ある伯爵家子弟の評伝   作:金柑堂

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従卒着任

 幼年学校校長室でのやり取りの三日後、エンゲルベルトのところに校長からの書類が来ていた。実習に際して必要な幼年学校からの持参物は白兵戦技の授業に用いる装備一式と官給品の制服などであった。装備一式の部隊への配送は手配してくれるようであるが、そのほかのものは持参せよとの回答であった。

 そして六月二十八日の朝、エンゲルベルトは着任のため帝都オーディン郊外にある装甲擲弾兵第一駐屯所へと向かった。

 

 第一駐屯所は装甲擲弾兵総監部からは割と近いところに設置されていて、非常時の緊急出動などに備えられている。近くには練兵場なども存在しており、そこで日々の訓練が行われている。まだ十四歳であり、正式な軍人でもないエンゲルベルトは無論、装甲擲弾兵総監部に来たことなどなかったので、回答に付与されていた情報を頼りに十八連隊の司令部へと向かった。

「そこで止まれ。幼年学校の生徒がなぜこんなところにいる」

連隊司令部のある建物の前にたどり着くと、衛兵担当の兵士にそう呼び止められた。どこか咎めるような響きだった。階級章は伍長のものであった。反射的に、エンゲルベルトは姿勢を正し、敬礼する。

「自分は帝国軍幼年学校所属のエンゲルベルト・クサーヴァー・フォン・リスナー四年生であります。幼年学校より装甲擲弾兵第十八連隊クラウスニッツ連隊長殿の従卒を拝命し、着任に参りました」

 エンゲルベルトの報告に伍長はいぶかしげな表情を隠さず、彼をその場で待機するように言い、上官である軍曹に確認を取りに中へと踵を返した。すると数分後に、浅黒く日焼けした、ひどく大柄な軍曹がやってきた。年は四十代後半から五十代前半といったところだろうか。

「お前がエンゲルベルト・フォン・リスナー四年生だな」

「はい、軍曹殿」

「連隊長室まで案内したいが、着任の挨拶まで時間がある、ついてこい。駈足だ」

怒鳴るような声でそう言うと、すぐに軍曹は別の方向へと走り出した。エンゲルベルトも持参した荷物の入ったカバンを持ちながら軍曹の後を追った。幼年学校のどの教官よりも威圧感のある声だった。

軍曹について行った先にあったのは、実に小さな建物だった。二階建てで、外観の様子からして部屋数は少なさそうだった。軍曹はその建物に入り、一階の小さな部屋に彼を連れて行った。

「ここがこれからのお前の部屋だ。荷物を置いたらすぐに司令部へとまた戻るぞ。整理は夜に戻ってからにしろ。今度も駈足だ」

「はい」

再び、エンゲルベルトは軍曹の後を追った。

 

 第十八連隊司令部が置かれている建物と先ほどの建物は駈足で十分ほどの距離であった。帰りは荷物がない分体が軽かったのが救いであった。練兵場が近いためか、かすかに上官の罵声らしき声のかけらがエンゲルベルトの鼓膜を揺らし、装甲服を着用した兵士たちが訓練を行っている様子が視界に入ってくる。一人だけ幼年学校の制服である自分がやけに異質で異物のように感じ、一抹の心細さを感じた。

 帝国軍装甲擲弾兵第十八連隊の連隊長はハンス・クラウスニック大佐という人物で、この男は装甲擲弾兵に所属している下級貴族出身の士官たちなどは除いて、かなりの貴族嫌いであった。帝国軍に入隊する前に、様々な場面で煮え湯を飲まされてきたかららしい。自分の従卒が連隊長室に入り着任の報告をする間、クラウスニックは顔を上げようともしなかった。

沈黙が重くエンゲルベルトにのしかかってくる。それが徐々に辛くなってくる頃になると、おもむろに書類から顔を上げて、大佐が口を開いた。

「リスナー従卒。貴様、幼年学校の上からどう聞いている」

短く、熊が唸るような声が大佐の歯の間から聞こえてきた。

「はい、今回の配属は試験的なものであり、装甲擲弾兵総監部より打診を受けたとリルター中将閣下より伺っております」

「なに、試験的だと?相変わらずやってくれる!」

苦々しげに言い、誤って噛んでしまった葡萄の種を吐き捨てるように大佐は続けた。

「いいか、こちらからは向こうに何も打診などしていない!第一、幼年学校のひよっこなど、例え平時の従卒とはいえ俺たち装甲擲弾兵が必要とすると思うか?思ったことを言ってみろ」

「いえ、私は連隊長殿の従卒であって衛兵ではありません。なので、不必要ではないかと思った次第です」

半瞬の内に答えるべきか否か、逡巡したが命令を優先したエンゲルベルトの回答にクラウスニック大佐は獰猛な笑みを浮かべて笑って見せた。思わず笑い声が聞こえた。

「なるほど、伯爵家のボンボンと聞いていたが、それを察せるだけの頭はあるらしい。いいだろう。本来ならばだとこの後すぐに送り返す予定だったが、気が変わった」

そう言うと大佐は傍らにある端末で通信をかけた。短い通信を終えると、大佐は気を付けのままで待機している従卒に視線をやって再び口を開いた。

「まぁ気を落とすな。大方貴様は配属先に軍務省か宇宙艦隊司令部らへんを希望したようだが、向こうに行くよりもずっといい経験をさせてやる」

 クラウスニッツ大佐はどこか茶化すように言った。装甲擲弾兵に配属されるというのは、確かに同期の誰にもできない体験ではあるだろう。クラウスニック大佐の性格に少し慣れてきたのか、あるいはもう染まりつつあるのか、エンゲルベルトはそんなことを思った。

数分後、先ほど荷物の案内などをしてくれた軍曹が入ってきて、エンゲルベルトの隣に立った。軍曹に答礼すると、大佐は説明を始めた。

「彼はヘルムート・シュミット軍曹、貴様もさっき会ったはずだ。つい一年前まで、装甲擲弾兵の新兵練兵場の訓練教官を九年に渡って務めていた」

エンゲルベルトが左に目線を送ると、浅黒く日焼けした横顔が先ほどより大きく見えた。

「わかっていると思うが、貴様の現状は幼年学校の授業があるとはいえ、良く見積もって入りたての新兵に毛が生えた程度の存在が精々だ。だが、今さら任務は変えられん。よってこの二か月という実習期間で、貴様を精々“装甲擲弾兵の従卒”として鍛え上げてやる」

 エンゲルベルトは、この上官が単に戦場の勇者であるだけではないことを察した。先ほどの駈足もなども含めて、着任を採用試験に仕立てていたようだった。

「まずは約一か月半、軍曹の訓練に付き合え。その後、軍曹の所属する第十八連隊第一大隊第一中隊にて、通常の練兵に混ざってもらう」

「はい、連隊長殿」

久々に口を開き、エンゲルベルトは自分の言葉がやけに乾いているように感じた。自分の実習が思わぬ方向へ向かっていることに緊張してきた。

「無論、派遣先の部隊司令官として幼年学校首脳部に貴様の従卒実習に関する報告書を書かねばならぬので、朝と昼食時、夕刻には此方に戻って従卒としての職務に当たってもらう、いいな、リスナー従卒」

「はい、連隊長殿」

エンゲルベルトの返事を聞きながら、大佐は自分の腕時計をみた。今日初めて名前を呼ばれたのを思い出した。

「シュミット軍曹、先ず一六〇〇までこいつを預ける。軽くしごいてやれ。一六一〇からは従卒の任に戻らせるように。従卒業務に関してはその際に説明する」

「了解しました」

「では両名とも下がってよろしい、また一六一〇にまた顔を出せ」

大佐の言葉に二人は敬礼し、連隊長室を辞した。

その日から、エンゲルベルトは期限付きながら装甲擲弾兵第十八連隊の一員となった。シュミット軍曹の課す訓練は確実な経験に基づいたもので、こちらの体力的限界を即座に見抜いてきたが、容赦はなかった。その中で、エンゲルベルトは座学を挟んで行われる幼年学校の体育や白兵戦技教習がいかに天国であったかを思い知らされた。それほどに苛酷だった。

 

 

 意外に根性がある。基礎もまぁ、この年齢にしては悪くはない。着任日を含めて二日間に行われた一連の訓練を見ながらシュミット軍曹はそう感じた。

 途中で前職のように罵倒もしてみたが、喰らいついてきている。見かけによらず負けん気が強いらしい。肉体もそうだ、幼年学校とはいえ多少の軍隊経験でつくものだけではない。入学前から鍛えようとするか、相当な量を在学中にこなすしか方法はない。その過程にあまり興味はないし、どちらであろうと問題はない。

 シュミット軍曹は久々に鍛えがいのある新兵を寄越されたことを連隊長に内心感謝していた。かつての訓練教官としての腕が鳴る思いだった。エンゲルベルトは、連隊長の言いつけどおりに朝、昼食時、夕刻は従卒としての仕事を行い、昼間はシュミット軍曹による訓練を行った。一日の職務から解放されると、与えられた部屋の寝具の上に倒れ込むほどに疲れていた。

日々の食事は練兵場と連隊司令部の間にある食堂で食べた。最初は周囲の兵卒や士官たちから奇妙なものを見る目で見られたが、シュミット軍曹による一対一の訓練を受けていることを知ると、かつての訓練教官を思い出した兵卒たちがからかうように声をかけてくるようになった。

「随分と長続きしているそうだな、昨日軍曹から報告があった」

配属から十五日後の朝、大佐は書類を見ながら右傍らに立つエンゲルベルトに行った。彼の左隣には、連隊長付副官のウルリッヒ・ヴェツィオーラ中尉が立っていた。中尉はそれなりに気の利く男で、従卒の業務に関しては大方彼から教わった。

「シュミット軍曹殿とのおかげであります。軍曹殿には感謝の言葉もありません」

エンゲルベルトはそう返すしかなかった。十五日たって漸く、ついていくのがやっとの段階から少しだけましになった感じがしてきていた。

「そうか。貴様、意地だけはそれなりにあるらしいな。それは実に結構」

 この手の新兵が鬼教官の過酷な訓練に歯を食いしばって食らいつくとなると、理由の大方が意地か後戻りできない事情によることを大佐は経験から察していた。この従卒の場合、幼年学校に適正不足として送還されるより、そうされることで生家である伯爵家の武門としての家名と自尊心に傷をつけることが嫌なのだろう。全く、青臭くて結構なことだ。

 そんな内心を反映してか、これまでの間に幾度か目の前の少年に見せた獰猛な笑みがクラウスニックの顔に浮かんだ。

「ありがとうございます、連隊長殿」

「馬鹿者。戦場では意地だけでは生き残れん。後残り半月で軍曹から盗める者はなんでも盗め。貴様が教わっているのは幼年学校の薄っぺらな白兵戦技の教材ではないのだ」

より低いうなり声が、大佐の歯の間からこぼれてきた。

「失礼いたしました。気を引き締め、精進いたします」

「よろしい、昼食後直ちに訓練に戻れ。いってよし」

「失礼いたします」

エンゲルベルトが敬礼をしてから連隊長室を出るとき、ヴェツィオーラ中尉がやけに驚いたような顔をしているのが見えた。その光景が、やけに印象的であった。

 

 


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