『……しばらく、会えないと思います』
ニル=レオルトンの、いや恋人の突然の言葉に、早馴愛美は息を呑んだ。彼の切迫した様子に彼女の眠気は吹き飛び、パジャマ姿のままベッドから飛び起きていた。
彼の言葉の理由や、その真意を推し量る前に、彼女の口からは言葉が漏れる。
「何、言ってんの?」
『いちいち説明しないといけませんか?』
「そんな言い方――」
『とにかく、私に従って下さい。いいですね』
電話はニルから一方的に切られ、無慈悲な電子音が耳に入ってくる。
愛美はもう一度かけ直そうとしたが、その前に草津から電話がかかってきた。ニルから頼まれた草津への伝言をどうしようか一瞬迷ったが、彼女はすぐに通話ボタンをタッチした。
『愛美!もしかして今、レオルトンと話していたか?』
「あ、うん。そうだけど」
『そうか、奴は無事か!実はな、レオルトンの家が……火事になった』
「な、どういうこと!?」
『詳しくは分からん。ただニュースによると、レオルトンの自宅の住所が火事と言うことだけだ……』
先ほどニルの声聞いていた愛美は、一瞬は安堵した。
だがすぐに彼女は重要なことを思い出した。
あまりにも悲惨な想像が、彼女の脳裏をよぎる。
「待って!アイツの家の隣って――」
『安心しろ。唯ちゃんとはずっとメッセージでやり取りしていたんだ。レオルトンも火事を知って唯ちゃんに電話していたみたいだ。あの子、火事なんて冗談かと思っていたらしいが』
「ニルが雑な説明したんでしょ……」
安心して気が抜けたように、彼女は再びベッドに倒れ込んだ。
本当に雑な説明だった。いや説明など無く愛美を突き放したニルに、彼女の感情は怒りと悲しさがない交ぜになっていた。
「ニルがね……しばらく会えないって言い出したの」
愛美の声がわずかに震える。
「ニルの家と、ジャンクの言ってた中古ショップ……それにあの“円盤”にも来るなって!」
『中古屋?まさか――』
少しの間を置いて、草津が絞り出すように言った。
『今調べたが……あの中古屋付近の住所も、レオルトンの家と同様火事が起きたようだ。もしかすると何者かの攻撃――いや、間違い無い!愛美、テレビを付けてみろ!』
愛美は、焦る手つきで枕元のリモコンに触れた。
普段は通販番組しか放送していない時間にも関わらず、緊急のニュースが流れていた。GUYSの緊急報道の映像に、各局のアナウンサーやコメンテーターが神妙に解説を加えている。
『状況は全く分からないが……何か大きな事件が起きていることは確かだ』
「じゃあニルは、もう巻き込まれて――」
半年前、一度ニルが消えてしまったあの日――また同じことが――
『愛美!まだ涙を流すには早すぎる!』
いつの間にか流れていた涙に、はっとする愛美。
『アイツが置いて行こうとするなら、俺たちが追いかければいい!それだけの話だ!それに、あのスカした男の言いなりばかりじゃつまらんだろう?』
しかし無理に威勢よく振舞う草津に、彼女は少しだけ慰められた気がした。
そして目じりに浮かぶ涙を拭い、立ち上がった。
「明日、ニルの家に行ってみる」
『なら俺も行こう。家に迎えに行く』
「ありがと」
『男草津!親友の想い人を守れなくして何が男か!まぁ、その姿に惚れて俺のもとに来ることは大いに歓迎だ』
「ばーか。じゃ、明日ね」
絶望しかけた愛美の気持ちが、少しばかり希望に向かって頭をもたげた。
そして改めて彼女は、ニルを想った。
「……おばかニル」
ひとり呟いて、テレビ横のスタンドにかけられた細い銀色の鎖に視線を注ぐ。
「一人でなんて、絶対行かせないから」
鎖に繋がれた、半分に割れたペンダント。
愛美はそれを手に取り、首に下げた。
愛美は一睡もしないまま、朝を迎えていた。
だが不安で眠れなかっただけではない。ニルを追うなら、彼の置かれている状況を少しでも理解しておきたいと考え、インターネットやテレビの報道を追っていたのだ。
目も冴えている。草津の来訪時間を外で待つ余裕もあった。昨夜の雨は既に上がっているが、曇天の空から降り注ぐ光は少ない。
合流した草津とは、互いに得た情報を共有した。ニルの家を破壊したのがメシアだったことはもちろん2人ともニュースで知っていた。また、深夜に決行されたGUYS・NYの“UNION奪還作戦”はメインAI奪還に失敗し、システムは暴走したままであることも報道されている。
「やはりGUYSの兵器を乗っ取ったのはカーンデジファーだろうか」
「そうだと思う。グリッドマンを敵だと思ってる奴なんて、他に居る?」
2人は昨夜のニルと同じ結論に辿り着いていた。
だからこそ改めて彼の家が“あった”場所を前にした時、背筋が凍るような感覚を得ていた。
何もかもが破壊された跡地。周りの家屋も大きな被害を受けており、黄色いテープが立ち入り禁止を告げている。
この惨状を前にして2人は、ニルの「戦いは終わりだ」という言葉の真意を痛感せざるを得なかった。
「……もし3人で一緒だった時に狙われていたら、助からなかっただろうな」
「ニルはこうなることを分かってたってこと?」
「そうかもしれん」
2人は次に、グリッドマンと初めて出会った中古品ショップに向かった。
やはりそこも破壊しつくされた後だった。店そのものも、あれほど並んでいた商品も見る影もなかった。
「ニルはジャンクを手放したって言ってたけど……ここに返してたのかな?」
「俺は何も聞いていない。仮にそうだとしたら、グリッドマンは、もう――」
彼らは、あの“鋼鉄の武人”の姿を反芻していた。
自分たちを温かく見守ってくれていた姿、
たまにせっかちで、騒ぐ私たちに出動を急かす姿。
脅威に立ち向かう勇気ある姿。
「カーンデジファーにグリッドマン無しで立ち向かうなんて……無茶だよ!」
愛美は走り出した。
「おい愛美!どこへ行くんだ!」
「ニルの所!多分“円盤”に――」
その時、鉛色の空が、桃色の光に染まった。
そして雲が割れ、光が矢のように一筋突き抜けて、地上に消えた。
次の瞬間には、雷のような凄まじい爆発音が空気を激しく揺らしていた。
「あれは……ビームか?」
草津が呆気に取られて爆発音の方向に目を凝らすが、そこからでは何も見えなかった。
走り出していた愛美も、この異常事態に立ち止まることを余儀なくされた。彼女の急な動きで、首もとのペンダントが大きく揺れる。
ペンダントの鎖は、音も無く切れた。
それが地面に落ちていく様は、何故だか愛美にとってはとても長い時間に思われたのだった。
――外伝4話へ続く