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――――――――2040年。
「うらぁぁぁ!!!」
ここは金星。地球からは観測できない場所で、早馴ルミは何者かと戦闘中にあった。
「あはっ。良いパンチ打つようになったわねぇ、ルミちゃん」
ルミの拳を受け止めたのは、零洸未来だった。しかしこの時は百夜過去の人格が肉体の支配権を握っており、髪は銀色で両の瞳赤くなっている。未来はルミの手を掴んだまま急浮上し、ルミを投げるようにして地上に叩きつけていた。
「もうおねんね?」
「まだまだっ!」
漆黒の髪と白い肌を金星の砂に顔を汚しながら、ルミは笑っていた。
楽しくて楽しくてたまらない――そんな感情を、彼女は数カ月ぶりに表に出していた。それこそ、地球上ではそんな表情を見せたことは、殆どない。
『百夜! もうそこまでにするんだ。そろそろルミが怪我をするぞ』
「えぇ~。もうちょっと遊ばせてよ」
『愛美に怒られるのは私なんだぞ』
「はいはい」
突進してきたルミを抱きしめるようにキャッチし、未来は地上に降り立った。
「ルミちゃん、そろそろお終い。未来ちゃんがうるさいの」
「ううん。いつもありがとう、百夜さん」
「いいのよ。私も良い運動になるから」
彼女たちの戦闘でクレーターだらけになった地上を歩き、2人は丁度良いサイズの岩に並んで腰を下ろした。
「ルミ。怪我はないか?」
「ありがと、未来さん。私は平気」
「本当か? 顔が少し汚れている」
「だ、大丈夫だって」
未来が優しく砂汚れを拭うと、ルミは頬を赤らめて目を伏せた。
「ママは色々言うかもしれないけど、私は未来さんたちとトレーニングするの、すごく好きなの」
「だがルミ、愛美の言うことはきちんと聞くんだ。キミが地球で力を持て余していることは、彼女もよく分かっている。だとしても、本当は危ないことはして欲しくないはずだ」
「……分かってるよ。でも、ママはおせっかいなの」
「キミを愛しているからだ。それに“彼”も――」
「アイツの話はしないで!」
ルミは首を横に振り立ち上がった。
「……パパは、私の力をいつも否定する。力も正体も隠せ、人間として生きろって」
「違う。レオルトンはキミのことだけは――」
ルミに手を伸ばしかけた未来だったが、彼女は遠方の宇宙から“何か”を感じ取っていた。
「ルミ、地球に還ろう」
「……はい」
未来がルミに触れる。2人の身体は金星から一転、地球に瞬間移動していた。
「未来さん、そんなわざわざ急がなくても――」
未来は何も答えず、急くように目の前の一軒家のインターフォンを押した。
「おかえり――未来?」
そしてルミと未来を出迎えたのが、ルミの母である愛美だった。
彼女は、未来の様子に言いようのない危機感を覚えていた。そしてそのただならぬ雰囲気を、ルミ自身も感じ取っていた。
「ルミを連れまわしてしまって申し訳ない」
「……上がっていかない?」
「すまないが、すぐに出なければ――」
「零洸さん」
愛美の背後から現れる男性。
彼がルミの父――ニル=レオルトンである。彼は背を向けかけていた未来を呼び止めていた。
「愛美さんとルミは家の中に。私は零洸さんと話すことが」
「……分かった」
愛美がルミの手を取り、廊下の奥へ連れていく。
すれ違うルミとニル。
2人の視線は交わらなかった。ただルミだけが、感情を殆ど表に出さない父親がわずかな焦燥を垣間見せたことに気づいていた。
「北の銀河から、異質なマイナスエネルギーを感じた」
「はい。私のレーダーもその波を感知していました」
家の外で話す零洸とニル。2人の会話に、ルミは砂まみれの服を脱ぎながら聞き耳を立てていた。父親から受け継いだ超人的な身体能力のおかげで、彼女の聴力は屋外の会話程度は簡単に聞き取れる。
「おそらく、相当に強い敵です」
「……私が地球を離れても問題無いだろうか」
「幸い地球はファントン星人との友好条約で防衛力が強化されました。杏城さんの外交努力に感謝ですね」
「確かに……今なら少しの間地球を離れても問題なさそうだ。地球に害ある存在かどうかだけでも、見極めてこよう」
「私も行きます」
「いや、キミは残れ」
「いいえ。今回は少し嫌な予感がします。零洸さんが現地で万全な状態で戦えるよう、私が送り届けます。移動で消耗するのは得策ではありません」
「……分かった。何かあれば、キミは先に戻るんだ。約束しろ」
「弱気なことを」
「キミには家族が居る」
「……とにかく、急いで向かいましょう。宇宙船を用意します」
ルミは着かけた家着を放り出して、外に飛び出していた。
しかしその時には、未来もニルも姿を消していたのだった。
「……未来さん」
「ルミ」
慌てて服を持ってきた愛美は、依然立ち尽くすルミを後ろから抱きしめる。ルミは母の温もりを感じながら、しかし全身に走る悪寒を拭うことはできなかった。
そしてルミの予感は、最悪の形で現実となったのだった。
GUYSスペーシーが地球周辺で漂っていた宇宙船を保護したのは、未来とニルが地球を去って10日後であった。
ニルはGUYSと繋がりの深い久瀬病院の特別病棟(宇宙人専用病棟)に搬送されていた。病室に駆け付けた愛美は、意識の明瞭なニルに駆け寄り、力の限り抱きしめていた。
「……愛美さん。ご心配をおかけしました」
一方ルミは病室の外、扉の前で足を止めていた。
物心ついた時からルミは、自分に宿るメフィラス星人の血を嫌悪していた。自分の出生を隠し、蒼き異彩を放つ左目を特殊なコンタクトで隠し、人間を遥かに超える頭脳と身体能力を隠しているうちに、自分の存在への嫌悪感を募らせていた。
どうして自分は普通の人間になれなかったのか?
無心で友達と楽しみ、競い、ともに成長出来なかったのか?
どうして母と父は、私を生んだのか?
「ルミはどこに?」
「……もう少し、待ってあげて」
「いえ、良いのです」
ルミの頭を巡り巡る疑問。だが父であり、メフィラス星人の血を分けたニルは、彼女の問いに何一つ答えてくれなかった。
「ルミにとって私は、良い父親ではありませんでした」
そうだ。良い父親じゃない。
ルミがメフィラス星人の力を発揮しようとすると、父はいつも言った。その力は必要のないもの、人間として生きろと。
まるで自分の半身――いや全てを否定されたようで、彼女は我慢ならなかった。
そしてその怒りから、ルミは父親を嫌悪した。
「しかし愛美さん。あなたはいつもルミを愛し、育てた。その命をかけて」
「ニルだって、あの子を愛してる。そうでしょ?」
しかしいざ父親が死んだかもしれないと思った時、ルミは自分でも驚くくらいに動揺していた。そして自分が父親に抱いていた感情が、決して怒りだけではないと気づいたのだ。
ただ、ルミは肯定されたかった。
ルミ自身も持て余してしまうこの力とその葛藤を、そしてルミ自身を、父親から肯定されたかったのだ。
ルミの足が一歩、また一歩と動き出す。
ニルに、父親に、たった一言でも望む言葉をもらいたくて――
「ルミに必要なのは、あなただけです」
ルミの足が、止まった。
父親の一言は、ルミが求めていたそれとは、あまりにもかけ離れていた。
「お別れです。私は、地球を去ります」
「な、何言ってるの?」
「私は、零洸さんを見殺しにしました。もはや地球で生きていくことは、出来ません」
ルミは病室の扉を思い切り開いた。力のコントロールが上手くできず、樹脂製の取っ手が砕け散っていた。
目に入ったのは、開け放された窓と点滴の後。
そしてベッドにもたれかかり、目を閉じていた母の姿。
「ニル=レオルトン!!!」
ルミが窓から上半身を出し、9階下の地上を見下ろした。
たった一度だけ、ルミの方を見上げたニル。
その開きかけた口は、結局何の言葉も紡がない。
そして次の瞬間には、彼の姿は消え去っていた。
――その4に続く