かくして
「うーん! やっぱりおいしいなぁ、このケーキ」
早馴は、いつの間にか3つもケーキを食べ終えていた。2人分の金があるとだけ言ったのに3つも食すとはいかがなものか。
「早馴さん」
「なに?」
「本当に連れて行ってくれるのでしょうね?」
報酬の前払いは信用が物を言う。この女がまともな奴かどうか……。
「当り前でしょ。アンタのこと別に好きじゃないしめんどくさいけど、約束は守る」
自信満々にそう言うが、彼女の口元にはケーキのクリームが付着していた。
「あの」
「ん?ちょ、ちょっと……そんなじーっと見ないでよ」
「口にクリームが付いてます」
「……」
「……」
「……ヘンタイ!」
「えっ」
早馴はティッシュで口元を拭いながら席を立ってしまった。
「もう行くっ」
「どこへ?」
「どこって、不動産屋さんでしょ?」
私たちはケーキ屋を出て、少し急ぎ足で不動産屋へ向かった。
駅前は建物も多いし複雑だ。この周辺の地理は早いうちに覚えておこう。
「ふぅ……疲れた。ほら、そこ」
「ここですか」
「私が知ってる場所はここだけ。それじゃ私は帰ろ――」
「いらっしゃい、お二人さん。さぁさぁ入って入って」
気の良さそうな店主が、店頭に立っていた私たちに気付いて中から出てきた。
「え、ちょ、私はただの付き添いで……」
「まぁまぁまぁ。将来のために見ておくのも悪くないですよ! 同棲なんてね、案外勢いですぐ始めるもんですからな」
勢いに押された形で、私たちはカウンターの前の椅子に座らされてしまった。
「ちょっと、なんか勘違いされてるけど!」
店主がパソコンを熱心に捜査している間に早馴が私に耳打ちしてくる。
「まぁ、そこはスルーでいきましょう」
「いやいや! 同棲なんて、するわけないでしょ!」
「それで店主」
「無視しないでよ!」
「できるだけ最近建てられた1LDK以上、2階より上の部屋、バスルームとトイレが別、それからオール電化がいいですね。それから線路や大きな道路沿いは困ります。それから……」
………
……
「――といった物件を希望します」
「あのさぁ、いくらなんでも希望が多すぎじゃない?」
何だかんだ言ってお茶を飲みながらくつろいでいる早馴が口をはさんだ。
「せっかくですからこだわりたいのです。どうです?」
「おぉ! こいつは凄いな。丁度いいアパートを見つけたよ」
「こんな偶然あるんだ……」
「店主、さすがですね。早速連れて行ってもらえますか」
「いいよいいよ。ここからちょっとかかるからね。私の車で行こう」
「ええ。早馴さんも行きましょう」
「まぁ、ここより家に近くなるし。付いてってあげる」
それから店主の車で10分ほど走り、例のアパートにたどり着いた。
「どうだい?気に入ってくれた?」
「これは素晴らしい」
少し離れた所に隠してある円盤での生活も悪くは無かったが、人間の住居というのもなかなかの出来だ。清潔感があり、学園も近い。こう見えて住む場所にこだわるのが私なのである。
「ここに決めます。今日から住んでも構いませんね?」
「全然いいよ。面倒な契約書類は後からで構わないから」
「……アンタ凄いね。こんな所に住むの?」
「お金の心配はありません。両親がよくしてくれましたから」
「ふーん。それじゃ私、帰るから」
「送ります」
しかし彼女は外まででいいと言ったので、ここは引き下がることにした。詮索していると思われるのも癪だったのだ。
「今日は本当にありがとうございました」
部屋の外に出た私は、人間の流儀で感謝の意を示した。
「そんな頭下げなくていいって」
「早馴さんのおかげで雨風をしのげます」
「大袈裟か」
「では、明日も学園で――」
「あのさ」
「はい」
「……こっちこそ、ありがと。ケーキ美味しかった」
早馴は足早に階段を下り、そのまま帰路についた。
「感謝の言葉か…」
案外悪くない感覚であった。
「ふぅ、人間に変身するか」
明くる朝。私は“侵略者”メフィラス星人の姿から、“人間”ニル=レオルトンの姿へと変身する。
昨夜は人間についての文献やデータの閲覧に時間を使ってしまった。都合のよい事に、この国には学園生活について記述されている資料が多い。これからも目を通していこうと思う。
ピンポーン
こんな朝から訪問者?人間に言わせると非常識というやつだ。
「はい。どちらさ――」
『グッドモーニーングッ!!』
……は?
幼げな少女の声だった。一体誰だろうか? この家を知っているのは早馴だけのはずだが。
「あの」
『ぐうたらしようとしてたんじゃないですか? 朝起きるのを諦めようとしたんじゃないですか?』
「どちら様ですか?」
『あっ、自己紹介忘れてた。隣の長瀬でーす』
「あ、そうでしたか」
この国の現代社会では隣人同士の関係が薄れてきているというが、全部が全部というわけではなさそうだ。本来ならば新参者の私から行くべきであったが、もう仕方の無いことだ。
「今開けます」
ガチャ
「おはようご――」
「あわわわっ!」
ドアを開いた瞬間、見知らぬ少女の身体と顔が、私に向かって倒れ込むように近付いてきて―――
「……」
「……えへっ」
まさか朝から人間の少女に、腹の上に馬乗りにされるとは思わなかった。
長いベージュ色の髪をポニーテールにした彼女は、丸い眼を輝かせながら、私を見下ろしている。
「大丈夫、ですか?」
「ドアに張り付いてたから、急に開いてびっくりしちゃいましたよー」
「それよりも」
「んー?」
「降りてもらえませんか?」
「あ、そうだった。ごめんちゃい」
小さな舌を出してえへへ、と笑った。
「ところで、何かご用でしょうか」
「うーん……強いて言うならモーニングコール?」
「そういえば、私の方も御挨拶がまだでした。わざわざそちらから訪ねて頂くなんて恐縮です」
「外人さんっぽいのに日本語上手なんですね?」
「ありがとうございます。ところで」
「はいっ!」
「私の上から降りてもらえますか?」
そうして、ようやく私の上から立ち上がった彼女の名前は、
家を出る時間も重なり、私たちは一緒に登校する事になった。
彼女の話によると、彼女は私よりも1年以上長くこのアパートに一人で住んでいるらしい。そして私と同じ学園の、一つ下の学年だった。
昨日同じ学園の制服姿だった私を見かけ、今朝は挨拶に訪ねて来たらしい。なかなか律儀なものである。
「へー、留学かぁ。楽しそうですねぇ」
背の低い彼女は、見上げるように私の顔を見つめながら隣を歩く。
「まだ分かりませんが、大きな期待感を抱いています。クラスの皆さんも良くしてくれますし」
「私も留学したーっい! 行くなら南国だねっ! 沖縄とか行きたーい」
「それではただの国内旅行ですよ」
普通、朝からこれほど賑やかな人間は少ないと聞いていたが。この娘は他の誰よりも元気が有り余っているように見える。
「あ、未来センパイっ!」
長瀬が走っていった先には、クラスメートの
彼女は背筋を伸ばして颯爽と歩いていた。それにやっと追い付いた長瀬は、振り返った零洸の腹に抱きつく形で飛びついた。
「おはよう、唯。それにレオルトン」
「おはようございます」
「朝から女の子と一緒か。キミも程々にしろよ?」
「ええ」
一体何を程々にしろと言いたいのか分からないが、返事はしておく。
「聞いて下さいよセンパイ!ニルセンパイって、留学してるんですって!」
「それは知っている。彼とは同じクラスだから」
「ままままじですかっ!」
まるで漫画に出てくるようなオーバーリアクションだった。口をあんぐり開けて両手を上げる……滑稽だった。
「零洸さんと長瀬さんが仲良しだとは意外でした」
「私だけじゃない。このコはみんなと仲が良いからな」
「お友達の多さは世界一ですよっ。でもでも、ベストクールビューティーは未来センパイですよっ」
長瀬は腰に手を当て、わざとらしく「えへん」と叫んだ。
社交性が一際高い人間か……なかなか興味深い。
それから10分ほど3人で話をしながら歩いていると、妙な声が校門の辺りから聞こえた。先日は少々遅く来たから分からなかったが、今朝は肩に妙なものを付けた連中が、その前を通る生徒たちに挨拶をしている。
「おはようございまーす!」
気持ちの良い朝は挨拶から始まる、という教えがこの国にはあるらしい。このような活動が起こるのも、もっともなことだろう。
「おう」
その中で最も大きな身体の男が、誰かを呼びとめるように声を上げた。
「そこぉっ!」
「レオルトン、呼ばれているぞ」
零洸にそう言われて振り返ると、私の目の前に巨漢が立っていた。
「……私にご用ですか?」
「そうだ。お前、見ねェ顔だな? 何年何組だ?」
威圧的な態度だったが、何か権力をかざすような嫌らしさは感じない。
「2年2組の二ル・レオルトンと申します」
「ほぅ……」
太い眉毛に強面の巨漢が訝しげに私を見る。力強い光を放つ瞳を真っ直ぐに向ける男。…私を見て何か感づいたか?
「お前、新入りだな」
「はい」
「昨日あたりに転入したか?」
「ええ」
「ぱっと見て分からねェわけだ。俺は
男は厳しい表情を崩し、私に握手を求めてきた。もちろん断る道理も無い。
「安心しろ。別に取って食おうってわけじゃねェ。昨日は全国風紀委員会取締総会で公欠だったんだよ。同じクラスの転入生への挨拶が後れちまった」
「同じクラスでしたか。今後ともよろしくお願いします、樫尾さん」
「こちらこそ。未来と唯も、おはよう」
「ああ、おはよう」
「グッドモーニングですっ」
「おう。早坂ァ!」
「はい!」
線の細い優男が、樫尾に呼ばれて駆け寄ってきた。しかし不思議と弱弱しさは感じない。
「こいつは早坂。俺と同じ風紀委員で、剣道部と掛け持ちしてるんだ。レオルトン、お前とクラスも一緒だぜ」
「
「こちらこそ」
「まったく、相変わらず女々しい野郎だな。しっかりしろ」
樫尾は早坂の背中を力強く叩いた。
「か、樫尾さん……背中が痛いです」
「我慢だ!じゃあまた後でな、レオルトン。何か困ったことがあれば遠慮なく言え。力になるぜ」
樫尾は、私の背中もばんばんと叩いた。確かに痛い。
「あ、ありがとうございます。それでは教室に行きます」
「おう」
意外といい奴なのか……人は見かけによらないものだ。
―――後編に続く