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どんな場にも、いわゆる“アイドル”は居るものだ。
この沙流学園も例にもれず、ある女性がここでは“アイドル”だった。
「紫苑先生、明けましておめでとうございます!」
「はい、おはよう」
「紫苑先生、今日も綺麗~」
「ふふっ。ありがとう」
「紫苑先生、おはようございます。今日の授業もよろしくお願いしますよ」
「ええ、教頭先生」
男子生徒も女子生徒も、はたまた教師ですら、昇降口から現れた紫苑レムに熱い眼差しを送っていた。
ただ、一人を除いては。
「レオルトン君、おはよう」
「紫苑先生、おはようございます。今年もよろしくお願いします」
廊下ですれ違った両者は、一瞬だけ視線を交わして離れていった。
「いつもながらに、クールな子…」
去って行くニル=レオルトンの背中を見つめながら、紫苑は小さく笑いをこぼした。
第30話「災いの予兆」
雑兵星人 カイラン星人
登場
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「ほら席に着けー。HR始めるからなー」
クラス担任が、がやがやする教室内で声を張った。
朝一で行われた始業式を終え、私たちは教室に戻って来た。冬休みを挟んだものの、相変わらず我々の教室はプレハブの簡易教室であった。
百夜との戦いから2週間以上経過し、完全なる日常が戻ってきたように感じる。その時死にかけた私だが、今はこうして人間たちの観察に集中できている。考慮すべき物事は山積みなのだから、これ以上面倒事はないのが一番良い。
「えっとな、まずは皆さんに残念なお知らせが。百夜過去さんがですね、転校してしまいました」
「なん……だと?」
草津が立ち上がり、天を仰いだ。
「また美女が1人、居なくなってしまった……。俺を手に入れられないと知って、悲しみに暮れてしまったのだろうか……」
「ご家族の都合だそうです」
意外だな。あの百夜がそういった後処理をしっかりして消えるとは。
「何だったのかな……あいつ」
隣で早馴が独り言のようにつぶやき、空いた百夜の席に目をやった。
私は何も答えず、再び担任に視線を移した。
「みっちゃんなんかニヤニヤしてるー。なんかあったの?」
女子生徒の軽口に、担任は何故か含みのある笑みを浮かべた。
「みっちゃんきもー」
「きもくないです。実は皆さん、修学旅行の件なのですが……」
「超楽しみだよな!」
「あったりまえじゃーん!」
「これを機に……彼女ゲットだぜ!」
クラス内がわっと盛り上がった。
「まぁまぁ落ち着いて。で、今のうち皆さんに言っておくことがあるんです」
担任が汚い字で、3日後月曜日1月12日の日付を書き記した。
「すっかり言い忘れてたんだけどな、この日までに班別行動の計画、出さないとなんだ」
クラスメートの喧騒が、止む。
そして一気に噴き出すように、彼らの声が響き渡った。
「何それ急すぎ!!」
「どーしよ……何も調べてないよっ!」
「だ、だからな、今日は私の授業は全部、修学旅行の計画に割り当てるんで、許してください……」
はた迷惑な話ではあるが、退屈な授業よりはましだろう。
それにこの修学旅行に関して言えば、私にも考えねばならないことがある。
「じゃあ班ごとに分かれて、頼むな」
担任の指示通り、クラスメートたちはばらばらと動き始めた。
「……班?」
「ニル、先生から何も聞いてないの?」
隣に座る早馴に聞かれて考えるも、そういったことを担任に言われた覚えはなかった。
「レオルトンさんは、私たちと同じ班ですわよ」
草津と共にやって来た杏城の言葉に、早馴も「そうだった」と苦笑いで返した。
「私たちの班、人数が少なかったものですから、転校生を加えるってことになってましたの。ずいぶん前の話ですけれど」
「それはありがたいです。普段から仲の良い皆さんとご一緒できて、安心しました」
「そう言って頂けると嬉しいですわ。それにアメリカはレオルトンさんの出身地ですから、居てくれると安心しますわよ」
そうなのだ。設定上、USAは私の出身地。
今回の問題は、この設定をいかに守りきるか、ということになる。
「そういえば、ニルの実家ってアメリカだったよな?」
「そうだよね! ニル君のお母さんってどんな人なのかなぁ……」
「ごあいさつしなくっちゃ!」
他の班のクラスメートたちも、どうやら私の自己紹介についてきちんと記憶しているようだった。
「ははは……」
私は適当に返事をしながら、担任から配られた旅行雑誌に目を通してみた。いっそ“円盤”を使って事前に現地入りし、見て回っても良いかもしれない。
「あぁ、わたくし本当に楽しみですわっ! アメリカなんて行ったことはありませんわ。やっぱり、銃撃戦とかが日常茶飯事ですの?」
「ふふふ……裏路地に入ったら生きて帰ってこれないらしいぞ」
「ほ、本当ですの!? 草津さん!」
馬鹿な……そんな危険地域に学生だけで歩けというのか。そんなサバイバル体験をさせるなど。さすが修学というだけはある。
「本当ですの? レオルトンさん」
「まぁ、そんなこともあったような……」
「って、あんたまで悪ノリしない」
早馴に頭を小突かれる。どうやら嘘の情報に踊らされたようだ……。
ん? そういえば零洸がまだ居ないな。今日も休みなのだろうか。
「済まない、遅れてしまった」
そう考えていた矢先に彼女は現れた。今日は遅刻で済んだようだな。
「何をする時間なんだ? これは」
「修学旅行の話し合いですの。今レオルトンさんのご実家についてお話してもらっていたんです」
「そ、そうなのか……」
彼女は気まずそうな顔をしながら、私の前の席に座った。いくら私の出身がアメリカではない(地球ですらないが)と知っているからといって、不自然な態度を取られると――
「良かったな、レオルトン。久々に里帰りだな。ははは」
こいつ、わざとからかっているのか……?
「で、だ。この5人で一体どこへ行くのか、それが問題だ」
草津の言葉をきっかけに、全員が思案顔になった。
「ふん! 男は黙って、大陸横断だろう! なぁレオルトン!」
「な、何を言ってますの!? NYと言ったら、ブロードウェイでミュージカル鑑賞以外になにがありますの!」
「大陸横断だ!」
「ミュージカルですわ!」
「どっちだレオルトン!」
「ミュージカルですわよね、レオルトンさん!」
そんなことを聞かれても分からないぞ。
「2人とも、そうむきになるな。旅行雑誌を読んでいれば他にも色々と見つかるだろう」
零洸の言葉で一旦落ち着いた話し合いだったがーー
ーー結局進展のないまま、放課後になってしまった。
「大陸横断!」
「ブロードウェイ!」
「カリフォルニアで黄金を掘り当てるんだ!」
「そんなの無理に決まってますわ!」
「ミュージカルこそ、あんなものは人が多すぎて入れるはずが無い」
「言いましたわね? いいですわ。わたくしが全員分のチケット、必ず入手してみせます!」
「無理無理ィ!! 2週間前じゃいい席は取られているだろうなぁ!」
相変わらずの二人である。他の班は構想が見えてきたようで帰ってしまったが、この班はどうにも意見がまとまらない。
一度落ち着かせるためにも、私も発言しよう。
「お二人とも、遊園地なんてどうですか? やっぱりアメリカといえばこういうテーマパークが――」
「このガキが!!」
「遊園地なら国内で十分ですわよ!」
「そ、そうですか……」
この結果である。
「早馴さんは行きたい所、ありませんか?」
隣で黙ってどこかを見つめていた早馴に声をかけるが、意外に反応は早く返ってきた。
「私……一応、あるよ」
「よし、逢夜乃。取りあえず休戦だ。愛美の意見を聞こうじゃないか」
「分かりましたわ」
論争中だった二人も落ち着き、早馴の意見に耳を傾けた。
「えっと、私は……GUYS・NY本部に行きたい、かな」
「なんと?」
「よ、予想外でしたわ」
杏城と草津どころか、零洸までもが意外な表情をした。
「やっぱ、ダメだよね。あはは。いいよ、忘れて」
「名案じゃないか! 俺はこれに乗ったぞ! さすが、愛美も向こうに住んでいただけのことはあるな」
草津は大声で賛成し、私から雑誌をひったくってページをぱらぱらと開き始めた。
そうだ、早馴も幼少のころにアメリカに住んでいたと言っていたな。
「で、でも、地球の平和を守る組織でしょう? そんな所入れますの?」
「私ね、そこに知り合いがいるんだ。NY本部で働いてる人。頼めば多分、入れると思う」
皆にとっても初耳だったようだ。早馴とGUYSの関係性……確かに興味深い。
「だったら、わたくしも行ってみたいですわ。世界中の色々な才能や技術が集まる場所でしょう?すごく興味があります。零洸さんとレオルトンさんはどうですか?」
「私は……まぁ、構わない。愛美が良いのならば」
「はい、私も興味があります」
零洸は普段通りの返事をしたが、内心はあまり穏やかでははなそうだ。私もそうだが、それは表には出さないようにした。
「じゃあ決まりですわね」
「しかし待て。具体的な内容を書かないと承諾してもらえない。今からじゃとても間に合わんぞ」
学園から出なければならない午後7時まで残り1時間も無かった。
「そうだ! 土日のどちらか、全員で集まろうじゃないか。そこで決めてしまおう。愛美も知り合いにきちんと話せる余裕ができるだろう?」
「その方が助かる、かな」
「じゃあ明日土曜日に集まろうじゃないか!!」
草津の提案は全員に了承され、話し合いは明日に持ち越しということで片付いたのだった。
私たちが立ち上がるのと同時に、校内アナウンスが教室に鳴り響いた。聞き覚えのある声だった。
『2年B組のニル・レオルトン君。至急職員室に来てください』
「レオルトン、貴様」
草津が怒りの込められた目でこちらを睨んだ。
「な、なんです?」
「どうして紫苑先生に呼び出されているんだ!!」
「いや、知りませんよ」
「羨ましい。俺も行くからな」
「勝手にどうぞ」
「それでは、さらばだ女子諸君!」
私は草津に引っ張られながら教室を後にした。
私たちは真っ直ぐに職員室に向かった。職員室の扉の前に、紫苑レムは待っていた。
「あら? 草津君も一緒なのね」
「はい! 不肖草津一兆、紫苑女史がため馳せ参じた次第であります!」
「あらあら、ありがとうね」
「紫苑先生。ご用は何でしょう?」
私は早く切り上げたくてそう言った。別に時間がないわけではないが、この女と一緒に居るのはどこか心地悪い。
「明日の授業で使う資料を作って欲しかったの。レオルトン君、クラスの庶務だったわよね?」
「ええ、そうですが」
「そのような光栄な仕事、この自分にお任せください!!」
草津が胸を張って叫んだ。
「そう? じゃあ2人にお願いしようかしら」
私としては願ったり叶ったりであったが、頭のどこかで、紫苑の言葉に疑いを隠せない自分がいた。
「どうかした?」
心配そうに私の顔を覗き込む紫苑。
「大丈夫です。それでは、失礼します」
私は足早にその場を去った。
百夜と初めて会った時、私は言いようのない警戒心を抱いていた。
しかしこいつの場合はそれとはまた違った感覚――もっと不気味な相手に対する感情だ。
いつも私も見透かすように、妖しく微笑む女。私はどうにも彼女の前では居心地が悪い。
考えすぎ、だろうか…。
――――中編に続く