【完結】LOST GENERATION ―NARUTO THE MOVIE― 作:春風駘蕩
地面に溜まった泥水の上を、レンは走る。
豪雨による土砂崩れが発生し、多数の犠牲者が出たためだ。生存者の救出、および被害の拡大を防ぐため、アケビとレンの班は現場へと向かっていた。
「アケビ! 二手に分かれるぞ」
「うん! 気を付けて!」
レンはアケビに目を向けると、進行方向を変える。
範囲が広いため、少しでも生存者の発見を速めることを優先させたのだ。アケビも瞬時に意図を理解し、自分は別の場所へと向かう。
バシャバシャと泥水を跳ね上げ、レンは現場へと到着する。
木々が無残にへし折られ、大きな岩が転がっている。山肌が剥き出しになった凄惨な現場を目にし、レンは顔をしかめた。
だがすぐに自分を奮い立たせ、人の気配を探る。
風遁に長けた彼女は、音の微弱な振動を探り、目を閉じていても行動が可能な忍術を有しているのだ。今回は、生存者を探すために鼓動音、呼吸音、声に至るまで僅かな気配を探知し、加えて地形を調べていた。
だが、その探知にレンは違和感を覚えた。
眉を寄せたレンは、土砂崩れの発生源らしき山の中腹へと向かう。
木々がいまだ茂る部分と、山肌が露となった部分の境界線となっている場所に辿り着き、辺りに目を通していく。そして、気づいた。
周りには傷ついた木々の破片や枝が散乱し、地面が放射状に抉れている。
まるで、何かが炸裂したような跡だった。
「……これは」
レンの眼が鋭く尖る。疑念が確信に変わり、怒りがふつふつと生まれてくる。
これは、事故などではない、人為的なものだ。
そう気づいたその時、レンは自身の頭上に何かの気配―――殺気を感じた。
「!?」
剣を抜いたレンは、闘気とともに剣を振り仰ぐ。
そして、大樹の幹に糸を張り、ゆっくりと近づいてくる蜘蛛の異形を目にし、目を見開いて硬直した。
折れた木の枝を持ち上げ、アケビは目の前からどかす。
ビチャッと跳ねて頬についた泥を拭った時、アケビのはるか後ろ、山の向こう側で何かが爆発するような音が轟いた。
「!」
ハッと気づいたアケビは、表情を変えて走り出した。
ドガンッと鈍く轟く音とともに、レンの真下が爆発する。
火遁ではない、水遁による激流の爆弾が、連続で炸裂してレンの軽い体を撥ね飛ばし、木々に激突させて砕いていった。
「ガハッ!!」
泥の上をはね、レンは無様に転がる。
それでも必死に体勢を整え、剣を構えて片膝立ちになる。そして、ガチャガチャと鎧を鳴らして近づいてくる、鮫のような姿の男を睨む。
牙が並んだような形状の剣を肩に担ぎ、男はレンを見下ろしていた。
「……何者だ」
レンが警戒心を全開にして尋ねると、男が仮面の下でニヤリと笑うのが分かった。
「知る必要はない。…知る意味がないからな」
一蹴され、レンの顔が険しくなる。剣を握る力が強まり、全身を怒りが満たす。
だがそれでも、周囲を取り囲む蜘蛛の異形の存在が、レンの脳を冷静にさせる。
彼らに対して、男は一言命じた。
「捕らえろ」
その命令に、異形たちは従順に答えた。
耳障りな咆哮を挙げ、巨大な爪を振り上げた異形たちが殺到する。
レンは剣を携え、異形たちを迎え撃つ。鋼の体に刃を滑らせて火花を散らせるも、微塵も傷をつけられないことに舌打ちし、印を組む。
風の砲弾がレンの口から放たれ、蜘蛛の顔面に炸裂する。だが、一体をよろめかせただけですぐに次の異形が襲い掛かり、レンは徐々に追い詰められていく。
表情に焦りを見せ始めたレンは、標的を変える。剣を逆手に持ち替え、鮫の男に向かって跳躍する。
殺気は完全に隠し、隙も付いた完璧な一撃だった。
だが、鎧の隙間に吸い込まれるように入れられた刃は、中のインナーらしき装束によって止められ、その場で砕け散った。
レンの眼が、茫然と見開かれる。
一瞬で我に返り、撤退しようと後方に跳ねるも、その寸前にレンの腕が掴まれる。
「くっ……クソ! 離せ!!」
振り払おうともがくも、万力のような力で締め上げられ、レンの顔が苦悶に歪む。
腕を持ち上げ、男はレンと目を合わせる。見開かれたレンの黒い瞳を見透かし、男はにやにやと気味の悪い笑みを浮かべる。
「生きのいい小娘だ……それでこそ、俺の求める素材だ」
「…っ、何を……!!」
口を開きかけたレンの忍装束の胸元を、男は無遠慮に縦に引き裂く。起伏の乏しい胸をさらされ、レンの頬が朱を帯びる。
すると男は、チャクラを纏わせた手を爪のように曲げ、レンの胸に突き立てた。
「ガッ……!!」
呻き声を上げるレンの胸に、黒い模様が浮かんでいく。刺青のような模様は全身にわたり、同時に四肢と胴体にチャクラの鎖が出現する。
「俺の傀儡となれ。木の葉の小娘」
男の声が聞こえると同時に、レンの体を激痛が走った。まるで、全身を剣で突かれ、皮を裂かれるような痛みに、レンは限界に達した。
「あ"っ……あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"!!」
雨天の闇の中、響いたのは、ただの少女の悲痛な叫び声だった。
雨がひどくなる中、アケビは走る。
僅かに聞こえた絶叫は、レンのものだった。
「……レン、どこなの……!?」
はやる気持ちを抑え、アケビは駆ける。
脳裏に浮かぶ最悪の光景を振り払い、ただ一心不乱に友の声が聞こえた方へ向かう。
ある崖の下で、アケビは立ち止まった。土砂崩れの影響で、大きな岩や折れた大樹が散乱する上を、アケビはキョロキョロと辺りを見渡しながら歩く。
足場が悪く歩きづらいそこを、どこかで岩が転がる音を聞きながら探索していると、不意にその足が止まった。
いた。積みあがった岩の上で、レンが一人で立っていた。
「レン!」
思わず笑顔になり、駆け寄ろうとするアケビ。
だが、踏み出そうとした足が止まり、彼女の表情が変わった。
レンの周囲から、そしてアケビの背後から、ギチギチと嫌な音を立てる蜘蛛のような姿をした巨大な異形が現れたのだ。
「…レン?」
事態に理解が追い付かないアケビが、レンの名を呼ぶ。
レンは答えなかった。俯いた顔を前髪で隠したまま、岩の上で佇んでいるだけだ。
その隣に、見知らぬ男が降り立った。鮫の鎧を纏った男は、警戒心を露にして自身を睨みつける少女を目にし、ニッと口角を挙げた。
「…もう一人釣れたか。ちょうどいい」
男はそう呟くと、レンに向かってくいっと顎をしゃくった。
「やれ。あの娘を殺して見せろ」
レンはそれに、剣を抜いて答えた。雨の雫すら切り裂き、真下のアケビに向かって一気に加速して、剣を振りおろした。
アケビがその一撃を受け止められたのは、本当に偶然のようなものだった。警戒して手をかけていた刀を、直感で抜いただけだったのだ。
「レン!?」
アケビは訳が分からず、ギチギチと刀を押し込んでくるレンを凝視する。
レンは無言のまま、剣を弾いて刃を返す。アケビがそれを躱すと、反撃すらできないほどの速度で幾度も斬りかかってきた。
アケビは急所を的確に狙ってくる刃を必死に防ぎ、目を瞠ったまま身を守る。それでも防ぎきれず、アケビの体には無数の切り傷が増えていった。
「レン!! しっかりして、どうしたの、レン!!」
何度呼びかけても、レンは答えない。
まるで本当に殺そうとしているように見えるのに、レン自身の殺気が感じられない。そして何よりも、僅かに見えるレンの口が、きつく食いしばられていた。
「おい、どうした小娘」
小馬鹿にしたような声で、鮫の鎧の男が口を開いた。
ニヤニヤと嗤い、必死の形相のアケビに告げる。
「反撃せねば、死ぬぞ?」
アケビは瞬時に理解した。この男が、レンに何かをしたのだ。
アケビの眼に怒りの炎が灯るのと同時に、刃がレンの剣を受け止める。ガチンッと再び火花が散り、二人はまた鍔迫り合いになる。アケビが歯を食いしばった、その時。
「…アケ、ビ…!!」
レンが、結んでいた口を開いた。
アケビはレンの顔を目にし、驚愕に凍り付いた。
レンは、泣いていた。いつかの怯えた姿ではない、悔しさで身を震わせた姿だった。
「アケビ…頼む。逃げろ! 体が……、自分で自分を止められないっ!!」
「レン…!!」
「うあああああ!!」
怒りと悔しさでぐしゃぐしゃになったレンが、アケビを突き飛ばし、なおも追撃する。
アケビは泥の中を転がりながら、悔しさに同じように顔を歪ませる。ふと背後を振り返ると、何体もの蜘蛛の異形がハサミを開閉させている。
そこでまた、鮫の鎧の男が口を開いた。
「そら…、生き残れるのはどちらか一方だ。仲間を殺して、逃げ延びてみるがいい」
アケビは男の言葉で、理解する。こいつらに、自分たちを逃がすつもりはない。仲間同士で殺し合うのを見て、楽しむつもりだ。
目を伏せ、アケビは考える。
このままでは、自分は
でも、レンを傷つけたくはない。
「…………」
少しだけ目を閉じ、刀を構える。
深呼吸を数回し、心を落ち着け、思考をクリアにする。冷静になった頭で、選ぶ。
アケビの心は、決まった。
「ああああああ!!」
叫びとともに、レンが突進する。鋭い剣先をアケビの心臓に向け、涙を流しながら走る。
アケビは、迫る刃と
そして、レンの剣が、アケビの胸を貫いた。
ズブッ、と肉の裂ける音が響き、鮮血がレンの頬を濡らした。
「…………!! あ…あ……」
目を見開き、レンは硬直した。
アケビは一瞬ビクンッと大きく痙攣するが、そのまま無言で刀を落とし、レンの体を抱き寄せた。凍り付くレンの頭を抱き、優しく微笑む。
「……あ、アケビ…!! なぜ……なんで………!!」
「……これしか、思いつかなかったからね……」
思考がまとまらず、震えるレンに、アケビは口から血を流しながら答える。
レンは頬と手に垂れる赤い血に目を向け、徐々に顔から血の気を引かせていく。
「お前……火影になるんだろ!? こんなっ…こんなところで、私のために!! ふざけるな!!」
「……うん。みんなに認めてもらえる、みんなを護る忍の長になりたいって夢、…今でも、変わらないよ…………でもね、レン」
レンの髪を撫で、アケビは優しく笑う。
「…私は、さ。人を助ける忍になりたくて……火影を目指してた。辛い事があっても、傷ついても、絶対に折れなかった、あの人みたいになりたかった。……でも」
同じ夢を持つ大切な友を思い、アケビは〝本当の夢〟を語る。
ギュッと、レンの肩を抱く手に力がこもる。いつの間にか、泥の中に血だまりができ、アケビの手からは血の気が失せていた。レンはその白い手をブルブルと震える手でつかみ、その冷たさに息を呑む。
アケビは、自身の限界を悟り、最期の力で想いを告げる。
「だったらさ、アンタを……、忍を助けたって、いいでしょ……?」
「…………アケビぃ……」
レンの声に、泣き声が混じる。徐々に力が抜けていくアケビの手を握り、悲痛な声を漏らして涙を流し続ける。涙は雨に混じり、彼女たちを冷やしていく。
「ここで……アンタを置いて逃げたら、あの人に真正面から、向き、会え…ないよ……。…だったらせめて、…こんなことでも、守らせてよ。…私の、夢…なん、だから…」
途切れていく言葉とともに、アケビの手が離れていく。ぐらりと傾ぎ、倒れていく少女の体を、ハッと我に返ったレンが掴もうと手を伸ばすが、届かない。
「……ごめんね、レン。…………先生」
最後まで微笑んだまま、アケビの体が傾いでいく。命の灯が消えていく。
ビシャッ…と、泥水の飛沫を立て、アケビは倒れた。なおも降り続く雨が、アケビを冷たく覆っていく。
伸ばした手を茫然と見つめ、レンは棒立ちになった。言いようのない、とてつもない喪失感が、少女の心に襲い掛かり、壊していく。
いつもそばにいた友は、もう目を覚ますことはない。冷たい
永遠に失われてしまった。永遠に、奪われた。
壊したのは―――――自分だ。
その瞬間、レンの眼に変化が訪れた。
深紅に染まり、巴模様が回転して変形していく。そしてレンの写輪眼は、湾曲した三つの刃が彩る、レンだけの万華鏡写輪眼へと変わった。
立ち尽くすレンの耳に、鎧の男が笑う声が届いた。
「なかなか面白かったぞ。…これで必要な材料が
レンの肩を抱き、男は顎を撫でて考え込む。そしてまた、ニヤッと嗤った。
「俺の新たな傀儡に名を授けよう。……これからは、ナイトと名乗るがいい」
それだけ言って、男は高笑いしながら背を向けて去っていく。同時に、レンの体を縛る術が発動し、レンが男に付き従うように痛覚を刺激し始める。
呆然となっていたレンは、ようやく思考を再起動させた。
視界の端で、血の中に倒れるアケビを蜘蛛の異形が運び出しているのが見える。その死に顔を目にした時、レンの中にどす黒い炎が沸き上がった。
だがそれは、体を縛るチャクラの鎖に覆われ、徐々に暗くなる意識に呑まれていく。
―――アケビ。
声なき声が、己の心に刺さる。
友の血に濡れる刃を掲げ、少女は己を憎み、恨み続け、そして。
レンの意識は、闇に沈んでいった。
友の笑顔を、最期に幻想して。
何も見えない。
氷のように冷たい闇の中で、アケビは一人倒れていた。右も左も前も後ろもわからない、深海のような場所で、孤独に伏す少女は、まだぼんやりした意識を保っていた。
すると、空間に変化が訪れた。紫色の光が、頭上や地面に木の枝のように伸びていき、複雑な模様を描き始めた。刺青のような光の軌跡が世界を支配し、アケビの周囲を囲んでいく。
それは、封印の儀式だった。
現実世界のアケビの体に術をかけ、一つの器にしているのだ。
やがて、アケビの精神世界に侵入してくるものがいた。
漆黒のうろこに、長い蛇のような巨体、爬虫類の手足。そして、鋭く尖った角と牙。
巨大で邪悪な龍が、倒れ伏すアケビの前に出現し、高々と咆哮を放った。
「グオオオオオオオオオオオオ!!」
黒龍は並んだ牙をがちがちと嚙み鳴らし、アケビを見下ろす。その開いた口から青い炎を漏らし、呪いの言葉を口にする。
『…おのれ、人間どもが……。オレを封じるだけでは飽き足らず……こんな小娘に封印し制御するつもりか……!! 忌々しい……!!』
黄金の眼を憎悪で燃やし、黒龍は吐き捨てる。
そして、何の反応も返さないアケビの方を向き、その目を細める。
『……貴様も、奴の馬鹿馬鹿しい計画とやらのために贄となったか……さぞ、憎いだろうな……。だが、オレにとってはちょうどいい』
黒龍の体が青い炎に包まれて縮んでいく。炎の中に見えるシルエットが、徐々にその形を変えて、声音まで高くなっていく。
そして炎が晴れた時、そこには一人の少女が立っていた。
『オレは飼われたまま終わらせん……奴の寝首を掻き、息の根を止めてくれる。それならば、貴様の無念も晴れるだろう』
龍が変じたのは、アケビと瓜二つの少女。ただ違うのは、その長い髪は白銀で、前髪の間から覗く瞳は、血のような真紅であることだ。
『貴様の肉体……もらい受ける』
自分を模した黒龍が見下ろしてくるのを感じながら、アケビの意識は再び闇に沈んでいった。
それと同時に、現実世界で一人の戦士が目を覚ました。
目を覚ました少女を前に、鎧の男、アビスが満足げに笑う。
「…これで十二の人柱力が俺のもとに集った。……さぁ、宴を始めようか」
そういって、アビスは高々と笑う。
その姿を、黒い少女、リュウガは冷たく見つめていた。
それが、すべての始まりだった。