「今日はここまでな。杏城、引き続き頑張ってな」
「はい。ご配慮感謝いたします」
「さよーなら、センセイ」
「はいさようなら」
教室から出ていく担任へ手を振るリュールの姿を、教室中の人間が愛おしそうに見つめていた。
そして昼休みになると、杏城の隣で椅子に座るリュールのもとに女子が集まるのだった。
「ねぇねぇ、リュールくんはどこから来たの?」
「えっと……オーストラリア!!」
「母のお姉さまとオーストラリアの方のお子さんですの。あははは…」
杏城は苦笑いで、リュールと一緒にクラスメートの質問に答えていた。
「逢夜乃ちゃんって、家だとどう? やっぱり怖い?」
「やっぱりって何ですのよ!」
「ううん。すっごく優しくて、大好きっ!」
少年は隣に座る杏城の腕を抱き、心地良さそうにしていた。
そんなリュールを、何故か杏城は複雑な表情で見つめていた。しかしすぐに普段の調子に戻り、2人はいつも杏城がするように早馴の席にやって来た。
「へぇ……いとこかぁ」
「アヤねーちゃん、この人がアミねーちゃんでしょ?」
「そうですわ。わたくしの大事なお友達ですの」
「アミねーちゃんって綺麗だね!」
彼は満面の笑みでそう言った。
「は、はい!?」
「良かったじゃないですか。君は正直ですね」
「ニルにーちゃん! そうでしょ?」
「そうですよ。よく分かりましたね」
「アヤねーちゃんからいっぱい聞いたんだ。ミクねーちゃんのこともっ」
少し遅れてやって来た零洸を見つけ、リュールは嬉しそうに言った。
「だから私の名を知っていたのか」
「つい色々話してしまいましたわ」
「アヤねーちゃん、クサツにーちゃんってどこ居るの?」
「ふっ。俺を呼んだか、少年よ」
もしリュールが女の子なら草津はどうしたのだろうか……そんな想像をすると、少しだけ鳥肌が立った。
「やっぱヘンだね。アヤねーちゃんが言った通りだ」
「ヘン!? 逢夜乃、一体何を吹き込んだ?」
「ぜーんぶ事実だけ、ですわっ」
「ほぉう! それで俺をそう判断する勇気があるとは……君は将来俺の様にビッグになるな!」
「えぇ~。クサツにーちゃんみたくはなりたくないなぁ。でも、ニルにーちゃんみたくはなりたい!」
「止めておけ! こいつはろくでもない男だぞ」
「そうなのー? モテモテになれるって聞いたよ?」
「いいや! 俺の方がモテる!」
こいつは……子供相手に何を向きになっているのだ。
「ははは。なかなか利口な子じゃないか」
零洸は悪戯っぽく微笑んで、隣の早馴と目を合わせた。
「うんうん。あのさ、リュールくんはいつまでこっちにいるの?」
「え、ええと、それは――」
何故か早馴の質問に答えあぐねる逢夜乃の言葉を待たず、リュールが言った。
「ずっとここに居たい……! ずっと、アヤねーちゃんのところに」
急にリュールの表情に陰りが見えた気がした。彼は杏城の腕を強く抱きしめた。そんな様子を、杏城はどこか不安げに見つめていた。
放課後となった。
私は何気なく杏城の方に視線を向けた。彼女は困ったように、黒板の上に取りつけられた時計を睨んでいた。
私は彼女に近付き、声をかけた。
「どうかしましたか?」
「いえ……。レオルトンさんこそ、どうしたんですの?」
「杏城さんが困っておられるようでしたから」
「ふふっ、お優しいんですのね。……あの、一つお願いをしてもよろしいですか?」
「どうぞ」
「実は、わたくし16時半から18時近くまで委員会のお仕事がありますの。どうしても誰かに代わってもらえる仕事ではなくって……」
要するに、その時間リュールをどうしておくかを悩んでいるということだな。
当のリュールは、クラスの女子と親しげに会話をしている。しかし彼女たちも帰り支度を始めていた。
「分かりました。自分がリュールくんと一緒に居ましょう」
「よろしいですの?」
「ええ。どうせ暇な身ですから」
「じゃあ、お任せしてもいいですか?」
「お任せ下さい」
「ありがとうございますっ!」
彼女は綺麗に礼をすると、駆け寄ってきたリュールに事の次第を告げて教室を出ていった。
杏城がこちらを向いている間、リュールは笑顔で手を振っていたが、やがて彼女の姿が見えなくなると、途端に寂しげな顔を見せた。
「アヤねーちゃん、戻って来るよね?どこかに行っちゃわないよね?」
「大丈夫。すぐ戻ってきますよ。それまでここで時間を潰していましょう」
「うん、分かった!」
なかなか利口な子供である。この年の頃の人間の子供と言えば、親しい人間がどこかへ行ったら泣きわめいてもおかしくはないのだが。
「へぇ~。ベビーシッターもこなせるのね?」
教室の中が私とリュールだけになったところで、百夜が出入り口から顔を覗かせ、こちらにやって来た。
「えっと、ビャクヤねーちゃん、だよね?」
「そうよ」
「……」
リュールは、今まで見せたことの無い怯えた目で百夜を見た。そしてすぐ、私の背の後ろに隠れてしがみついてきた。
「あーら。嫌われちゃったわ。じゃあね」
含みのある笑みを残し、彼女は去っていった。彼女の破天荒さを、子供なりに感じ取ったのかもしれない。
百夜がいなくなると、リュールは私の身体から手を離した。
「彼女が怖いですか?」
「うん。分かんないけど……」
「私は怖くないのですか?」
「ニルにーちゃんが? ううん、全然」
子どもの持つ直観力が私の悪の部分を見抜くかとも推測したが、杞憂だったようだ。
「ねぇ、ニルにーちゃん。お願いがあるんだけどいいかな?」
「ええ、どうぞ」
「アヤねーちゃんと、いっぱい仲良くして欲しいんだ」
「杏城さんと?」
「アヤねーちゃん、家ですっごく寂しそうなんだ……」
リュールは悲しげな声色でそう言った。
そして彼が僅かに俯いた瞬間、服と身体の隙間から彼の鎖骨の辺りが見えた。
その肌には、青く輝く石のような物が埋め込まれていた。張り付けたものではなく、確かに皮膚と同化していたのだ。
まさかこの子供……人間ではなく、宇宙人なのか?
「にーちゃん?」
「……夜は杏城さんのお宅にいるんですよね?」
「うん。でもさ、あんなおっきい家なのに、ボクとアヤねーちゃんしか居ないんだ」
「彼女のご両親は?」
「知らない。見たこと無いよ」
ぼろが出てきたな。これでいとこという話はほぼ嘘と言っていい。両親が留守の家に子供を預ける親など考えにくい。
「どのくらい前から彼女の家に?」
「一昨日から」
もう三日目か。しかし奇妙な家だ。三日も娘一人だけ家に残しておくとは。
「だからボク、アヤねーちゃんに聞いたんだ。パパとママは?って。そしたら、しばらく会ってないって」
「だから寂しい。そういうことですね?」
「うん。ボク分かるんだ。パパとママが居ないって、すごく悲しいから。だから、その代わりにニルにーちゃんたちにお願いしたいんだ。アヤねーちゃんといっぱい仲良くして欲しいって」
「……なるほど」
杏城が何故宇宙人の少年を匿っているのか、理由は分からない。しかし事情を知っておいて損は無いはずだ。
「リュール君、私に良い考えがあります」
戻ってきた杏城にリュールを返し、私は帰宅した。
時間は18時30分。今なら連絡しても大丈夫だろう。私は携帯電話を取り出した。
「……もしもし」
『ニル? 急にってか、電話初めてだね』
早馴は何か緊張しているような口調だった。
「実はお話がありまして。明日は祝日で学園が休みです。早馴さんは何かご予定がありますか?」
『別に一日中暇だよ』
「では10時に公園に来てもらえませんか?」
『え、えっと……それって、何するの?』
「ピクニックとやらです」
『ピクニック? ふ、2人で?』
「いえ。確定しているのは私と杏城さん、それからリュールくんです。他にも何人か声をかけるつもりですが」
『あぁ、そう……うん、全然いいよ。行く行く』
「ありがとうございます」
『大袈裟だなぁ。なんかニル、電話だと固くない?』
「そうですか? 早馴さんも若干緊張しているご様子ですが」
『べ、別に緊張なんてしてないもんっ! じゃあ、明日公園でね』
「はい。それでは――」
『待って! あ、あのさ……ニルは、電話ってイヤだったりする?』
「特に問題ありませんが。どうしてですか?」
『も、もし明日ニルが遅れたら電話してやろうって思っただけっ。じゃあ、今度こそ。また明日ね』
「はい。それでは失礼します」
『……』
「……」
『……』
「……」
『な、なんで切らないの?』
「そちらこそ」
『こういう時は、かけてきた方が切るものでしょ?』
「そういうものですか?」
『あー、もう。どっちだっていいけどさ。じゃあ、せーので切る。それでいい?』
「分かりました」
『じゃあ……ばいばい、ニル』
「さようなら、早馴さん」
『「せーの」』
私は通話を切った。
―――23話に続く