3年ぶりに帰って来たニルは、またもやすぐに姿を消した。
ニルの拘束具によって全身が麻痺していたルミは、愛美と
ルミは身体が調子を取り戻した瞬間に起き上がり、クローゼットの奥から埃まみれのタブレット端末を引っ張り出した。それは3年前に消えたニルを追うため、今や世界一勢いのあるIT企業のCEOである早坂冥奈と協力して作り上げた捜索システムだった。ニルのエネルギー、映像、その他彼が製造した装置を広域検索するシステムである。しかし約2年間、ルミは意図的に捜索を停止させていた。
「なんで、今更……!」
つい数時間前、システムは初めてニルの形跡をキャッチしていた。それはニルが地球各地に隠しているシェルターや宇宙船のうちの一つを示している。
「まだ、間に合う」
システムは現在もニルの足跡を補足している。しかしルミはそこに直接向かわない。
代わりに、もっとも自宅から近い場所に隠された宇宙船に乗り込んでいた。
操作方法は全て彼女の頭に入っている。小さい頃の遊び道具になっていた操作コンソールを、ルミは迷いなく操作していた。
それと同時に、捜索システムがニルの地球外脱出を補足する。ルミは宇宙船を発進させ、ニルの反応を追った。
宇宙船は自動航行でニルを追跡する。ルミはニル側がそれに気づいていないわけがないと考えていたものの、振り切られることは無かった。
だがルミが一息ついたのは束の間だった。地球からの超遠距離通信チャンネルが開き、モニターに発信者の顔が表示されたのだ。
『ルミっ! 今どこに居るの!?』
「ママ。ムカつくけどニル=レオルトンの言う通りにして。アイツは何か企んでる。危険が及ぶ前に恵泉や逢夜乃さんたちと隠れてて」
『ルミ、まさかニルを追ってるの?』
「アイツには聞くことがある。連れ帰る気は無いけど」
『地球のみんなは、私がどうにかする。でもルミ、早く帰って来て』
「……ねぇ、ママ」
いつ切れてしまうとも限らない通信。か弱い電波に、ルミは言葉を乗せた。
「私が小学生の時、恵泉をいじめた悪ガキのこと覚えてる? 私がメフィラス星人の力を制御できなくて殺しかけた、あの男の子」
『……そんなこと、あったね』
「止めてくれたママを、私は傷つけた。私はその時から、自分のこの血が、力が大嫌い」
『ルミ……』
「恵泉以外にまともな友達いないし、毎日退屈。学校も勉強も運動もクソくらえ」
何が伝えたいのか、何の道筋も立てないまま、ルミは感情のままに言葉を並び立ててしまう。
父が話した“危機”が本当なら、ルミが母と話せる機会は最後かもしれないのだ。
「違う。そんなことが言いたいんじゃない。私は、ママから受け継いだ――」
通信が切断された。
宇宙船は太陽系を超えるとワープ航行に移行した。数分後に再び宇宙船が漆黒の宇宙を泳ぎ始めた時には、既に地球との交信は不可能になっていた。
たどり着いたのはM87星雲だった。
ニルとルミは、光の国の間近まで迫っていたのだ。
「マニュアル航行に切り替え」
ルミは再び操縦桿を握った。ニルが設計した2隻の船は高度なステルス性能を持っている宇宙船のため、光の国に補足されることは無い。しかし念のため、ルミは小惑星帯に船体を隠しながらニルの位置を観測することにした。
その時、ニルの船が停止した。
それと同時に、レーダーが光の国からの異常なエネルギーを感知する。
レーダー上だけではない。ルミは宇宙船の望遠カメラでも異常を認めていた。
それは光の国から遥か高く伸びている塔――プラズマスパークタワーの頂上での大爆発であった。もちろんルミはそのタワーの持つ機能を知識として知っていた。そしてその喪失が光の国の終焉を意味することも理解していた。
いやそれだけでは済まない。
光の戦士たちが築き上げた平和の破壊。その行く先はすなわち、地球の危機なのだ。あらゆる悪に狙われ続ける地球は、その守護者を失ったのだから。
「まさか、アイツ――」
ニルの船が動き出す。
ルミは今度こそ距離を詰めた。2隻の船は宇宙人でも視認できない程度の距離を保ちながら、光の国に侵入した。
しかし光の国を包んだ夜は、一寸先すら見えない暗黒であった。
『ほら見て。戦えば敵なしの光の戦士だって、こうなっちゃえば終わりだね』
宇宙船のマイクが、ルミには聞いたことのない声をキャッチしていた。
『リンネ。遊んでいる場合ではありません。戦士たちの抵抗に備えます』
それはニルの声だった。
ルミは宇宙船を浮遊したまま停止し、ハッチを開放する。
彼女がイメージしていた光の国の姿は、既に消え去っていた。凍てつく寒さと闇だけが存在していた。ルミはその闇に紛れながら気配を殺し、ニルと、彼がリンネと呼ぶ何者かに接近する。
それから崩壊し始めたタワーから飛び降りてきた“黒い光の戦士”を肉眼で認める。ニルともう一人――まるで黒いドレスに身を包んだ人間の少女が話し合っている。
黒い戦士が、その手にデバイスとカードを持っている。
ルミは直感で動いた。
ニルが受け取ろうとしているそのデバイスは、間違いなく危険な代物。そしてニルにとって重要な何かだ。
ルミは持てる最大スピードでデバイスとカードを奪い取った。
「っ!」
ニルがその顔に浮かべた、わずかばかりの驚き。
ルミにとっては白々しいの一言ではあるが、ニルが奪い返そうと追ってくる確信があった。
「これ、どう始末つける気?」
リンネと呼ばれていた少女の声を背後に、ルミは宇宙船に飛び乗っていた。
「追って来いよ、クソ野郎――」
『ニル、私はすごく残念』
ニルたちの姿が、再び宇宙船のモニターに映し出された。
「嘘……」
ルミが目を離した一瞬のうちに、それは起こっていた。
ニルの胸を貫く、黒い拳。
ニル捜索システムが、その対象の心拍が途絶えたことを告げていた。
「死んだ……?」
『シュラ。こっちの@ソウルを使って。上空に泥棒猫の船が停まってる。撃ち落として』
『ああ、いいぜ』
黒い戦士が姿を変え、巨大な怪獣に変化した。
ルミは操縦桿を力いっぱい右に切って旋回するが、強い衝撃に襲われる。エンジン部分が復旧不可能な損傷を受け、不時着を告げるけたたましい警告音がルミの耳をつんざいた。
光の国に残された宇宙船を強奪すれば逃げ切れるか? それとも身一つで飛ぶ? いや私の能力じゃそう遠くには逃げ切れない。
だめだ、絶対にここで捕まるわけにはいかない。あのクソ野郎どもから、ママとみんなを守らないと――
「っ!!」
その時、ルミの腕に装着されたブレスレッドが振動した。
『次元転移発動』
ルミの全身を貫く電撃のようなエネルギー。
そして彼女が最後に目にしたのは、モニター上の無数のアラートを打ち消して現れた、たった一通のメッセージだった。
『@ソウルと共に姿をくらませ』
そしてルミの視界は真っ白になる。
―――
―――――
―――――――
「……」
ルミは深い森の中に倒れていた。意識を失っていたのが一体どれだけの時間だったのか、一瞬なのか、果てしない年月なのか、彼女には判断できなかった。
その手には、ニルから奪い取ったデバイス――@ソウルと付属のカードだけが握られていた。
ルミは落ち着きながらも早い足取りで森を抜けて人里に下り、最初に見つけたコンビニに入る。
そこで売られていた新聞に記された日付は、彼女が生まれる6年前の2022年だった。
「……」
彼女は自分のなすべきことを決めていた。
ルミは、自分が過去に遡ったのはニルの仕業だと理解していた。そして彼が@ソウルと名付けられたデバイスを何らかの理由で託したことにも気づいていた。
だが彼女には、ニルの隠された意図などどうでもよかった。
数日後、彼女が立っていたのは沙流学園の正門前だった。
偽りの身分を手に入れた彼女は、学園生の列に交じって校舎に入っていった。
「あ、課題全部終わってなかったかも」
眠そうに欠伸を一つ、靴箱の前で気だるげに靴を履き替えている母。先の世でルミを生み、育んでくれる母――早馴愛美。
「教室に着いたら写させて」
「駄目です。愛美さんのためになりませんから」
やがて宇宙を滅ぼす男――ニル=レオルトン。
「……」
ルミは誓った。
彼女の半身に流れる人間の血、そしてもう半身に流れるメフィラス星人の血が、彼女にその決断をさせた。
ニル=レオルトンを殺して未来を変える。地球と、そこに住む大切な人を絶望から救ってみせる。
その変わった未来に、自分自身が存在しなくなるとしても。
「私が守るよ。ママ」
パーカーのフードを被り、ルミは彼らに背を向けた。母に最後まで伝えられなかった言葉と、その後悔を胸にしまい込んで。
――第8話に続く