ただ一言、”美味しい”と   作:こいし

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八十九話

 2nd Boutを前に、一先ずのインターバル。

 

 連戦による消耗は確かに戦略の一つではあるが、食戟として最低限必要なパフォーマンスが出来る様にインターバルが設けられている。時間にしておよそ15分程度のインターバルでしかないが、その間トイレに行ったり水分補給をしたり、また次戦の作戦を練ったり、自由に使える時間だ。

 そのインターバルで、各陣営共に会場から姿を消して用意された控室に引っ込んでいる。

 審査員の面々は会場にいるものの、思い思いに1st Boutの試合を振り返りながらインターバルを過ごしていた。

 

 そんな中、同じく最終審査員に選ばれていた薙切えりなもまた、インターバルの最中お手洗いをすませて会場外の通路を歩いていた。

 本来なら恋達の陣営に顔を出したいところではあったものの、第三勢力として自身も裏で動いている手前、それをするのは憚られたらしい。少しもやもやっとした表情を浮かべながらも、濡れた手をハンカチで拭っている。

 

「―――」

「?」

 

 すると、不意に廊下の先、曲がり角の向こうから何やら話し声が聞こえてきた。

 誰の声だろうかと気になり、足音を殺すようにしてこっそり様子を伺うと、その先には二人の人影がある。背の高い人影に向かって、小さい人影が行く手を阻むように立っていた。

 

「―――恋君、次……分かってるよね?」

「……もも先輩」

「(恋君!? と、茜ヶ久保先輩……!?)」

 

 思わず覗いていた視線を切って隠れてしまうえりな。

 おそらくこの食戟を除けば、えりなが最も興味を引かれている組み合わせの二人である。恋への恋情を抱いているのは自分だけではないと、最も大きな衝撃を与えてきたのがこの茜ヶ久保ももという少女なのだ。アリスという恋敵がいることも相まって、えりなは恋との女性関係に関しては激しい焦燥を抱いている。

 

 しかも2nd Boutを前にして、この二人が何を話すというのか、それはえりなの心に大きな動揺を走らせた。

 

「ええ……次も、俺は出場する予定ですよ」

「なら、ももが前に言っていたことも受けてくれるってことでいいんだよね?」

「食戟ですか」

「そう―――お互いの人生を賭けて、ももと戦ってよ」

「(お互いの人生を賭けて!?!?)」

 

 ももの発言に、えりなは目を見開いて驚愕した。

 お互いの人生を賭けた食戟―――それはもはや食戟で賭けられるもののスケールを大きく逸脱している。遠月での三年間を終えたとして、その先の人生まで食戟委員会が管理し続けられるものではない。食戟が成立して仮にどちらかの人生がどちらかの手に委ねられたとしても、卒業後委ねられた人生においては二人の自由意志による管理になってしまう。

 

 ましてやこんな半ば人身売買のような賭け品が許されて良いはずがない。

 

「(―――いや、違う……そんなことは茜ヶ久保先輩も分かってる筈……でも、この連帯食戟の最中なら……学校の進退を賭けた食戟、遠月にいる全ての料理人の人生が掛かった食戟の中でなら、茜ヶ久保先輩の提示した食戟も罷り通ってしまう……!!)」

 

 これほどの大規模な食戟だ。スケールにおいては料理業界の未来が掛かっているといっても過言ではない。ならば二人の料理人が互いの人生を自由意志に任せて賭ける程度、麻痺した感覚で見逃されるだろう。

 

 そしてそれが決行されて、仮に恋の人生が茜ヶ久保ももの手中に落ちてしまうようなことがあれば、この食戟の根底を大きく揺るがす事態になるだろう。なにせそうなれば恋が敗北するということだから、連帯食戟自体ほぼ薊側の王手。恋達も退学になり、仮に恋が学園に残されたとしても恋はもものものだ。

 

 えりなは全てを失う可能性にゾッとしてしまった。

 

「(恋君、貴方はどうするの……?)」

 

 そんな動揺を必死に抑え込みながら、ももの言葉に対する恋の反応を伺うえりな。

 すると、そんなえりなをさておき、恋は少しの間を置いてから力強く答えた。

 

「……ええ、いいですよ。その食戟、お受けします」

「!! ……正直、こんなにすんなり受け入れてくれるとは思わなかったな」

「どうせ負けたら終わりなんですから、どちらでも同じことです」

「負けたら一生ももの傍にいて貰うことになるって、ちゃんと分かってる?」

「ええ、負けたら結局全て終わりですからね……それに、この勝負に勝てなかったとしたら、もも先輩の店で料理するのも悪くない就職先だと思いますし」

「恋君が考えているより、ずっと重たいかもしれないよ?」

「あはは、当然負ける気なんてサラサラないので―――負けた時は土下座してもも先輩の足にキスしたっていいですよ」

「ふーん……分かった、じゃあももが勝ったらあの会場のど真ん中でソレをやってもらうから、覚悟しててね」

「(会場の! ど真ん中で! 土下座して足にキスさせる!? 恋君に!?)」

 

 恋が食戟を受け入れたことに対してももは多少困惑したようだったが、恋の強気な発言に対し少しカチンときたのだろう。売り言葉に買い言葉と言わんばかりに無茶苦茶な約束を取り付けてしまった。

 もしもももが勝利してその光景が現実のものとなったのなら、仮に恋以外の面々が勝利したとしても、この連帯食戟は保守派の敗北で決定づけられてしまう。

 

 なにせ保守派代表である恋が、セントラルの一料理人に敗北し、足先に土下座キスだ。決定的以上に終わっている。

 

「―――その代わりと言ってはなんですけど」

「え?」

「(え?)」

 

 だが、そこで恋は話を終わらせなかった。

 恋がももに敗北した場合、恋の人生はもものものになり、あの会場のど真ん中で土下座キスするという条件に対する―――その代わり、とは。

 

 正直、ももとえりなは恋が何を言い出すのかと焦った。

 これだけのリスクを背負わせたのだ、その代償はどんなものになるのか想像も付かなかったのである。

 ドキドキしているももとえりなを他所に、恋はゆっくりと口を開いた。

 

 

 

「俺が勝ったら―――もも先輩にやって欲しいことがあるんで、断らないでくださいね」

 

 

 

 詳しくは言わない恋。

 だが詳しく言わなかったことで、ももはあらゆる可能性を考えて動揺が隠せなかった。やって欲しいこと、というからには、ももにとってそれは屈辱的なことなのかもしれないし、なんでもないことかもしれない。しかし断らないでくださいね、という言葉が、少なくともある程度ももが断る可能性がある要望であることを匂わせてくる。

 

 料理人としての何かなのか、もしくはもも個人としての何かなのか、それがはっきりしないことがももをはげしく動揺させた。

 

「な、なな、なにをさせてつもりなのっ?」

「どもってるし噛んでますが……いえ、まぁそれは勝ってから言いますよ」

「え、ええ~……」

「まぁ、しいて言えば……身体を貸してもらう? って感じですね」

「か、からだ!?」

「(恋くぅん!?!? ななななにを!?)」

 

 恋は何でもないことの様にさらりととんでもないことを言い、ももとえりなは同様に分かりやすく慌てだす。

 二人とも恋に対して恋情を抱いているとはいえ、ここまでドストレートに身体を求められたとあっては、流石に動揺もするというものだ。ましてやももとえりなはすこーしではあるが、耳年増な一面もあるので、少々脳内ピンク色な妄想が走っているらしい。

 

「それじゃ、また後程」

「ひゃっ! う、うん」

 

 恋はそんな二人を他所に、ももの肩をぽんと叩いて擦れ違う様にその場を去っていく。向かう先にはえりなが潜んでいるのだが、えりなは一本道の通路故に隠れる場所がないことを理解する。あわあわと慌てるも、すいっと曲がってきた恋はえりなの姿を見てクスリと笑った。

 

 どうやら恋はえりなの存在に気が付いていたらしい。

 

 恋に視線で促され、えりなはおずおずと歩いていく恋の隣についた。来た道を戻っていくような形になるが、結局行く場所は同じ会場だ。どういう道を行くのかは自由である。

 

「……恋君、さっきの話……茜ヶ久保先輩に言ってたのって? もし勝ったら先輩に何をさせるつもりなの?」

「ん? ああ、あの賭けの話か……いや、別に何も考えてない」

「え!?」

「だから、何も考えてないよ。ただ、頼みたいことがあるって意味深に言っただけ」

「な、なんのために!?」

 

 恋の真意について躊躇いがちに聞いたえりなだったが、恋はそこにこれといった思惑はないと答えた。驚くえりなに、恋は苦笑しながらどうしてそんなことをしたのかの真意を口にする。

 

 そこには、あくまでこの連帯食戟に勝つための戦略が秘められていた。

 

「もも先輩が俺に好意を抱いてくれているのはまぁ、分かってる。その気持ちは嬉しいとは思うし、人生ごと欲しいって言いきれるほどの気持ちは素直に凄いと思うんだ」

「え、ええ」

「だからこそ、今回はその気持ちを利用させて貰った。少し罪悪感もあるけどね……一種の揺さぶりに過ぎないけど……ああ言っておけば、もも先輩の集中力も多少揺らぐんじゃないかなって。一応俺も連戦になるわけだし、心理戦を仕掛けさせてもらったんだよ」

「……なるほど」

 

 つまり、恋はももと戦うに当たって、彼女の集中力を削ぎにいったのだ。

 個人の範疇であれば、料理人として正々堂々戦うことが恋の性分ではあったが、人生の掛かった食戟、かつ自分の置かれている立場を考えれば、己の性分を優先させるわけにもいかなかったのである。

 

 えりなはそれを聞いて、恋が今回の食戟に対し本気で勝ちに来ていることを理解した。

 もちろん、戦う上で対戦相手の料理人に対しリスペクトを持っているし、全力でぶつかり合いたいと思っていることは変わりないだろう。しかし、その上で盤外で出来る戦術や調理中に出来る戦略はしっかり使っていくことを惜しまないのだ。

 

「少しでも勝つ可能性をあげる……これは俺だけの勝負じゃないからな」

「なるほどね……」

「まぁ、人の好意に付け込んだ形になるから、あまりいい気はしないけどな」

 

 はは、と苦笑する恋の表情からは、ももの好意を利用した形になったことへの罪悪感が伺えた。えりなはそんな恋を見て、内心安堵する。

 恋がももに対して好意を抱いているからこその言動ではなかったこと、もそうだが、それ以上に恋が心理戦で相手の腕を鈍らせる策を行ったことに対し、乗り気ではなかったことに対して。

 

 勝負に飲まれたわけではなく、恋が恋のままであることが一番、安心できた。

 

「まぁ、もも先輩は強敵だから、出来ることはやっておくって感じだな」

「そう……まぁ、恋君が負けたら終わりですものね」

「当然、負ける気はサラサラないよ……もも先輩との食戟がなくとも、今日は俺の人生の全てが掛かっているしな」

 

 そんな会話をしながら、少し歩いてえりなと恋は会場へと戻っていく。

 1st Boutの熱は冷めやらぬ会場に入れば、既に準備を終えたチームメイトもおり、対面の薊達もちらほらと戻ってきていた。

 

 恋はチームメイトの下へ、えりなは審査員席の方へと別れていく。

 

「戻ったか、黒瀬」

「ああ、そろそろお題決めのくじ引きだしな」

 

 恋を迎えた葉山の言葉に、そう返す恋。

 食戟で作るお題。このお題は勝敗に大きく関わってくる。ある意味、食戟開始前の一番緊張する場面だ。

 

 そして一人、また一人と会場に戻ってくる。

 最後に戻ってきたのは、まだ動揺冷めやらぬ様子の茜ヶ久保ももだった。

 

「それでは、2nd Boutのお題決めに行きたいと思います! 今回の選出メンバーの方々、くじ引きをお願い致します!!」

 

 ももが戻ってきたと同時、お題決めのくじ引きが始まる。

 今回恋側の選出メンバーは、恋、葉山、久我。そしてセントラル側のメンバーは、司、もも、斎藤だった。どうやら竜胆は温存でいくことにしたようである。

 

「いよいよ勝負だな、黒瀬」

「そうですね、司先輩……まぁ、先輩の相手は俺じゃないですけどね」

「……みたいだな、少し残念だ」

「言っててくださいよ司さん、今日は俺が勝たせて貰いますんで」

「久我……そうだな、やる以上は俺も全力で行かせて貰うよ」

 

 火花が散る2nd Bout。

 闘志も初戦以上のメンバーが対峙し、優劣の付かなかった1st Boutを終えての戦いも熾烈なものになることを会場全体に確信させた。

 

 

 




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