騒がしく始まった一日ではあったが、私はそれに構っているほど暇ではない。
こうして大人しく学園に通ってはいるが、当面の問題は零校未来――光の戦士ソルについてだった。正体を知られてしまうという予想外の危険を冒したものの、逆にソルの正体を知ることもできた。甘めに言えば、状況はイーブンだ。
ここからは、いかにして彼女の隙をつき、弱みを握り、来るべき“侵略の日”に備えるかだ。
今のところ彼女の弱点は、戦闘面では見受けられない。
その代り、彼女の精神面では弱点を見出した気がする。
「何?」
「いいえ、別に」
隣で呆けたように窓の外に目を向けている彼女――早馴愛美は、その最たる存在だ。零洸の行動基準において“守りたいもの”は最重要であるように思われる。その一人である早馴愛美を私が押さえれば、零洸との戦いを有利に進められるはずだ。つまり目下私のやるべきことは――
「早馴さん。今日のお昼ご飯、ご一緒しませんか?」
「え、なんで?」
「……お嫌ですか」
「う、ううん。別にやじゃないんだけど……」
「じゃあご一緒に」
「あ、うん」
早馴は何に驚いているのか、目を丸くしていた。私が昼食に誘うのはそんなに意外だろうか? まだまだ、私と早馴の関係性が弱いということだな。
「では行きましょう」
私は彼女の手を取った。
「ちょ! いきなり何!?」
早馴は私の手を振り払った。
「なるほど。やりすぎました」
「ニルわけわかんないよ……まぁいいや。じゃあいこっか」
早馴は前髪を直しながら、席を立った。嫌がっているようには見えないため、今の所問題無さそうだ。
「あら? お2人はお昼ですの?」
そこに、杏城が現れる。何故か杏城は、私たちを交互に見比べて、何を納得したのか分からないが、うんうんと頷いていた。
「ふっふっふ……いいんですのよ。お邪魔虫は飛んで行きますわ」
「ち、ちち違くって、その……ニルがどうしてもって聞かないから!」
「見なかったことにしますわ。それではお2人でごゆるりと――」
「待て」
早馴はぷるぷる震えながら、杏城の腕を掴む。
「逢夜乃も、一緒ね……?」
「あ、えと。よ、喜んで」
結局杏城を加えて3人にはなったが、私は早馴と昼食を共にすることに成功した。それが功を奏したのか、食堂で私は興味深い事実を耳にしたのだった。
「中学時代からの付き合い?」
「ええ。4人で随分仲良しだったと聞いていますわ」
4人とは、早馴、零洸、そして早坂と樫尾である。
樫尾と早坂は随分付き合いが長そうだという印象があったが、早馴や零洸とも親交が深いというのは正直意外だった。
「愛美さんはあの3人に助けられたことがあるとか。これって話してもよくって?」
「え、何?」
最初こそよそよそしい感じだった早馴だが、今は無心でエビフライを頬張っていた。私の隣に座っているのだから聞いているものと思っていたが、早馴は食事に夢中のようだ。
「中学校の頃、愛美さんが部活で色々あってーという話ですわ」
「あぁ、あれ? 別にいいんじゃない? 草津でさえ知ってるし」
「なんだ!? 俺が人生のお供に必要だって? 喜んで!」
学食のどこかから草津の声が聞こえたが、誰も返事をしなかった。一体どこに居るのだ、あの男は。
「あ、ニルには話してないんだっけ」
早馴は思い出したように、そう言った。
「実は――って、自分のこと話すのって恥ずかしいわ。よろしく逢夜乃」
早馴は再び、エビフライを口にくわえた。
「じゃあわたくしが、分かり易ーく、お話しいたしましょう! そう……あれは愛美さんが中学1年生の時の――ふにゅぅっ!」
「なになに? 愛美ちゃんの過去話?」
杏城の後ろから、百夜が顔を見せる。いつの間に来ていたのか、全く気付かなかった。
「ひゃひゅやひゃん! へほひゃはひへっ!!(百夜さん!手を離してっ!!)」
今日の休み時間に見たのと同じく、百夜の指が杏城の両頬を挟んでいた。
「あ、しゃべるのはあんたの仕事だったわね」
百夜は手を離すと、杏城は指の痕の付いた自分の頬をさすりながら百夜に食ってかかった。
「もうっ! どうして毎度毎度!」
「だって、つまんでると気持ち良いんだもん。柔らかくって」
百夜は杏城の頬を、今度は優しくつまんでいた。
「嫌がってるんだから止めなよ。逢夜乃、別にそこまでぷっくりした顔じゃないでしょ?」
「あ、愛美さん? そういうことじゃないと思いますけど……」
「そうだ。逢夜乃の顔は決して丸くない! しかし! たとえ丸くなってしまっても俺は構わないし、それでも可愛いと思っている! そうだろうレオルトン!」
草津よ、本当にお前はどこで聞いてどこから話しているんだ。
「太ってしまっても杏城さんは杏城さんですからね。大丈夫ですよ」
「も、もう知りませんっ!」
杏城は顔を真っ赤にしてそっぽを向いた。百夜は満足したのか、鼻唄を歌いながらどこかへ去って行った。
まったく、奴のせいで肝心の話が途切れてしまった。会話を戻そう。
「杏城さんから話を聞き損ねました。中学校時代のお話、代わりにお願いします」
「中学かー」
早馴は何かを懐かしむように、食堂の大きな窓に視線を向けた。
「ニル、そんなに気になるの?」
「ええ、とても」
「……ヘンタイ」
「変な意味は全くありません」
「ぷっ。冗談だって。その話は……ヒミツ」
「秘密?」
「そっ。ひーみつ」
早馴はさも楽しそうに笑っていた。
結局彼女の過去について何も聞き出せないまま、放課後を迎えてしまった。
「終わったぁ~。あ、今日の掃除当番代わりによろしく。じゃねー」
早馴は私の肩を叩き、教室から出て行ってしまった。
「やるとは言ってないですよ」
「いいじゃないか。美少女の頼みなら本望だろう? 同士よ」
草津がウインクをしながら、肩を組んでくる。箒片手に言われても格好が付いていないのだがな。
「見ろ。掃除用具ですら、俺が手に取ればダイヤモンド級の輝きを放つ!」
「放っていませんよ。それでは始めますか」
草津の戯言を無視して、私は机を運び始めた。同じく教室掃除を担当する生徒たちも、他の生徒が教室を出ていくにつれて作業を始めていった。
「あー! 今日ってベランダ掃除の日じゃない?」
「ひぇ~。今日寒いのになぁ」
ベランダの出入り口の前で、クラスメートの女子二人が話していた。私はそこに近づいた。
「でしたらその仕事、私が代わりますよ」
零洸を前に良い宇宙人を演じるためにも、せめてクラス内での評判を良くしておいた方がいい。人間の小娘にこんな親切な宇宙人など、彼女の予想の範疇にはきっと無いにちがいない。
「ニルくんが!? そんなの悪いよ……」
「大丈夫です。これでも寒いのは得意です」
「何それ~。あはは。じゃあ、お願いしちゃってイイかな?」
「お任せ下さい」
「ニルくん優しいね。いいパパになるよ、うん!」
「パパ?」
「じゃあ、わ、私がママになっちゃおう、かなぁ~なんて。きゃー!」
2人はかしましく声を上げながら別の作業に向かった。同時に、私はベランダに出た。
出た途端、私は興味深い光景を目にした。
「樫尾っ! 奴め姑息な真似を……!」
いつの間にか隣に来ていた草津が、落下防止の柵を握りしめながら叫んだ。
ここからは昇降口が見えるのだが、そこを並んで抜けていく2人がいた。早馴と樫尾――なかなか見ない組み合わせだ。
「そうか! あの男、愛美と中学時代からの付き合いというのを利用したのか。顔に似合わず味な真似を――」
「草津。掃除当番、代わりにお願いします」
「お前、一体何を言って――居ない!?」
草津、この借りはそのうち返そう。
そして校舎を飛び出してきたわけだが……一体何をしているんだ、私は。
いくら零洸の人間関係を調べるとは言っても、早馴と樫尾を尾行しても意味が無いではないか。掃除を抜け出して来る必要は無かった。
いや、あの二人は零洸に関係の深い人物だ。全く無意味ではないはず。取りあえずは会話を聞かせてもらおう。何か早馴と零洸の関係性を暴くヒントがあるかもしれない。
私は10メートルほど後ろを歩いて様子を見ながら、耳を澄ませた。
「久しぶりだね。こうして樫尾さんと2人で帰るのって」
「そう言われるとそうかもな。違いねぇ」
流石中学からの付き合いだけあって、なかなか親しげな様子だ。
「愛美、最近はどうだ?」
「どうって?」
「変な奴に付きまとわれたりしてねーか? 一人暮らしってのは、意外と危ないんだ」
「あははは! そんなこと無いから大丈夫だって。樫尾さんって見た目の割には心配性だよね?」
「見た目って、お前よぉ」
「あ、ヘンなヤツいたよ。思い出した」
「んだとぉ?」
「ニル! あいつすっごくヘンだよ」
変だと? この私が変だと? 一体何が……まぁ冷静に話を聞こうじゃないか。
「そうか? 俺には変に思えねぇが」
「草津が傍にいるからそう見えるだけだよ。だってニルってね、あんな風にクールぶっちゃってるくせに、突然クサいこと言ったりするんだよ? それにさ、涼しい顔して女の子を誘惑したりとか、草津と仲が良い所とか。あとは……」
「はははっ! 久しぶりにじっくり話してみたら、話題はレオルトンのことばっかりだな。気になるのか?」
「っ!! そ、そんなこと……ないもん」
「何と言うか。お前のそういう所は変わってねぇな」
樫尾が不器用に早馴の髪を撫でた。すぐに早馴は頭を離したが、数日前に百夜にやられていた時と違ってさほど嫌がっていないようにも見える。それどころか、少し心地よさそうに目を細めていた。
「ちょ、ちょっと、頭撫でないでよぉ……」
「わ、悪い。中学ん時からの癖が抜けなくてよ」
「も、もぅ。そうだ、そういえばどうして急に一緒に帰ろうなんて言ったの? 急過ぎて掃除サボっちゃったじゃん」
「お前掃除サボったのか!?」
「うん。ニルに任せてきた」
「ったくよぉ。まぁ……特に理由はねぇよ」
「ふーん。そっか。そういえば最近、樫尾さんちょっと元気無い気がする」
「俺が?」
「うん。何か悩んでる感じ」
「……そんなことねぇさ」
「……そっか。でもさ、何かあったら相談して欲しいな。私たち友達でしょ?」
「違いねぇ。でも俺は大丈夫だ。な?」
樫尾はもう一度早馴の頭を撫でた。しかし今度は、頭を離そうとはしなかった。というよりは、樫尾に心配そうな目線を投げかけるばかりだった。
2人はそれからも他愛の無い会話を続け、2人の歩く方向が分かれるところで、別れた。
それにしても早馴愛美……不思議な女だ。
バルタンの一件の時もそうだった。誰よりも過剰に他人の心配をする。他人のこととなれば、自分のことのように、いや自分のこと以上に一喜一憂する。それが早馴愛美という人間だ。
まさしく彼女は、私にとっての人間像として最も相応しいと思われた。
「で、アンタはこんな所でストーカーして、どうしちゃったのかしらぁ?」
誰かが私の肩を掴む。
私は反射的にその手を掴み、振り向いた。
「何よ。痛いじゃない」
「……百夜さんでしたか」
まただ。また百夜過去の気配に気付けなかった。
「私、見ちゃった♪」
「何をです?」
「ふふふ。さぁね?」
彼女は私の手を振り払い、近くの曲り道に姿を消した。
しかしこの時、私はこの出来事の重要性に気付いてはいなかった。
明くる日、私の携帯に一件のメッセージが送られていた。
『明日朝7時。屋上にて待つ。必ず来い』
差出人は、零校未来であった。
―――18話に続く