ある伯爵家子弟の評伝   作:金柑堂

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従卒研修

幼き日々も、過ぎるのは又早い。時間は人々の間を平等に流れていく。学校に限らず、人間の集団の行動の計画は、主に時間によって規定される。帝国軍幼年学校は当然、その例がいたり得ない。起床に始まり勉学や食事そして一日の終わりにあたる睡眠まで、その全てが時間で拘束されている場所である。

 

教官によっては、教場の座席も規定されるが、食堂の席に関しては基本的に自由である。

帝国歴四六六年六月二十一日、エンゲルベルトは少々遅れて夕方の食堂に入り、食事を受け取るとベックの傍に座った。

 

「遅かったじゃないか」

「家から連絡が入っていた。また申請書類を書かなければならないかもしれないらしい」

「相変わらず羨ましいな、おおっぴらに休めて」

ベックは意地悪な笑みを浮かべて冷やかした。それにエンゲルベルトは軽く眉間に皺を寄せた。

「馬鹿を言うなフランク。その分後につけが回ってくるんだ。その後に回す時間ももうあまりない」

「おいおい、忘れたのかリスナー。卒業まではまだ一年あるじゃないか」

「その一年のうち、私にとっては三か月が消えるんだよ」

「三か月消えるってことは、従卒実習を受けるのか」

「ああ、その件でも先ほど話していた」

「そうか。志願者募集の期限もそろそろだったからな」

 

従卒とは高級士官の身辺の世話を職務とするもので、現役の兵が行ったり、軍属が行ったりと担当者が分類される場合がある。帝国軍幼年学校では、約五年間の在学期間のうち、最上級学年の内の三か月を従卒の実習に割り当てることのできる制度が存在する。士官学校に入る前に実際の帝国軍の軍務に触れるというのがこの制度の大方の趣旨である。

 

この制度は、基本的に志願制である。故に希望者は従卒実習志願申請書というものを幼年学校の首脳部宛てに提出しなければならず、その期限があと二週間ほどに迫ってきていた。

「俺たちの知っている先輩方も、受けている人はそれなりにいたからな。まぁ妥当なところか」

 

ベックはそう感想を漏らした。

ゾンネンフェルス、ブルッフの両生徒はつい先日卒業式を終え、現在は士官学校への進学の準備を進めているようで、彼らは昨年の同時期に志願して憲兵隊などで従卒実習を行っていた。

「卿の立場なら、副官はともかくとして、従卒をする機会は今回しかないからな。伯爵が勧めるのも分かるような気がする」

「皮肉か、それは」

ベックの言葉に、少しエンゲルベルトは表情を険しくした。

「いや。単なる事実だ。まぁ、卿の今の成績なら軍務省や艦隊司令部付の従卒だって夢ではない。俺はとにかく士官学校に上がることに専念する」

「では、お互い努力するとしよう」

その翌日、エンゲルベルトは従卒研修志願申請書を幼年学校校長宛に提出した。配属希望先は第一候補が軍務省、第二希望が宇宙艦隊司部となっており、至って平均的な解答と言えた。

 

 

この従卒実習制度は、別に貴族の子弟にのみ制限されたものではない。原則として対象学年の全生徒に解放されているが、配属先には個人の成績や本人の縁故など様々な要素が介入して決定される。

故に軍に存在する伝手を用いて、自分に都合の良い配属先を探そうと必死になる例も存在する。またその逆の、特定の志願者に対する妨害が行われたりする例というのも存在していた。

 

エンゲルベルトの期末考査での成績は同期の中の五番、普通に優を与えられる席次である。たとえ実習による短期間の従卒派遣とはいえども幼年学校の代表であるため、幼年学校の首脳陣は軍の要職などに関係する職場には基本的に優秀な席次の生徒を配属するという習慣があった。

 

しかし今回その習慣が一部破られた。志願申請書を提出してから一週間後の六月二十八日、エンゲルベルトは幼年学校校長アドルフ・フォン・リルター中将に召喚され、校長室ドアの前にいた。

 

「中将閣下、リスナー四年生。入ります」

「うむ、入りたまえ」

リルター中将の許可を得て入室すると、校長の他に教頭のシェッター少将が立っていた。

 

「リスナー候補生、卿を呼び出した理由は他でもない。卿の従卒実習に関してだ」

一呼吸おいてからリルター中将は口を開いた。

「卿は皇帝陛下と帝国の忠実な藩屏として幾多の武勲を挙げた伯爵家の嫡男として相応しい成績を示し、日々鍛錬に励んでいると教官たちから聞いている。卿のようなすばらしい生徒を持ち、帝国軍の次代の人材を育成する幼年学校校長として私は実に光栄に思う」

「恐縮であります、中将閣下。全ては教官方とよき学友たちのおかげと思っております」

「その謙虚な姿勢も実に宜しい。そんな卿を見込んで一つ話がある」

「なんでありましょうか、閣下」

エンゲルベルトの言葉を聞いて、校長が教頭に視線を送る。軽い咳ばらいが一つ。

 

 

「リスナー四年生、卿には従卒実習として、装甲擲弾兵総監部付第十八連隊司令部に出向してもらう」

教頭からの宣告にエンゲルベルトは面食らった。彼は一応の希望配属先として軍務省を希望していた。そもそも装甲擲弾兵への幼年学校からの従卒の派遣記録はこれまでなかったはずだ。ここまで希望を無視した大規模な配属先転換は聞いたことがなかった。

 

「リスナー四年生、卿が驚くのも無理はない。これまでに装甲擲弾兵へと輪が幼年学校から従卒実習生を派遣ことはなかった。だが、今回に限っては事情が違うのだ」

自らの目の前に立つ学生の沈黙を驚きと捉え、中将は話を続けた。

「今回、急ではあるが装甲擲弾兵側より幼年学校へ従卒研修の打診があったのだ。試験的に従卒の実習を受け入れてみたいとな。当然我々も驚いた。今までそんなことは一度もなかったのだから。ここまではわかるな」

「はい、校長閣下」

「故に誰を派遣するべきかを検討した結果。卿という結果に至ったのだ、リスナー候補生。卿は白兵戦技において学年の首席、射撃に関しても実に優秀だ。また休日も肉体の維持鍛錬に努めている。そんな卿を除いて適任はいないのだ」

「恐縮であります、閣下」

「卿の後輩たちのため、ひいては帝国軍の将来のためだ。引き受けてくれるかね」

校長の言葉に一瞬逡巡しながらも、エンゲルベルトに選択肢はなかった。これまでの生活で叩き込まれた敬礼をし、言葉を返した。

「了解しました。リスナー四年生。装甲擲弾兵総監部付第十八連隊司令部における従卒実習の任、謹んで拝命いたします」

「うむ。それでこそ栄えある帝国軍幼年学校の最上級生である」

「ですが校長閣下、少しだけお願いをさせていただいてよろしいでしょうか」

嬉しそうな教頭の頷きの後にエンゲルベルトは再び口を開き、その内容に校長の眉間に皺が寄った。

「なにかね」

「今回の試験的な実習の派遣に関しまして、私が着任までに準備すべきもの、あるいは持参すべきものを実習先である第十八連隊に問い合わせていただけませんでしょうか」

「よかろう。問い合わせの結果は卿の宿舎へと転送しておく」

校長と教頭の表情がやや険しくなったが、渋々校長は了解した。

「閣下の御配慮に感謝いたします」

「用件は以上だ。下がりたまえ」

再び敬礼をして、エンゲルベルトは校長室を辞した。二人の答礼はやや粗雑なものであった。

 

 

 廊下に出て寮へと戻る間、エンゲルベルトは先ほどの会話と今回の配属について考えていた。

 装甲擲弾兵側から申請があったというのは大方嘘だろう。勇猛で知られる装甲擲弾兵がこのような面倒事を自ら抱えたがるはずもない。それに、軍属と将官の関係性であれば、即座に命令を下してしまえばそれで終わり。先ほどのような婉曲な説明をする必要はなかったはずだ。

 

 

自分の部屋に戻ると、すぐにエンゲルベルトは伯爵家へと通信をかけた。シュテファンに一連の事態に関する報告をした。

「命令である以上、引き受けざるをえないのは仕方ない。お前はまだ下士官待遇の軍属とはいえ実質は軍人なのだ。故に、腐らずに配属先にて全力を尽くし、我が伯爵家嫡男として恥じない振る舞いをするように」

シュテファンは少し表情を険しくしながらエンゲルベルトにそう諭した。

「無論です、父上」

「それで、今回の件。お前はどう見ているね。遠慮なく言ってみなさい」

「大方、私か父上に対する嫌がらせなのでしょう。しかも軍に対してそれなりに大きな影響力を持った人物の介入があるのではないでしょうか。試験的な配属とはいえ、実質的に前例を破らせたのですから」

「では首脳部からの召喚と説明、それとお前からの要請を受け入れた件はどう見るね」

「配属先で私が腐って、自分たちに責任が回らないようにするための保険でしょうか」

「それも一理ある。だが、これは主に私に向いていると考えるべきだろう。後で私から何かしらの抗議を受けても、『今回の件に対する経緯と理由はちゃんと説明し、息子の了解はしっかりととってある、それに彼自身からの要請にも応えた』という言い訳ができるようにね」

「なるほど、父上に対する保身ですか」

エンゲルベルトは、そこまで考えが回らなかったことに、少し俯きながら返した。

「幼年学校の校長というのはどこかの門閥などに偏りすぎては務まらないし、選ばれない職務だ。これで公平を保とうとしているのだろう」

シュテファンは僅かに苦笑して一度言葉を切った

「だがこれもいい経験だ、とにかく三か月間全力でやってくるのだな」

「了解しました。吉報をお待ちください」

シュテファンの言葉に、エンゲルベルトは以前よりも頼もしげに見える敬礼で返した。そしてその夜、彼は珍しく深酒をしてマリー・フランツィスカを驚かせた。

 


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