「レオルトンさん、起きてください。夕食のお時間ですわよ」
「あぁ、杏城さん…」
私は、草津との会話を終えてすぐに寝たふりをした。しかし慣れないことをしたせいか、私は本当に寝入っていたらしい。とはいえ何者かに探りを入れられても、宇宙人だと知られてしまう証拠は持って来ていないため、問題なかった。
「動かないで。愛美さんを起こしてから」
「分かりました。早馴さん、夕食です。起きてください」
「んぅ…もうちょっと…」
早馴は駄々をこねるように、私の腕を一層強く握った。口の端からかすかに唾液が垂れていて、何とも間抜けな状態であった。
「レオルトンさん、さっきは、その…取り乱して申し訳ありませんでした」
杏城は顔を赤らめながら、小さく頭を下げた。
「いいえ。誰にでも怖いものはありますから」
「愛美さんにも…ちょっと申し訳なかったですわね」
「え?」
「あ、いえ、何でもありませんわ」
「うえぇっ!?」
私が杏城に何かを言おうとした矢先、早馴はいきなり声を上げ、私の腕から離れて目をぱちくりさせている。依然として唾液が垂れたままだった。
「どうしました?」
「な…この…ヘンタイえっち女たらし!!」
「あ、あの…」
「ふんっ!」
目を覚ますなり私を罵倒し、そっぽを向くとは…意味不明だ。
「うそぉぉ!」
それから彼女は自分の唾液に気付いたらしく、私に背を向けて必死に口元をぬぐっていたのであった。
それから粗末な機内食で夕食を済ませた後、機内の明かりが暗くなり始めた。話し声も次第に途絶えてきて、大体の生徒が眠りに就いたと思われる。夕飯時に席を変えたため、今は窓際から杏城、早馴、私の順になっている。二人は先ほどまで会話を楽しんでいたが、杏城が寝てから、早馴もすぐに寝てしまった。後ろの席に座っている草津も、起きている気配はない。
「ニル…?」
「早馴さん、寝ていなかったのですか?」
「うん。ご飯の前まで寝てたからね」
「私もです。眠気が全く起きません」
「一緒だね」
暗がりであまり表情は分からないが、早馴は笑っている気がする。声色が楽しげなのだ。
「あの、さ…この前は、ありがとう」
「この前?」
「ビルで巻き込まれた時、私が撃とうとするのを止めてくれたよね」
「その時のお礼なら、もう受け取っていますよ」
「それはそうなんだけど。……あそこで撃ってたら、私も同じだったんだなって思うと、すごくぞっとするの。私も、あの宇宙人と一緒なのかもって」
「……」
彼女の“宇宙人”という言葉には、確かな憎しみが込められているように思われた。
ガッツ星人が攻めて来た時、百夜戦で零洸=ソルに気付いた時、そして先日のカイラン星人襲撃時――早馴愛美は宇宙人に対する怒りや憎しみを露わにしていた。
「私の両親はね、宇宙人と怪獣に殺されたの」
「……もしかして貴女は、あの早馴偉(ダイ)隊員の娘さんなのでは」
「知ってたの?」
「8年前、世界を救った英雄でしたね。その命と引き換えに」
8年前この地球を襲った“ある悲劇”については、もはや歴史の教科書にも載っているほどの大事件として、世界中の人間に知られている。
その悲劇の名は“ガイアインパクト”
地球に眠っていた強力な大怪獣が日本から太平洋、そしてアメリカで暴れ、多くの人命が失われた。
そしてそれに連続してこった“第1次星間戦争”。あのビルに現れたカイラン星人が“ガイアインパクト”に乗じて地球を侵略しようと起こした戦争である。
私は地球にやって来てから、この事件について詳細な情報を集めた。その時に早馴偉の存在を知ったのである。同じ姓だったのは単なる偶然と考えていたが、彼女が幼少期アメリカに居た事実を知った時点で気づくべきであった。
「……英雄、か」
早馴の声は乾いた響きだった。
「お父さんは確かに、世界を救ったかもしれない。お母さんだって、その戦いの中で死んじゃったんだと思う。でもさ―――」
彼女の手が、私の手に触れた。
「どうして、私のお父さんとお母さんじゃなくちゃいけなかったの?」
「それは―――」
「他の人でよかったじゃん……!私は、英雄の娘になりたかったわけじゃないのに……」
―――英雄の娘。
私がニル=レオルトンとして生活している学園という場で、その事実を感じる瞬間などなかった。
しかし、彼女の心の中にはずっと残り続けていたのかもしれない。
「早馴さん…」
「ご、ごめん!私、今最低なこと言った……」
彼女は顔をそむけた。触れ合っていた手も、彼女が離してしまった。
「でも、ちゃんと分かってるの。お父さんとお母さんはGUYSの隊員だった。だから命に代えても地球を守らなくちゃいけなかったんだって。それでも――それでも、お父さんとお母さんの命を奪った宇宙人と怪獣を、私は許せない」
確かな“憎しみ”を、彼女の言葉から感じ取る。
それは私が目にしてきたあらゆる人々の、あらゆる感情の中で最も強く、最も色濃く私に伝わってきた。
「私は歪んじゃったのかな」
自嘲めいた声が暗闇の中に響く。
「憎しみだけが残って、それ以外は、何もない」
「………それは間違いですよ」
「え?」
「あなたは歪んでなどいない。誰よりも真っ直ぐな人です」
「真っ直ぐ?」
「真っ直ぐな気持ちで、大切な人を守ろうとしているじゃないですか。確かに力は無いかもしれない。しかし、守ろうとする意志は誰よりも強い。私はいつもそう感じていました」
「いつも……」
「いつも見ていたんです。だから分かります。あなたはどこも歪んでいない」
「……ニルはいつもそう。いつも、私を安心させてくれる」
彼女はもう一度、私の方に向き直った。
「いつだって助けてくれた。いつだって安心させてくれた」
彼女の手が、もう一度私の手に触れる。
「いつも、見ていてくれたから?」
「……そうです」
「どうして、見ていてくれたの?」
「それは―――」
―――観察だったのだ。
もちろん彼女だけではなく、杏城や草津、早坂に樫尾のことも注意深く観察していた。しかしいつの間にか、私は彼女ばかり見ていた。
私は認めざるを得ない。早馴愛美、お前は私にとって、誰よりも興味深い観察対象だ。
無力ながらも他者を守ろうとする姿――グロルーラから私を庇ったあの姿に、私は衝撃を受けたのだ。そして私の見せた幻影に惑わされず、自らを保ち続けた。
お前こそ、私の考える“人間”に最も近い存在なのだ。
「……ニルには、好きな人っている?」
「好きな人?もちろんです。早馴さんや杏城さん、零洸さんや…まぁ草津もです。他にも――」
「それは友達として、でしょ?私が聞きたいのは…もっと別の意味で好きな人、だよ」
「別の意味とは?」
「だから…つまりね、恋愛感情だよ」
早馴の声は、熱を帯びていた。先ほどの紫苑レムからは全く感じられなかった熱さを、私にも伝わってきた。
「恋愛、感情……」
その言葉の意味を、私は知っている。
しかしその言葉の感覚を、私は知らない。
「私はね…いるよ」
早馴が、少しだけ身を乗り出した。
「私ね、好きな人がいるの」
「好きな人……」
「恋愛感情で、好きな人」
「それは――」
「それはね……」
彼女と私の距離が、さらに縮まる。
「私の好きな人は……」
彼女の鼓動の音を感じる。
その音は、ますます速く、激しくなり―――
「……やっぱり、言えない…!」
「早馴さん?」
「い、今の……やっぱり全部忘れて……」
彼女は再び、私に背を向けた。
私には分かっていたのかもしれない――彼女が何を言わんとしていたのかを。
しかしどこかで、私はそこの言葉から逃げようとしていた。
その言葉を聞いてしまったら、私は自分を見失ってしまう気がしたのだ。
―――その4に続く