ある伯爵家子弟の評伝   作:金柑堂

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誕生と幼年期

彼は帝国歴四五二年の七月五日に、帝国貴族リスナー伯爵家の嫡男としてこの世に生を受けた。父の名はシュテファン、母の名はマリー・フランツィスカといった。

シュテファンは軍人として帝国軍宇宙艦隊に在籍していたが、父親である先代伯爵ロベルトの急病を受けて帝国軍を退役し、それから間もなくして父がかえらぬ人となると、彼は伯爵家を継いだ。シュテファンは長男であり、下に弟が二人いる。

母親のマリー・フランツィスカは、数えて三代前の皇帝、強精帝オトフリート四世の孫にあたる女性で彼女自身もツェルギーベル男爵夫人という爵位を叙爵されている。彼女の母親であるイザベルはオトフリート四世の庶子で、この孫の誕生から五年後の帝国歴四五七年の夏に老衰で亡くなっている。。待望の跡継ぎが生まれたのはいいのだが、シュテファンは嫡男の名前に迷った。

生まれてくる前にはいくつか有力な候補が上がっていたのだが、いざ生まれたわが子に対面するとなると、それらも宇宙のかなたに飛んで行ってしまうらしい。

病院のベッドの前で椅子に座り、一族の家系図や帝国軍人名鑑などを傍らに、腕を組み、うんうんと唸りながら一時間ほど考えて、彼はようやく結論を出した。

 

エンゲルベルト・クサーヴァー・フォン・リスナー。リスナー家初代当主エンゲルベルトと四代目当主フランツ・クサーヴァーをその由来としたものだった。

シュテファンはこれで家がにぎやかになると思ったのだが、その後拍子抜けした。

彼、エンゲルベルトは両親と親族の語るところによると、とてつもなく寝つきの良い子供であった。“赤ん坊の仕事は寝ること”などとはよく言ったものだが、エンゲルベルトはそれを体現したような子供であった。そして寝た分、よく食べた。だが夜泣きが少ないこともあって、彼らをかえって心配させた。

エンゲルベルトはその後すくすくと成長し、五歳となった。文字を認識できるようになってから、母親のマリー・フランツィスカより文字と、軽い文法を教わっていた。彼はその翌年、正式に叔父達に引き合わされた。

 

リスナー伯爵家先代当主ロベルトとその妻ヨハンナの間には三人の息子がいた。嫡男がエンゲルベルトの父のシュテファン、二男がカール、三男のアルツールである。二男のカールは、現在式部武官の一人として新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)に勤務している。末弟のアルツールは幼いころより音楽が好みで、またその才に溢れており、現在は宮廷お抱えのオーケストラの一員として、指揮者とヴァイオリンを始めとした弦楽器の奏者を務めている。彼ら三人は父ロベルトの勧めによってそれぞれの職務に就いたのでもなく、各々の適正と決断によるものであった。

 

六歳になると、エンゲルベルトには本格的に嫡男としての教育が始まった。だが、その内容はいくらか家庭環境に影響されている部分が多かった。

叔父のカールからは体力作りのための運動と発声練習、アルツールからはヴァイオリンをはじめとした楽器全般と音楽の知識を教え込まれた。この二人とも既婚者で、自分の家を継ぐ後継ぎもいるのだが、この甥には彼らの子供と同程度の熱心さで教え込んだ。

先ず成果が出たのはカールの教育で、式部武官に向いているかどうかは少々不明であったが、張りのある大きな声がでるようになり、普段の食生活と相まってしっかりとした体つきになり、体力もついた。その一方、アルツールによる教育は知識の面では成果を収めたが、実技の面では芳しくなかった。アルツールの評価によれば“形にはなっているのでそれなりに聞いていられるレベル”とのことである。

当主であるシュテファンと母親のマリー、そして伯爵家の家臣からは、帝国とリスナー伯爵家の歴史、それと帝国貴族に必要とされる諸作法や常識を教え込まれた。シュテファンは貴族の作法にとどまらず、帝国軍における作法やある程度の基本もエンゲルベルトに教え込んだ。それによりエンゲルベルトはある程度自分の進路を察した。親子の間で暗黙の了解のように理解されていることだった。

エンゲルベルトの貴族社交界御披露目は帝国歴四六二年の一月十日、彼が九歳のころであった。新無憂宮の黒真珠の間で開催された新年の祝賀会においてであり、そこで多くの貴族諸家も彼らの子弟の披露を行った。エンゲルベルトは両親とともに各方面への挨拶回りをし、そのあとは壁の花となって若い、食べ盛りの食欲を満たすことに専念していた。また彼はその宴会中ずっと仏頂面で、彼の両親を苦笑させた。

 

エンゲルベルトは、やがて始まったダンスの相手の誘いが来ないことにも動じなかった。その年に似つかない仏頂面で敬遠されていたのもあるが、彼はそんなものはどこ吹く風といった感じで音楽に耳を傾け、宮廷お抱えのオーケストラの光景を眺めていた。

「あの、ダンスの相手をしてもらえないでしょうか…」

すると、少し戸惑ったような声で、彼に後ろから声が掛けられた。振り向いたその先にいたのは、エンゲルベルトと同じぐらいの年の小柄な少女だった。彼女は艶のある長い黒髪を青いリボンで縛り、控えめだが品のある桃色のドレスを着ていた。誘いを受けた方は、このまま一回も踊らないのも対面が悪いと考えて、少女の手を取った。エンゲルベルトも少女も、貴族の備えるべき作法の一つとして、ダンスは教え込まれていた。公式の場で踊るのは初めてとあってエンゲルベルトは少々動きが固かったが、それは相手も同じことだった。

 

演奏が終わると、別れる前に少女に名前を問われた。エンゲルベルトの返しに少女はこう答えた。

「私はヘルダーリン伯爵家のエレオノーレと申します。以後お見知りおきを」

エンゲルベルトはそれに礼儀通りに返し、その場を離れた。

彼がこの宴会にて踊った相手はこの少女、エレオノーレ・フォン・ヘルダーリンだけであった。彼はその後声をかけてくる貴族たちと話しながら、やはり間を見つけては舌鼓を打っていた。彼の手記によれば、この新年祝賀会で彼が会話をした貴族の名前は、ヘルダーリン伯爵、フリーデベルト子爵、セレンドルフ男爵、ガープラー子爵、ヴェストパーレ男爵、マリーンドルフ伯爵、リヒテンラーデ侯爵と彼らの家族たちであった。そしてこの祝賀会には、この年で即位して六年になる皇帝フリードリヒ四世も出席していたが、母親のマリー・フランツィスカを見つけたため、後日、彼と皇帝は面会をしている。これは彼の手記にも、銀河帝国の記録にも残っているものである。

 

このフリードリヒ四世は、もともとなら帝位につく人物ではなかった。太公時代に放蕩の限りを尽くして、イゼルローン要塞建設の責任者であったセバスティアン・フォン・リューデッツ伯爵の賜死などで名高い吝嗇化の先帝オトフリート五世から勘当される寸前であった。四五二年の長兄リヒャルトの皇帝弑逆未遂の嫌疑による賜死から始まった一連の帝位継承をめぐった争いにより、帝位継承者が彼しかいなかったため、四五六年にゴールデンバウム王朝三十六代皇帝となったのである。その間、ロベルトが当主であったリスナー伯爵家はこれに深く関わることなく中立を保ち、シュテファンをはじめとした息子たちは各々の職務に精励していた。

 

マリー・フランツィスカの母、イザベル・フォン・ザイドリッツ子爵夫人は亡くなった時には八八歳と長寿で、太公時代のフリードリヒとも浅からぬ面識があった。マリー・フランツィスカも、母親に連れられて面会したことが幾度かあった。三代前の皇帝の庶子でとその娘という、準皇族ともいえるような立場であったためである。非常に温厚かつ読書と甘味、音楽鑑賞が趣味という至って平凡な女性であったこともその原因であるだろう。補足すると、彼の夫のフリッツ・フォン・ザイドリッツ子爵もまた、読書とゴルフ、飲酒と喫煙が趣味の同じような男だった。

 

祝賀会が終わると、エンゲルベルトは両親にしたがって新無憂宮を出た。

 

この祝賀会から六か月後、エンゲルベルトは十歳になると同時に、帝国軍幼年学校へと入学することとなった。この決定は二月にはエンゲルベルト本人に伝えられ、特に反対もなく受け入れられたが、入学までの間は両親と叔父達、そして家臣たちによる教育にさらに熱が入った。

 

 

 


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