悪には悪の理由がある。
善には善の理由がある。
周囲の人々は人々は悪に理由を求めない。
周囲の人々は人々は善に理由を求めない。
世間は悪は理由なき、絶対的な悪であることを求める。
世間は善は理由なき、絶対的な善であることを求める。
ロックは結論を求めることを怖れていた。自分の考えが正しいということを誤りであることを祈った。
「ジャック」が絶対的な悪であることを怖れた。
「大丈夫か?」
ボリスの低く、落ち着きのある声がロックの思考を阻害した。
「悩んでいるようだな」
図星。僅かな沈黙。
「悩む」単純な単語である。
しかし、その単純な単語がロックの複雑に絡まったロックの頭のなかを表すのに最も適していた。
ロックの考えている最悪の結末。そこへ向かう最短の道筋を辿り続けている。
「例えば、ボリスさんが最も信頼を置く人物……そう、バラライカさんがこの件の黒幕だったとして、ボリスさんはどうしますか?」
「自分は大尉と共にいたいからいる。大尉を止めようと思うことはない。自分達はそういう集団だ」
軍人として、第三次世界対戦を戦うために生きてきた彼らはバラライカによってその存在意義を確立させている。
バラライカの立つところが彼らの立つべき場所であり、バラライカの死ぬ場所が彼らの死ぬべき場所なのである。
世界が「平和」という宗教に踊らされ、彼らが必要とされなくなった現代でさえ、バラライカの今は亡き軍人としての偶像を求め彼らはアンダーグラウンドの世界に潜った。
その圧倒的な信頼関係とも呼べる脆さ、硬いものほど壊れやすい、そんな強さと弱さとの両面を「ホテルモスクワ」は持っていた。
「ボリスさん……」
ロックの弱々しい声がモーテルの屋上から夜の町へと響き渡る。
ボリスは何も言わずただただロックの顔を覗き込んでいた。
「何故人は悪いことをすると思いますか?稼ぎたいなら真っ当な手段もある、違いますか?」
「自分がアフガンにいた頃、敵兵をスナイプしようとスコープを覗くと、若い女とまだ十才にもならないような子供がいたことがある」
ボリスの声が普段よりもさらに一段と低くなった。
夜の東京の雑踏の中では消えてしまいそうなその弱々しい声をロックはただただ聞いていた。
「不審に思い、仲間が二人で様子を探るため近づいた。次の瞬間にはアフガン兵のRPGで四人とも消し飛んでいた。自分は我を忘れてしまい、弾の出元へと駆け込んだ。」
ボリスは大きく深呼吸をした。
「撃った本人は何と言ったかわかるか?」
「……」
ロックは悩む。状況を想像し、相手の置かれている状態を想像した。
「気がつかなかった……ですか?」
ボリスは笑った。
堅物な男の顔が歪むことはなかったが、僅かに笑い声が漏れた。
「ロック、残念ながらこれは道徳の問題じゃない。絶対的な悪の心を持つものも、人助けが趣味という変人もいない。」
「彼はこう言ったんだ。『二人は勇者だ!ロシア兵士を二人も道ずれにした!!』とな」
「彼らにとってロシア人を殺すことが正義、そのためなら自らの命すら軽い。ロック……」
「はい」
「街中で一人殺せば悪人かもしれないが、戦場で百人殺せば英雄だ。善と悪などその程度のものだ。悪を悪だと気づけないものもいる。悪しか知らないものもいる。……それが自分の答えだ」
再びの静寂。
遠くで走る車の音さえ聞こえる。星の瞬く音すら聴こえるような時間。
「口下手ですまない」
そう言ってボリスは双眼鏡を覗く。
「いえ、話せてよかったです。おかげで俺の考えが間違っていないことを確信しました」
ロックも双眼鏡を覗き、ジャックを探した。
「男二人でこんな暗がりでくっつき合ってやーらしーですね」
後ろで声がした。
ついにジャックがロックの前に現れました。
一体誰がジャックなんだろうなー(棒)