どれくらい飛行しただろうか。空の裂け目の奥にあった空間は、驚くほど大きかった。しかし神殿以外には寂れた荒野のような地面が広がっているだけで、何も無かった。上空にはただ暗い虚空が広がり、月明かりに似た淡い光が差し込んでいた。
私は小高い丘のような場所を見つけ、その岩陰に5人を降ろした。それと同時に私の体力は限界に近づき、半ば倒れるように人間態に戻った。
暗さのおかげでこちらから神殿は見えなかった。向こうからこちらも、まず見えないだろう。とはいえ、どれだけの時間を稼げるか分かったものではないが。
「レオルトンさん!」
杏城のかすれた呼び声が、私の名を呼んだ。
「……草津さんが」
涙で目を真っ赤にした杏城は、乾いた声で言った。草津の怪我は杏城の洋服の切れ端
で止血されているが、放っておけば助からないだろう。
「ニルセンパイ! 草津センパイ、このままじゃ……」
「失礼」
草津に寄り添う長瀬と杏城を押しのけ、包帯代わりの切れ端を解いた。そこに、靴の踵部分に隠していた小型治療装置をあてがう。
「傷はすぐに治ります。あとは彼の生命力次第です」
「レオルトンさん……!」
「しかし迂闊ですね。私が彼の傷を悪化させるとは考えないのですか?」
杏城と長瀬は一瞬、呆けたような顔をしたが、すぐに私の言葉の意味を理解したようだった。
「……そんな想像、できませんでしたわ」
彼女は力なく笑い、草津の頭を自分の膝の上に乗せた。
「だって、レオルトンさんですもの」
「馬鹿なことを。私は地球を窮地に陥れた侵略者です。貴女方人間とは違う。憎むべき――」
「誰を、憎むって……?」
意識を取り戻した草津が、か細い声で私に問いかけた。
「草津センパイっ!!」
杏城の隣で草津を見守っていた長瀬が、感嘆の声を上げ、杏城と顔を見合わせた。安堵のためか、杏城は草津の頭に触れながら、涙を流していた。
「大袈裟、だ……逢夜乃は」
「だって草津さん、あんな大怪我を!」
「そう、だな。だが……ちゃんと助けてもらったよ」
草津がわずかに頭をもたげ、私を見た。
「感謝する」
「……何故」
「どうした、そんな不思議そうな顔を――」
「何故、そんな風に私を見るんだ」
草津と杏城、長瀬―――彼らの表情も言葉も、全てが私の想定を覆していた。
何故、地球を窮地に追い込んだ私を憎まない。
何故、宇宙人である私に恐怖しない。
何故、今までと変わらない表情で、私を見るのだ―――人間だと思い込んで私を受け入れていた時と変わらない表情、変わらない言葉で。
「ニルセンパイですよね? 私が死んじゃいそうになった時、助けてくれたの」
長瀬は私の手を取り、両手で握った。
「前に一緒に映画を観に行った後、夕花から聞いたんです。映画の帰り、怪獣の細胞を身体に入れられて死にかけたって。私は何も心当たり無かったんですけど、たまに夢に見るんです。夕花と同じように死にかけて、その時ニルセンパイが助けてくれるんです」
彼女の握る力が、一層強くなった。
「何も覚えてないのに、ニルセンパイに助けてって言う夢ばかり見るんです。でも本当は……あの日ニルセンパイが助けてくれたからなんですよね?」
「……確かに、北河夕花と貴女が感染したゴーデス細胞を処理したのは私です。しかしおかしいですね。貴女からはその時の記憶を奪っておいたのですが」
「……やっぱりだ」
長瀬は、私の手を自身の胸に持っていった。
体温と、そして彼女の心臓の鼓動を感じる。
「私、絶対に忘れません。だってニルセンパイがいなかったら、この心臓も止まっちゃってたんですよ」
穏やかながらも力強い鼓動だった。
「あの時言えなかったお礼、言わせて下さい。ありがとう、ございました!」
彼女は晴れやかな笑顔で、やっと言えた、と話した。
「レオルトン。今回お前がやったことは、多くの人間にとって許しがたいだろう。だが、これだけは言わせてもらう。俺たちは、お前のおかげでここまで生きてこられたはずだ。だから俺たちを救ってくれたお前を――友を簡単に憎むことなんてできないんだ」
草津が放った消えかけのか細い声は、一字一句紛うことなく私に伝わる。
理由は分からないが、彼らの言葉のどれもが、私の意識を揺さぶってくるのだ。
そしてその言葉の度に、私は自分の身体が熱くなるのを感じていた。
「さて、レオルトン。ここからどう行動すべきだ?」
「ニルセンパイ! どうしたらソル、いや未来センパイを助けられますか?!」
草津と長瀬の問いかけに、私は答えあぐねた。
方法が何も考え付かなかったわけではない。
長瀬の求めに応じ、ソルを救いだすことを少しでも思案した自分に驚愕したからであった。
「いや……違うな」
私はふと、呟いた。
自分のこれまでの行動と思考、その動機。
およそ敵性宇宙人のそれとは、大きく乖離するそれらを、私はいつも『何故か』『無意識に』と捉えていた。
そして、自分の非論理的な事柄に驚くふりをして、深く追求しなかった。
本当はただ、認めたくなかったのだ。
自分を突き動かす“何か”がいつの間にか、私の中に芽生えていたことに。
その“何か”を認めてしまえば、私は“侵略者”たり得ない。だからどうしても認めるわけにはいかなかった。
だが、今は――
「唯ちゃん、そいつから離れて」
いつの間にか目を覚ましていた早馴が、冷たく言い放つ。どうやら正気に戻っているようだ。
「そいつは宇宙人だよ……!」
怒りの込められた彼女の視線から、私はすぐに目をそらした。
私の視界の端、怒りの言葉を叫んだ早馴は、その場を離れて行こうとした。
「愛美センパイ」
長瀬が早馴に近づく。
「そんな言い方、しないで下さい。ニルセンパイは――」
長瀬が伸ばした手を、早馴は無情にも振り払った。
「もう放っておいて!」
悲痛な叫びが、虚無な空間に響き渡った。
「私は……草津を傷つけたっ!!」
早馴はその場に崩れるように膝をつき、顔を抑えた。
そんな彼女の背中に触れながら、長瀬は何度も『違う』と言い続けた。しかしそのたびに、早馴は首を横に振るだけだった。
「私がやったの……全部見てた。私の手で……私の手で刺したんだ!」
彼女は自分の手を憎らしげに睨みつける。
その眼はまさに、ある母親を無残にも撃ち殺したカイラン星人に銃口を向けた時――憎き敵性宇宙人に向けるそれと、全く変わらなかった。
「一緒だ……人を傷つける宇宙人と」
「ようやく見つけたぞ、愚か者ども」
突如、寒気を感じさせる黒いオーラが目の前に立ち込め、その中からババルウ星人の姿が現れた。
「……もう、見つかってしまいましたか」
私の後ろにいる人間たちの、息を呑む音が聞こえた気がした。
そう、まさにこれは絶望的な窮地であった。
「もう戦う元気もないだろう、メフィラス。もう終わりだ!」
勝ち誇ったように微笑みながら、彼は近づいてくる。
今奴に真正面から対抗して、勝てる見込みは限りなく少ない。
だとすれば、ここでできる最善策は――
「―――ババルウ星人」
私は、努めて笑みをたたえた。
「取引しましょう」
―――その6に続く