『生命バイタル正常。冷凍状態良好』
雨の降りしきる林の中。地下に隠してある“円盤”の内部に、私は星野ルミを拘束していた。
雪宮悠氷の能力によって全身が冷凍された彼女は、いわゆるコールドスリープの状態で超強化ガラスの檻の中だ。当然意識はないが、生命は維持されている。
「喉が渇いた」
地上に設置したテントから降りてきた雪宮は、いたく不機嫌顔である。
「コーヒーを用意しました」
「熱いのは嫌い」
「今日は肌寒いと思いますが」
「これでも熱い」
「生憎、ここにはアイスコーヒーを淹れる設備は――」
私の持つコーヒーカップの上に、突然小さな氷の塊が現れる。せっかくそれなりのコーヒーを淹れたというのに、味の分からない女だ。
「もう2週間。いつまで私はここに居る。来週は大事な予定がある」
星野ルミを冷凍状態で拘束してから、警戒のために雪宮を近くに滞在させていた。最初の1週間は星野の体内エネルギーが残存していたことでスリープ状態が不安定だったため、再び雪宮の力を借りる可能性も十分にあったのだ。
「たしかに、そろそろご迷惑ですね」
「最初から」
「まぁ、冷凍状態は安定していますし、そろそろ構わないでしょう」
私への最後の一撃を仕掛けた態勢のまま、彼女の身体の各部には分析用のセンサーを取り付けている。バイタルやエネルギー量の測定はもちろんのこと、細胞を採取しての生体検査も実施している。
「……彼女の正体は分かった?」
「ええ、大体のところは」
しかしその解釈が不十分なのだ。だから彼女について他言することがまだ出来ないのである。
そして彼女の持っていたカードとデバイスの解析結果についても、正直なところ、私は戸惑わざるを得なかった。
そして何より、あの言葉。
『――守りたいだけだっ!!』
そう叫んだ星野の瞳に宿る光。それは、真実を口にした者だけが
だとすれば彼女の目的とは――
「ニル=レオルトン」
「……」
「……私は帰る」
「え、ええ。ご協力感謝します」
「様子がおかしい。疲れている?」
「いえ、そのようなことはありません」
「お前も帰った方が良い。早馴愛美と住んでいる家に」
「そんな暇はありませんよ」
星野の正体については、実はほぼ判明している。
「強大な敵が暗躍している今、私はその対策を講じなければならないですから」
「……そう」
雪宮は“円盤”のシャワールームに置いていた物を回収し、そのまま帰途についた。
その後星野のデバイスの解析結果を再検討しようとした時、私のスマートフォンが呼び出し音を鳴らす。
『早くに失礼しますわ、レオルトンさん』
「どうしました、杏城さん」
『最近お忙しそうでしたので、電話させていただきました。今よろしくて?』
「すみません、すぐに支度して学園に向かいますので後ほど――」
『愛美さんとのこと、いい加減向き合ったらどうですの?』
「……どういう意味ですか?」
『とぼけないでください! お二人の仲がぎくしゃくしているのを、わたくしが気づかないとでも?』
「……私に今すぐ出来ることはありません。ほとぼりが冷めるまで時間を置いて――」
『いいえ、それは違います』
いつになく前のめりの態度だ。私は“円盤”の操作コンソールの前に立ち、今一度デバイスの内部構造図をモニターに表示する。
『貴方がたは、きちんと時間を作って話し合うべきです』
「何を話せと?」
『お互いの考えていること、抱えていることを、ですわ』
私はモニターを切り、椅子に腰を下ろした。
「愛美さんにとって、私の悩みを打ち明けられる相手でしょうか」
『それは悩みの種類によりますわ。友達には話せても恋人には話せないこと、恋人には話せても家族には話せないこと……色々あるのだと思います』
「私には、貴女がた人間の心の機微が、まだ充分に分かりません」
「……それがもどかしいですか?」
「そう、ですね」
『そのお気持ち、愛美さんにお伝えしてみたらいかがでしょう?』
「……人間の心が理解出来ない相手と、果たしてこれからも一緒に居たいと思うでしょうか」
『似た者同士』
「はい?」
『いいえ、何でもありません。とにかくお二人とも……その、ビビりってことですっ! ビビり!』
その砕けた表現に、杏城はいかにも慣れていない様子だ。電話向こうの彼女を想像したからだろうか、自分の頬が緩んでいたことに気づかされた。
『ふぅ。こういう言葉遣いって、何だか無性に繰り返したくなりますわね……』
「杏城さん。わざわざお電話ありがとうございました。やはり経験豊富な方の助言には学ばされます」
『け、経験だなんて……い、一度もありませんわっ。失礼します! また後ほど!』
一方的に切られてしまったが……怒らせたほどでは無かったろうとは思う。
第6話「開幕」
はぐれ宇宙人 シュラ
チック
登場
「私が接客ですか?」
「その通り! 星野さんに会えない日々を悶々とする俺を放ったらかしのまま……貴様は文化祭のクラス準備をサボり続けたな! その罪は当日の激務で贖ってもらおう!」
家庭科室。5人の調理係の筆頭である草津は、メニューの試作に奔走していた。
そして私は、彼がいつの間にか作成していた文化祭3日間のシフト表について問い合わせに来たのだった。
「文化祭実行委員会の佐滝
「貴方の言い分はもっともです。従いましょう」
「それにな、こんなことを言いたくないが――」
草津は、こねていた何か生地をまな板に叩きつけた。
「貴様の接客なら……集客効果があるだろう。いいか、一万歩譲って言うのだからな! 俺の方が人気者だからな! そこを勘違いするなよぉ!?」
「もちろんです。草津は人気者です」
「分かればよろしい」
「しかしこのシフト表によると、一応の休憩時間はいただけるのですね」
「もちろんだとも」
「草津には休憩時間が割り充てられてませんし、私も3日間くらいは休まず働きますよ」
「ふん。俺は俺で好きなようにやるさ。だからお前も、その貴重な休息時間を好きに使えば良いのだ」
草津は生地を円型に薄く延ばし、それを空中で器用に回転させ始めた。
「まぁ、俺と共に厨房で汗を流しても良いがな」
「いえ。少し、やらなければならないことがあるので」
偶然にも、1日目は愛美も同じ時間帯で休憩の予定だった。この時間を、彼女との話し合いに充てたい。
「草津。もしかすると気を遣わせてしまいましたか?」
「ん? 何のことだ?」
見事に均等な厚さになった生地の上に、草津がチーズや野菜、サラミを散りばめていく。
「ほら、調理の邪魔だ。去れ去れ。代わりに逢夜乃と未来の応援を呼んでくれよ」
「彼女たちは買い出しに行きましたよ」
「あぁぁぁぁぁ!! 誰も俺には構ってくれない! こうなったら文化祭当日に俺の新規ファンを募ってやる……!」
草津の叫びを背に家庭科室から出た時、ちょうど目的の人物に鉢合わせることになった。
「愛美さん」
エプロン姿の彼女は、緊張した面持ちで立ち止まっていた。
だが私から目を逸らそうとはしない。話を聞く気はあるようだ。
「愛美さん。来週の文化祭1日目、休憩時間のご予定は?」
「別に、何もないけど」
「では一緒に過ごしませんか」
「……どうして?」
「あなたと、ゆっくり話したいのです」
愛美は少しだけ頬を赤らめ、眉尻を下げるような仕草の後に口を開こうと――
「愛美―! 早くお菓子焼こうよ!」
「あ、うん」
家庭科室からの呼び出しに応えるも、身体は動きを躊躇しているようだった。
「愛美さん。また来週に」
「う、うん!」
だが安心したように笑みを浮かべると、彼女は家庭科室に入っていった。
「仲直り、出来そうなんですね」
振り返った先には、何故か佐滝鈴羽が待ち構えていた。彼女は実行委員会の書類を渡しに来たようだった。
「草津先輩がどうしてもって言うので、レオルトン先輩のお仕事減らしておきました」
「ありがとうございます。ご迷惑をおかけします。クラス企画の方が忙しいようで」
「……あまりご無理をしないでくださいね」
佐滝が背伸びをして、優しい手つきで私の頬に触れた。
色白でひんやりとしたその手は、たしかに心地の良いものではあった。
「誰が何を言おうと、大切なのは……レオルトン先輩がありのままで居られることですから」
その言葉が意味深であると示すように、佐滝はゆっくりとした口調でそう言った。
そしていかにも離れがたいように、私の頬を指でそっとなぞりながら、その手を引いたのであった。
――1週間後。
『ただいまより、沙流学園文化祭を開催いたします。大いに盛り上がりましょう』
校内放送と共に、3年2組『本格喫茶と美食のテーブル リストランテ“3&2”』が開店した。
教室内の壁は洋風レストランを模して装飾が施され、並べられた机には白いクロスが敷かれている。私が諸々の事情で事前準備から遠ざかっている間に、なかなか立派なものが作り上げられているようだった。
「ニルくん似合い過ぎー!」
そして私はというと、黒い執事服を着せられ、女子の黄色い歓声を受けながら廊下に立たされていたのだった。
「女子よ! 俺のコックコートの方が似合っているだろうがぁ!」
「ほれ草津! 俺たちは厨房に行くぜェ」
「放せ樫尾! レオルトンがちやほやされるのは許せん! やはり裏方に回せばよかったわ!」
同じ厨房係の樫尾に背負われかねない勢いで、草津は消えていった。
「いやでも、男の僕から見ても似合うよ」
「早坂君もお似合いです。いきなりお客さんが来ましたし――」
「早坂せんぱーい!」
剣道部、薙刀部、弓道部、茶道部の後輩女子が開店と同時に10人ほどなだれ込んできた。目当ては早坂なのは明白だ。
「みんな、来てくれてありが――」
「目線くださぁい」
「レオルトン先輩とツーショットお願いします!」
早速スマートフォンカメラの餌食になった私たち。幸先の危ぶまれる3日間が始まった。
「さて、わたくしたちも家庭科室に行きましょう!」
「逢夜乃……私たちまでこんな恰好する必要ある?」
「良いじゃないですの! せっかく未来さんのご家族が貸してくれたのですから」
愛美、と杏城たち菓子担当のグループまで、メイド服という衣装に身を包んでいる。まさにお祭り気分だな。
「レオルトン」
そして地球を守る英雄でもある零洸すら、同じメイド服姿であった。
「注意を怠るなよ。人が集まる日だ……例のカード騒ぎが起きないとも限らない」
フリルのたっぷりついたエプロンを着けていても、零洸の眼光にはわずかの曇りもなさそうだ。
愛美が襲われたこと、そしてカードの持つ恐ろしい能力のことも彼女にはすべて伝えてある。いくら祭りの日とはいえ、お互い気の抜けない3日間になりそうだった。
「ニルくーん!! お客さんが止まらないよ! 助けてー!」
「今行きます、早坂君」
まずはこの客どもをさばいてから、ではあるが。
「いらっしゃいませ、お客様」
「なかなか似合ってるじゃない。ゆっきーほどじゃないけど」
顔の半分ほどあるサングラスを外したのは、早坂の姉――冥奈であった。一際目を引く美貌の彼女は、通りかかる男子生徒の視線を独占している。
「早坂君なら中ですよ。他のお客様の対応中ですが」
「くっ……小娘たちに先を越されたようね!」
「ところで冥奈さん。長瀬唯さんのクラス企画に協力しているようですね」
「そ。唯ちゃんに可愛くお願いされたし、アンタたちを相手取るのも面白そうだし」
「そうですね」
「そんなことより、ゆっきーはまだ空かないの!? 私専属にさせて!」
「ご自分で頼んでください」
彼女は教室内に入るなり早坂に抱き着き、店内は一段と騒がしくなっていた。
それにしても文化祭とやらはなかなか興味深い。学業とは一切関わりのない祭りだが、学園生の力の入りようは年間を通して一番ではないだろうか。校舎内も隅から隅まで文化祭仕様に装飾され、それぞれのクラス企画への呼び込みが熾烈を極めている。先ほどの早坂目当ての客のように個人的な繋がりで来客する者もいれば、近所の住人が家族連れで来ているケースもある。
「お兄さん、一緒に写真撮ってもらえますか?」
「ええ」
小学生の女児3人が私を囲み、自撮りする。
「きゃぁぁ! カッコいいお兄さん、ありがとうございます!」
「よろしければ中でお茶でもどうです? 美味しいお菓子もありますよ」
「よ、喜んで!」
「ご新規3名様です」
そろそろ教室内の手伝いでも――と思った時、草津からメッセージが届いていた。
『お前は廊下に立っていろ。それだけで充分だ』
突然の戦力外通告。
了承の旨返信して顔を上げると、私の前に行列ができていた。
「……何名様でしょう?」
私は客引きパンダに徹しろ、と言うわけか。
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――体育館裏にて。
「いいか、このカードは学園内の色んな奴が持ってる。そいつらから奪って3枚集めたら戻って来い。金をやる」
沙流学園文化祭実行委員の
「姉さま~。冷たい飲み物買ってきましたよぉ」
「てめぇチック! ただの飲み物にどんだけ時間かけてんだ!」
「だってぇ。せっかくのお祭りだから美味しそうなの飲みたかったんだもん」
同じ法被姿のチックは“3&2”のロゴが入ったアイスコーヒーを姉に手渡した。
「ついでにぃ、例の男を見てきたんです」
「……様子は?」
「めちゃめちゃモテてましたよ~」
「んなことはどうでもいいんだよ! 悟られてねぇだろうな?」
「私の変装舐めないでください~。それに、特別警戒してる感じは無かったですよぅ」
「リンネ嬢の話じゃ、とっくにアイツはカードを回収してる。私たちの動きにも勘づいてるはずだ」
「でも、計画に変更は無いですよね?」
「……小細工は性に合わねぇが、もう少しこいつをばらまいてから様子を見るか」
「了解でぇす」
「ほんっと、何が“実験”なのかねぇ。リンネ嬢の考えはわかんねぇな」
シュラはカードの束を握り締め、場所を変えようと体育館裏を離れていった。
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――中編に続く