ある伯爵家子弟の評伝   作:金柑堂

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帰省

 

帝国歴四六二年も終わりを迎え、新年が開けようとしていた。帝国軍幼年学校と士官学校では同年十二月二三日から年末年始の休暇に入り、学生たちは寮から実家への帰省が許された。だが、実家との折り合いが悪いなどの理由で、規制せずに年末年始をそのまま寮ですごすものもいた。エンゲルベルトは幼年学校の寮から伯爵家に戻り、学業での疲れを癒しつつ、シュテファンの付き添いで外回りなどをしていた。

 

結果として、帝国軍退役少将シュテファン・フォン・リスナー伯爵に侍従武官就任の辞令は下りなかった。リスナー伯爵はそれに胸をそっと撫でおろし、妻と義父、息子の前で安堵した表情を見せた。渦中の人物であった伯爵からしてみれば、今回の噂は最初から不思議としか思えなかった。リスナー伯爵はこの騒動に関してどのような意味でも運動をせず、坐して結果を待つ姿勢を取っていた。義父のザイドリッツ子爵や、グリンメルスハウゼン子爵、シュタイエルマルク子爵などの親しく信頼できる人物たちにその旨は伝えていた。

 

行動の判断材料として人事局の人事記録などを調べてみると、銀河帝国の最高権力者たる皇帝に限らず皇太子や皇女を始めとした各皇族に付き従う、広義の意味での侍従武官でも、一度退役した人間が侍従武官となる例はなく、全て現役もしくは予備役の士官から任命されていた。事が宮廷にかかわる武官の人事であるためある程度、というよりは一定以上の先例主義は仕方がないことだと、貴族社会に長く身を置くリスナー伯爵自身も理解している。だからこそ彼はこの噂を最初に聞いたとき、それなりに性質の悪い冗談としか思えなかった。

リスナー伯爵家は、過去二十四人の侍従武官を輩出している。その中でももっとも著名なのが、四代皇帝カスパー一世の時代に、帝国軍大佐として珍しく皇帝付侍従武官と近衛師団第一旅団第二連隊長の二職を兼務していた四代目当主フランク・クサーヴァー・フォン・リスナーである。

 

後世に編纂された銀河帝国ゴールデンバウム王朝史に残るように、四代皇帝カスパーは皮肉にも王朝の開祖、大帝ルドルフ・フォン・ゴ-ルデンバウムがかつて社会の害悪として排除迫害した同性愛者で、去勢して声帯の成長を妨げ、変声期をなくしてボーイ・ソプラノを保ったカストラートの合唱団を寵愛していた。

彼の先代の“灰色の皇帝”オトフリート一世の治世下から、“準皇帝陛下”と取り巻きから呼ばれていたエックハルト伯爵が専横をふるって実質的な帝国の最高権力者となっていた。彼はオトフリート一世の政務秘書官を務めて枢密院顧問官、御前会議書記などの要職を歴任し、さらには自分の娘エミーリアをカスパーに嫁がせて外戚となろうとしたが、前述したようにカスパーは同性愛者であったためにこれは空振りに終わる。

彼はそれに業を煮やし、カスパーが最も寵愛するカストラート合唱団のフロリアン少年を暗殺しようと試みた。そのような行動に出ようとしたエックハルト伯爵に対しカスパーの勅命を受けて、直属の近衛師団第八小隊を率いて彼とその側近、兵士たちを野イバラの間にて誅殺したのがフランク・クサーヴァーであった。帝国歴一二四年のことである。

この騒動の後、カスパー一世は黒真珠の間の玉座の上に退位宣言書と当分の生活には事欠かない程度の価値を持った、幾ばくかの宝石・貴金属類を持って、フロリアン少年と駆け落ちして行方不明となった。彼の在位は僅か一年であり、即位後僅か三か月で暗殺された百日帝グスタフに次いでゴールデンバウム王朝の中では二番目に短い在位期間である。

 

 

リスナー伯爵家は、この騒動までは男爵の爵位であったが、カスパーの叔父であるユリウス一世が七六歳で即位すると、皇太子であるフランツ・オットーの推薦によって伯爵へと爵位の昇進が武勲として与えられた。またこの三年後にフランツ・オットーの末娘アマーリエが、フランク・クサーヴァーの息子であるオスカーのもとに降嫁した。そのため、エックハルト伯爵の暗殺には、実行犯のフランク・クサーヴァーの背後にフランツ・オットー皇太子が存在していたのではないかとの噂が当時まことしやかに囁かれた。

 

この騒動以後リスナー伯爵家は皇族からの信頼を厚く受けるようになり、リヒャルト一世、カスパー一世、オットー・ハインツ一世、エーリッヒ二世、マクシミリアン・ヨーゼフ二世、レオンハルト二世、オトフリート三世と七人の皇帝の侍従武官を輩出し、皇后や皇太子の侍従武官を七名、皇女や皇子を始めとしたその他皇族の侍従武官を十名輩出して宮廷武官における確固たる権威と歴史を作り上げてきた。シュテファン・フォン・リスナーの妻であるマリー・フランツェスカを含めて計六回、皇族もしくは帝室の血縁者と婚姻関係を結んでいる。

 

エンゲルベルトが幼年学校で受けた言いがかりの数々も、発言者たちがリスナー伯爵の侍従武官就任をほぼ確実と見た故のものであったと考えられる。予想が外れるとなると、妬みが嫌味へとかたちを変えて彼に向けられることもあったが、リスナー伯爵家が今回の騒動では一貫して静観を決め込んでいたために、ある種の往生際の悪さが目立った。

 

エンゲルベルトが実家の伯爵家に帰省してすることとすれば、毎度毎度の外回りの同伴や園遊会への出席、冬季中の課題や積み重なっていた書籍の消化、肉体の状態維持が主で、それなりに暇をもてあます場面があった。

実家に帰ってきてまずやったことといえば、シュテファンに面会して、幼年学校での交友関係や今回の出来事に対する反応などの報告だった。

 

帰省した翌日、エンゲルベルトはシュテファンの部屋に呼ばれ、幼年学校での一連の自体の反応を報告した。一通りの報告を終えると、シュテファンは眉間を揉み、わずかにため息をこぼした。

 

「なるほど、コルプト子爵などの家の子息が絡んできたか。どこもブラウンシュヴァイク公爵やリッテンハイム侯爵の門閥に近い家だな。どう見るね、おまえは」

「大方彼ら単独の行動かと。名門閥族の宗家として、皇女殿下の降嫁のお話も出る両家としては、陛下の御不興を買いたくない時期と思いますが」

「そうだろうな。門閥の主家が、幼年学校にいるおまえへの対応に一々口を出すはずがない。面倒をかける」

「いえ、彼らは皆私の上級生です。それと、他の門閥の子弟と士官学校で会う可能性もあるのです。慣れる機会と受け取らせていただきます」

息子の返答に、シュテファンは少し笑みを零した。幼年学校に行っても可愛げのないところは変わらないか。

「ふむ、そうだな。幼年学校での付き合いは士官学校を抜いてもそれなりに長く続く。大事にしておけ」

「かしこまりました」

「それにしても、おまえのひとつ上の学年にゾンネンフェルス伯爵とブルッフ男爵の子息がいたとはな。少し調べが足りなかったか」

「ああ、クリストフどのとエミールどのですね。お二人とは、十一月の合同授業の際に班を組ませていただきまして、べックともどもお世話になっております」

「何はともあれ、頼れる上級生と誼を通じるのはよいことだ。特に、ゾンネンフェルス伯の子弟は血縁で言えばおまえの遠縁の親戚にあたる。交友を深めておいて損はあるまい」

 

エンゲルベルトとベックの一年上の先輩、クリストフ・フォン・ゾンネンフェルスはゾンネンフェルス伯爵家の次男で、シュテファンの言ったように、エンゲルベルトと彼は血縁上親戚になる。両家の間で婚姻が交わされたことはないのだが、これにはある理由があった。

 

何度も記すように、エンゲルベルト・クサーヴァー・フォン・リスナーの母、マリー・フランツィスカは強精帝オトフリート四世の傍系の孫である。オトフリート四世の庶出子は、確認されているだけでも六二四がおり、成人した三八八人が当時の帝国の主だった貴族になんらかのかたちで婚姻を結び、多額の礼金と結納金で貴族財政を思わぬかたちで圧迫した。

帝国軍元帥エドマント・フォン・ゾンネンフェルス伯爵は自由惑星同盟との戦いで勇敢に戦い、幾度か目に見えた武勲を挙げて皇帝からの信頼も厚く、軍の要職についていた。武勲に恵まれた彼だが、結婚運には恵まれなかった。彼は妻を三度にわたって亡くしたが、その再婚相手はすべて皇帝の庶子であった。度重なる婚姻による財政の圧迫、皇族の妻への心労、そして妻たちとの度重なる死別。そして、その結婚運の悪さに導かれるようにして、彼は四十代半ばでこの世を去った。彼とは親友であり戦友であった帝国軍中将ブルッフ男爵は、彼の死を評した際の有名な舌禍で、軍を追われることとなった。

そのように結婚運に恵まれなかったゾンネンフェルス伯爵だが、唯一の救いといってもいい存在は彼の子供たちだった。エドマントは四人の妻たちとの間に一男二女をもうけたが、幸いにも腹違いのこの子供たちは確執を抱くことは少なく、伯爵家の分裂というある種想定された悲劇は起きなかった。

 

こうして、帝国の貴族界にはある種奇妙な、広大な規模を持つ血縁関係が生じているのであった。

 

「合同授業の班の継続性は強いと聞いておりますので、これからも幾度となく彼らと会う機会はあるでしょう」

息子の言葉に父は軽く頷いた。

それから少しして、使用人が二人分のコーヒーを運んできた。シュテファンは濃いめのコーヒーを好んでいる。彼はコーヒー党であるが、砂糖などはその時の気分で入れたり入れなかったりと、特に拘りのある人物ではなかった。

伯爵家には、来客などの用途のために多くのコーヒーや茶類が用意されている。エンゲルベルトはその中で育ったが、特に好んだのはシロン星産の上質なダージリンか、ウヴァなどの紅茶であった。だが、コーヒーも父ほどではないが好いている。故に、こうして父と机を共にするときは、同じものを飲むようにしていた。

 

「幼年学校のコーヒーはどうだ、不味いか」

使用人が去り、二人きりになると、シュテファンはそう聞いた。少し口元が緩んでいる。

「はっきり言って、微妙といったところでしょうか。貴族の子弟も通うために、最低限の質的努力はしているようですが、国家運営の学校であれば致し方ないことは父上もご存じではありませんか」

「おまえの味覚が劣化していないか聞きたかったのだよ。伯爵家の嫡男である以上、軍務の最中ならともかく、軍用のコーヒーを美味い美味いと思いながら、がぶがぶ飲まれては困るのだ」

「家に帰ってから聞かないでいただきたいですな、父上、困ります」

少し表情を険しくして、エンゲルベルトは返した。その反応を見て、シュテファンははっきりと笑みを浮かべた。

「なに、向こうで聞いても結果は変わらんだろうよ」

シュテファンの笑みに、エンゲルベルトはさらに表情を険しくした。

 

 

その後エンゲルベルトは一月九日までリスナー伯爵家に滞在し、翌日の朝に幼年学校の寮へと戻っていった。


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