃屋内まで近づいた方のペケロッパが指先で綺礼をつつき、まだ息があることに気付いた。

 

 

「ま、まだ生きてるみたいですよ! マッポ! IRC通報しましょう!」

 

 

 涙目ながら相方の言葉に従い、IRC通信でマッポを呼び始めるペケロッパ。

 

 彼女らがここで綺礼を助けたのは全くの偶然めいた事ではあるが、それを呼び込んだのは綺礼自身の振る舞いと言えよう。

 彼がもしアサシンに目撃者を排除するような命令を下していたならば、ペケロッパ達は綺礼を見つけるよりも遥か前にオタッシャしていただろう。

 そして二人のペケロッパが今このタイミングでこの道を歩いてきた事は、アサシンとの遭遇で外出を諦めたことを遠因としていることも確か。

 まさにサイオー・ホース、人生何が幸いするかわからないものであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日の夕暮れ時。

 徐々に傾きつつある太陽が黒雲に遮られて顔を見せぬ、日中でもなお薄暗いフユキシティ。

 その郊外に位置する帰らずの森めいた森林地帯の奥深くに位置する、アインツベルン城にて。

 

 城内の奥まった位置に存在する寝室で、横になっている銀髪の美女の姿があった。

 アイリスフィール・フォン・アインツベルンである。

 

 そのベッドサイドには、カーボンタライやオシボリ、しびんなどを手に看病にあたっているお世話用ホムンクルスが数体。

 そして室内のソファに腰掛け、チャをすすりながら不安げな表情を己のマスターへと向けるセイバー。

 西洋風チャブの上には、空になったスシ・パックが整然と墓標めいて積み上げられている。

 

 

「大丈夫なのですか、アイリスフィール」

 

「……ええ、大丈夫よ。さすがに真昼からサーヴァントが脱落するなんて予想外だったけど」

 

 

 アイリスフィール達は昼間、謎の魔力の気配を警戒して宴会を打ち切り、自陣営の領地へと帰還していたのだが、その道中で予想外のインシデントが起きた。

 二体ものサーヴァントが消滅し、アイリスフィールの体内に存在する小聖杯へと回収されたのだ。

 そしてアイリスフィールは、予想外のタイミングでの負荷に虚脱状態となってしまった。

 実際間一髪めいた話であった。もう少し解散が遅れていれば、ライダー陣営やランサー陣営に不調を悟られていただろう。

 

 セイバーが騎乗スキルを発揮してアイリスフィールの無駄な買い物が満載されたクルマを走らせることしばし。

 安全運転でアインツベルン城まで戻り、そして今に至る。

 法定速度を全く逸脱しない完璧で完全な安全運転での帰還である。これなら病人も安心だ。

 

 それはともかく。

 

 

「それよりセイバー、今夜の出陣に備えておいてちょうだい」

 

「本気ですか、アイリスフィール。体調不良だというならば、無理に打って出ることもないでしょう」

 

「大丈夫よ、ちょっと具合が悪いだけだもの。夜まで寝れば実際回復するわ」

 

 

 空元気めいたアイリスフィールの笑顔を見て、困ったようなアトモスフィアで眉をひそめるセイバー。

 ややあって、溜息混じりに口を開いた。

 

 

「……わかりました。ですが、くれぐれもご自愛を」

 

「ええ……もちろん、よ……」

 

 

 返答の言葉も半ばに、再び眠りに落ちるアイリスフィール。

 小聖杯とやらの負担は大きいのだな、と心配気なアトモスフィアでその寝顔を見守るセイバーであった。

 

 

 

 

 

 眠りに落ちたアイリスフィールは、いつの間にやら己のローカルコトダマ空間の中にいた。

 

 しんしんと降り積もる雪に閉ざされた深い森。白銀の世界。

 彼女にとっては見慣れた、アインツベルンの領地だ。

 ローカルコトダマ空間とは、すなわちその人間の心象風景に他ならない。

 アイリスフィールのホムンクルス・ニューロンが、擬似的にその世界を体験させているのだ。

 

 ひたすらに静謐で、変化も無ければ予想外の楽しみもない世界。

 これはこれで悪くはないが、聖杯戦争の為という名目で外界の書物などを読みあさり、その結果変な意味で染まっているアイリスフィールには実際物足りなさもある世界だった。

 

 だが、その白い世界を穢す、得体のしれぬ汚泥が、白銀の森の一角にわずかにわだかまっていた。

 一瞬毎に姿を変える、肉塊とも汚泥ともつかぬ正体不明の物体。身震いするほどおぞましく、そして汚らわしい。

 温泉めいた何かのように内側から湧き立ち、しかしその体積は一定。増えもしないし減りもしない。

 

 

(これは、一体……何なの?)

 

 

 見詰めるアイリスフィールの視界の中で汚泥が盛り上がり、人型を形作った。

 宇宙めいた異様な装束をまとった黒ずくめの影、のように見える。

 影法師が出現するや、その周囲の白一色であるはずの銀世界が虫喰いめいて穴だらけになり、暗黒めいた空間への穴がそこかしこに口を開く。

 そしてその穴からは、邪悪に輝く緑色の格子模様が見えるのだ。

 

 

(どういう……ことなの?)

 

 

 影法師の顔には目も鼻も口も存在しない。

 まるで存在が希薄なのだと主張するように、厚みもなければ実体感も実際薄い。

 それだというのに、邪悪な存在感だけはこれでもかとジゴクめいて撒き散らしているのだ。

 

 脱落したサーヴァントの魂が小聖杯に囚われた直後から、アイリスフィールはこの悪夢めいた光景を見るようになった。

 汚泥から肉体を形作り、正体不明の虫喰い穴を創りだす影法師めいた何か。実際得体が知れない。

 アイリスフィールがどれほど問い掛けても影法師は応えず、ヤバレカバレで汚泥に触れようと試みても近寄ることも叶わない。

 

 そして夢うつつめいた時間と空間が曖昧なまま銀世界は消え去り、現実世界に一時帰還し、また同じ光景を見るのだ。

 

 

 

 

 

 


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