市街地の人間たちは、既にパニックに襲われて我を無くしていた。
そこかしこで言い争い、時には暴力沙汰が引き起こされ、秩序は完全に崩壊していた。
都市システムも壊滅しており、バスやタクシー、一般車ですら多重事故を起こし、何かに衝突した車からは黒煙が上がっている。
計画通り。人間たちは私の術中にはまっていた。隣に居合わせた他者に敵意をむき出しにし、自らの欲求にのみ従って行動している。
人間たちは“心”を失ったのだ。
故障した車から降りてきた男性が、たまたま見つけた私に声をかける。
「なんなんだよ! 俺はこの後取引先とのアポイントがあるんだ。これじゃ間に合わないだろ!!」
私は彼に近づき、にこやかに話しかけた。
「それもこれも、貴方の周りを走っていた車、そしてその辺を歩いている歩行者のせいですね」
「そうだよな!! くそっ! どうすりゃいいんだよ……」
「簡単ですよ。彼らに責任を追求しなさい。全て彼らが悪いんです」
男性は周りの人間たちに、敵意むき出しの視線を飛ばした。
「そうだ……あいつらが全部悪いんだ!」
「あんな人間、私なら全て消し去ることができますよ」
「本気で言ってんのか?」
「私に、地球をくれると言うのなら」
「いいよ、別に! 地球でもなんでもくれてやる。それより車をよこせ!」
「……お前ごときに言われても、意味はありません」
私は男の頭に手を触れ、気絶させた。
つまらない問答だ。
早馴からはどうやっても引き出せなかった言葉――おそらくここにいる人間どもは平気で口にするだろう。それがどんなに愚かしいことか、何も気づかずに。
「人間たちよ、聞きなさい」
私の声に、周辺の人間たちが一斉にこちらを向いた。
「これは宇宙人の襲撃です」
「宇宙人!?」
「おいおい……GUYSは何してるんだ!」
彼らの動揺が、手に取るように分かる。
「彼らは何の役にも立ちません。しかし私には、この惨状を打開することができます」
人間たちは何かを期待するような目をしながら、徐々に私の周りに集まってきた。
「GUYSは既に崩壊しました。これからは新しい“誰か”がこの地球を守らなくてはならない」
「誰かって、誰なの!?」
怪我をした子供を抱えた女性が、涙を流しながら私に近寄ってくる。子供は頭から血を流しているが、大事ではない。
私は小型の治癒装置を使って、子供の怪我を治してやった。
「あ、ありがとうございます!」
「すげぇ、アンタ何者だ!?」
私を囲むようにして、人間たちは私の言葉を待っていた。その人数はざっと20人を超えようとしていた
信じるべき、愛すべきものを失った人間は、操るに容易い。
「私は、新たに人間を救う者」
「もしかして、ウルトラ――」
「いいえ、違います。光の戦士はもはや戦えない。彼らに代わり、私が地球を守ります」
「ソルは、もういないの……?」
先ほど怪我を治してやった子供が、今にも泣きそうな顔で私に尋ねた。
「そう。ソルはもう居ません。でも大丈夫」
子供の頭を撫でる。無垢な目が、私を刺すように見つめてくる。何かをすがるように、求めるように。
「私に地球をくれるなら、守って差し上げます。怖いもの全てから」
子供の表情が、明るくなる。弱々しくも温かい笑顔がそこにあった。
彼だけではない。周り立っていた大人たちも、まるで光明を見出したかのような、希望に溢れた表情を見せている。
彼らは見つけたのだ。信ずべき、いや“依存”すべき対象を。
「レオルトンさん!!」
その時私の名を呼んだのは、杏城だった。
「レオルトンさん?」
私は無言のままその場を離れ、近づいてきた杏城のもとへ歩いた。
「ニルくん、探したんだよ?」
後から早坂と樫尾、そして零洸が追い付いてきた。
「……早馴さんはどうしました?」
「やはりキミも知らなかったか……」
険しい表情の零洸がそう言った。
自らの正体が露呈するのを構わずに電車を止めた彼女。しかし何事もなかったかのように振る舞っている。
それを目にしたはずの樫尾も同様だった。
「実は、電車での騒動の直後から姿が見えないのです」
杏城によると、彼女ら4人は電車での騒ぎの後合流したが、どうしても早馴を見つけることはできなかったようだ。
「何か心配事があり、どこかに向かったのでしょう。それより――」
「おい、それよりって、何だ」
急に樫尾が、私の肩を強く掴んだ。
「……痛いですよ」
「愛美が心配じゃねェのか!?」
突然怒り出した樫尾を、早坂と零洸が止めようとする。しかし樫尾は私に対して、今まで見せたことが無かった形相で睨んでくる。
「ちょっと、その人に乱暴しないで!」
先ほどの母親が、樫尾の腕を掴んだ。
「そうだ! その人に何する気だ!」
私を信じ切った人間たちが、次々に樫尾に掴みかかる。
「お、おい――」
1人の男が、戸惑う樫尾の頬を殴りつけた。
「何しやがる!!」
樫尾もそれに応戦する。樫尾は男を一発で突き倒した。
「大丈夫ですか?」
私は、倒れた男に手を差し伸べる。
「待て、落ち着け――」
零洸が進み出て、樫尾を止めようとしたその時、私は叫んだ。
「――人間たち! 彼女こそ、この街を陥れた宇宙人です!! 共に戦い、この街を、人々を救いましょう!!」
その言葉を皮切りに、人間たちが一斉に零洸に襲いかかった。
「なっ!」
虚を突かれた零洸は、大人数の人間たちに押し倒される。
その隙に私は、ガルナ星人から奪っていた拘束具を使って零洸の動きを封じた。
「止めてください!」
早坂と樫尾が援護に入ろうとするが、複数の大人たちに阻まれている。その間に私は、零洸の持ち物を探るように、人間たちに命じた。
「この女、変な物を持っていました!」
1人の男が、零洸の上着のポケットからペン状の道具を見つけ出した。
「それは彼女の武器です。渡して下さい」
男からそれを受け取る。
「クリティムアを……!」
零洸が凄まじい怒気を込めて、私を見る。
「ようやく、奪うことができました」
「レオルトン、お前……!」
「常に警戒を怠らない貴女の自由を奪うには、人間を利用するしかないと考えていたのですよ。私の勝ちです、零洸さん――いやソル」
「レオルトン、てめェ!」
私の後ろで人間たちに押し倒され、身動きの取れない樫尾が叫ぶ。同様に捕まっている早坂と杏城は、驚きに満ちた顔をしていた。
「レオルトンさん! どうしてしまったのですか!? 様子がおかしいです!」
私は振り返らなかった。
「皆さん。彼らは全て、平和を乱す敵です。そちらで見張っていてください」
人間たちに3人を引き離してもらい、私は拘束された零洸と2人きりになった。
「レオルトン、人間たちに何をした!」
「……あれを見てください」
私はスマートフォンを操作した。
私と零洸の視線の先、上空に私の“円盤”が現れる。
「あそこから、人間たちの精神を乱す波長を流しています。彼らの“心”を壊しました」
「心を壊す、だと?」
「ええ。私はずっと、人間の“心”こそ、我々侵略者を打ち破る要因だったと考えていました。ではどうやって“心”を壊すか。答えはシンプルです。彼らの“愛情”を奪ったのです。とはいえ、本当に心からの愛を奪うことは難しい。だからせめて隣人に対する思いやりや気遣い、信用……つまり“上辺の愛情”を消してしまうことにしました。するとどうでしょう、人間は自分のことばかり考え、自分にとって都合の良いものだけを盲信し、都合の悪いものは否定する」
都合よく目の前に現れた“まがい物”の救世主は信じるに容易く、
都合よく目の前に現れない“本物”の救世主のことは信じるに値しない。
「これが、人間です。所詮同じ生き物ではない我々宇宙人など、人間にとって心の底から愛すべき対象にはなり得ません。彼らにとって“光の戦士”は、上辺でしか信用できないのですよ」
零洸の目が、大きく見開かれた。
「さようなら、ソル」
私は手駒になった人間を呼びつけ、零洸と樫尾達の監視を命じた。
「お前は、最初からこうするつもりで地球にやって来たのか! こうするつもりで私たちに近づき、騙していたのか!」
何も答えず、私はその場を後にした。
「答えろ、レオルトン!!」
零洸の叫びは、もはや私には聞こえないも同然だった。
―――その2に続く