ある伯爵家子弟の評伝   作:金柑堂

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幼年学校入学

オーディンの銀河帝国軍幼年学校は十歳から十五歳までの五年間に、入学者に基礎体力や射撃、白兵戦技、操縦、礼儀作法などといった帝国軍人としての基礎を教え込む場所である。また、十歳から十五歳というその年齢に応じた、帝国史等の普通教育も行う方針となっている。ここを卒業した者は准尉として任官して軍務に就くか、士官学校に入学するかの二つの選択肢が存在する。学費は銀河帝国の国費で賄われているために無料であるが、卒業後任官を拒否して軍に在籍しなかったり、中途退学したりすると学費全額返還という規則が存在する。

 

エンゲルベルト・クサーヴァー・フォン・リスナーも、帝国歴四六二年の七月に其の門を叩いた。幼年学校に在籍中は上等兵待遇の軍属扱いが決まっていて、在学期間中は親元を離れて幼年学校の寮に住むこととなり、休日と祝日に外出許可が得られるシステムとなっている。だが、貴族の子弟が多く通うということもあってか、申請書類を提出しておけば、平日でも社交界などの用事に出席ができるというある種の“抜け穴”も存在していた。

 

当初、この幼年学校は士官学校同様貴族に対してのみ門が開かれていたが、ダゴン星域会戦を皮切りとした自由惑星同盟との慢性的、長期的な恒星間戦争により、貴族のみならず平民階級からの人材登用を計り、貴族の人的被害と軍全体の士官の数を補充するために、士官学校と並列して段階的に門が開かれていった。一律として全員に入学試験が課されるも。そこは軍高官や高級貴族の口利きなどの縁故による部分もはっきりと存在していた。

エンゲルベルトは二月の伝達以来猛勉強を開始し、入学試験では全体の十五番という成績で入学を果たした。この結果には、伯爵家の人々は驚いたそうである。どうやら予想外であったようだ。

 

大講堂での入学式を終えたエンゲルベルトは、そのまま案内役の教官に従って寮へと向かった。伯爵家の嫡男ということもあって、彼の大柄な体格はやはり周囲から目立っていた。

幼年学校の寮は原則的に二人で一部屋を用いることになっているが、そこは入学者数が奇数である時などによって、その都度変化が生じてくる。エンゲルベルトが入室したのは二〇九号室で、同居人はフランク・ベックという、平民の中級商家の三男坊の少年だった。

 

エンゲルベルトは学籍番号が早かったので先に入室しており、ベックはそのあとで入ってきた。どこかひどく緊張した様子であり、肩肘を張って、表情を強張らせながら入ってきた。

 

「卿は?私の同居人か?」

大きく、張りのある声がベックの鼓膜に響いた。エンゲルベルトは部屋にある椅子に腰を下ろしていた。先ほど配布された支給品の整理の途中だった。

「二〇九号室に配属になりました、学籍番号A-三二三、フランク・ベックです」

ベックがそういうと、エンゲルベルトは立ち上がった。

「そうか。私はエンゲルベルト、エンゲルベルト・クサーヴァー・フォン・リスナーだ。学籍番号はA-三八。新入生同士、これからよろしく頼む、ベック」

「ああ、よろしく」

エンゲルベルトが握手を求めると、ベックは差し出された手に戸惑いながらも握り返した。

握手を終えてからテーブルに向かい合って座ると、躊躇いがちにベックが聞いてきた。

「君は、本当に新入生なんだよね、フォン・リスナー?」

「ああ、今年で十歳だが」

「僕も同い年だけど、君、いや、卿はもう二つぐらい年上に見えるよ」

ベックが正直にそういうと、言われた人間は少し表情を険しくし、顎に手を当てた。

「私は、そんなに老け顔だろうか」

思わずため息交じりに出た言葉に、ベックは慎みながらも笑顔を浮かべた。

「その仕草だけで、卿はもう少し年上に見えるよ!フォン・リスナー!」

憮然とした同居人を見て、今度は少し声に出してベックは笑い、それにつられてエンゲルベルトも苦笑した。

 

入学式から二日の間は簡易な説明会が行われ、三日目から授業が始まった。座学にはついていけたという生徒も、持久走などの実学で音を上げる生徒が早くも出ていた。エンゲルベルトとベックは、持久走では他の生徒たちを追い抜いて先頭に立って、先導する教官の真後ろにつけていた。

この数日間過ごしてわかったことだが、自分の同居人はそれなりに神経が図太く、図々しいところがある。入学初日は猫を被っていたようで、流石に商人の息子といったところだった。

そしてこの同居人は、好奇心が旺盛で、度々伯爵家での生活や教育などについて質問してきた。身上がりを切望しているわけではなく、上流貴族というこれまで触れることのできなかった世界であるために興味が湧いたようだった。

「卿もあまりつまらないというか、面白くないことを聞くものだ」

エンゲルベルトは、思わずため息交じりにこう言ったものだった。

 

帝国軍幼年学校での教育カリキュラムは前述したような実学と座学、そして中等、高等学校に相当する普通教育で構成されている。単位制ではなく全て年度毎に設定される時間割に基づいてのことだが、エンゲルベルトはその中で、文学や歴史学などの人文科学系統の科目に力を注いでいた。幼年学校入学前の伯爵家での教育ではあまり触れることのなかった分野であったため、エンゲルベルトの好奇心がむけられたようだった。そして、外出許可が設けられている休祝日も、実家からの呼び出しやベックをはじめとしたまだまだ遊び盛りの学友たちの外出の誘いがない限りは、幼年学校の図書館で読書や課題の整理に取り掛かるか、伯父のカールにいつ会っても大丈夫なような肉体を維持するための自主訓練に励んでいた。

「外出許可の出た日でも図書館か運動場にいるエンゲルベルトの方がよっぽど教官らしく見えた」

そんな彼の様子を間近で見ていた同居人のフランク・ベックは冗談交じりに学友たちに語った。

 

前述したように幼年学校には貴族の子弟が多く通う。無論、その中で成績や実家の対立などで不仲になったり、言いがかりをつけたり、つけられる生徒がいないわけでもない。エンゲルベルトも、それに巻き込まれようとしていた。

「お前がリスナー伯爵家の嫡男か」

「如何にも。私がエンゲルベルト・クサーヴァー・フォン・リスナーでありますが、先輩は?」

自分を呼びつけた相手の制服は、二年生のものだった。

「コルプト子爵家のアドルフ・フォン・コルプトだ。我が家名には聞き覚えがあろう」

「そうですか。して、コルプトどの。私に何用でありましょうか?いくら今が昼休みとはいえ、次に運動場での授業とその準備を控えております故、できれば手短にしていただきたいのですが」

この答えにコルプトは鼻白んだ。

「世間知らずめ、我が家がどこと縁戚を結ぼうとしているのがわからんのか」

「して、コルプトどの。それに関して私に何かご用でしょうか。貴方の家の縁談は貴方の家の事項であります、もしや我が伯爵家に何か関係がおありですかな?」

「ぐ、言わせておれば」

「コルプトどの。これ以上用件がなければ、私は失礼させていただく。では」

「おい、待て!」

 

このように、門閥貴族出身の子弟から言いがかりやいちゃもんをつけられることが、エンゲルベルトには度々あった。リスナー伯爵家の三人の兄弟はそれぞれの分野が異なるにせよ、宮廷にその職と地位を得ており、またこのころ皇帝フリードリヒ四世の新たな侍従武官の候補として帝国軍退役少将シュテファン・フォン・リスナー伯爵の名前が挙がっているとの噂があり、それが貴族たちの妬み嫉みを買っていたようだった。

この噂は紆余曲折を経てリスナー伯爵家のもとにも届いていたのだが、当の伯爵はそんな噂を気にした様子も運動する様子もなく、普通に宮中に出仕して園遊会などに出席していた。

 

「畏れ多くも皇帝陛下の侍従武官の候補に既に一線を引いたこの老骨の名前が挙がることだけで身に余る名誉であります。されど、全ては皇帝陛下がお決めになることなれば、私はただただ皇帝陛下の御裁断をお待ち申し上げるのみでございます」

園遊会の席で、意地悪く聞いてきた貴族に伯爵は毅然とこう返した。

リスナー伯爵としては退役軍人である自分が現役に復帰するよりも現役の士官から侍従武官を任命すべきだとの考えがあった。現に大公時代のフリードリヒ四世の侍従武官であったリヒャルト・フォン・グリンメルスハウゼン子爵は当時少佐・中佐という階級で皇帝の傍らにあった。自分がその前例を破ってはならないと伯爵は考えていた。

 

この噂が届いたころ、定期的な連絡ついでに伯爵は息子にこの件について尋ねた。

「おまえはどう思うのだ、エンゲルベルト」

「噂であり確証は持てませんので断言しづらいのですが、それ以前に退役から現役へと復帰し、皇族の方々を含めた広義での侍従武官への就任の前例が記録に存在するかどうかが問題ではありますまいか、父上。最近、幼年学校で門閥貴族出身の生徒たちから面倒ないちゃもんをつけられていることを見ると、どうも本当のように思えてきますが」

「ふむ、そうか」

「それよりカール叔父上からは何か連絡はありませんでしたか?式部武官のカール叔父上なら何かご存知かと思うのですが」

「いや、カールからはその件に関した連絡はない。職務上の守秘義務もあるし、侍従武官の就任式は軍の人事発表の後で行われるのが慣例であるから、命令や情報が下りてこない限りわからないだろう」

この父子は、噂の真偽の判断材料として式部武官カール・フォン・ザイドリッツからの情報を頼りにしていた。

「そうですか、では人事発表を待つしかありませんな」

「そうだな。それといちゃもんの件だが、マリーについては何か言われたか?」

少し、父の語気が強まった。この人事に関する噂の一因を考えているようだった。

「いえ、母上に関しては何も。傍系なれども母上はオトフリート四世陛下の孫にあたられますので、母上に関して言ってくる愚か者はおりませんでしょう」

「だが、義父上も義母上とご結婚される折、いろいろと意地悪く嫌味を言われたりしたのだぞ?」

「御爺様、あのザイドリッツ子爵にですか…」

エンゲルベルトはそのことを聞いて眉間に皺を寄せた。

 

エンゲルベルトの母方の祖父にあたるフリッツ・フォン・ザイドリッツ子爵は趣味同様性格も平凡な男であった。少々華奢な体つきで、多少のジョークを会話に交える程度の、根は真面目な男だった。皇族に取り入って権勢を得ようとするわけでもなく、ただ黙々と近衛師団士官として新無憂宮の東苑警護の職務を務めている男だった。これに目を付けたのがイザベルの母クリスティーネ・フォン・シュテーラー男爵夫人だった。彼女に娘を授けた皇帝は早くに腹上死して後ろ盾はなかった。自分の娘は庶子とはいえ皇帝の娘、野心ある貴族に嫁がせて政争や権勢の道具にさせるわけもいかず、自分と娘の住処の警護を黙々とやり自分たちに接するときも野心を見せず懇切丁寧な対応をする、この凡庸な大佐に自分の娘を託すことにした。結婚の前には子爵夫人から色々と質問をされ、愛娘の幸せを保証すると宣誓して初めて七歳年上の妻を持つことができたと、ザイドリッツ子爵は娘婿、義理の息子と孫たちに語った。

 

フリッツ・フォン・ザイドリッツ子爵は帝国歴四四五年に帝国軍を退役した。最後の職位は帝国軍中将、近衛兵第三師団長で二〇歳での近衛師団入隊以来四十五年間の軍務を終え、現在はオーディンの邸宅で義理の息子と孫、執事と使用人たちと隠居生活を送っている。ザイドリッツ子爵の要請により、カール・フォン・リスナーはザイドリッツ家の養子となっていた。五年前に妻に先立たれており、現在八十二歳である。

 

「今後もおまえにはいろいろといちゃもんや言いがかりが来るだろうが、あまり気にしすぎてはいかん。軍人は、士官は罵倒される職業だ。今はその一例の実体験とでも思っておけ。それとたまには義父上に会いに行くか、手紙を書いて差し上げろ。お喜びになるだろう」

「畏まりました」

「それと、今度お前を閣下の御屋敷に連れて行く」

その言葉に、エンゲルベルトの表情が強張った。

「誠にございますか」

「無論だ。そうでなければこんな嘘は言わん。日時は又連絡する。念のために申請の準備はしておけ。では、励めよ」

「了解しました。父上、母上もお元気で」

 

通信が切れた後、エンゲルベルトはため息をついた。今後会う予定のできる相手が、苦手だったからだ。

 

 


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