その瞬間、何もない空間に稲妻が走り、ガラスが砕けるような音と共に空間が割れた。そして、そこから這い出るようにして何かが現れた。
それはヒト型に変形した先ほどの怪物だった。背中から生えている触手を振り回し、気味の悪い笑い声をあげていた。
「うわぁぁぁ――」
最も近くに居た男性が怪物に食われる。先ほどよりも肉体が固型化しているためか、溶かすのではなく咀嚼するように男性を捕食していた。顎が閉じる度に、食われた男性の血が周囲にまき散らされていった。
入り口付近の人々は、一目散に走りだした。しかし怪物の触手が蛇のように、逃げ惑う人間たちを丸呑みにしていった。その度に怪物の肉体の液状部分は硬化していき、ソルに敗れる前の姿に近づいていく。
人間を捕食することで、失った身体を取り戻そうとしているのか。
「旨イ……人間は旨イィィィィィ!!!」
怪物は嬉々として捕食を続けた。出入り口の前から動かぬまま、触手だけをシェルター中に伸ばして人間に襲い掛かった。
出入り口から最も離れた場所に居た少女とミカに手がかかるのも、時間の問題だった。
幼い早馴を庇うように抱きしめ続けるミカ。
しかし彼女は、何かを決心したようにその腕を離した。
「だめっ!!!」
その時、隣に座っていた早馴が叫んだ。
彼女はミカのもとまで走っていき、身体を掴むように手を伸ばす。
その手は何にも触れることはできなかった。
「だめ!!お母さん!!!」
「アミ」
穏やかな表情を浮かべたミカは、幼い少女の頬に触れ、涙を拭って言った。
「あの出口に向かって、全力で走りなさい。絶対に振り返らないのよ」
「ママは……」
「後で必ず、会いに行くからね」
「やだ……絶対やだっ!!」
「アミ!」
ミカの透き通るような声が響いた。
「この先辛いことがあっても、きっと大丈夫。もし自分じゃどうにもならない時が来ても、諦めたらだめよ。その時はアミを助けてくれる誰かがいる。それは友達かもしれないし、好きな人かもしれない。それに――」
彼女は立ち上がった。
「――ソルみたいな、良い宇宙人かもしれない」
この悲劇的な状況には似つかわしくない、精いっぱいの笑顔で、彼女は自分の娘にそう言った。
「やだよ……一人にしないで」
「一人じゃないわ。アミのこと、みんな愛してくれてる。その人たちと一緒に、これからも生きていくのよ」
ミカは少女に背を向け、その懐から拳銃を取り出し、構える。
彼女は走り出した。怪物を銃撃し、その注意を引きながら。
「こっちよ、化け物!!」
「おまエも食わせロォォォォォ」
怪物が触手をミカに向けて放つ。
「走ってアミ!!!」
同時に、少女は泣きじゃくりながら走った。
「逃げるナァァァァ」
ミカはぎりぎりの所で、襲い来る触手を避けた。彼女の放つ弾丸が触手を貫くと、怪物は醜悪な叫びをあげて動き出した。
「食ってヤルッッッッ!!!」
怪物が自ら動き出す。
「来なさいよ!! この腑抜け!!」
ミカは不敵に笑って怪物を挑発し続けた。怪物は激昂し、ずかずかと彼女のもとへ向かった。
「……アミ、走っ――」
怪物の強襲に、ついにミカは捕まった。
触手に絡め捕られたミカは怪物の目の前まで引きずり込まれ、その両肩を2本の腕できつく掴まれる。
「うあぁぁ!!」
肩の肉を抉られる痛みに、ミカは悲鳴を上げる。
それでも幼い早馴は、振り返らなかった。ミカの肩の骨が砕ける音が、痛々しく響き渡っても、それでも彼女は振り返らない。
ただ真っ直ぐ、光差す出口に向かって走り続けた。
そして、その先に――彼女が現れた。
「アミ!! ミカ!!」
ソルが右手にブレードを展開しながら、シェルターの中に飛び込む。
ソルと幼い早馴がすれ違う瞬間、彼女たちの視線は、一瞬だけ交わったように思われた。
「ユキナちゃん!!!」
ソルの姿に、少女はとうとう振り返った。
その視線の先には、あまりにも凄惨な光景が広がっていた。
「ソルゥゥゥゥ!!! この女を殺せるかァァ!?」
怪物は液状化し、ミカの全身に取りついていた。それはミカの身体を殆ど融合してしまっている。
ソルは動きを止め、振り上げた右腕を降ろした。
「ヒャハハハハ!!! バカなヤツ!!!」
ミカの背中から、何かが伸びてくる。その先端には、当初地上で暴れまわっていた巨人とは異なった頭部が生えていた。
頭の形は、ソルにそっくりだった。しかし両眼はやはりいびつな形をしており、顔面の所々から小さな紅い棘が突き出している。
口元は大きく開かれて、鋭い牙を覗かせていた。遠くから見ればソルに見紛うこともあるだろうが、あまりにも凶悪な様相だった。
同時に背中の触手が消え、ミカの両手両足と融合した部分は細身の手足に変態している。
まるで、ソル自身に変身しようとしているかのようだった。
「ボスにはお前ノ身体と融合しテこいって言われてタのにヨぉ……まァ、殺されルよりはマシってやつダァァ!」
怪物は耳障りな奇声を上げ、顔面をミカの顔の傍まで動かす。
ソルは腕を振るわせながら、悔しげに手をこまねいた。
「ユキナ!! 私ごとやって!!」
その時ミカが、自由の残された口を動かし、そう言った。
真紅の棘が、ミカの首元や頬に現れる。どうやらミカの身体自体が怪物のように変形しようとしているようだった。
「は、や……く!!!」
だんだんと不自由になる言葉。
徐々に醜く変貌していくミカの美しい顔。
それを前にしたソルが、ゆっくりと、右手を振り上げた。
「お願い!! 止めて、未来っ!!!」
「アミを……おね、がい――」
――早馴の懇願、ミカの最期の言葉。
「――すまない」
そして、やっと聞こえるくらいの小さな呟きと共に、
ソルはミカの身体ごと、一文字の太刀によって、怪物を真っ二つにした。
「ギャァァァァァ!!!!」
怪物は再び液状化してミカの身体から離れて逃亡しようとするが、ソルの放った光線によって塵と化した。
残されたミカの身体はソルの斬撃によって腰を境にして二つに分断されてしまっていた。しかし怪物との融合を逃れることができ、人間としての姿を保つことだけはできていた。
ソルはその傍にひざまずき、もう動くことのないミカの瞼を手で閉じた。
そして、その首にかけられていたペンダントを外した。
「――ママ?」
ミカの遺体の前に、幼い早馴が立っていた。
彼女は静かに膝をつき、その肩に触れる。
「ねぇ、ママ……」
少女は何度も、ミカの身体を揺り動かす。
その姿を、ソルはただ黙って見つめているだけだった。
「ユキナちゃん……ママ、起きないの?」
「……済まない。ミカを護れなかった……!」
「ねぇ……どうしてママを殺し――」
突如、凄まじい地響きと振動が彼女たちを襲った。
「イーリア、来たか!!」
ソルは、抵抗するアミを無理やり抱えて、その場を離れようとする。
しかし次の瞬間、シェルターの天井に大きな亀裂が入り、爆発したかのように砕け散った。
「ママ――」
コンクリートの塊が、少女の呼び声と共に、彼女たちを呑みこんだ。
私と早馴からも、彼女たちの姿を認めることはできなかった。しかし更なる振動によって瓦礫の山が崩れ、その中から2人が現れた。
ソルは人間態――箭川ユキナの姿に戻っていた。彼女は幼い早馴を庇うように両手両膝をつき、その背中でコンクリート片を受け止めていた。
「ぐほっ……アミ、痛いところは、無いか?」
「……いやぁぁぁ!!!」
少女は悲鳴を上げながら、箭川から逃げるように離れようとした。しかし降ってきた瓦礫に打たれた右足が上手く動かず、彼女は転んでしまう。
「……」
箭川は少女の足に手を伸ばす。その触れた場所から淡い光が放たれ、傷が瞬く間に治ってしまった。
「来ないでっ!!!」
少女は立ち上がって、崩れた瓦礫の山を必死に上ろうとする。
「約束、守れなくてごめん……アミ」
自分から遠ざかろうとする少女の後姿を見つめながら、箭川は呟いた。
「憎まれても、いいんだ。それでも……キミだけは護らせてくれ」
箭川が一筋の涙を流す。
その涙も、その言葉も、幼い少女は何一つ気づかなかっただろう。
だがその代り、私の隣に立っている早馴には、届いているはずだ。
箭川はきつく瞼を閉じ、やがてすぐに目を開いて少女に言った。
「最もキミと近いところに、私は居続けよう。光の戦士として、キミを守り続けるんだ」
哀しくも、優しさと覚悟の宿るその眼――まさに、零洸未来と同じ眼をしていた。
「今度こそ、約束だ――」
――――それを最後に、場面は急に変わった。
どこかの病院の一室、ベッドで眠る幼い早馴の傍に、箭川ユキナが立っていた。
「イーリア事件……世間は“ガイアインパクト”と呼んでるけれど……もう2週間たったね」
箭川の隣に立っていたのは、長い金髪の女性だった。ネームバッジには『ミタテ・テルミーシュ・ア・リャーイ・シャイル』と記載されていた。
「アミちゃん……まだ目を覚まさないの」
「シャイ。これから、アミはどうなるんだ?」
「さっき、キクさんとコウヤさんと話し合って、ジャパンで一緒に暮らすことにしたよ。この地は……彼女には辛すぎる場所だもの」
シャイと呼ばれた金髪女性は、風が吹き込む病室の窓から、外に目を向けた。
「ソルのおかげでイーリアは封印、星間戦争を仕掛けてきたカイラン星人も退却した。けれど街の復興には時間がかかる」
「……私も、この地を去るよ」
「どこへ行くの?」
「分からない。だが私は、ミカと約束したんだ。この子を一生護り続けると」
箭川は、目を細めて幼い早馴の頭を撫でた。
そして少女の首に手を回し、ペンダントをかけた。
それは、亡くなったミカが身に着けていたペンダントだった。
箭川はそれからすぐに背を向け、病室を出て行こうとした。
「ユキナ!」
「私は、アミの傍にいる」
シャイの声には振り返らず、箭川は病室を去って行った。
「……あれ?」
「アミちゃん!?」
眠り続けていた少女の瞼が開かれる。
日光の眩しさにこすりながら、彼女は身体を起こした。
「アミちゃん良かった……!」
涙を流しながら、少女を抱きしめるシャイ。
だが一方の少女は、目をぱちくりさせながら何も返事をしなかった。
「アミちゃん?」
「……おねぇちゃん、だれ?」
「ど、どうしたの? 私よ、シャイだよ!? ほら、ママのお友達で、よくキクさんと一緒に遊んだよね?」
「……知らない。ママって、だれ?」
あどけない少女の問いに、シャイはただ、呆然とするだけだった。
「……ここから先のことは、私も覚えてる」
隣で黙っていた早馴が、ふと口を開いた。
「ガイアインパクトのこと、それまでNYに住んでいた時のこと、お父さんの顔、お母さんの顔――ユキナちゃんのこと。全部忘れてしまったの」
ぽつりぽつりと紡がれる彼女の言葉に、私は耳を傾けた。
「それからは病院で何度か治療して、一部だけど思い出したこともあった。その中でもはっきりしてたのが『ソルが怖い』って記憶だった」
「お母様を斬った、ソルへの恐怖、ですね」
「私……それだけしか思い出せなかった。後からお父さんとお母さんが死んだことを聞かされて、きっとソルのせいで死んじゃったんだって思い込もうとしてた……」
彼女はしゃがみこむ。
「本当は……護ってもらったのに!!!」
早馴はせきを切ったように、まるで子供のように泣きはらした。
どんなに見るに堪えない光景を前にしても、決して見せなかった涙が、一気に彼女の瞳から流れ落ちていた。
その間に8年前の記憶世界は終わりを告げ、現代に向かって様々な過去の情景が流れていった。
日本での両親の葬式、シャイたちとの生活、中学校への入学、そして零洸未来との出会い。
「未来が……ソルとして、ずっと私を護ってくれてたんだね」
涙に濡れた顔を上げ、彼女は私に問いかける。
私は無言のまま、頷いた。
「ずっと私の傍に居て、護ってくれてたのに……気づかないで……酷いこと言った!!」
「……」
「未来の前で、ソルが嫌いだって何度も言った……最後だって……嘘つきって言っちゃった…」
「だったら、謝りに行きましょう」
「……未来に?」
「ええ。零洸さんをヤプールから救いだして、もう一度会うんです。その時に、全部言えばいい」
「本当に、助けられるの?」
「できます。貴女が、強くそれを望むのならば」
「私、もう一度未来に会いたい」
早馴は涙を自分で拭って、立ち上がった。
「さて、そろそろ現実世界に戻る時間です」
「……ねぇ」
「何でしょう」
「……思い出させてくれて、ありがとう。ニ――」
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―――その5に続く