2016年もニルくんたちを応援してあげてくださいね。
死地に立つと冷静になる、と昔本で読んだことがあった。その時私は難なく理解したし、現在そんな状況にあって同じ感覚を得ていた。
そう。私は“死地”に居た。
立ち上がることすらままならない状態で、地球侵略最大の障害である光の戦士ソルに相対している。それでも私は冷静だった。
そうして無言のまま見つめ合っていると、ぽつぽつと雨が降り出した。雨足は一気に強くなり、私たちは激しい雨に打たれる。
「レオルトン……なのか」
雨音に消え入りそうな声で、零洸は言った。
「キミは……」
彼女が私のすぐ傍まで近づいてくる。
「キミは宇宙人だったのか」
「この血を見れば、分かるでしょう」
私の全身、特に背中から流れる緑色の血が、私の正体を物語っていた。もはや血の色を細工する余裕すら、私には無い。
「あ、なたも……人間では、なかった」
「そう、だな」
零洸の表情は読めなかった。疑いこそすれ、今まで人間だと思っていた零洸のことが、途端に分からなくなった。
いや違う。そんなことは関係ない。死を前に、私の思考が徐々に鈍くなっているのだ。呂律が回らなくなってきたのも、その証拠だ。
私は目を閉じた。もはや彼女を見据えることにも意味は無い。
私はつまらないミスで、つまらない死を遂げるのだ。
結局地球を侵略することなど――
「っ!」
途切れかけた意識が、突如覚醒した。同時に目も開かれる。
「動くな」
雨に濡れそぼった零洸の顔が近い。彼女は私の上体を抱き上げ、背中に触れた。
「一体……何を」
「口も動かさないでくれ。集中したいんだ」
背中が温かい。痛みと、雨の冷たい感触の代わりに、心地良さが広がる。
「治療、しているのですか」
零洸は何も答えなかった。
彼女は眉間にしわを寄せ、辛そうにしていた。
そうして彼女の顔を見ているうちに、背中の傷が塞がっていくのを感じた。
出血が止まると、彼女は背中から手を離し、ゆっくりと私を地面に横たえた。
「はぁ、はぁ……私ができるのは、これぐらいだ」
彼女は気怠そうに立ち上がると、数歩引いた。
「明日の深夜0時、学園の屋上に来てほしい」
「……何故ですか」
「とにかくだ。来なくても……私はキミを必ず見つけ出す」
零洸は踵を返し、去って行った。
彼女の姿が見えなくなってから、私はゆっくりと立ち上がる。足元の緑色の血の跡が雨に流され、排水溝に消えていく。
私はまだ、生きていた。
第16話「決着の夜」
自発的でない眠りは初めてだった。自宅ではなく"円盤"に戻った私は、身体のダメージを癒すための装置の中で、あまりの疲労のせいで眠りに落ちたのだ。
そこから出て、ノートパソコンの電源を入れる。ニル=レオルトンとして使っているメールサーバーには、GUYSのワタベという男からメールが来ており、明日事情聴取をするから自宅に来ると書いてあった。今日ではない所を見ると、零洸が一枚かんでいるのだと分かった。
治癒装置の影響で頭がぼんやりとするが、なすべきことは山積みだ。まずはバルタン星人に奪われた特製スマートフォンの代替機を作るところから始めた。"円盤"のメインコンピュータに保存されているバックアップを代替機に保存している間、私はコーヒーを飲みながらノートパソコンを操作し、GUYSのメインコンピュータにアクセスした。
一連の事件『バルタン星人襲来事件』の報告書に目を通す。
バルタン星人の"産卵場"は何者かによって完全に破壊され、残党も確認できていない。
バルタンにさらわれたと思われる35人のうち、生き残ったのは私と杏城だけであり、杏城は久瀬病院に短期入院している。私は何の異常もないとされ、自宅療養していると虚偽の報告がされていた。
間違いなく零洸の仕業だ。彼女は身内を騙してでも私と個人的に決着をつけたいのだ。
私は下着と衣服を身に付けた。そしてバックアップの保存が完了した、新たなスマートフォンを持って"円盤"を後にした。
"円盤"を隠した山中を抜け、人通りのある公道を歩く。その間考えていたのは零洸、いやソルのことだった。ソルに正体――とは言っても“人間ではない”というだけだが――が知られた今、私はどうするべきだろうか。
逃げるべきか。沙流市から遠く離れた地で別の人間として――いや、私は変装能力に秀でているわけではないから、ニル=レオルトン以外の人間に化けることは出来ない。同じ顔では必ず足が付く。彼女は必ず私を殺しに来る。
やはり戦うしかないのか……あの光の戦士ソルと。
私は立ち止り、思わず笑った。
戦う意味などない。私では彼女には勝てないことは、私自身が一番良く知っている。私が戦闘を得意とする宇宙人ではないのに対して、彼女は戦闘のプロフェッショナルだ。どんなに下準備をしても勝てるはずがない。場所が学園では罠も仕掛けられないし、他の場所に誘い込もうとしても彼女がそれを許さないだろう。
私は一度考えるのを止め、近くにあった公園に立ち寄った。"円盤"から学園と自宅に行く際に何度か通ったが、足を踏み入れるのは初めてだった。平日の昼間で人は少ないが、子連れの母親や、暇そうな年寄りが所々に見られた。
私は噴水を見渡せるベンチに腰を下ろした。昨夜の雨とはうって変わり今日は快晴で、公園には適度に日が差している。
何故ここに来たか、自分でもよく分からなかった。しかし気分は悪くなかった。
「あー、あー。あ、い、う、え、お、あ、お」
ふと噴水の方を見ると、1人の若い女性が発声練習をしていた。彼女は手にしていた紙冊子を丸めて、マイク代わりしていた。
「私の歌を聴けぇっ! じゃなかった……私の歌を、聴いて下さい!」
彼女は噴水の前で踊りながら、セリフのような、歌のような言葉を叫んでいた。長い手足がキレ良く動き、黒いロングヘアがなびく姿は印象的だった。しかしダンスに夢中になってしまったのか、手から紙の束が飛んでいき、噴水の中に落ちた。
「台本! うぅ……戻ってこい!」
彼女が右手を上げる。その瞬間、噴水の中に落ちた紙の束がゆらゆらと浮遊し、彼女の右手に戻っていった。
「おっけ――じゃない!?」
彼女の視線が、私に向けられる。完全に目が合っていた。
「み、見ましたか……?」
「いいえ、見ていませんよ」
「そっかぁ、良かったぁ――って、絶対見てたでしょ!」
彼女は勢い良く私に向かって走ってくると、私の両肩に手を置いた。
「み~た~で~す~ね~??」
「……」
「み~た~」
「見ましたから、落ち着いてください」
「逆に落ち着けないじゃない!」
彼女は「どうしようどうしよう」と呟きながら頭を抱え、私の前に座り込んだ。
「取りあえず座りませんか。他人の目が気になります」
「あ、はい」
彼女は大きなため息をつきながら、私の隣に座った。
そう言えばこの女…以前どこかで見たような――
「ジルタス=メデューナルさん。歌手でしたね」
「そ、そうです!」
彼女は嬉しそうにこちらを向いた。
「まさか私を知っている人に出会えるなんて…」
「私の友人に大ファンが居まして、彼らに写真を見せてもらったことがあります」
「そうなんですね! 嬉しいなぁ」
「ところで」
「何でしょう!?」
「あなたは宇宙人ですか?」
「……」
「……」
「……そうなんです」
彼女は観念したようにベンチの背もたれに体を預け、天を仰いだ。
「誰にも言いませんから、大丈夫ですよ」
「本当に!?」
彼女はこちらを食い入るように見つめた。彼女の目には、涙が浮かんでいる。
「本当の、本当ですか?」
「はい。その代り」
「か、身体は売りませんからね! そういう営業はしない主義です!」
「断じて違います。少し相談に乗って欲しいのです」
「あ、そ。いいですけど、私でいいんですか?」
「あなただからです」
彼女はきょとんとしてこちらを見ているが、私は構わず話し始めた。
「私は見ての通り学生なのですが、実は近々転校しなければならなくなりまして」
「転校……引っ越しってこと?」
「まぁ、そうなります。今まで住んでいた場所、通っていた学校には死ぬまで戻ることは出来なくなります。正直転校はしたくないのですが、親が許してくれそうにないのです」
「そっかぁ……」
彼女は大きな目で私を覗き込んでいた。
「転校したくないって、親御さんには言った?」
「まだ言っていませんが、話しても無駄に思えます」
「じゃあまだ分からないね」
「何がです?」
「転校、しなくてもいいかもしれないよ? だって親御さんに『したくない』って言ってないんでしょ?それじゃ親さんも、あなたの考えてることが分からないもの」
「そういうものでしょうか」
「そうだよ!」
彼女は腰を上げ、私の正面に立った。
「私は、今いる場所にもう居ちゃいけないって言われたら、絶対嫌だ! 何が何でも嫌だ!」
「そう、ですか」
「そうです! 私、自分の居場所を守るためなら、必死に話します! お願いだってします!」
彼女は一呼吸置いて、言った。
「私、ここに居たいって」
「……なるほど」
「それでだめなら、戦いだってします!」
「戦う、か」
「あ、えっと、もちろん、最後にはって意味ですけど」
私は立ち上がった。
「ありがとうございます。おかげですっきりしました。私は帰ります」
「そっか!」
ジルタス=メデューナルは私の両手を握った。
「握手。私、これが好きなんです。頑張れって言われてる気がして。だから、あなたも頑張って!」
「分かりました。頑張ります」
「えへへ。あなた、さっきよりもハンサムに見えますね」
彼女は手を握ったまま、私の頬にキスをした。
「それじゃ!」
彼女は再び噴水の方に向かって走った。しかし途中でこちらに振り返った。
「私、今度ミュージカルに出るんです! 女優デビューするんですよ! 私の演技、観に来てくださいね!」
そう言って、宇宙人兼アイドル兼女優の彼女は走り去っていった。
「宇宙人が、人間の演技を、か」
私は演者としては、今のところ不出来でしかなかった。その汚名は、返上しなければならないだろう。
私は自分のなすべきことを決め、公園を後にした。
午前0時、私は零洸との約束通りに学園の屋上に来ていた。穏やかな日中に反して、風の強い夜だった。
「本当に来るとはな」
零洸は目深に帽子をかぶっているが、冷徹な眼光は私にはっきりと見えていた。
「疑っていたのですか」
「当たり前だ。だがそのフードは何だ?」
「これですか? こんな時間に警備員を避けて学園に忍び込むのですから、多少の警戒はしておこうかと」
「心配する必要は無い。一介の学園に監視カメラはそう多くないし、君ならそれを避けてここまでこれたはずだ」
「GUYSや警察が見張っているかもしれません」
「少しは信用してくれ。GUYSが何の関係も無い学園を監視するわけがないだろう」
「……それもそうですね」
私は一息つき、話し始めた。
「それで、何故私を呼び出したのですか」
「キミに聞きたいことがある。嘘は吐いてほしくない」
「良いでしょう。正直に答えます」
「ありがとう」
彼女の顔には、相変わらず変化は無かった。
「じゃあ、まずは聞かせてもらおう。君は、どこから来たんだ?」
「……これを見せれば、すぐに分かってくれるでしょう」
私は顔の変身を、半分だけ解いた。
「っ!!」
初めて彼女の表情が動いた。
その感情は、きっと"驚き"に違いない。
「お前は、メフィラス星人か……!」
「そうです」
私は顔を人間態に戻し、フードを脱いだ。
「うまく化けているな」
「そうですか? と言っても、この顔以外に変身はできません。それは本当です」
「そんなことは……どうでもいい」
零洸は、憎しみをたぎらせた眼で私を睨みつけた。
「目的はなんだ。地球侵略か」
「誓って言いますが、違います。これまで何体かの同胞が地球に迷惑をかけたようですが、元来我々の種族は争いを好まず、自分の惑星で平和に暮らしています。一部の愚か者が好戦的なだけです」
「キミがその“一部”ではない証拠はあるのか?」
「そんなものはありません。しかし強いて言うならば、これまでの私の行動を考えてもらえれば分かるはずです」
「……」
今零洸は、私の『ニル=レオルトン』としての言動を思い返していることだろう。
「言う通り、かもしれないな」
「もちろん、いつか謝らなければと思っていたことはあります。あなた方の基地に潜入したことや、人間と偽っていたことです。本当に、すみませんでした」
私は深く頭を下げた。
「キミの真意が分からない。何故人間に紛れて、学生なんか……」
「興味です。私は元々、本国では学問の世界で生きていました。特に他種族の研究に熱心だったもので、前々から人間の生体や心理、感情に関心があったのです。それは貴女だって、理解できるはずです」
「……」
「だから私は、一番感情的な“学生”に紛れたのです」
「では何故、危険を冒してバルタン星人の“産卵場”を爆破した? ただ人間に紛れて居たかったのならば、死にかけてまであんな真似はしないはずだ。本当は、自分が侵略しようと思っていた地球を先に奪われたくなかったんじゃないのか? グロルーラはキミを侵略者だと知っていたから、逆にキミを先に排除しようとしたんじゃないか?」
「それは……」
私は一度、言いよどむ。
「答えろ!」
「……奪われたく、なかったんです」
「それは――」
「自分の“居場所”を」
零洸は、眼を見開いたまま、黙り込んだ。
「最初はもちろん、人間のことなど“研究対象”以上でも以下でもありませんでした。誰が苦しもうと、私には関係ないと思っていました。しかし――」
私は自嘲気味に微笑む。
「いつの間にか……“それ以上”になっていたようでした。まだ、人間として生きていたいのです」
しばしの沈黙。それを先に破ったのは、彼女だった。
「そんな言葉は、信用できない」
零洸が、制服のポケットからペンの様な物体を取り出した。そしてそれを、高くかざした。
「私はキミを、ここで討つ」
その物体が光を放つ。その光に包まれ、零洸はソルに変身した。
「やはり、そうなりますか」
私は観念したように、天を仰ぐ。
「……戦う気はないのか」
「貴女に勝てると思うほど、私は無謀ではありません」
「キミはここで死ぬんだぞ!」
「覚悟はできていました。皆さんを欺いた、と自覚した時から」
「……そうか」
彼女は右手に埋め込まれた宝石のような物質から、エネルギーで形作られた刃を伸ばした。その切っ先は、私に向けられている。
「キミのことは、正直嫌いではなかった」
「ありがとうございます」
「しかし……私は見逃せない」
「分かっています」
私は目を閉じた。
ソルが迫って来たのは、見なくても分かる。
私は――――
―――――
―――
―――後編に続く