ある伯爵家子弟の評伝   作:金柑堂

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子爵邸訪問

エンゲルベルトは帝国軍幼年学校に入学する一年ほど前から、父シュテファン・フォン・リスナー伯爵に連れそって、多くの退役軍人の邸宅を訪れていた。

 

シュテファン・フォン・リスナー帝国軍退役少将の最終職務は帝国軍後方統括本部第一局第一課課長というものであったが、彼は帝国歴四四二年のパランティア星域会戦において、当時ハウザー・フォン・シュタイエルマルク大将が艦隊司令官を務めた帝国軍第七宇宙艦隊の後方主任参謀の准将として艦隊旗艦ヴァナディースに乗艦し参戦したという経歴を持っている。彼の上官が上級大将へと昇進し、軍務省次官に栄転するのとほぼ同じ時に彼も少将に昇進し最後の職務に異動となった。

 

この第七宇宙艦隊での経歴により、エンゲルベルトが引き合わされた退役軍人の3割ほどはバウムガルトナー退役中将やスウィトナー退役大佐などの第七艦隊の首脳陣だった。無論その中には元帝国軍第七艦隊司令官、帝国軍退役上級大将ハウザー・フォン・シュタイエルマルク子爵も含まれていた。帝国歴四六二年一〇月一五日、エンゲルベルトとシュテファンはオーディンにある彼の邸宅を訪れていた。シュテファン・フォン・リスナー伯爵の皇帝付侍従武官就任の噂が流れて始めてから一月ほど後のことだった。

 

「お久しぶりです、シュタイエルマルク子爵どの」

「これはリスナー伯爵、態々の御訪問痛み入る。閣下の御子息も大きくなられましたな」

「お久しぶりであります、子爵閣下。現在帝国軍幼年学校に籍を置いております」

「そうか、若きうちに勉学に励まれよ」

「全力を尽くします」

冒頭にはこのような体裁を整えるための形式的な会話が行われ、訪問者は子爵の勧めでソファーに腰を下ろした。

 

「少将、卿の息子は随分と敬礼が様になったな。奥方やザイドリッツ子爵殿も変わりないか」

「御心遣い痛み入ります。閣下も御壮健でなによりです」

「だが老い先短い身で後継ぎもない。執事のクラウスと慎ましく暮らしていくし、多少は長生きをして見せるつもりだ」

 

ハウザー・フォン・シュタイエルマルク子爵は独身を貫いていた。帝国軍きっての名将であり養子に家名を託すという選択もあったのだが、彼はそれを望まなかった。彼はもともと伯爵家の三男で分家の男爵家を継ぎ、軍に入隊した。自由惑星同盟軍との数々の戦闘で武勲を挙げて今の地位まで至ったが、生家の伯爵家の遺産を巡った骨肉の争いなどを経験し、最後の遠征となったパランティア星域会戦の軍功に対する褒美として子爵へと昇級するも、それに伴った養子縁組願いの急増などに嫌気がさし、六〇歳で早々と引退して隠居生活を送っていた。第二次ティアマト会戦が終結した折、敵将たる自由惑星同盟軍宇宙艦隊司令長官ブルース・アッシュビー大将の戦死に対して実名を堂々と公表して弔電を送り軍上層部の忌避を買ったことで、華々しい功績にも関わらず元帥に昇進することなく軍務次官、上級大将で退役となった。そこが部下であった伯爵にとっては残念でならなかった。

 

「せめて養子にもらうなら、卿の息子のような男子が欲しかったな」

「これは御冗談を。父親の小官が言うのもなんですが、さして面白味のない息子ですぞ」

「だが軍人の、武門の息子としてはそれなりに様になっているではないか。それだけで十分なのだ」

エンゲルベルトはこの会話の間、出されたコーヒーを飲みながらやや憮然としていた。シュタイエルマルクが、蚊帳の外にあったもう一人の訪問者に目線を向けた。

「その表情も様になっているが、もう少し表情を抑えないと腹芸はできんぞ。エンゲルベルト」

「精進します。この次はより平然とした顔でお聞きいたします。子爵閣下」

「まぁ、このように可愛げがない愚息でしてな、閣下」

「だが面白味はあろう、少将。じつにからかい甲斐がある」

シュタイエルマルク邸に来るたびに、自分の父親とその元上官たる子爵はこのような悪辣な会話を本人の前でして見せるのだ。この邸宅を初めて訪れた頃こそ、エンゲルベルトは口実をつけて席を立ちたくなったが、最近はこの会話による恩恵を受けている身だった。

幼年学校ではあの噂が流れて以来、いちゃもんに限らず陰日向なく、公然と罵倒してくる手合いもいた。中には徒党を組む者もいれば、単独で来る者もいた。だがその全てにエンゲルベルトは平然と返した。目の前で平然と繰り広げられる意地の悪い会話よりは遥かにましに思えたからだった。無論、手や足を出したくなる時も幾度かあった。

 

このような会話をしていても、シュタイエルマルク子爵の表情は傍目からすれば苦々しいままだった。第二次ティアマト会戦が始まる前、彼は会戦に先立って病死した軍務尚書ケルトリング元帥の甥にあたるウィルヘルム・フォン・ミュッケンベルガー中将の訓示を「あれではまるで私戦を煽動するようなものではないか。アッシュビーとやらいう賊将ひとりを斃してそれでよしとするのでは、帝国軍の鼎の軽重を問われることになるぞ」と嘆いた経歴がある。彼は皮肉屋ではなかったが、冷徹で気難しい性格の要素が多分にあった。

 

長年、そんな上官に後方士官として仕えてきたリスナー伯爵としては表情を変えずに、隣でコーヒーを啜っている自分の息子をからかっている子爵の姿こそ新鮮だった。やはり、半ば世捨て人となった子爵でも、孫ほど年の離れた子供と戯れているときは楽しいと見えた。息子を連れてくるたびに、よかったと彼は内心思うのであった。

 

だが一方で、軍の元重鎮からからかわれて平然とできるようになった息子のことも心配だった。腹芸や忍耐の訓練にはなるだろう、だが後継ぎである以上いずれエンゲルベルトは妻を迎えねばならない。できれば若いうちの方が望ましい。あの社交界披露以来、なんども園遊会や祝賀会には連れて行っているのだが、其の手の話がまるで届いてこない。せいぜい続けて話しているのがヘルダーリン伯爵家のエレオノーレ・フォン・ヘルダーリン嬢ぐらいのものだった。新無憂宮でダンスを踊ったのが縁だったのだが、二人の関係に関して浮ついた話も届いてこない。むしろ、あの二人が互いを嫌いあっていて、会うごとに角を突き合わせているという噂が飛んでくる始末だった。この話を聞いたとき、伯爵は頭が痛くなった。

「軽口や皮肉の言い合いは、良い挨拶代りですな。この間は貴方に殿方としての魅力を感じません、などと言われました」

この噂について問いただされたエンゲルベルトは平然とこう答えた。

今度義父上とマリーに相談でもしてみようか、と伯爵は本気で考え始めた。

 

「だがそんな険しい顔では、おまえは当分妻を迎えられそうにはないな、エンゲルベルト」

「御心配なく、子爵閣下。幸いにも軽口と多少の嫌味と皮肉を言い合う相手はおりますので」

「ほう。それは男か、それとも女か」

「どちらにもです」

それを聞いて子爵は僅かに口角を上げた。自分の息子と話す時の義父の姿とは対照的だったが、上官のこのような姿を見られるのも感慨深いものがあった。

「公私にかかわらずそのような相手がいるのはいいことだ。年をとれば必ず愚痴を零したくなる、真剣に聞いてくれる人間もいいが、それを皮肉や軽口で受け流したりしてくれる人間もまたありがたい。その関係を大事にせよ、特に女のほうはな」

「はい、善処します」

エンゲルベルトは、少しだけ言いよどんだ。それに伯爵が少し驚いたような目線を向けた。

「どうした少将、卿の息子の交友関係で思うところでもあるのか」

「いえ学友ならともかく、令嬢と皮肉や軽口を言い合うとなると、妻の反応が気がかりでして」

伯爵はため息をつくように言った。

「意外だな。卿は奥方、マリー殿とは昔は口喧嘩をよくしていたというが?結婚する前も、した後も」

「口喧嘩で済ましてよかったのでしょうかな。とにかく、あれは義母上同様にかなり気の強い女でして。エンゲルベルトが生まれて少しは丸くなりましたが、今でも些か持て余しております」

エンゲルベルトも両親が口喧嘩をするのを目にしたことも、耳にしたこともある。大方の発端というか内容は、終わってみれば些細でくだらない事だった。

「だが、卿もそのおかげで気が引き締まるだろう?」

「ええ、なるべく怒らせて敵にしたくはありませんな」

「それは結構」

肩をすくめた元部下を見ながら、シュタイエルマルクはコーヒーを啜った。表情には少し微笑みの影があった。カップを置くと、子爵は手を組んだ。

 

「ところで少将、卿の名前が新たな陛下御付きの侍従武官の候補として挙がっているという噂が聞こえているが、事実か?」

「はい。調べましたところ、小官の名前が数名の候補の中に挙がっていることは事実のようでございます。ですが、そこから先はつかめておりません」

「それで卿はどう思っているのだ、少将。他のものが内定すれば必要はないのだが、もし卿に決まれば慣例により新無憂宮より使者が来て、辞令を言い渡すだろう。それを承諾するのか否か。考えを決めておくべきではないのか?」

かつての上官の言葉に、伯爵は少し俯きながら答え始めた。

「私は伯爵家の当主で退役少将です。僭越ながら、皇帝陛下の侍従武官となる資格は十分にありましょう。ですが、叶うならばお断り申し上げようと思っております」

「それは何故か」

「閣下もご存じのように、私は伯爵家継承のために退役した身です。侍従武官に就任するためにはまず軍務省で手続きを経て現役へと復帰しなければなりません。既に一線を退いたものを復帰させて侍従武官に充てては、その職務を望んで暗闘、政争を始める者が出るでしょう。そうなれば、陛下にお仕えする身でありながら、畏れ多くも陛下の宸襟を騒がせ奉ることになってしまいます。それは小官の欲するところではありません」

伯爵は、何かにおびえるような様子で言った。

 

「卿の本心、確かに聴きとめた。ならばあとは祈るのみであるな、少将」

「御心遣いありがとうございます、痛み入ります、閣下」

「それで、この件に関して卿の義父殿、ザイドリッツ子爵やグリンメルスハウゼン子爵に相談はされたのか。あの方々は宮廷のことに関しては詳しい。頼ってみてはどうだろうか」

「ご迷惑をおかけするのが憚られますが、近々助言を頂こうと思っております」

「そうか」

伯爵の言葉に子爵は頷いて、コーヒーを口に運んだ。

「それにしても、相変わらず卿は小心者だ。そこは変わっておらんな、少将」

「面目次第もございません、閣下」

「いや、私は褒めているのだ」

すぐに頭を下げようとする元部下を手で制し、シュタイエルマルクは続けた。

 

「一つの人事でここまで気を回すのは辛いことだが、艦隊に必要な物資を預かる後方参謀にはそのような細やかな考え方が必要だ、剛毅であってはならん。確かに我々将帥や士官は戦場で兵卒と下士官を率いる身であるから、内心で恐れていてもそれを顔に出してはいかん。ならば勇気を友として彼らを率いるべきである。だが、卿は今後も宮廷に身を置くことになる。ならば今度は、恐れを友とすべきであろう。卿の大事なものを守るために。そのような考えの切り替え方は私にはできんよ。それができる卿を褒めておるのだ」

「有難うございます、閣下」

目の前で目頭の熱さを感じている元部下を見つつ、その隣の少年に子爵は未だ衰えぬ鋭い視線を投げかけた。それを受けて、エンゲルベルトは背筋を伸ばした。今の言葉をよく覚えておけ、お前が将来触れる世界はこういうものだ、ということのようだ。

 

「何時か艦隊の首脳部を集めて小さな宴会でもしてみるかね、少将?」

「それは結構なことですなぁ、閣下」

伯爵の顔に笑顔が戻った。このような善良で家族思いの父を持てるのを、エンゲルベルトは誇りに思っていた。

 

それから一時間後、リスナー伯爵父子はシュタイエルマルク邸を辞した。

この後もエンゲルベルトはこの老子爵にからかわれながらも、もう一人の祖父のように敬愛し、後に彼が老衰と肺炎でこの世を去るまで何度もこの邸宅に足を運んだ。それは、この時のように父と一緒の時もあれば、一人の時もあった。彼の葬儀の時は、シュテファンと同じかそれ以上に悲しんだ。

 

 


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