「ここはどこだ?」
ゾロはジャングルを彷徨っていた。
2人の巨人は視界に入っている。けれど理由は全く以て不明だが、何故かそこまで辿り着けない。完全なる迷子である。
しかし、『迷った』などとは口に出したくない。というか、認めたくない。つい先ほど出くわしたユアンの、何とも言えない哀れみのこもったような視線が頭を過ぎるからだ。
……ちなみに、そのユアンと別れてからまだ1分と経っていないことをここに追記しておこう。
とにかくそんなわけで、彼は絶賛迷子中だった。誰が何と言おうと、たとえ本人が頑として認めなくても、正真正銘紛れもない迷子になっていた。
このままいけば恐らくゾロはMr.3との戦いになど関わることなく、事が済んだ後……むしろ出航直前になって誰かに……どうでもいいことだが、その誰かとはユアンになる可能性が極めて高い。ルフィでは二重遭難するか冒険に走るかだろうし、サンジはゾロを迎えに行くなど嫌がるだろう。そして他3名ではジャングルを彷徨えない……救助されるまで彷徨い続けるだけだっただろう。
だが彼には運はあった。方向感覚は皆無だが、運はあった。
「ぎゃあぁぁぁ~~~~~!!」
ゾロが彷徨うすぐ傍をウソップが走り去って行ったのだ。
「! おい、ウソップ!」
助かった、というのがこの時のゾロの正直な心情だった。いくら迷子と認めていないとはいえ、このままではマズイという危機感は多少あったのだ。
「ゾロォ~~~~~!!」
ウソップは初めはゾロに気付いていなかったようだが、声を掛けられるとすぐさま振り返って駆け寄ってきた……が、ゾロは内心でドン引きしていた。
顔から出るモノが全部出ている状態で突進せんばかりに突っ込んでくる人物を目の当たりにして、引くなという方が無理だろう。
しかしその引きも。
「大変だ! ナミが恐竜に食われたァ!!」
ウソップがパニクりながら叫んだその言葉によって霧散した。
詳しく話を聞くと、ウソップはナミと2人でルフィ達の所まで行こうとしてジャングルに入ったら恐竜に出くわし、必死で逃げている間にナミの姿が見えなくなってしまったということらしい。
けれどゾロはその話に引っ掛かりを覚えた。それは恐竜ではなく、敵の仕業なのではないか、と。
「……とにかく、ルフィのとこに行くぞ」
ナミが敵の手に落ちたと仮定したとしても、無闇に動いてもどうにもならない。ウソップのあの様子ではナミがいなくなった正確な位置は解っていないだろうし、それならば敵の方から来るのを待った方が効率がいい。
現在の敵とはバロックワークスであり、その抹殺リストに載っているのは全部で5人だがヤツらが最も始末したいのはアラバスタ王国王女のビビだろう。そのビビはルフィと一緒にいる。合流するのが良さそうだ……そう結論付けての発言だったが、ウソップは微妙な顔をした。
「いや、合流はいいけどよ……そっちは逆方向だぞ?」
そう、ゾロはルフィたちがいるのとは逆方向……もっと言うと、今さっきウソップが走ってきた方角へと歩き出していたのだ。
その言葉にゾロの足がピタリと止まる。その後は暫し痛い沈黙が落ちたが、やがてウソップはポンと手を叩いた。
「あ……お前ェ、迷子か?」
この時のウソップのゾロを見る目は、何とも言えない哀れみのこもったものであったそうな。
ウソップと、ウソップに案内されたゾロはルフィ達の元に辿り着くことが出来た。
なお、ゾロを案内するウソップは老人介護をするヘルパーの如く親身であったことをここに追記しておこう。
「確かに、それはバロックワークスの追手の仕業かもしれないわ」
話を聞いたビビは少し焦っているような様子だ。
「それなら、2人のうちナミさんだけが狙われたことにも納得がいくもの。だって、バロックワークスの抹殺リストにあなたは載ってないはずだから」
ビビにしてみれば、ナミが狙われたのも突き詰めてみれば自分のせい、という思いがある。焦るのも当然だろう。
「Mr.3は、『姑息な大犯罪』をモットーとしている男……早くナミさんを助け出さないと、向こうから接触してくるのを待ってたら手遅れになるかもしれないわ」
圧倒的な力でねじ伏せに掛かってくる相手も怖いが、狡猾な罠を張ってくる相手も充分怖い……気を引き締めようとするビビとウソップだが、ルフィとゾロは別の点が気になるらしい。
「『姑息な大犯罪』かー。姑息なヤツなのかー。ユアンとどっちが姑息だろーなー?」
言葉だけ聞けば呑気ともいえる疑問を口にするルフィ。対するゾロは思案顔だ。本気で考えているらしい。
ビビもそれに引き摺られそうになった。脳裏には、ウィスキーピークでいつの間にか略奪を働いていた彼の姿が浮かぶ。
ちなみに、ウソップは完全に引き込まれている。ウソップ自身も大概姑息だが、どうにもあの小柄な副船長には勝てる気がしない。
何だかもう、彼らの間には『Mr.3って大したこと無いんじゃね?』的な空気が広まっていた。
ビビ以外はMr.3に会ったことは無いが、どうにもそいつがユアンよりも姑息な人間だとは思えなかったからだ。
「よし! 3のヤツをぶっ飛ばすぞ!」
ルフィは特に単純だった。取りあえず敵をぶっ飛ばせばいい、という思考らしい。
「3のヤツってのは何だ?」
敵の特徴については初耳のウソップとゾロは疑問顔である。
「ユアンが言ってたんだ、敵は3のヤツだって。別の敵から聞き出したんだ」
成るほどと納得した。どうやらユアンは早々に説明を放棄したらしい。或いは、説明も必要としないほど見ればMr.3と解る風貌をしているのだろう。
「ぶっ飛ばすはいいが……そいつがどこにいるのか知ってるのか?」
「知らん!」
ゾロに返す答えは実にキッパリしていた。
「どこにいるのか知らねェヤツを、どうやって見つけるんだ?」
「かん!」
ウソップへの返答も、何ともあっさりしていた。
それはどんな勘だ、と周囲はツッコミたかった。野生の勘か?
しかし実際、勘に頼るのも已む無しだろう。彼らの中で最も気配に敏感だろうユアンが『解らない』と言ったのだから、探り当てるのは難しい。
顔を突き合わせて考えている間に、いつの間にかドリーとブロギーの決闘は終わっていたらしい。音が止んでいる。
「ドリーさん……遅いわね」
ポツリとこぼれたビビの呟きに、一同は顔を見回した。確かに決闘の音がしなくなってから結構経っているような気がする。
もしかして、何かあったのだろうか。
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Mr.3は苛立っていた。
酒に爆弾を仕込むよう指示して送り出したMr.5ペアは戻って来ない。
抹殺リストにあった女と剣士を捕まえたかったのに、罠に掛かったのは女だけ。はっきり言って、どちらか片方ならば剣士を捕まえられた方がまだ海賊どもの戦力ダウンに繋がったものを。
Mr.5ペアが戻らないために、王女の捕縛もままならない。Mr.5ペアがいれば確実性の無い策しかなくても可能性に掛けて行かせたが、自分は行きたくない。情報によれば王女は海賊の船長と一緒にいるらしいが、その船長は6000万の賞金首だ。グランドラインに入ってきたばかりのルーキーとしてはかなりの額である。出来れば相対したくない、するのならば完璧な計画を立てて自身の優位を確立させてから……そのように考えていた。
何とも姑息な男である。
「Mr.3、もう休んでいい?」
……その上、パートナーのミス・ゴールデンウィークはとことんやる気が無い。休んでいいも何も、彼女は今の所何もしていないのに。
「まだだガネ。少し待つガネ」
現在彼らは、巨人族2人の決闘をこっそり観察中だった。
酒に爆弾を仕込むという策はMr.5ペアが戻らないことや巨人たちの元気そうな様子からして、失敗したと考えてまず間違いない。
ならばもう本来の目的である王女ビビと護衛の海賊の始末に専念するべきなのだろうが、だからといって諦めるには1人頭1億、2人で2億の『手柄』は美味しすぎる。
しかし同時に、1億の賞金首2人を相手取るつもりも無い。はっきり言って無理無茶無謀。正面から行ってもどうにもならない。
だとしたら残るチャンスは、2人の決闘が終わったまさにその瞬間だ。というか、そこしかない。どちらかが勝つにしろ負けるにしろ、それとも引き分けるにしろ、その一瞬だけは隙が出来るはず。
Mr.3としては真面目に考えた末での行動だ。しかし傍目には、巨人族の決闘に物陰から熱い視線を送っている不審人物にしか見えない。ミス・ゴールデンウィークの視線は心なしか冷ややかだった。
そしてその熱意は、一応は報われることとなる。
「73467戦……」
「73467引き分け……」
互いに互いの顔面を殴り合い、2人の巨人は地に倒れ伏した。
(今だガネ!)
彼らの動きが完全に止まったその瞬間、Mr.3は能力でこっそりと地道に出し続けていた蝋を2人に向かわせた。
「な!」
「何だ、これは!」
天運はMr.3に味方したらしい。彼の放った蝋は瞬く間に2人を包み込んだ。
内心でMr.3はガッツポーズを取る。上手くいかなければ反撃されて1億の巨人2人に敵認定されていたに違いない危険な賭けだった……だからこそ、より確実性を高めるために爆弾入り酒の策を考えたのだが、何とかタイミングが噛み合ったらしい。
「プッ……フハハハハハハハハ!!」
思わず笑いが込み上げ、隣に立つミス・ゴールデンウィークに振り返る。
「あの2人は使えなかったようだが、こうなってくると案外この方が良かったガネ! これでこの手柄は我々のものだガネ!」
あの2人、というのは勿論Mr.5ペアのことだ。
2ペアで分け合っても十分な手柄になっただろうが、独占できるのならばそれに越したことはないらしい。何とも姑息な男である。そしてその喜びを彼は己のパートナーと分かち合おうとした……が。
「Mr.3、少し待ったわ。もう休んでもいい?」
ミス・ゴールデンウィークにはそちらの方が重要だったらしい。
「………………」
1人で盛り上がっていたことに言い知れない寂しさを感じたMr.3だったが、グッと堪えた。ミス・ゴールデンウィークはこういう性格なのだ、と心のどこかで諦めに似た感情が沸き起こる。
「……まずはあの2人の動きを完全に封じるガネ」
言いながらも、既に巨人族2人はMr.3のキャンドルジャケットの餌食になりつつある。
「おのれ……!」
何がどうしてこうなったのか全く把握できていない2人は闇雲に暴れるが、鉄の強度に匹敵する蝋の枷は決闘後の疲弊した体では破壊しきれない。しかも、ヒビを入れても新たな蝋がそれを塞いでしまい、より強固になっていくだけだ。もがけばもがくだけ嵌っていく蟻地獄に近いのかもしれない。
「貴様、何者だ!」
Mr.3は上げた大きな笑い声によって既に2人に見つかっている。尤も、2人とも既に動けなくなっているので問題は無いのだが。
「Mr3……コードネームにて失礼。通りすがりの『造形美術家』だガネ。こちらは助手の『写実画家』ミス・ゴールデンウィーク」
余裕たっぷりで自信満々かつ不敵なその態度からは、先ほどのコソコソと隙を窺っていた様子は微塵も感じられない。ミス・ゴールデンウィークについても、Mr.3のことはどうでもいいのかやる気なさげに佇んでいるだけだ。ただし。
「………………」
キャンドルロックにより拘束された上に声を出せないよう口を塞がれた状態で地面に転がされているナミから寄せられる視線は、とても寒々しいものだったが。
「……ミス・ゴールデンウィーク、女をここへ!」
その視線に気付かない振りをして、Mr.3は次の『創作活動』のために意気揚揚と指示を出した……が。
「イヤよ。メンドくさいもの」
ミス・ゴールデンウィークには一蹴された。
「………………」
仕方が無く自分でナミを担ぎ上げたMr.3であった。実際、ミス・ゴールデンウィークの体格と腕力では人1人を運ぶのは骨が折れる作業なのは間違いないだろうし、自分でやった方が早い。
それにしても、ミス・ゴールデンウィークの自分への態度は何とも冷たすぎはしないか? とMr.3は自分でも気づかぬ内に遠い目になる。
しかし、彼は気を取り直した。
「特大キャンドル! サービスセット!!」
まずは目前の『創作活動』に集中すべきだと考えたのだ。1億の首が2人に、抹殺リストに載った女。残念ながら王女や他の海賊はまだ捕えていないが、ゆっくりと少しずつ料理していけばいい。
それはそれとして……Mr.3が放った大量の蝋は、巨大な蝋燭へと形を変えた。頭部のジャック・オ・ランタンのような装飾が遊び心を感じさせる。
「ちょっと! 何なのよ、コレ!!」
口を塞いでいた蝋が取られて自由に声を出せるようになったナミが叫び声をあげた。その足は巨大蝋燭の根元に蝋で固定されている。
「ようこそ、私のキャンドルサービスへ!!」
大きく手を広げ歓喜の声を上げるMr.3。何故だか今、彼はとても清々しかった。漸く見せ場が来たからかもしれない。
このキャンドルサービスによって、女と2人の巨人を蝋人形にする……実に愉快そうに語るMr.3に、ナミが切れた。
「冗談じゃないわよ! 何で私達があんたの『美術作品』にならなきゃいけないわけ!?」
当然の反応である。いきなり現れた見知らぬ敵に『美術の名のもとに死んでくれ』と言われて納得する人間など普通はいない。
「ちょっとブロギーさん! ……と、もう1人の巨人の人! 何とかしてよ、このままじゃあなたたちも蝋人形にされちゃうのよ!?」
「ムダだガネ! そいつらはもう動けないガネ!」
2人としては認めたくないことだが、事実だった。ナミに言われるまでも無く2人は各々もがいていたが、どうしても動けない。
キャンドルジャケットはもうそれだけで2人の体を覆い尽くさんばかりに厳重に掛けられている。必要以上にも見えるその拘束は、Mr.3の慎重さ用心深さ……悪く言えば小心さを端的に現している。頼れる者がいないという現状が、Mr.3を追い詰めたのだろう。
加えて、互いに死力を尽くした決闘の直後で、うまく体に力が入らない。
もしもどちらか片方でもその原因が無ければ、彼らの力ならばこの拘束を解くのは不可能では無かったのだろうが……。
「加速しろ、キャンドルサービス! こいつらをとっとと蝋人形にしてしまうガネ!」
Mr.3の号令と共に、頭上で回転していたキャンドルの速度が速まる。
ナミは本気で焦っていた。
あの男と小柄な女は、まず間違いなくバロックワークスの刺客のはずだ。自分たちを殺しに来た……。
(冗談じゃないわ……私はあいつらみたいな化け物じゃないのよ!?)
海賊専門泥棒として活動してきたナミは、決して弱いわけじゃない。でもそれはあくまでも一般人としての話で、他の面々(ウソップは除く)のように人間離れした力があるわけじゃない。当然、こんな状況を打開する力など無い。
いくら焦ってもどうにもならない。蝋の霧が肺に入ってくるせいで息も苦しくなってきた。
「出来るだけ苦しそうに固まってくれたまえよ! 苦しみに悶えるその表情こそが最高の『美術』なのだッブ!!」
変態としか言い様のない表情で自身の美術論を語っていたまさにその時、Mr.3の横っ面に拳が叩き込まれ吹っ飛ばされる。だが、その手の持ち主の姿はまだ見えない……こんなことが出来る人間は限られている。
「見ろ、3だ! 3のヤツだ!」
「まさか、あそこまで解りやすいたァな……」
「Mr.3以外の何者でも無ェ」
順に、ルフィ、ゾロ、ウソップである。
伸びてきたルフィの拳に吹っ飛ばされたMr.3の姿はジャングルの中に突っ込んで行って見えなくなったが、キャンドルサービスは未だ健在で動いている。けれど、ナミの中にはもうさっきまでの焦りは無くなっていた。
Mr3の扱いが酷い……でもバギーとセット化する時点でMr3の不憫街道は決まったようなものですし、仕方がないね!