御伽は喧しい雑踏と響く銃声で目を覚ました。
ロアナプラに到着してから一週間は経った。未だに慣れない銃声と窓から侵入してくる危ない葉っぱと安全な葉っぱと火薬の臭いにうんざりしながらシーツを蹴りあげ、自分の服装を確認した。
強盗や強姦の跡がないことを確認し、安堵と強姦の跡がないことを確認しなければならないこの町の現状に対し溜め息を漏らした。
話は一週間前に遡る。御伽が遭難し、魚雷艇に拾われ、岡島緑郎を見つけたその日である。
拾われた御伽ができることはただ一つだけだった。御伽は浮き輪に捕まり、引き揚げられると、目の前にいた岡島緑郎に対して、一瞬の迷いもなく、躊躇いもなく、もっとも無駄のない、人間の最速とも言える速度で
泣きついた。
「助けてください。嵐に直撃し、船も仲間も皆沈んでしまいました。貴方方の目的の港までで構いませんから連れていってください」
この行動の目的はただ一つ、同情を買うことにある。如何にも自分は何も知らない日本人観光客の振りをする。外見、人の良さそうな岡島緑郎ならば同情してくれるだろう。
「ヘイヘイロック。お前はいつ寄ってくる女を引き離さない度胸を身に付けたんだ?」
目付きの悪いアジアンが食いついてくる。恐らく、近付く人間を警戒せず胸元をさらけ出した無防備さをなじったのだろう。
「もしその女が私ならテメェはとっくに胸に空いた新しい穴から直接酸素を吸うことになってたぞ」
アジアンはやれやれというように肩をすくませた。
「レヴィ。残念ながらここはロアナプラじゃないし、彼女はただの日本人観光客だ。それとも、彼女のベルトに日本刀が仕込まれているように見えるのか?」
「見えるんだよ。サムライソードなのかビームサーベルなのかは知らねぇが、何か隠し持ってる気がするんだよ」
岡島緑郎とレヴィと呼ばれたアジアンが言い争うのを眺めながら御伽はこれからについて考えていた。
「嬢ちゃん、ちょっといいか?」
黒人の大男に話しかけられる。
「何でしょうか?」
振り返りながら首をかしげる。少しくらい媚を売っても悪い方向には流れないはずだ。
「嬢ちゃんにいくつか質問がある。うちのクルーがどうしてもといったからな、悪いようにするつもりはない。しかしだな、俺らとてヒトラーとルーズベルトは乗せたくねぇ。わかるだろ?」
「素性を調べさせろってことですか?」
この男は恐らく一筋縄ではいかない。頭の回転は速そうだ。それに見た目の通りなら力もある。変なごまかしはしない方がいいだろう。
「そうだ。とりあえず、自己紹介してもらおうか。わからないところがあればこっちから聞く」
「嘘をついたら?」
「何てこたぁねぇよ。お前さんのファミリーネームがアドルフになるだけだ」
逃れることはできそうにない。この場で素性を調べるということは嘘をついてもすぐにバレる。
御伽は鼻から溜め息を漏らした。
「照由御伽(てるよしおとぎ)25才です。7月23日生まれの獅子座で、血液型はAB型です。身長は158で、サイズは上から75、60、80くらいです。ここには観光で来ました。」
貧乳とか言ったら殺す
御伽は言い切ると「文句ありますか」とでも言いたげな顔になった。しかし、黒人は納得していないようである。
「色々話してもらったところ悪いが、俺が聞きたいことが聞けてねぇ。……所属は?」
「フリーのジャーナリストです。適当に面白いことがあればその地に向かい、写真を撮って、文を添えて出版社に売り込んでます。普段はフリーターで 主に派遣をしています」
黒人は暫し考えると奥の方へ目線をずらした。
「だ、そうだ。ベニー、ヒットしたか?」
すると、奥から金髪の細身の男が出てきた。
眼鏡をかけており、一般的なオタクのイメージそのままである。
「彼女の存在に関しては確認できたよ。名前、生年月日とかについては嘘をついているとは考えられない。……スリーサイズに関してもね。」
そこまで言うとオタクは少しうつむき、眼鏡を光らせながら「ただ……」と付け加え、続けた。
「彼女の言うジャーナリストとしての活動に関しては情報が得られなかった。昔書いた記事とか、もしあるならライターとしての名前が別にあるならそれも教えてもらえるかな?」
このオタクは仕事が早いな。そう思いながら御伽はオタクの質問に答えた。
「そうでしたね。私は記事を書くときは来ヶ谷乃愛(くるがやのあ)の名前を使っています。一方的に記事を郵送して、情報提供料とかは全て振り込んで貰っているので出版社にも名前は残っていないと思います」
「来ヶ谷!?」
先程からアジアンと言い争っていた岡島緑郎が突然声を荒げた。心なしか声が裏返っている。
「どうした、ロック。生き別れたガールフレンドを見つけたみてぇな顔してるぞ」
「違うよダッチ。来ヶ谷って言うのは昔俺がいた会社の汚職記事を書いた記者の名前だよ。文体とか証拠とかは曖昧で世間では誰も信じてなかったけどね」
「結果は?」
「彼女の推測が的を得ていて……いや、的を得すぎていて幹部が大騒動してたよ」
岡島緑郎は入社二年目ながらも上司の尻拭いをさせられていたことを思い出していた。
「確認がとれたよ。彼女は照由御伽、来ヶ谷乃愛で間違いないよ」
オタクの声が奥から響いてきた。疑いは晴れた。
「これで嬢ちゃんの疑いは晴れた。で、これからどうするよ。」
「私としては皆さんの目的の港まで送ってくださるのが一番助かります」
「だそうだ、レヴィ」
「ロアナプラまでなら送ってやってもいいんじゃねぇの?どっかのアホみたいに『安全なところまで送れ』って言ってる訳じゃねぇし」
「レヴィ、君は何と言うか、甘くなったね。そう思うだろ?ロック」
「そうだな。俺を拐ったときと比べれば間違いなく丸くなってるよ」
「予定変更だ。一瞬で天国まで送ってやるよ。今ならサービスで冥土の土産の鉛玉を一人一発ずつサービスでぶちこんでやる!」
静かだったラグーン号内が瞬く間に騒がしくなった。今はこの喧騒も悪くないと思い、御伽は目を閉じて、この騒がしさを受け入れることにした。
たまには騒がしいのも悪くないと言っていたが、無理だ。ラグーン号に拾われてから一週間経ったが未だに慣れない。
御伽は窓を閉め、対して意味をなさない旧式のエアコンの電源を入れ、机の上の資料に目を通すと、この喧しい町から逃れるようにベッドに入り、静かな世界へと旅立っていった。
そろそろ洒落に気づいてくれると嬉しいです