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2nd boutが開始して、葉山・斎藤、久我・司の二組の戦いが繰り広げられる中、中央に向かい合う様に設置された厨房に立つ二人の料理人もまた、その腕を振るっていた。
黒瀬恋と茜ヶ久保もも。
今回の連帯食戟とは別で人生を賭けた食戟を行う二人。
調理開始前、各メディアも通した公開プロポーズを行い精神的に激しく動揺していたももだったが、調理に入った瞬間からはその動揺は一切表情から消え去っていた。恋の仕掛けた揺さぶりもものともしない執念がそこにはあるのだろう。
『レモン』というスイーツにはもってこいのお題を前に、茜ヶ久保ももの実力とセンスは遺憾なく発揮されていた。全ての動作、調理工程、なにもかもがパーフェクト。
的確に進んでいく調理風景は、完成していく料理の完成図に期待を寄せる視線を集め、彼女の一挙手一投足から感じる技量の高さは最早学生の領域を超えていると確信させた。
「(恋君―――ももは、負けないよ)」
彼女の目の前で同じように料理をする恋にちらりと視線を送る。
セントラル側と違い、反抗勢力である恋達のチームは他二人のサポートを恋が行いながら料理を進めている。つまり恋はお荷物を抱えた状態で戦っているに等しい。
ももはそれが気に食わなかった。
自分の料理を如何に可愛く、如何に素晴らしく仕上げるか、それが全ての料理において、他人の世話を焼きながら料理をするなんてナンセンス。ももにとってはまず論外だ。
料理人は、己の料理に心血を注ぎ、己の料理で高みへと昇っていくもの。
そう考えるからこそ、ももは高い技術を持っているにも拘らず、格下を支える恋の姿に苛立ちを覚えてしまう。
それは自分の様な料理人に使ってこそ相応しい力であると。そんなところで埃を被っていていいものではないのだと。
何より、黒瀬恋という男の隣にいるのは、自分自身であると言いたくて。
「ふぅ……次は―――」
作業速度は加速する。
黒瀬恋への執着と、己の料理に対する絶対の自信が、彼女をどこまでも突き進ませる。意識は目の前の作業に集中していき、彼女の脳内に広がる広大な世界観が集約されていく。
今この瞬間、茜ヶ久保ももという料理人の立つステージを更に引き上げていた。それこそ第一席である司瑛士すら凌ぐかもしれないと思わせるほどのプレッシャーを放ち、会場内の観客の目を引き寄せてしまう。
出来上がっていく工程、無駄なく動く小さな身体、そのくせ誰よりも力強い気迫を秘めた瞳、その全てが可憐だった。大胆で、繊細で、美しい。
「―――……すげぇ」
誰かがそう零した。
その言葉は、大なり小なり会場内にいた全員の心に去来した共通意識だっただろう。
それほどに、茜ヶ久保ももは圧倒的だった。
―――勝てるだろう。
もも自身にもその確信があった。このままならば、あの黒瀬恋を倒すことが出来ると。
事実、今この瞬間もものコンディション、気力、調理工程その全てが過去最高の状態だ。己が周囲に放っているであろうプレッシャーに比べれば、恋から感じる気配は想定を超えていない。
直感も、経験も、この瞬間の感覚も、目の前の事実も、その全てが勝利を確信していた。
「(恋君、その程度? そうじゃないよね―――やっぱり、お荷物を抱えているからそうなるんだよ)」
チラリと恋を一瞥して、ももは落胆の色を隠せなかった。
他二人のサポートをしている分、彼の持つリソースはやはり半減する。自分と戦うに当たって、半分の力しか己の更に注げないのだから、勝てるはずもないのだ。
恋の方に一瞬向いた意識を、再度己の料理へと戻す。
最早自分自身の勝ちは揺るがない―――黒瀬恋は此処で敗北する。
そしてリーダーを欠いた保守派は瓦解し、この連帯食戟もセントラル側の勝利で終結するだろう。そうすれば遠月は新しい制度での学園に改革されていき、自分の手元には黒瀬恋が手に入る。
めでたしめでたし、だ。
「(あとはこれを――――!)」
だが、その瞬間だった。
集中していたが故に耳に届いていなかった観客の声が大きくなり、ももに"それ"を気付かせた。
歓声に視線を向けて見れば、どうやら久我の料理が完成したようだった。司の料理も同時に完成したようで、先に審査に入ろうしているのが分かる。ももは集中していたが故に感じていなかった時間経過を理解し、勝負がいよいよ終盤に入ろうとしていることを自覚する。
しかし、その空気感に一瞬気が緩んだそのタイミングだった。
まるで己を圧し潰すかのような強大なプレッシャーが降りかかってきたのは。
「ッ!?」
「―――お待たせしましたもも先輩」
そのプレッシャーの中心にいたのは、黒瀬恋。
彼は頬を流れる汗を手で拭いながら、金色の瞳でももに視線を送っていた。一体何が、と思ったももの視線が、不意に恋の真後ろ―――葉山の調理が終わっている事実を捉える。
そう、久我と葉山の調理が今、同時に終わったのだ。
それはつまり、彼らに割いていた黒瀬恋のリソースが全て戻ってくることを意味する。
「申し訳ないですね、少し大変でしたが……でも俺が調理する時間くらいは十分残せました」
「……! まさか……サポートに徹していたのは、この為だったの……!?」
「ええ……一応、俺もこっち側の頭やってるんで、俺が負けることの意味くらいは理解してますよ。けれど、だからといってこの2nd boutで得られる主導権を渡す危険性も無視できない……ならここで3勝はまだしも2勝くらいは持っていく必要がある」
「だから……早めたんだね……? ももとの勝負を除いた二組の決着を……!!」
「その通り―――きっちり勝利を捥ぎ取った上で、俺はこの食戟にも勝つつもりです」
ももは気付く。恋がこの2nd boutで講じた作戦に。
ももとの食戟……この戦いに勝つには恋も全力を出さなければならない。ましてや他二人のサポートをしながら料理をしたのでは決して勝てないことくらい、聡明な恋には当然理解出来ていた。
けれど問題はももとの食戟は別として、連帯食戟の勝負も視野に入れなければならないということ。1st boutで優劣が付かなかったことで、2nd boutでの勝敗数は今後の勝負の流れを大きく左右する。なんなら、ここでの結果が決着に直結するといってもいい。
だから恋は考えた。この2nd boutで主導権を奪いつつ、ももとの食戟に勝つための戦略を。
それがこれ。
他二人のサポートに大幅なリソースを割き、相手よりも早く料理を完成させることで、その後に恋が自分の料理を行うという方法。
司が準集中状態に入れるようになっていたことは想定以上だったので、久我と同時に完成させては来たものの、それでも斎藤綜明は未だ完成には時間が掛かる。そしてそれは完成までに時間が掛かるスイーツを得意とするももも同じこと。
此処までの流れ全てが恋の思惑通り――――そしてここからが、黒瀬恋の本領発揮。
「サポートしつつも、全ての下準備は終わらせました―――ここからは本気でいきます」
「……流石だね、恋君。正直、びっくりした……でも、嬉しい。こんな程度だったら、がっかりしてたよ……!!」
恋とももは同時に調理を再開する。
先程までが最高だと思っていたのに、恋のプレッシャーを感じてどこか喜びを覚えたももは、先程よりもずっと漲る気力を感じていた。自分が欲する黒瀬恋という男が、料理人が、自分の想像を超えてきたことが何より嬉しかったのだ。
イメージが加速する。アイデアが溢れかえる。試行錯誤が止まらない。
手元にある料理が何度も何度も既定の路線から外れ、より魅力的な方へ、より可愛い方へ、より美味しい方へとアレンジ、ブラッシュアップされていく。
「もっと、もっと可愛く――――!」
それは、まるであの日の再現だった。
月饗祭で恋と共に料理をしたあの瞬間の、まるで己の中の世界観が目の前に実体化していくような感覚。自分のイメージがそのまま現実になり、次から次へと魅力的なアイデアが溢れ出していった、あの時の。
恋のサポートがある時の様に調理工程にストレスがないわけではない。無駄が一切消されていることなんてないし、当然ノッキングする瞬間はある。
けれどそれを受けた上で、恋への想い、恋という存在が凄まじい料理人であることの事実が彼女の心を最高潮に昂らせ、自分も、と引き上げられた闘争心とテンションが一時的にあの時と同じ集中力を彼女に与えたのだ。
つまり、この瞬間だけは茜ヶ久保ももは正真正銘全戦力で此処に立っている。
この瞬間だけは、第一席司瑛士を超えているといっても良い。
恋が相手だったことが、ももの心を燃やしたのである。
「楽しいですね――――もも先輩」
「うん、楽しいよ! 恋君……!」
二人とも互いに敵同士だというのに、別の料理を作っているというのに、まるで一緒に料理をしているかのように呼応している。
火花が散り、その迫力から空気がズンと重くなるような錯覚を、見ている者達に与えていた。
調理が進んでいた筈のももに、恋の無駄のない調理技術が少しずつ追いついていく。凄まじい速度で進む調理には、まるで舞踊のような美しさがあった。
「さぁ、勝負です……もも先輩」
そして時間は過ぎていき―――調理は終わる。
完成した料理は、両者の目の前にあった。
◇ ◇ ◇
見れば分かった。
黒瀬と茜ヶ久保先輩が今、とんでもなく楽しんでいることくらい。実力が拮抗しているのか、差があるのか、それは正直判断が付かなかったけれど、それでも俺よりずっと高い領域にいることは理解出来た。
得意ジャンルが何かって話じゃない。
これは純粋に、定食屋でガキの頃から料理してきた俺とは違う道で、ちゃんと料理って奴を真剣に学んできた奴らがいて、黒瀬達はその中でもずっと高みにいる料理人なんだ。
この学園に入ってきてから俺が学んできた全てを、黒瀬や薙切、十傑の料理人達は幼い頃から学んで、その知識を持って研鑽を積んできた。幾ら親父が世界的な料理人で、そこから色々と学んできたからといっても、差があって当然なんだ。
現場での経験は俺の強みだけど、それだけで純粋な積み重ねに対抗するには限度がある。紀ノ国先輩に引き分けたのはある意味、奇跡みたいなもんだった。
悔しいと思う。
俺は勝てなかったから、もう今日の厨房に立つことはない。
それが何より自分の実力不足が原因であることが、心底悔しくてたまらなかった。
「創真君?」
「ああ田所……大丈夫だよ」
「そうは見えないけど……」
「! ……まぁ、ちっとばかし堪えたけどな」
「黒瀬君のこと?」
「……色々だな。俺ももっと、鍛えねーと」
そばに居た田所が心配そうな顔で俺を見ていた。
田所が不安そうにしているのも、誰かを心配そうにしているのも、よく見る光景だ。けど、こんな風に俺を見る田所は新鮮だな。あるいは、俺自身がそうさせているなら、きっと俺は今までにない顔をしているのかもしれない。
ま、やることは変わらない。これまでも、これからも。
悔しさに歯を食いしばることはあっても、心が折れることはない。俺も、きっとあの領域にいくのだと思っているからだ。
黒瀬と茜ヶ久保先輩が料理を完成させた。
激しくぶつかり合っていたプレッシャーが静かになっていき、まるで舞台が終わりを迎えるように、楽しそうだった二人の表情は真剣そのものへと変化し、睨み合っている。
今目の前で起こっている2nd bout、そして二人の食戟。
その両方の決着が、付こうとしていた。