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その頃、NYのホテルのロビーに、一人の男が現れた。
彼は黒いレインコートに身を包み、フードを深々とかぶっていた。この怪しいなりの男を目にするなり、ホテルのスタッフたちは息をのんだ。
男はきょろきょろとロビー内を見回しながら歩いていた。
「失礼。どなたかをお探しですかな?」
黒いスーツの初老の男性が、レインコートの男に声をかける。彼はホテルの支配人である。彼は3人の屈強な男を背後に立たせていた。
「この少年を探している」
男は、一枚の写真を支配人に差し出した。
「……残念ですが、当館のお客様にこのような方はいらっしゃいません」
支配人は、一瞬で男の正体を見抜いた――この男は、悪人である。
伊達にNYの巨大高級ホテルの長を務めているわけではない、という矜持と自信が彼に確信を持たせていた。
「お引き取り下さい」
支配人の背後の男たちの目つきが変わった。
まるで獲物を前にする肉食動物のような猛々しさを、その瞳の奥に秘めていた。
「お引き取りを」
支配人がもう一度口を開く。
レインコートの男は動かない。
「……もう一度言いますぞ。お引き―――」
「貴様に用はない」
支配人の身体が何らかの衝撃を受けた。彼の身体は一瞬宙に浮き、地面に叩き落とされた。
「やれ!」
支配人が、血を吐きながら叫ぶ。背後に立っていた男たちが一斉に動く。
レインコートの男を取り囲んだ瞬間、彼らは支配人と同様に吹き飛ばされた。そのうちの一人は上方ではなく真横に飛ばされたため、その身体はロビーの受付の机に突っ込んだ。
「きゃぁぁぁ!!!」
一人の女子生徒が叫ぶ。レインコートの男はそれを見るなり、一瞬で彼女の背後に回り込み、その首を掴んだ。
「おい。こいつの居場所を教えろ」
「あ、え……」
女子生徒は写真を顔の前に持ってこられたが、声が出せないでいた。
「答えろ!!!」
男の怒声がスイッチとなり、ロビー内に大混乱がもたらされた。パニックを起こした人々は一斉に玄関に向かって走り出すが、男はそちらには見向きもしない。
「さぁ小娘。もう一度聞くぞ。このガキは何処だぁ!!」
「きさまぁぁあ!!!!」
突然の叫び。
男の顔面に向かって、何者かの飛び蹴りが炸裂した。不意を突かれた男がよろめいて倒れた隙に、女子生徒が男の手から逃れた。
「麗しの女子に手をかけるとは、貴様許せんな」
男に蹴りを入れ、その前に立ちはだかる少年。
彼の名は草津一兆。
「大丈夫か? 走れるか?」
「ごほっごほっ! は、はい……」
男に捕えられていた女子生徒は、草津に言われるままに走って逃げて行った。
「貴様ァ……よくも俺の顔に蹴りを見舞ってくれたな」
レインコートの男は、ゆっくりと立ち上がった。
「許さんぞ」
「それはこっちのセリフだ。悪党め! 成敗してくれる!」
草津は地面を蹴る。
「草ァァ津キック!」
彼は再び飛び蹴りを繰り出した。
「ゴミがァ!!」
男は草津の足首を掴んだ。
「なんの!」
草津は空中で身体を思い切りひねり、もう片方の足で男の側頭部を蹴った。
「効かぬわ!!」
その片方の足も掴まれ、草津は思い切り投げられた。彼の身体はロビーの真ん中に設置されているソファーに突っ込んだ。
「ぐふっ……強い……」
「ぬ? 貴様、その写真を返せ」
「こ、これ、か…?」
草津は、投げ飛ばす瞬間に男の手から離れた写真を、無意識のうちに掴んでいた。彼は飛びそうな意識の中で、それを広げた。
「ふふ……こいつを、探しているのか」
「知っているのか」
男は草津の首を正面から掴んだ。
「うぅ……」
「死にたくなければ教えろ」
男は首を絞める力を強めた。
「ぐあぁ……!」
「さぁ言え!」
「はっ……バカめ。誰が言うものか」
「何?」
「親友の居場所を……誰がお前なんかに教えるか!」
草津は足元に落ちていたビニール傘を足で蹴り上げ、それをキャッチした。
そして、その先端を男の腹に突き刺した。
「……愚かな人間めぇぇ!!!」
男は自分の腹に刺さった傘を躊躇なく引き抜き、片手でへし折った。
「馬鹿な……」
「もう一度聞いてやる。死にたくなければ、言え!」
草津の首がもう一度締められる。
「くっ、くそ……」
草津の意識が遠のく。
(死ぬのか……俺は)
「だが……言わない!」
「そうか。ならば死――」
その瞬間、草津の首を掴む男の腕に何かがぶつかった。そして肘のところで腕は切断された。
「ぐ!」
自由となった草津はそのまま倒れる。男は草津ではなく、その背後に目を向けた。
「よくも俺の腕を!」
絶叫する男をよそに、草津は強烈な寒気を感じながら、後ろに振り返った。
「彼は、渡さない」
「ゆ、雪宮先輩!!」
そこに立っていたのは雪宮悠氷だった。彼女は氷の刀を片手に、ゆっくりと歩みを進めた。
「グロルーラ、貴様裏切る気か!!!」
「最初から、お前の仲間だったつもりは無い」
彼女は、草津の足元に落ちていた写真を拾い上げた。
「お前には、殺させない」
彼女は写真を真っ二つに破いた。
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「来たわね。ニル=レオルトン」
切れかかった電灯の明かりと、月の光だけがこの空間に差している。
わずかな光の中に、紫苑レムが佇んでいた。その傍ら、粗末な寝台に寝かされた早馴の姿があった。
写真ではほぼ半裸状態だったが、今は私服を着せられている。胸の上下が見えるため、息もしているようだ。
「随分急いできたみたいね」
「単刀直入に聞きます。お前は何者ですか」
「自己紹介は、まずは聞く本人から始めなくてはね」
「私は――」
もはや隠す意味は無い。
この空間に満ちる邪悪で強大なマイナスエネルギー――私の目の前にいる紫苑レムは、人間ではない。
「メフィラス星人。名前はニル」
私の正体を知っている以上、生かしてはおけない。
――この女は、ここで消す。
「ふふ……私はデスレ系星人。名はデスフェルよ」
一瞬、月明かりが消える。雲で隠れたのだ。
そして再び差し込む月の光は、紫苑レムの真の姿を映した。
白い骨のような鎧で全身を包み、右手は巨大なかぎ爪になっていた。しかし全体的な身体つきは細く、女性的だった。凶悪さと美しさが絶妙に混ざり合ったその出で立ちは、非常に印象的である。かつて地球を侵略すべくエンペラ星人につき従った四天王の1人――策謀宇宙人デスレムと似ているが、どこか様相が異なっていた。
「あまり好きではないの。こっちは」
彼女はすぐに、あの妖艶な人間女性の姿に戻った。
「あなたの目の前では、この姿がぴったりだと思うの」
「そうですか。で、私に何の用があってこのような真似を? まさかただの自己紹介のためではないでしょう」
私は、彼女が渡してきた写真を投げ捨てた。
「アナタとお話がしたかったのよ。メフィラス星人のアナタとね」
「私もですよ。デスフェル」
私は追想した。
こいつと初めて会った瞬間から、“侵略者”同士睨み合うこの瞬間までを。
「以前グロルーラを差し向けたのも、生徒を洗脳して私を狙わせたのも、お前の仕業ですね」
「ご名答。もしかして、私の正体に気付いていたのかしら?」
「まさか。徹底的に証拠の隠滅がなされていましたからね」
私が地球に来てから侵略行為を行った者の正体は、ほぼ全て見抜いていたが、洗脳事件からはどうしても犯人が割り出せなかった。
「お見事でしたよ、実際」
「ありがとう。身体を張って貴方を助けたところなんて、なかなか迫真の演技じゃない?」
「それに、最初から私の正体に気付いていましたね?」
「ふふ……そうよ。私は“星間連合”という仲良しグループに所属していてね。その仲間に教えてもらったのよ」
彼女は右腕を真横に伸ばした。その瞬間、何もない空間が僅かに歪み、口を開けるように別の空間が現れた。その奥は炎に満ちたており、人間の言うところの“地獄”のような空間だった。彼女はそこに腕を突っ込み、何かを掴んで引き出した。空間の穴はそれと同時に閉じる。
「これが見えるかしら?」
彼女の手に乗るそれは、小さな石版であった。
「これは“鍵”と呼ばれるものよ」
「鍵?」
「そう……8年前、この地を地獄に変えた“ガイアインパクト”を引き起こすための、ね」
彼女は妖しく微笑んだ。
「それが“星間連合”とやらの目的ですか」
「残念だけど、彼らとは縁を切ったわ。私は独断で、これをアナタに見せた」
彼女は言葉を切り、私を見つめた。
「その意味が、分かるでしょう?」
彼女は私に向かって、手を差し伸べた。
「私の仲間になりなさい。ニル=レオルトン」
―――第33話に続く