─鮮血が舞った。銃を持った男が目を見開き倒れる。倒れた男は首がパックリと切り裂かれ、そこから血を吹き出していた。
男を切り裂いた
少女は刀を鞘に入れようとして─一人の男が死体の中から立ち上がり
「─?」
男の体は縦に斬られた。男にとって幸いだったのは、自分に何が起きたのか理解出来ずに死んだことだろう。痛みも恐怖も、感じる事はなかったのだから。
縦に別れた男の体が崩れ落ちたのを見届けた少女は、今度こそ刀を鞘に納めた。
「──!!」
そこに、少女の名前を呼ぶ声が聞こえた。少女が顔をそちらに向けると、数十人の兵士が駆け寄っている。その兵士達は全員、黒い装いをしていた。
「──?」
「──」
少女は何かを問いかけ、兵士の一人が答える。日本語、ではない。フランス語だ。
少女は男の言葉に安心したように息を吐いた。その様子から殺られた者がいるか聞いたのだろう。
「──!」
そしてリーダーと思わしき男の指示で少女達はどこかに歩いていく。和気藹々と笑顔で話し合う彼らの姿は、先程まで敵を殺していたとは思えない。
すると突然、少女が顔を上に向け
【────】
─パチリと、
壁に設置されている鏡に映る姿は、本来の自分と微妙に異なっている。顔と髪はそのままだが耳はエルフのようにとんがっており、服は黒いワンピースのみ。背中からは一組の翅が生えていた。靴も履いていないので大理石のタイルから冷気が直接伝わってくる。これに関しては、ここがVRの中で良かったというべきだろう。
(『まだ思い出さないか?』、と言ったのですかねぇ。あの
そしてキリハは先程見た夢を思い返す。正直、あの夢は小さい頃から見続けているので今回で何回目か分からない。ただ、昔に比べてあの夢を見る頻度が多くなっている事は確かだ。最初は半年に一回程度だったが、一ヶ月に一回、そしてSAOをクリアした今では二週間に一回の頻度で見るようになった。
夢の内容は、場所は違えど基本的には一緒だ。夢の中の
そもそも、何を思い出せば良いのか。生まれてこの方一度も日本を出たことが無いので、あの場所に見覚えは無い。ただ、何故だろうか。
─あの光景を懐かしいと思うのは─
「─今の表情が一番美しいよ、ティターニア」
そこに男の声が聞こえる。キリハが、この世で最も嫌悪している男の声だ。
「遠くを見ているような、その表情がね。出来ることならその表情のまま凍らせておきたいくらいだよ」
「…」
無言のままキリハは振り向く。
この檻には《世界樹》と呼ばれる巨樹の方向に、一箇所だけドアがある。そこに、その男はいた。
肩より下の金の長髪、上品な緑のコートと頭部に白い冠を被っている。顔はかなり整っているとキリハも思うが、中身があの男というだけで生理的に受け付けない。出来るなら半径5m以内に入らないで欲しい。不可能なのは分かっていてもそう思ってしまう。
男─
「いい加減、口をきいてくれても良いんじゃないかな?ティターニア」
まぁ確かに、そろそろ何故ここに閉じ込めたのか理由を知りたくなってきた所だ。そう思いながらキリハは喋り出す。
「…貴方と喋ることは何もありませんし、その名前はやめてくれませんか。須卿伸之さん」
まぁ、そう思ってることはおくびにも出さないが。
オベイロンはなんであれ、会話出来た事が嬉しいのか少し上機嫌に口を開く。
「興ざめだなぁ。やっと口をきいてくれて嬉しいけど僕は妖精王オベイロン、君は女王ティターニア。僕達は
「僕が貴方に捧げる事が出来るのは嫌悪感のみです」
「気の強い子だ」
言いながらオベイロンは肩をすくめ、まぁいいさとキリハの頬へ手を伸ばした。
「どうせ、君から僕を求めるようになる。それが早いか遅いかの違いでしかない」
「…ご冗談を」
顔を顰めて言うキリハに、オベイロンは喉の奥を鳴らして芝居がかかったように喋り出す。
曰く、脳の一部分に限定して照射している電子パルスの枷を取り払えば、脳の感覚処理以外の機能─思考、感情、記憶までも操作出来る可能性がある。だが、それには大量に人間の被験者が必要だ。人体実験に含まれる故においそれと実験を行こなう事は出来ず、研究は進まなかった。しかし─
「─ある日ニュースを見てたら、いるじゃないか!格好の研究素材が一万人もさ!!
茅場先輩は天才だが大馬鹿者だよ。たかがゲームを創造しただけで満足するなんてね。SAOサーバー自体に直接介入は出来なかったけど、プレーヤーが解放された瞬間にその一部を僕の世界に来るよう細工するのはそう難しくなかった」
そして三百人ものプレーヤーを手に入れたからこそ、たった二ヶ月で研究が大幅に進展したとオベイロンは締めくくった。
「そんなことを彰三さんが許す訳がありません」
「勿論、あのおじさんは何も知らない。研究は僕含めて極少数のチームで秘密裏に行っているからね。そうじゃなければ商品にならない」
「商品…ですって?」
「アメリカの某企業が涎を垂らして研究成果を待ってる。高値で売りつけるつもりさ。あぁ、君を商品にするつもりは無いよ。君は僕の伴侶にするからねぇ」
「…このクズが」
声を低くしてそう言うキリハに、オベイロンは鼻で笑って返す。
「そう言えるのも今のうちさ。どうせ君はここから出る事は出来ないし、助けが来る事は無い。
─
オベイロンがそう言うと、キリハは顔を俯かせる。その顔をオベイロンが覗き込もうとした時、不意に動きを止めて少し首を傾けた。左手でウィンドウを出し、「今行く」とだけ言ってウィンドウを閉じる。
「ま、そういうわけで君が僕に服従する日は近いという事が解ってくれたかな?本当は僕だって君の脳を弄りたくはないんだ。君だって嫌だろう?次に会う時はもう少し従順になっている事を願うよ、ティターニア」
そう言ってオベイロンは、キリハの髪をひと撫でして身を翻した。そのままドアへ歩いていく。オベイロンはドアの前で立ち止まり、もう一度キリハを目に映してから出ていった。ドアの開閉音が鳴り響き、静寂が訪れる。
しばらくキリハは微動だにしなかったが、オベイロンが完全に離れた事を確認すると顔を上げて口を開いた。
「だ、そうですよ?"昌彦"」
キリハ一人しかいない鳥籠。返事が返ってくるはずが無いなのに、男の声が返ってきた。
「─ふむ、概ね予想道りかな?実験の内容までは予想出来なかったが」
「非人道的な実験を行っているなんて、普通は予想しませんよ」
キリハが顔を少し上に向けると、そこにキリハが殺したはずの茅場昌彦が半透明となって浮いていた。
「君、後輩に悪口言われてましたが、それについて何かあります?」
「特に無いな。興味が無いとも言うか。赤の他人からどう思われていようとどうでも良いのだよ」
まぁそう言うだろうな、とキリハは予想していた。親しくない者から何を言われようとも心には響かない。自分の事を何も知らないくせに、と思ってしまうからだ。逆に言えば、親しい者の声は届くのだが。
さて、何故死んだはずの昌彦がここにいるのか説明しよう。
茅場昌彦という人物は間違いなく死亡した。しかし彼は自分が死亡する際に大出力のスキャニングを脳にかけることにより、記憶と人格をデジタル信号として遺す言葉を試みた。その際、脳が破壊され肉体的には死亡してしまったが、結果的に記憶と人格を遺す事に成功した。
簡単に言ってしまえばここにいる昌彦は、オリジナルに当たる"茅場昌彦"のクローンということだ。
昌彦がキリハの元に現れたのが二週間程前。彼曰く、本当ならもう少し後に覚醒すると予想していたのだが、
「覚醒して最初に聞いた声が、まさか『寂しい…』だとは思いもよらなかったがね。しかも君が言ったとは」
「うるさいです」
実はキリハ、昔から一人は平気だが孤独は苦手なのだ。というよりは、いつでも会える場所に親しい者がいない事が辛い。今回で言えばあの男のせいで大好きな家族に二ヶ月間会えていないのだ。一人の時に弱音を吐いてしまった。そのおかげで昌彦が覚醒出来たのだが。
それにしても、と昌彦が口を開いた。
「彼は桐ヶ谷家の事を一般人と
普通はコネを持っている時点で解るはずなんだが、と昌彦は続ける。
「そこまで頭は回りませんよ。自分が一番だと思っているのですから。
─でもまさか、カードキーを奪われた事にすら気付かないとは」
クスクスと嗤いながら、キリハは懐から黒いカードを取り出した。
「君の脱走は不可能と考えているからな。確認しに行くこともないのだろう」
「愚かですよねぇ」
手の平でカードを回しながら、キリハは嗤い続ける。
この檻のドアには十二のボタンがあり、それらを正しい順番で押せば開くようになっている。当然オベイロンは押しているボタンが分からないように遠近エフェクト─簡単にいえばモザイク─を使っている。しかしそれが働くのは直接見る場合に限り、他の物を介せば問題なく見ることが出来る─そう、例えば壁に設置されてある鏡とか。
これらを考え付き、実行したのは一週間程前だ。チャンスはいくらでもあった。キリハはオベイロンと話したくないが故に、常に鏡の側にいた。鏡を使いボタンの押す順番を盗み見ると、丁度丸一日は戻らないという事をご丁寧に教えてくれたので心置き無く脱走した、という訳だ。昌彦は不可視の状態にもなれるようだったので、その特性を利用して誰かに見つかりそうになったらすぐに教えて貰った。
そして見つけたのが、脳のホログラムが大量に映し出している部屋と、このカードキーがあった部屋だ。何か重要な物だとは分かったので拝借して部屋を出た。まぁ、その瞬間に彼の部下二人に見つかってしまったのだが。
部下がいることは分かっていたが、まさかナメクジみたいなアバターだとは思わなかった。それに固まっている間に触手で捕まってしまい檻に戻された、という訳だ。
「それで?どうする。少し前にも言ったが
しかし、キリハは首を横に振った。
「その時にも言いましたが、今はまだ使いません。ここまで粘ったんです。もう少し情報が無いか探ってみましょう」
それに、とキリハは笑みを口元に浮かべ続ける。
「一般人と侮っている
家族が迎えに来る事を微塵も疑っていないキリハに、昌彦は溜息をついた。家族を侮辱されてだいぶ怒っているようだ。
「わかった。君の指示に従おう。しかし、君が危険だと私が判断したら使わせてもらうよ」
「勿論。あの男に脳を弄られるのはゴメンですから」
─嗚呼、楽しみだ─
口元に手をあて、クスクスとキリハは嗤い続ける。あの男がどんな表情を見せてくれるのかを想像しながら。
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