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――それは2週間ほど前の出来事。
3日連続の作業が終わり、ようやく“装置”が完成した。早馴に対する実験の失敗を考慮したものである。
私はスマートフォンを操作し、その起動スイッチ画面を表示させた。
「……」
これを押すことは、すなわち私の地球侵略作戦を本格的に始動させることだ。
約5か月続けた人間観察から得た知識を総動員して作り上げた装置である。まず失敗するとは考えられない。
私は、もう何杯目か分からないコーヒーに口をつけながら、窓の外を見た。学園に通うため、何度も通った道が見える。宵の闇で殆ど見えないが、そこにどんな風景が広がっているかは容易に想像できた。
「……」
ピピピピ
「もしもし」
『うわっ! 出た!』
「もちろん出ますよ、早馴さん」
こんな夜中に珍しい。もう寝ている頃と思っていたが。
『ニル、今何してるの?』
「今は――」
私はさっとカレンダーに目を向け、
「紅白歌合戦を鑑賞しています」
と答えた。
『あ、暇してるのね』
「そうとも言えます」
『そしたら、さ……今から出てこれない?』
「今からですか? こんな夜中に何をするのです?」
『こんな夜中って、年越しだよ? 初詣に決まってんじゃん』
初詣…確か新しい1年の幸福を神にねだる行事だったな。
「そんな神聖な儀式に、私が一緒では無粋かと」
『神聖って大げさな』
「しかし、興味はあります」
『じゃあ行こうよ』
「分かりました。誘ってくださいまして、ありがとうございます」
『別に、お礼なんていいからっ。逢夜乃と未来がどうしてもって言うからだもん!』
電話の向こうから『愛美さん照れてますわねぇ』という声が聞こえた。
「すぐに向かいます」
神社に来て、私はすぐに後悔した。
まさかこれほどの群衆が大挙して現れるとは、夢にも思わなかった。もっと神聖というか、厳かな雰囲気だと勘違いしてしまった。
「ニルっ!」
「早馴さん」
「ごめんね、いきなり呼んじゃって」
てっきり私服姿と思っていたが、早馴はきらびやかな民族衣装に身を包んでいた。
「振袖、ですか。とても似合っています」
「でしょ~」
早馴はくるりと回って見せた。
が、石畳につまずいてバランスを崩す。
私は手を取り、彼女を支えた。
「危ないですよ」
「あ、ありがと……」
「ところで、他の方々は?」
「え、そこに――って、居ない!?」
「はぐれましたか」
「そうみたい……」
「この人混みの中で探しても仕方ありません。そのうち会えることに期待しましょう」
「そだね。あ、でも……2人きりだ」
「いけませんか?」
「ううん。別に、いい」
それから私たちは参拝の列に並んだ。しかしいつになっても前進しない。誰も彼も、どれだけ幸福を要求しているのやら。
「寒ぅ……」
冬の真夜中だ。いくら厚着しても寒くないはずはない。早馴は冷えた手を吐息で温めながら、震えている。
「早馴さん、私は寒さに我慢がなりません」
「同感。暖かい物、食べるか飲むかしたいね」
「あれは、どうですか?」
私はすぐ近くの簡易テントを指差した。
「甘酒?」
「頂いてきます」
「あ、うん」
私は一度列を抜け、2人分の甘酒を入手して戻ってきた。
実は以前から、人間のたしなむアルコールには関心があった。しかし未成年という身で法律に反して買うことははばかられたため、合法的に飲める機会を窺っていたのだ。
「ありがと。……うわぁぁ~あったかい」
早馴はかみしめるように甘酒を口にしていた。
私も一口。
……あまり旨くないな。
「ねぇ」
「はい」
「ニルは、この先どうするの?」
「この先というのは、進路のことですか?」
「……アメリカ、帰るの?」
「特に決めていません」
「……ふーん」
早馴はまた一口、甘酒を飲んだ。
「……ここに、いてよ」
「まだ帰りませんよ」
「そうじゃなくって……もう、ニルのばか」
早馴は頬を赤らめながら、何やら真剣にそう言った。
「もしかして、酔ってます?」
「違うもん」
そう言いつつ、彼女は眼を細めてふらふらし始めた。
「転びますよ」
「……じゃあ、掴まっても、いい?」
「……どうぞ」
彼女は無言で、私の腕に自分の腕を絡ませた。
私に触れる彼女の身体からは、ほんのりとした温かみが伝わってくる。
「……ニルがいなくなったら、つまんない」
「そんなに愉快ですか、私」
「うん。楽しい」
そう言って、彼女ははにかんだ。
「ニルと一緒にいると、楽しい」
彼女の赤い頬も、柔らかな笑顔も、熱を帯びた身体も――
全て私のものにしたいと、一瞬だけ、考えてしまった。
第35話「その日常を引き裂いて」
極悪宇宙人 テンペラー星人
地獄星人 ヒッポリト星人
暴君 マグマ星人
暗黒星人 ババルウ星人
登場
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―――――――そして現在。
アメリカを飛び立った飛行機の中で、私は何故か数週間前の出来事を不意に思い出していた。
2人席、隣には誰もいない席で、私は日本への帰路についていた。
最後のハドソン川クルーズは早急に打ち切られ、私たちはGUYSが手配した飛行機ですぐさま日本に帰された。あれほど強力な宇宙人に襲撃されたとなれば、さすがに修学旅行も中断にならざるを得ない。
クルーズを強行した学園理事長も実はババルウ星人に拘束されて入れ替わっていたにすぎず、誰も旅行中断を反対する者は居なかった。
『あと3時間で、日本、羽田空港に到着です』
そのアナウンスに、機内の学園生たちが静かにどよめいた。皆日本に――元の日常に戻りたいと願っているのだろう。
しかし、彼らの先に、そんな日常はもう来ない。
私はスマートフォンを操作し、沙流市に隠した“円盤”に搭載された“装置”を起動させた。
こうして“ニル=レオルトン”という人間としての生活は、終わりを告げたのだ。
私は地球の支配者となり、迫り来る宇宙人、そして光の戦士たちを抹殺する。
息の詰まるような狭い教室も、人間たちとのくだらない交流も、全てが終わったのだ。
空港への着陸、そして沙流市行の電車へ滞りなく進んだ。おそらく私たちが到着するころには、わが“装置”によって沙流市を中心に甚大なパニックが引き起こされているだろう。
「ニルくん、ニルくん?」
「……すみません、考え事をしていました」
車内で隣に座っている早坂に、何度か呼ばれていたようだ。
「あのさ、答えたくなかったらいいんだけど……愛美さんと何かあった?」
「何か、とは」
「ニルくんと愛美さん、よく話してるのに、昨日のクルーズの後から目も合わせてないみたいだし…」
「少し喧嘩をしただけですよ」
「そう、なの?」
早坂は、さも心配げに私と、少し離れた所に座っている早馴を見比べた。
「もう、彼女と話すことなどありませんから」
「ニルくん、それってどういう意味――」
「小林お前……先生に向かってその態度はなんだ!」
「うるせぇって言ってんだよ!」
同じ車両に乗っていた男子生徒と教師が、突如口論を始めた。
「小林さん! 乱暴はやめてください! 先生も落ち着いて!」
近くにいた杏城が割って入ったようだが、2人の口論はまるで収まらない。
「きゃぁっ!」
「逢夜乃!」
小林に突き飛ばされた杏城の身体を、早馴が受け止めていた。
「なんなのアンタたち。最低……!」
「愛美さん、わたくしは大丈夫です」
「大丈夫って……逢夜乃暴力振るわれたんだよ!?」
「でも――」
その時、強い揺れが車内を襲った。
立っていた乗客は、私を含めてもれなく倒れ、座っていた者ですら座席から投げ出されていた。
「な、何だァ?」
早坂の隣に座っていた樫尾が立ち上がり、辺りを見回した。
「樫尾さん、この電車すごい速さで走ってません……?」
「そうみてェだな、早坂」
悲鳴のような摩擦音を上げながら、電車は規定速度を大きく超えているようだった。
そのさなか、明らかに車掌と思しき人物が前方車両からやって来た。彼はいかにも怒っているという様子で、大股で歩いてくる。
「運転手さんよォ! この電車はどうなってるんだ!?」
「黙れくそガキ! もうこれ以上、こんな仕事やってられるか!」
樫尾に呼び止められた車掌は、帽子を投げ捨てて去って行った。
私の“装置”の効果が、予想以上に早く現れているようだ。電車事故を想定して加減していたつもりだったが、効果は個人差が大きいのかもしれない。
「まずいですよ、樫尾さん! この電車、加速したまま放置されたら……」
「くそっ! レオルトン、手伝ってくれ!!」
私と樫尾は車掌が来た方向に駈け出した。
去り際、事態を察した乗客たちから、悲鳴や怒号がこだましていた。
「この電車、止まらなかったらどうするんだよ!?」
「いやだ……死んじゃうじゃない!」
凄まじいパニックが乗客たちを支配していた。先ほど杏城を突き飛ばした男子生徒も、必死にガラス窓を叩いて「出してくれ」と騒いでいた。
「運転席だ!」
扉が開け放されていた運転席に入り、樫尾は計器やハンドルを睨み付けていた。
「ブレーキはどれだ?!」
「おそらく、このレバーです。しかし慎重に速度を下げないと、脱線の可能性も」
「やべェ……この先は終着――行き止まりだっ!!」
樫尾は前方に目をやった。
恐らく、あと1,2分で終着駅のホームに突入してしまう。
このままでは乗客のほとんどが大怪我か、あるいは死亡するだろう。
「そこをどけてくれ、2人とも」
予想通り、来たな。
「み、未来!」
私と樫尾の間に、零洸未来が割って入る。
「後ろを向いて伏せろ!」
言う通りにした瞬間、フロントガラスが割れた音が響いた。
私たちは立ち上がって振り向いた。
「おい…未来のやつ、どこ行ったんだ!?」
樫尾は狭い運転席内を何度も見回すが、零洸の姿はどこにもない。
「……樫尾さん、この場を離れましょう」
「何言ってんだァ! 電車を止めねェと――」
「零洸さんが止めてくれるでしょう」
「てめェ! 何ふざけてやがる!」
樫尾が思い切り、私の胸ぐらをつかむ。
「貴方は黙って見ていればいい」
「おいレオルトン……さっきからおかしいぜ。未来が消えたこと、驚きもしねェで…」
「もうすぐ分かります。私の言ったことが」
私は再び電車の進行方向に向いた。
既にホームが見えている。
そして、線路上に立ち、両手を前に出している零洸未来の姿も。
「未来ゥゥ!!!」
樫尾の絶叫と同時に、再び大きな揺れが起こる。
しかし今度は電車の速度が徐々に落ちて行った。私は樫尾を押しのけてブレーキレバーを一杯に倒した。
更に大きな摩擦音が響き渡る。かん高い金属音が耳をつんざく。
前方の零洸の姿が近づいてくる。
そして彼女の手が触れんばかりの位置で、電車は完全に停止した。
「と、止まった……」
驚き果てた樫尾をしり目に、私はドアの開閉スイッチを押してから後ろの車両に戻った。
乗客たちは逃げるように車両から飛び出した。
死の一歩手前というところまで近づいていた乗客たちには、歓声を上げる者、泣きじゃくる者、様々な種類の人間がいた。しかし共通していたのは、誰も彼も一目散に電車から出て行こうとしたことだった。皆目の前のホームに向かって駆け出した。
その間を縫うようにして抜けていき、私はその場をそっと離れて行った。
―――その2に続く