ただ一言、”美味しい”と   作:こいし

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九話

 黒瀬恋が周藤怪との食戟に勝利してから数日。

 二年生に勝利したことで、幸平創真ほどではないが、彼の名も学園内に広く知れ渡ることになったらしい。ただ歩いているだけだと言うのに、彼は多くの視線を感じる生活に変わったことを感じている。

 といってもそれは彼の実力だけではなく、彼の整った容姿や貫禄、どっしりとして余裕のある雰囲気から、異性としての魅力を感じさせていることも要因の一つ。

 

 とどのつまり、彼は実力を示したことで注目され、結果モテ始めたのである。

 

 同級生の女子からはよく声を掛けられるようになったし、アプローチのような行動を取られたこともある。今では授業中以外、彼の周りに女子生徒が一人はいるような状態なのだ。

 そのモテっぷりは、極星寮の前に出待ちする生徒まで現れる程である。

 勿論、彼女達も遠月の人間。成績に影響が及ばない範囲でやっているのだろうが、恋としてもここまでモテるのは予想外だった。

 

「むむむ……」

「えりな様……」

 

 だが、そんな彼の状況に不満を持つ少女が一人。

 薙切えりなである。

 

「なんなのよ……今まで見向きもしてなかった癖に、たった一度食戟に勝っただけで黒瀬君黒瀬君って言い寄って」

「え、えりな様……」

 

 ぶつぶつと呟きながら、えりなはコツコツと指先でテーブルを叩く。

 私は不機嫌ですと隠しもしない表情に、秘書である緋紗子もたじたじだ。あからさまな嫉妬っぷりに、もう絶対黒瀬のこと好きじゃんとツッコみたくなる。だが言えないのが秘書の立場としてもどかしい所だ。

 もっと言えば、最近恋とえりなは全く会えていなかった。

 えりなは遠月十傑第十席としての仕事があったし、近々行われるイベント(・・・・)の準備など色々忙しかったのだ。仮にそれがなかったとしても、恋は恋で自己研鑽に励んでいたし、それ以外では極星寮の面々やアプローチを掛ける女生徒に囲まれていてそれどころではなかった。

 

 結果的に、えりなと恋は同じ学園内にいるにも関わらず、一週間近く会えていないのだ。

 

 お互いの姿を見かけることはあれど、話をすることは一切出来ていない。

 そういう訳で、恋はともかくえりなはフラストレーションが溜まりまくりなのだ。

 

「えりな様……仕事も急ぎではないですし、休憩がてら黒瀬に会いに行かれたらよろしいのでは……?」

 

 それを見かねて緋紗子がそう提案する。

 だが、えりなは一瞬喜びの表情を浮かべたものの――ハッとなるとふくれっ面を浮かべてそっぽを向いた。

 

「ふ、ふん! 何故私がわざわざく、黒瀬君に会いに行かないといけないのよ!」

「……めんどくさいなー」

「何か言った!?」

「いえ別に」

「とにかく! 私は黒瀬君に会いたいなんてこれっぽっちも思ってないんだから! ……ま、まぁ彼の方から会いたいっていうなら、その……会ってあげないこともないけれど」

 

 心の底から面倒くさいと思った緋紗子。

 それもそうだろう。えりなは幼少期よりそのプライドの高さで損をしてきた人間なのだ。今更そのプライドを曲げることなど、余程のことがない限りは出来ないだろう。

 今回のことだってそう。恋の状況に嫉妬して自分から会いに行くなど、なんだか負けたような気がして素直になれないのだ。本当は今すぐにでも会いに行きたいくせに、プライドが邪魔して素直になれず、嫉妬と自尊心の狭間で彷徨ってしまっている。

 

 全くこのお転婆お嬢様は、なんて思いながら緋紗子は溜息をついた。

 

「じゃあ黒瀬を連れてきましょうか?」

「え!? ど、どうしてそうなるのよ! べべべべ別に彼に用事があるわけでもないのにそんな必要はないわけであってだからといって嫌な訳ではないけれど緋紗子がどうしてもっていうならでもだからあれはこうであばばば」

「では、失礼します」

「ちょ!? ちょっと待って緋紗子ぉ!?」

 

 緋紗子は構わず部屋を出た。

 付き合っていられない、さっさと恋と会わせてストレス発散して貰おうと思ったのだ。少しの間だろうが、会わせてしまえばどうとでもなるだろう。

 恋とてあれだけえりなのことを想っているのだから、同じように悶々としている可能性は十分ある。

 さながら気分は恋のキューピットだ。やれやれこんなのは秘書の仕事ではない。

 

 でも、悪い気分ではなかった。

 

「緋紗子、待って、ねぇ本当に会うの? ねぇ待ってってば」

「待ちません」

 

 後から引き留める声をあげながらも強引な手に出ない主人、そんな彼女のいじらしい様が微笑えましいからだ。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 行きかう人に話を聞きながら、恋を探すこと十分ほど。

 えりなは生徒達に見栄を張るために凛とした様子で付いてきているが、視線が挙動不審だ。内心ではまだそわそわしているらしい。生徒達の前では緋紗子に抗議することも出来はしない。流されるままについて行くしかなかった。

 

 緋紗子はそんなえりなを引き連れながら、ようやく恋を見つけた。

 校舎の外に設置されたベンチで料理本か何かを読んでいる。隣には幸平創真と田所恵がいるようで、時折振られる言葉に返しては本に集中している様子だった。

 本を読むために友人を蔑ろにしないのは、恋らしいというべきだろうか。

 

「お? 薙切じゃん」

「ええ!? な、薙切さん!? あ、新戸さんも……こ、こんにちは」

 

 近付くと、幸平創真と田所恵が自分達に気が付いた。

 緋紗子は彼らに自己紹介していないので、一歩前に立っている自分よりも顔見知りであるえりなの方に注目するのは仕方のないことだろうと思いながら、会釈する。

 すると、その言葉に反応して恋が本から顔を上げ、視線を送ってくる。

 

「あ……ぅ……」

 

 ばち、とえりなと恋の目が合うと、えりなはすました態度を保つことが出来ず、見るからに狼狽える様な表情で言葉に詰まる。

 会いたいと心の奥底では思っていたけれど、いざ会ってみると何を話して良いやら分からないのだ。そもそも話したいことがあったから会いたかったわけではない。

 ただ、自分よりも多く別の女生徒が恋と過ごしているのが嫌だっただけで。

 

 だが、どうしたらいいのか分からずに俯きそうになった時だ。

 

「あぁ……なんだか久しぶりだな」

 

 黒瀬恋が、心の底から嬉しそうに微笑んだ。

 

 周りに人がいるのが分かっていないかのような、無防備な表情。

 えりなにだけは自分の全てを見せても大丈夫と言わんばかりに、恋はえりなに飾らない喜びを見せる。それは、彼の表情を見ていた緋紗子や創真達ですら、一瞬ときめいてしまう程魅力的な表情だった。

 温かい風が吹き抜ける様な、そんな衝撃すら感じてしまう。

 彼のそんな表情を見た者全てが、一瞬時が止まったかと錯覚するほどに。

 

 えりなはそんな彼の表情を見た瞬間、うじうじ悩んでいたことが全て消え去っていくのを感じた。そして身軽になった心が、それでも残ったものを素直に表に出してくる。

 

「……もう、ずるいわ」

 

 そんな顔をされたら、何も言えなくなってしまった。

 恋愛に疎い自分であっても、そんな顔をされたら分かってしまう。どれほど彼が自分のことを想っているのかくらい、すぐに分かってしまう。

 ああ、彼はこんなにも自分のことを大事に想ってくれている。

 えりなの顔は、全く仕方ないんだからという笑みを浮かべていて、恋を見つめる瞳には熱が籠っていた。顔が熱く、心臓の音がうるさい。

 

「はっ……あ、あー……田所、俺ら席外した方がいいんじゃね?」

「あっ……そ、そうだね、黒瀬君、私達先に寮に戻ってるね」

 

 えりなが言葉を発した瞬間、創真達は我に返る。

 如何に鈍感な創真でも、この場に自分達がお邪魔なことくらいは察したらしく、恵に声を掛けて寮へと戻ることにした。

 ちなみに、緋紗子は我に返った瞬間姿を眩ませている。秘書として、またキューピットとしてとても有能な女、新戸緋紗子である。

 

「え? なんでだ?」

 

 だが当の恋は、そんな彼らの気遣いに気が付かない。自分がどんな表情をしているのか、自覚がないらしい。

 流石に創真でも分かる。恋愛感情かどうかは分からないとか言っておきながら、確定じゃねぇかと思うくらいだ。男の自分でもときめいてしまうくらい魅力的な笑顔を浮かべられる相手なんて、そんなの好きな人に決まっている。

 

「お前、今自分がどんな顔してっか自覚した方が良いぞ」

「じゃ、じゃあまたね、黒瀬君、薙切さんも」

 

 創真は呆れたようにそう言って、ハイハイお粗末お粗末~と言いながら去っていく。恵もぺこりと一礼して、創真を追いかけて去っていった。

 恋は首を傾げながら、自分の顔をぐにぐにと揉んでみたが、鏡は持ち合わせていないので創真の言葉の意味は分からなかった。

 

 まぁいいかと思い、恋はえりなの方を見て立ち上がった。

 すると、えりなも創真と同じように呆れた様子で額に手を置いていた。自覚のない恋に危機感を抱いたのだろう。

 

「黒瀬君……貴方、さっきの顔は他の人には見せない方がいいわ」

「さっきの顔?」

「だからっ……あの……とにかく! さっきの顔は私以外にはしないこと!」

「? よく分からないけど、分かった」

 

 首を傾げた恋の様子に、えりなはぐぬぬと唸る。

 もしもさっきの表情を他の女生徒に見られたら、彼に恋をする女生徒は絶対に増える。それは嫌だと思った。別に自分は彼の恋人ではないし、彼を独占する権利などないが、恋が自分以外を見るようになるのは絶対に嫌だった。

 

 人はそれを恋と呼ぶのだが、えりなもえりなで大分拗らせている。

 きっと自分は恋のことを好きなのだろう、というのは自覚したものの、告白するという発想が一切ないらしい。彼女は恋人になるにはどうすればいいのか、よく分かっていないのだ。

 

「……」

「……」

 

 無言になってしまう二人。

 話すことがないのだ。

 

「はは、いざ話そうとすると、話題が見当たらないな」

「そ、そうね」

 

 恋はそんな状況におかしくなったのか、零れる様に笑った。それをきっかけに緊張がほぐれたのか、えりなも自然と笑みを浮かべてしまう。

 恋がベンチに座り直し、えりなが座れるよう空間を空ける。えりなもそれを受けて、別段言葉を交わすことなく素直に恋の隣に座った。

 

 二人並んで、遠月の校舎や行き交う生徒達のいる光景を見つめる。ゆっくり流れていく時間の中に身を任せ、隣にいるお互いの呼吸や鼓動を感じていた。

 狙ったのかは分からないが、座っている彼らの距離は殆どない。肩と肩が触れ合い、少し動けば膝がぶつかる様な位置。自然と座ったらこんな近くに座っていたというのだから、彼らの心の距離がどれほど近いのかが分かる。

 

「……」

「……」

 

 言葉は交わさない。

 無言の状態だったが、心地いい時間が流れていた。お互いにお互いを信じているから、話題がないのなら無理に会話をする必要はない。ただ一緒にいるだけで、二人の心は満たされていた。

 

「……ん?」

「……」

 

 ふと、恋の肩にえりなの頭が寄り掛かる。

 眠ったわけではないが、表情を見るに殆ど無意識に寄り掛かって来たらしい。ぼーっと景色を見ながら、心地良い方へと身体が動いた様だった。

 恋はなんとなくソレが嬉しくて、視線を前に戻して彼女のしたい様にさせる。自分に寄り掛かる程に信頼してくれているのなら、それは恋にとってとても嬉しいことだ。

 感じていたものに、お互いの匂いや熱も加わると、よりお互いに胸が満たされるのを感じた。

 

 恋人ではないが、恋人のような絆で結ばれている二人。彼らが本当に恋人として結ばれるのは、いつになるのか。

 

 それから一時間ほど、二人はそのまま無言の逢瀬を続けた。

 

 

 


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