D.C.Ⅲ M.K.S “魔法と霧と、桜と騎士と”   作:瑠川Abel

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7-深夜のバスタイム

「…………っ」

 

 自分が、酷く不安定な場所にいることだけはわかった。

 

「ぁ……っ」

 

 呼吸することすら、苦しい。

 もがく。もがく。もがく。もがき続けても苦しみからは解放されず、身体中に走る激痛が彼の意識を奪い去ろうとする。

 此処は、嫌だ。

 

「っ、っ、っ……!」

 

 もがき、もがき、もがき。

 手を伸ばし、伸ばし、伸ばし。

 そこでようやく、一筋の光が、不安定な世界に差し込む。

 彼は必死に手を伸ばし、伸ばして。

 誰かが、自分を呼んでいることに気が付いた。自分の名前ではない。でも、その人にとって、彼はきっと多少なりとも縁があったのだろう。

 混濁する。記憶が、混濁する。液体のような何かが肺を満たし、彼の意識を奪っていく。

 嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。

 何度も何度ももがき、全身を使って暴れていくうちに、彼は冷静さを失っていく。

 

 

 

 景色が変わる。

 

 

 

 穏やかな風が吹き込んでくる、真っ白な世界。

 その世界には、一つのベッド。その上で、誰かがずっと眠っていた。

 自分は、眠っている『誰か』を知っている。でも、名前が出てこない。

 いくら手繰り寄せても、その名前は思い出せなかった。

 『誰か』の両の手首には、一目見てわかる―――酷い、生々しい、傷跡。

 『誰か』の表情を見て、少しだけ悟る。意識を失っている『誰か』は、微笑んでいる。

 ずっと眠っているというのに、幸せな夢でも見ているのだろうか。

 

 否。

 

 彼は、わかっていた。『誰か』のこの微笑みは―――目的を成就できた、表情だと。

 

 ………

 ……

 …

 

「……っが」

 

 目覚めは最悪だった。酷い夢を見ていたようで、寝間着として来ていたシャツは汗だくになっている。

 シーツを剥がし、洗濯するために寝間着も脱いでいく。時計を見ると、まだ日が変わって少し経ったくらいだった。

 ただ着替えただけではこの不快感は拭えないだろう。

 

「……風呂、入る」

 

 やや寝惚けた意識のまま、大浴場が解放されている時間であることを確認して着替えを用意する。

 大浴場は、部屋ごとに用意されている小さな浴槽などでは満足できない生徒たちのために用意されたものである。

 基本的に時間ごとに男女の使用時間が決められておるが、消灯時間を過ぎて少し経ってからは基本的に誰も使わないことから、その縛りは無視されている。

 更衣室を経て、湯気で視界が埋めつくされた浴場の世界へ足を踏み入れる。小さな水の音が聞こえたが、気にせず彼はかけ湯を一浴びして、浴槽へ踏み入れる。

 年寄りのように、大きくため息を吐く。やや熱めの温度に保たれた湯は、まさに命の洗濯といったところか。

 うすぼんやりとした視界の端で、何かが動く気配がした。

 

「え……?」

 

 小さな声と共に、それが聞き覚えのある声であることに気付く。

 しかし判断力の鈍った思考ではまともな答えは出せず、ただただ『彼女』の反応を待った。

 

「い、いったい……どういうつもりですか?」

 

「……おぉ。サラか」

 

「な、なんで先輩が入ってくるんですか……っ?」

 

 サラは相当混乱しているのだろう。いくら秋鳴の意識がぼんやりしているからといって、肌も隠さず狼狽えている。

 脱衣所に服がありませんでしたかというサラの問いに、あー、と生返事だけを返す。

 

「せ、先輩……?」

 

 そこで、ようやく秋鳴の様子がおかしいことに気付く。昼間の彼を知っているサラならば、いくら寝惚けてても秋鳴のこの返事はおかしいと理解する。

 

「あー……」

 

 少し開かれた瞼が、閉じていく。遠くなっていく意識。やばい、と秋鳴が思う頃にはすでに手遅れだった。

 風呂から出よう、となんとか立ち上がろうとして。足もとが、覚束ないで。思わず、立ちくらみに姿勢を崩された。

 

「ひゃ……っ!?」

 

 暗転していく意識の中で、秋鳴は裸体のサラに伸し掛かって―――そこで意識を失った。

 思わず秋鳴を抱き留めたサラが、気付く。彼の胸元に存在する入れ墨のような紋様に。

 一つの円を囲むように、中心に線が入った四つの楕円が存在する、紋様。

 それは、まるで。

 

「せ、先輩っ。しっかりしてくださいっ!?」

 

 思考を中断して、とにかくサラは意識を失ってしまった秋鳴の介抱を務めるのであった。


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