次の日、我々は朝早くホテルを出た。貸切バスはNYの街並みを抜けた後、ハドソン川のランチクルーズ乗り場にたどり着いた。私たちはバスから降り、小さな港で乗船を待っていた。周りは様々な人種の観光客で溢れていたが、我々の一行はあまり盛り上がってはいなかった。
「そりゃそうだ。昨日の今日で、こんなことするんだからな」
樫尾は危機感を帯びた表情で川の水面に目を向けていた。
「なぁ早坂、レオルトン。お前らはどう思う?」
「どう思うも何も、あまり乗り気ではないですよね……」
早坂は暗い表情で応えて、軽くため息をついた。
「ニル君もそうでしょう?」
「そうですね」
「まァ、俺らは俺らのやれることをやろうじゃねェか。何かあった時は、皆のことを守ってやろうぜ」
樫尾が拳をこちらに向ける。
何だか小恥ずかしいが、応じることにした。私の拳をそこに軽くぶつけると、樫尾は満足そうに笑って、早坂と共に自分たちの班の居る場所に戻って行った。
「ちょっと、何3人して変なことしてんの」
「早馴さん」
早馴は杏城と他のクラスメートと話しているのを止め、こちらにやって来た。
「もっと気軽に楽しんだら?」
彼女は無理に笑った。
「無理しなくていいですよ」
「……バレたか」
「すぐに分かりましたよ。そもそも、一番怖い思いをしたのは早馴さんでしょう」
「確かに。でも、昨日のことは何も覚えてないんだよ」
「怖い記憶なんですから、忘れられて良かったのでは?」
「そうかもね」
彼女は一度黙って、また口を開いた。
「いつも、ありがとう」
「え?」
「いつも、助けてもらってるから。ニルには」
「……どういたしまして」
「どうしたの? びっくりした顔して」
「そう、ですか?」
私は自分の頬に触れた。
「もしかして、私がお礼言うのが珍しいとか思ってない!?」
彼女は、私の頬をつまんで引っ張った。
「いひゃいですよ」
「あはは。間抜けな顔してる」
「しへまへん」
「はははは!!」
彼女の手から、頬が解放された。
私は彼女の笑い顔につられて、笑った。
「たまには、私だってニルの助けになりたいの」
「助け?」
「そう。そりゃ、誰かに襲われた時とかは頼りないかもしれないけど、これくらいはできる」
彼女は再び私の頬に触れ、頬肉を上げた。
「最近、笑うようになった」
「私がですか?」
「前は無表情ばっかりだった。見るもの見るものに『つまらない』って思ってそうな顔。なんか、めんどくさいやつかもなって思ってた」
随分な言われようだな……。
「でも、今はちょっとだけ違う」
彼女は、にっこりと笑った。
「笑ってる方が、好きだよ」
「……好き?」
「……ち、ちがうもん! ニヤニヤしてて気持ち悪いってこと!」
彼女は顔を真っ赤にした。
「まぁ、気持ち悪がられないように善処します」
「あっそ」
早馴は背を向けた。
「自然にしてれば、それでいいよ」
そして彼女はもう一度振り返る。
「私が、笑顔にするから」
彼女はそう言って、また杏城たちのところへ戻って行った。
「笑顔、か」
近くに停まっていた車のガラスに、自分の顔を映して見た。
私は、変わったのだろうか。
船内レストランは200人以上の生徒で混雑していたが、騒がしさは鳴りを潜めていた。
「昨日の今日じゃ、当たり前だよな」
「早く日本に帰りたい……」
「教師ども、どういうつもりだよ……」
楽しげな言葉の代わりに、憎らしさが込められた不平不満が相次いで生徒たちの口から洩れていた。
「ほらほら、生徒諸君。昨日のことは一旦忘れて、今日は楽しもうじゃないか」
遅れてレストランにやって来た学年主任の教員が、能天気に笑っていた。
「なんだか、無理してるって感じだな。あの先生らしくもないぜ」
隣に座る樫尾が、ため息を落とす。私たちのテーブルには樫尾、早坂、早馴、杏城、そして零洸が座っていた。空いた席には、本来草津が座るはずだったのだが、彼は昨夜の怪我で近くの病院に一時入院している。
生徒一人一人の座席が指定されているため、空いた席の前には『Mr.Kusatsu』と書かれた札が置いてあり、一層彼の不在を際立たせていた。
「まぁ、せっかくの料理ぐらいはちゃんと楽しみたいもんだけどな」
樫尾がそう言っているうちに、料理が次々と運ばれてきた。料理を前にしてか、若干場内の空気が和らいだ気がする。
その時、館内の音楽が変わった。
「えー、それでは皆さん。昨日は大変なことがありましたが、本日は修学旅行最終日であります」
旅行に同行していた教頭が、退屈そうな話を始めた。
私が何気なしに顔を上げると、正面の席に座っていた早馴と目が合った。
彼女は、だるいね、と言わんばかりに苦笑いをした。
「それでは皆さん、頂きましょう」
場内の生徒たちは、一斉に食事を始めた。私もそれに続く。
「美味しいですわね」
杏城はいつもよりも明るく努めようとしているのか、ぎこちない笑顔で、隣に座る零洸の方を向いた。
「そうだな」
彼女はそれに応えたが、表情は硬いままだ。
「こいつは……うめぇじゃねぇか!」
隣に座る樫尾は、乗船前の様子とはうって変わっていた。
「草津の野郎にも食べさせてやりたかったが――」
樫尾の言葉が切れた。
「樫尾さ――」
違和感を覚えた早坂も、言葉を失う。
2人とも、突然前のめりに倒れ、テーブルに突っ伏してしまった。
それは2人に限らなかった。レストラン内の全てのテーブルで同様の現状が起こり、頭を上げていたのは私と零洸、早馴だけだった。
「これは――」
「うっ!!」
早馴の隣に座る零洸が、身体を震わせて、苦しげにテーブルに手をついていた。
「え、ちょっと……未来!?」
「零洸さん、どうしました?」
「分からない……全身に痺れが……!」
「未来!」
「大丈夫、だ。それより」
零洸はゆっくりと立ち上がり、周りを見渡した。
「昨日もあんなことがあった。今日も、何かあるかも、しれない」
絞り出すようにそう言って、零洸は震えながら立ち上がった。
「とにかく、このまま襲われては不利です。外部に救援を求めましょう」
「携帯……電波がないよ!」
早馴が自分のスマートフォンを操作しながら、怯えた声で言った。
「船の操舵室には、もっと高性能な通信装置があるはずです」
「ならば……そこに、向かおう」
私と早馴が足元のおぼつかない零洸を支えながら、3人でレストランを出た。
船内通路に出たが、誰一人としてそこには居なかった。船員も敵の手に落ちたのだろう。
「……愛美、レオルトン。私のことを置いて、先に行ってくれ」
「そんなこと――」
早馴がそう口にした瞬間、前方の通路の壁がぶち破られ、粉塵の中から何かが現れた。
「ようやく見つけたぞ……ニル=レオルトン」
「テンペラー星人…!!」
零洸は早馴を庇うように、痺れる身体に鞭打って奴に向き合った。しかし、ウルトラ兄弟にも匹敵するテンペラー星人に対しては、あまりに頼りない。
それを分かって、テンペラー星人は余裕に満ちた様子で、ゆっくりと迫り来る。
「ニル=レオルトン。昨日は見つけられなかったが、今回はお前をいたぶらせてもらうぞ……!」
彼は私の方を睨んだ。
「何故追われているのか、見当がつきませんね」
そう言いながら、私は考えていた。テンペラー星人が現れたということは、ババルウ星人やヒッポリト星人がやって来る可能性は高い。
奴らが援軍として現れる前に、この場を切り抜けるしか――
その矢先、私の肩に、零洸が手を置いた。
「レオルトン、愛美と一緒に逃げてくれ。私が奴の相手をする」
「何を言っているんですか。ここは私が囮に」
テンペラー星人の実力は底知れない。毒か何かによって負傷している零洸では分が悪いのは明白だ。
「動けるのは、キミたち二人だ。今の私では足手まといになる」
「……分かりました」
「ほ、本気なの?」
早馴が不安げに零洸を見る。
「あいつ、宇宙人だよ!?どうやって戦うのよ!」
「……愛美、もしこの場を凌げたら、言うことがある。だから、それまでは何も聞かず、私の言うことを聞いてくれ」
零洸は、早馴の首にかかっているペンダントに触れた。
「行ってくれ」
「ねぇ、未来!」
「早馴さん、行きましょう」
私は、必死にその場に残ろうとする早馴を引っ張った。それでも残ろうとする彼女を無理やり連れていくため、私は彼女の身体を持ち上げた。
「早く行け!」
零洸はテンペラー星人と向き合ったまま、怒鳴った。
私たちは、一番近い出入り口から船のデッキに飛び出した。
―――その3へ続く