零洸と雪宮との一件から2日後、月曜日。私はいつも通りに登校した。長瀬の朝来訪や、道中のトラブルも何もなく、教室にやって来た。
しかし教室の入り口には、仁王立ちで待ち構えている草津がいた。
「おはようございます、草津」
「教えろレオルトン! どうすれば……どうすれば美少女と土曜日に一緒に居られるんだぁぁ!」
廊下を歩いていた生徒たちが、一斉にこちらを見た。
「声が大きいです」
「この俺が恥を忍んで聞いているのだ! それをむげにはできまい!?」
「別に、特別なことはしていませんが」
「じゃあ俺に何が足りん!? これ以上俺に美しくなれと!? これ以上俺に多才になれと!? 神よ、それは酷であろうっ!」
「余計な部分が多いのですわ! おはようございます、レオルトンさん」
草津の後ろから、杏城がひょっこりと顔を出した。彼女はわめく草津の腕を握って、教室の中に引きずり込んだ。
「今朝ご一緒に登校したのですけど、草津さんずっとこの調子です……」
杏城は普段通りに私に接してきた。一昨日の件で軽蔑されたと思ったが、考えすぎだったか。
私は杏城に礼を言って、自分の席に向かった。隣の席はまだ空いていた。
「よう、レオルトン」
「おはようございます、樫尾さん」
樫尾は、私が先週貸していた生物のノートを返しにやって来た。
「愛美なら今日は休みだぜ?なんか具合悪いとか言ってたな」
「そうでしたか」
「そういや唯ちゃんから聞いたんだが、あの雪宮悠氷と3人で飯食ったらしいな?」
あの娘…よくもしゃべったな。
「じゃ、じゃあ1日に3人の美少女と一緒にいたわけか? おぉ神よ!この男に天罰をっ!」
草津が杏城に腕を握られたまま、教室の真ん中で叫びだした。
「とにかく、全て誤解ですから。ほら、もう授業が始まってしまいます」
チャイムが鳴り、クラスメートたちが各々の席に座る。これから紫苑レムの現代文の時間のはずだが、数分待っても紫苑レムは現れなかった。
「いやぁ、すまんすまん」
男子たちの熱い期待とは裏腹に、教室に入ってきたのは担任だった。
「ひ、一つ聞きますが先生。紫苑先生は……」
「おお草津。ちょうど話すとこだ。紫苑先生はお休み、今日の4限は俺の授業の補講って形になる。よろしくな」
「そうか。俺は完全に神に見放されたわけだ」
草津は涙を流しながら俯いてしまった。
こうして騒がしく始まった一日であるが、実に穏やかな時間が過ぎていった。
授業の合間の休み時間、私はふと、私の二つ前の席に座る零洸に目を向けた。
「ははは。そんなことがあったのか」
「未来もこの面白さ分かる!? やったー」
彼女はクラスメートと談笑していた。と言っても、彼女から進んで誰かに話しかけているのを見たことは無いが。
私が視線を自分の机に戻した瞬間、教室の扉が開く音がした。
「席について」
チャイムの鳴る直前、突如担任が教室に入ってきた。クラスメートたちはそれぞれの会話を終えて席に戻っていた。
「この時間は、自習です」
「やったぜ!」
「わーい!」
クラスメートたちが、あからさまに喜びの声を上げる。もう少し担任に気を使ってやれ。
「このDVDを見て、感想レポートを書いてください」
担任はおもむろにテレビとプレイヤーの準備を始めた。彼は淡々と機械を操作して、テレビの電源を入れた。
「授業終わりに、戻ってきます」
そして彼は出て行った。終始表情を変えないまま、彼は去って行った。
……妙だな。
私は耳を澄ました。
担任の足音は、明らかに私の知っているものと違った。人間の足音は、その個人ごとに特徴を持っている。速足でもゆっくりでも、ある共通のリズムや音を立てるのだ。
まるで誰かに無理やり身体を動かされているような……いや、そうであれば何らかの外部エネルギーを感知できるはず。
「じゃあ付けまーす」
「待て、再生するな!」
女子生徒がプレイヤーの再生ボタンを押そうとした瞬間、零洸が叫んだ。
それと同時に、テレビの画面に“東映”の文字が現れた。
ざわついていた教室が、急に静まり返る。クラスメートたちは固まったように、テレビに目線を向けたままだった。
画面上では全体が妙に点滅したり、音声にもノイズが混じったりしている。依然として“東映”の文字が表示されたまま、画面はちっとも進まなかった。
「レオルトン」
前の席に座る女子生徒が、私の方に振りかえる。
そこには、表情が無い。
「死ね」
突如、彼女が手に持ったボールペンを私の顔に向けて突こうとする。私は咄嗟に避けて椅子から立ち上がった。
何が起こっているのか――それを考える間もなく、私の背後に何者かの飛び蹴りが迫った。私は机を飛び越えてそれを避け、振り返る。
「レオルトン、殺す」
蹴りを仕掛けてきたのは、虚ろな目で私を凝視する草津であった。
「殺す」
草津は問答無用で殴り掛かってくる。私はその拳を受け止めた。
「草津、何のつもりですか」
草津の目からは、何の意思も感じられなかった。最初は、私への嫉妬が爆発したのかとも思ったが、どうやらこの男――
「草津は正気を失っているんだ!」
零洸が駆け寄ってくる。しかし零洸の足が止まった。
私と草津の間に割って入ろうとする彼女を、近くに座る杏城が、腕を掴んで止めた。
「邪魔するな」
「逢夜乃?」
零洸の声をきっかけに、教室中の生徒が立ち上がり、一斉にこちらを向く。
「ニル=レオルトンを、殺す」
同じセリフを口にする彼らの眼からは、何の感情も読み取れなかった。
「零洸さんは、どこもおかしくないようですね」
「咄嗟に目を閉じた。君は?」
「画面ではなく下を向いていました」
「あれが原因か」
零洸は、未だ砂嵐を映すテレビ画面を見てそう言った。あのDVDが異変の原因だと見抜いているようだった。
「他の方は駄目そうですね」
「レオルトン、殺す」
草津が再び、私に襲いかかる。
「させない!」
零洸は杏城の腕を振り払い、私の前に立つ。
「はっ!」
草津の蹴りは、吸い込まれるように零洸の両手に引き込まれる。彼女は草津の蹴りの力を受け流し、彼の軸足を蹴りで薙ぎ払った。
草津が倒れる。零洸は草津の鳩尾に一発入れ、彼を気絶させた。
「骨が折れますね、この男の相手は」
「呑気なこと言っている場合じゃないぞ、レオルトン」
「ええ」
「彼らは何をされたんだ……」
「まるで洗脳ですね。少なくとも草津は自分の意思で動いていません。草津なら、もっと馬鹿げた言葉を叫んでもおかしくないですし」
「そうだな。しかし何故レオルトンが狙われる?」
「冷静ですね、零洸さん」
「こういう状況には慣れている」
一体この女、何者なんだ?
その時、教室の扉が開かれる。
そこには、他クラスの生徒たちが大勢いた。皆虚ろな目で「殺す」と呪詛のように唱えながら、この教室の前に殺到していた。廊下もすし詰めのようになっていることだろう。
私は外に通じる窓に視線を走らせた。
「私も行こう」
「いえ、零洸さん。彼らの狙いは私です。一緒に来れば間違いなく狙われます」
「しかし……」
「大丈夫です。一人の方が小回りが利きます」
この女と一緒に居るのは得策ではない。私の正体に勘付かれるのは御免だ。
「コロス」
生徒たちが一斉に、私に向かって駈け出した。
「仕方ない、キミを逃がす!」
私たちは最短距離で窓に向かった。私が先を行き、少々手荒にクラスメートの壁を切り開く。零洸は、空いた私の背を守る。
しかし感触が悪い。何の意思もない非力な人間への攻撃は、私を不愉快な気分にさせる。
「行けるか?」
「大丈夫です」
私は窓枠を超えてベランダに飛び出した。ここは3階。私は人間の能力の範囲内で、手すりや空気管、様々な物体を掴みながら降りて行った。
「大丈夫か!?」
3階から、零洸が私を見下ろして叫んでいる。
「零洸さんは?」
「私は平気だ。キミを追って、生徒が教室を出て行ったようだ!」
「分かりました。ご武運を」
そして走り出した時には、既に校舎内から多くの生徒たちが追って来ていた。
さらに、校庭から敷地外に出られる正門には、机でバリケードが築かれていた。本格的に私を包囲にかかっているようだ。
「望むところだ」
私はバリケードに向かって走り出した。
おそらく、生徒を操って私を狙っている者は校内に居る。人間を利用して私をかく乱し、殺すつもりなのだ。
私を邪魔者扱いする何者か――おそらく宇宙人が。
プープープー!
その時、バリケードの向こうから、車のクラクションが鳴り響いた。その音は、こちらに向かってくるように大きくなる。
そして、一台の車が机のバリケードを破って敷地内に侵入してきた。
「乗って!」
「紫苑先生」
私は、背後に迫っていた生徒をなぎ倒しながら、かろうじて紫苑レムの車の助手席に乗り込んだ。
「行くわよ!」
彼女は思い切り車をバックさせた。最初の衝突で壊れかけていたバリケードは、いとも簡単に突破できた。彼女は車を反転させ、校舎から離れていった。
「レオルトン君、大丈夫?」
「はい。それよりどうして、あなたがここに?」
「出張帰りよ。学園に電話しても繋がらないからおかしいと思ったのよ。そしたら、何故か門は封鎖されているし、中に入ったらあなたが追われているのが見えたしで、先生びっくりよ」
彼女は苦笑いしながら、前方を見ていた。
「しかし助かりました。本当にありがとうございます」
「ふふ。可愛い生徒を守ってあげるのが、先生の務め――」
彼女が急ブレーキを踏んだ。
「これは、まずいわね……」
突如公道に現れたのは、沙流学園の生徒たちだった。車が直進できないように、自らの身体を使ったバリケードを張っている。
「これは、突破できないわ」
「紫苑先生。脇道に入りましょう。そこを抜ければ大通りに出られます」
「分かった!」
彼女はハンドルを右に切り、すぐ近くの脇道に入った。交差する道路が無いため、妨害の心配はない。
「ここを抜ければ大通りに――」
その瞬間、横から何かが飛び出した。彼女はブレーキと共にハンドルを切る。飛び出してきたものにぶつかることは無かったが、車は一回転し、そのまま電柱に正面衝突した。
強い衝撃がかかり、車のエアバッグが飛び出した。
一瞬視界が奪われたが、すぐに状況が確認できた。車の前方部は大破し、黒い煙が噴き出している。
運転席の紫苑は、エアバッグに顔を埋めたまま、苦しげな声を上げていた。
「先生、大丈夫ですか?」
「い、一応……ね」
彼女は額から血を流していた。
「これを」
私はハンカチで彼女の額の傷を抑えた。
「い、いいから……早く、逃げなさい」
「しかし」
「私は、いいから……!」
彼女は懇願するように、小さく叫んだ。
「……分かりました」
私は車の扉を開けた。
車の外に出て気づいたが、さっき飛び出してきたのは、やはり学園生であった。私はその生徒を殴りつけ、気絶させた。
私を着実に追い詰めようとする連携行動。ただ闇雲に私を追うように洗脳されているのではなく、それぞれ役目を与えられて街中に配置されているのかもしれない。
とすれば、向かう場所は――
私は、空き地の物陰に潜みながら、ある場所を監視していた。
「杞憂だったか…」
私が見ているのは、自分の家であった。私が足止めされている間に家を捜索されているかもしれないと考えたからだ。そうでなくとも待ち伏せくらいされているかと思ったが、それも無い。スマートフォンで呼び出した自宅の警備システムは、何の異常も知らせていない。
ならば一度自宅に戻り、あの洗脳を解く手段を見つけなければならない。
私はアパートの前まで走った。
だがその時、私は強烈な“寒気”を感じた。
そして振り返ろうとした時には、私の足は動かなくなっていた。
私の足は、いつの間にか地面ごと氷づけにされていたのだ。そして私を取り囲む一帯、あらゆる場所が冷気に包まれていた。
そして背後から、氷を踏みつける足音が鳴り響く。
「お前は……」
氷を操る力、銀色の肉体、二本の角、握られている白銀の刃――
「グローザ星系人グロルーラ」
奴はくぐもった声でそう言って、私に刃を向けた。
私は右手にから光線を撃って足元の氷を解かす。自由になった足で体の向きを変えて、グロルーラに正面から向き合った。
「お前が、生徒を操ってこんなことを?」
「……」
奴は何も話さない。
その代りに、地面を蹴ってこちらに向かってきた。
「戦いは、久々ですね」
私は奴の刃を、エネルギーを纏う右手で受け止めた。しかし思った以上に刃の切れ味は鋭く、私は刃から逃れて距離を取らざるをえなかった。
「ちっ……」
緑色の血液が指を伝う。私は血の色を操作し、赤くした。
「グローショット」
奴は刃の無い左手を広げて私に向けた。そこから弾丸のように氷の塊が飛んでくる。
「くっ!」
私は肩をかすめながらも、氷塊を避けた。
私の後方――弾丸の当たった壁や電柱は、凄まじい勢いで凍り付いていた。
「なりふり構わず、ですか」
「……終わり」
ますます周囲の気温が下がる。
同時に奴の左手に刃が現れ、二刀流となった。そして、一気に距離を詰めてきた。私は先ほどよりも強力なエネルギーを両手に溜めた。
右手の刃は、私の右手で。左手の刃は、私の左手で受け止められた。
しかし、第3の刃が私を襲った。突如地面から突き出てきた氷の刃が、私の脇腹を貫いた。
「がっ!」
私は冷たい地面に倒れた。この一帯、氷の空間は奴のテリトリーだったのだ。
「お前の負け」
こんなところで、私は殺されるのか。
私の首筋に、冷たい刃の感触が伝わる。
何か手は――
「ニル!!!!」
その時、誰かが駆けてくるのが分かった。
「ニル! ど、どうしたの!?」
「さ、早馴、さん…」
凍った草むらを踏みならしながら、早馴愛美が私のもとにやって来る。グロルーラがそれに気づいて刃を引いたところに、彼女は身体を滑り込ませた。
「ニル、大丈夫?」
「どうして貴女が……それより、早くここから逃げ――」
彼女は私の制止を無視し、私の前に立つ。
「に、ニルに……何する気!」
彼女の痛々しい叫びが、冷気の中で響く。
グロルーラが作り出している“冷凍空間”は、とても人間が足を踏み入れられる場所ではない。彼女はガタガタと震えながらも、必死で私を庇おうとする。
「……」
その姿を前に、グロルーラは動きを止めた。
「早馴、さん……逃げてください」
「いや!」
まずい。このままでは2人とも殺される。
「……何故」
グロルーラが、口を開く。
「何故、助ける」
「そんなこと、当たり前……でしょ……!」
早馴の声がどんどんか細くなる。寒さに耐えられないのだ。
「友達を……守り、たいからっ!」
しかしその声には、強い意志が込められているように思われた。
「ニ、ル――」
依然動かないグロルーラを前に、ついに早馴の意識が飛んだ。
「早馴さん!」
私は、倒れた彼女を抱きかかえた。そして背中を切られる覚悟で、私は早馴を抱えて冷凍空間から退くために走った。
しかしグロルーラは微動だにしない。見えないその姿からは、何の感情も読み取れはしないが、どこか動揺しているような印象を覚えた。
「待て」
しかし彼女は、一瞬で私の目の前に回り込んできた。
「ぐあっ!」
逃れたと思ったのも束の間、奴の右腕が私の顔面に向けて薙ぎ払われた。しかし斬撃ではなく、手の甲による殴打である。
私は電柱に背中を打ちつけ、膝をついた。しかしかろうじて早馴の身体を落とさずに済んだ。そこにグロルーラが迫ってくる。
「グロルーラ、何故私を、殺さない?」
「お前は――」
グロルーラが歩みを止めた。
「そこまでだ!!」
聞き覚えのある声。
それと共に、複数の気配を近くに感じた。
「レオルトン、助けに来た!」
彼女――零洸未来が、グロルーラの背後に立っていた。
彼女は見覚えのある光線銃を構えた。
「ここからは私たちと戦ってもらう!」
零洸が身に付けていた防弾チョッキの胸元のバッジには、5枚の羽根を模したエンブレムと『CREW GUYS』の文字が刻まれていた。
―――第10話に続く